▼▽▼▽▼ノフィクション作家の下嶋哲朗が、執念の著書『非業の生者たち』(岩波書店)をついに世に出した。著者は、1975年に石垣島滞在中、読谷村チビチリガマで戦時中に集団自決があったことを知り、その現場を83年に調査した。それから30年目に、この鬼気迫る労作にして大作が世に出た。著者のライフワークであり、この著者にしか書けない本だと言えるだろう。
▽下嶋は、読谷村、沖縄、そして日本のタブーに挑戦した。社会科学的アプローチで、タブーを打ち破り、「世界」誌に2010年1月号から11年3月号にかけて14回連載した。それに加筆して、この超重量級の本が生まれた。
▼冒頭で、「(集団)自決は、自国による自国民のホロコーストといっても言いすぎではない。ナチですら、自国ドイツ民族の抹殺などは計画しなかった」と、鋭く指摘する。「世界に例を見ない、日本人特有の死の形」と(集団)自決を捉える。
▽(集団)自決には、「強制」と「自発性」の二重性がある-と前置きし、「からくも生き残った人々は、その二重性、つまり矛盾が解き明かせぬために、自ら<自己責任>に一本化させて苦しみ、よって内向するしかなく、<非業の生者たち>となった」と、核心を突く。「この本は、<非業の生者たち>の聞き書き-伏流する魂の声を聞き、それを学び、(集団)自決の真実(真相)、<強いられた自発性>の矛盾を解き明かそうとするものである」と、執筆の目的を明らかにする。
▼明治天皇、山県有朋以来の「死ぬ国民作り」に始まり、戦時中の「一億玉砕」主義、「鬼畜米英」という偽りの煽動が、多くの非戦闘員=民間人を非業の死に至らしめた。著者は、こう説く。
▽私は、戦時中に生まれ戦後に育った。日本人が開戦に踏み切りながら、日本人自身が自らの戦争責任を明確にしていない戦争の時代に生まれた者として、私も「非業の生者」であることから免れない。そんな思いを抱きつつ、この本を繰り返し読んでいる。