2012年2月11日土曜日

バルタサル・ガルソン氏、判事生命絶たれる

▼▼▼▼▼<世界1有名な判事>、スペインのバルタサル・ガルソン判事(56)が2月9日、同国最高裁で、11年間の資格剥奪という極めて重い刑罰を科せられ、実質的に司法界から追放された。

    スペインには、右翼の政権党PP(国民党)の地方政治家、実業家、公金などが絡んだ広範な贈収賄事件「グルテル事件」があった。主犯格とされる実業家フランシスコ・コレアの姓コレアは「皮帯」を意味するが、ドイツ語では「グルト」で、ここからコレア絡みの事件を「グルテル事件」と呼ぶようになった。

    ガルソンは、2009年に事件の審理を開始したが、調査の過程で、事件に関与し収監されていた人物と弁護士との会話を録音するよう命じていた。これが発覚して判事は10年5月、「被告の権利を侵した」容疑で裁かれ、今回最高裁判決が出た。

    判事はほかにも、スペイン内戦中からフランコ独裁下にかけて失踪(抹殺)させられた人々に対する犯罪責任を問う裁判のための調査をし、この巨大な人道犯罪を「裁くことができる」と一方的に宣言した。1977年の恩赦法で赦免された責任者の多くはすでに死んでいるが、ガルソンは特定した責任者が実際に死んでいるか否かを墓地まで含めて調査した。

    司法当局は、そのようなガルソンの言動が「意図的になされた不当な判断」と見なした。これに呼応するかのように、フランコ独裁の流れを組む極右結社「フエルサ・ヌエバ(新勢力)」の幹部がガルソンを告訴した。判事は、この裁判の被告にもなった。さらに「不正収入」でも起訴された。

    ガルソンは判決を受けて、「弁護権が制度的に侵された不当な裁判だった」と述べた。また「今後は法的手段をとり、誤った判決を究明していく」という趣旨の決意を明らかにした。

    判事の弁護士は、「残された手段は憲法裁判所や欧州人権裁判所(仏ストラスブール在)に訴えることだ」と述べた。

    判決後、首都マドリードをはじめ、全国各地で抗議行動が起きた。緊急世論調査では、3分の2が不当判決と答えた。「会話傍受」は言い訳で、裁判の背後にある国・政府の真の狙いは、内戦から独裁期にかけての人道犯罪裁判を封じ込めること、との見方が拡がっている。

    ガルソンは、スペイン国内での政治的裁判で名を知られていた。世界的に有名になったのは、1998年ロンドンに滞在中だったチリ軍政時代の独裁者アウグスト・ピノチェー(故人)の逮捕を、当時のブレア英政権に要請した時。ピノチェーは長期間、ロンドン市内で軟禁された。

    判事はピノチェーの身柄の引き渡しを求めたが、結局はチリに帰された。ピノチェーの権勢は急速に崩れ、人道犯罪と公金横領罪で司法から追及され、失意のうちに死んでいった。

    ガルソンは、アルゼンチン軍政の人道犯罪を裁くのにも貢献した。

    判事にとって不幸だったのは、昨年末にPP政権が復活したことだ。「グルテル事件」はPPの汚点だった。またPPはフランコ派の2世、3世らの政党であり、フランコ体制の流れを汲む。内戦の<勝利者>側にあるが、それだけ人道犯罪に深く関与した側でもある。彼らにとって、過去の人道犯罪を裁こうとしたガルソンは、「許し難い敵」だった。