▼▽▼チリの軍事独裁政権を率いた故アウグスト・ピノチェー将軍は、巨額の公金を横領し、不正蓄財した。これを生前から調べてきた司法当局は4月25日、裁判所内で将軍の遺言状を強制調査した。遺言状は2002年に作成され、05年に書き直された。調べられたのは05年のものだった。
▽ところが、その主要な記述は遺言執行人の変更だけだった!
▼ピノチェーは最大2600万ドルの不正蓄財をしたとされ、うち2000万ドルは外国銀行に預金されたとみられてきた。これらの預金の出所は<不明>である。
▽当局はこれまでに不動産と一部預金を計260万ドル相当差し押さえただけだ。
▼巨額の遺産は5人の子供と夫人が相続したと見られているが、05年の遺言状には資産や想像に関する記述が一切なかったというのだ。捜査の進展を期待していた当局や、意気込んでいた報道機関は肩透かしを食らった。
▽1973年9月11日のピノチェークーデターの数日後、首都サンティアゴの外港バルパライソのチリ海軍本拠港に停泊していた練習帆船エスメラルダ号は、臨時の政治囚収容所とされた。多くの市民が拷問され殺害された。チリ系英国人のミゲル・ウッドワード神父もその一人だった。
▼エスメラルダ号は4月22日、来年1月までの世界一周航海に出発した。その出航式の日、
ウッドワード神父を支援していた人々は抗議集会を開いた。神父は、バルパライソの貧民街で活動していたことから逮捕され、殺害されたのだった。