☆ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督(86)の作品「菖蒲」(2009年、87分)を試写会で観た。簡単に言えば、美しく重厚な人間的ドラマだ。万人の運命である、生と死の隣接性、連続性、ないし、死を包含した生を描く。愛の非永続性、刹那性も描かれている。
★10月20日から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。
★10月20日から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。
☆ウィスク川と見られる大河の畔の美しい小さな町で物語は展開する。映画の内容が3重構造になっているのが新鮮だ。まずワイダ自ら登場する撮影隊が、この映画を撮影している有様。そこで撮影された『菖蒲』(ヤロスワフ・イヴァシュキエヴィチ原作、1958年)の物語。さらに主演女優クリスティナ・ヤンダの実人生描写部分の独白および撮影現場から離脱する光景が描かれる。
☆菖蒲」の主人公である医師の夫人マルタ(ヤンダ)は、肺癌にかかって余命いくばくもない。実人生のヤンダには、実際に死んだ夫である撮影監督エドヴァルト・クウォシンスキがいた。マルタの役柄と実人生の夫の病気がつながる。私たち観客は、三重構造の内容を備えた四重構造の完成品を観ることになる。
☆「菖蒲」の診療所兼住宅には、「開かずの間」がある。第2次世界大戦中の1944年の対ナチ・ワルシャワ蜂起で死んだ息子2人が居た部屋だ。マルタはある日突然、その部屋に入るが、夫に言われて部屋を出て鍵を閉めた後、その部屋に庭から息子たちが昔遊んでいたボールが転がり込む。シュールレアリスモではあるが、この種の幻想的現実は、いまや現実の一部としてごく普通に用いられ、誰も奇異に感じなくなっている。
☆マルタは、死んだ息子たちと歳の似た青年に母性的な淡い恋心を抱く。青年は向こう岸まで泳いで、菖蒲を採って来る。夏の到来を祝う聖霊降臨祭にマルタが必要としていたからだ。だが青年は2度目に川を泳ぎ渡り、菖蒲を抱えて泳ぎ戻る途中、溺れて死んでしまう。衝撃的な展開だが、マルタの命も夏には途絶えるかもしれないのだ。
☆人間を描く秀作が少なくなった今日、これぞ、それに該当する作品だ。