2012年1月8日日曜日

月刊誌「世界」もCELACに注目

☆★☆昨年12月3日、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)が発足した。ラ米諸国の独立200年期(2010~20年代)と、米国の「モンロー教義」宣言200周年(2023年)の米州の二つの潮流が激しく鬩ぎ合う力学から、CELACは生まれた。

    月刊誌「世界」2月号(岩波書店、1月8日発売)の「世界の潮」欄に、「米国抜きのラ米・カリブ諸国共同体が発足」 が掲載された(筆者は私)。米州史上、キューバ革命に次ぐ画期的な出来事であり、2012年初頭に新たに同誌に取り上げられてよかった。

    CELACは、ベネズエラ独立200年記念日の昨年7月5日発足することになっていた。ところが同国のウーゴ・チャベス大統領が6月に癌腫瘍の除去手術を受けたことから、12月に延期されたのだ。

    チャベスの手術はまさに「寝耳に水」だった。私は既にCELAC発足前触れ記事を、「エコノミスト」(7月5日号、毎日新聞社)、「社会主義」(7月号)に書いていた。だが癌手術のニュースが入って、急遽、「社会主義」(8月号)に延期を伝える記事を書かざるを得なくなった(「エコノミスト」は同誌記者が書いた)。

    「LATINA」(8月号)、「週刊金曜日」(7月29日号)、「選択」(8月号)には、チャベスの癌発病と延期を中心にした記事を書いた。

    12月にCELAC発足が過去形になってからは、「週刊金曜日」(12月9日号)、「LATINA」(2012年1月号)、「選択」(1月号)に書き、共同通信にも提稿した。そして今回「世界」に出たわけだ。

    今後もCELACを柱にした記事を書きつづけることになるはずだ。米州の対立軸が、CELACと米州諸国機構(OEA/OAS)の対峙関係になったからだ。CELACの存在感が増せば増すほど、米州情勢は活気づく。それは米国の影響力のさらなる衰退を意味する。

    米帝国がLAC(ラ米・カリブ)を200年近く<裏庭>視してきたからこそ、「パックスアメリカーナ」の衰退は、米州域内情勢、とりわけLACの動向から明確にわかるのだ。