☆★☆マリオ・バルガス=ジョサ(MVLL)著『チボの狂宴』(2011年、作品社。原題「La Fiesta del Chivo(仔山羊の祭)」2000年)を読んだ。長らく<積んどく>していた半実半虚の小説だ。
☆ドミニカ共和国(RD)の独裁者だったラファエル・トゥルヒーヨの暗殺(1961年5月30日)をめぐる物語だ。ただ前進するだけでは単調になりがちな物語に変化をつけるため、回想場面が盛んに用いられ、ちりばめられている。この作家の確かな表現技術がうかがえる。
☆私が1970年代前半にRDを初めて取材した折、トゥルヒーヨ暗殺団の一員だったルイス・アミアマ=ティオ(1915~80)が健在だった。私は、この物語の主人公の一人、ホアキン・バラゲール大統領(当時)とアミアマ=ティオにインタビューを申し込んだが、いずれも実現しなかった。大統領公邸と、トゥルヒーヨ暗殺現場を写真取材しただけだった。
☆このMVLLの本で物足りないのは、暗殺団の生き残りだったアミアマ=ティオの描写が希薄なことだ。作家の取材が、そこまで及ばなかったのか、それともアミアマ=ティオが取材を断ったのか。いずれにせよ、ひと工夫、欲しかった。
☆当時のケネディ米政権は、カリブ海の2つの<目障りな国>、カストロ政権のキューバと、トゥルヒーヨ独裁のRDの両国政権を転覆させようと画策していた。キューバに対しては61年4月、CIAが組織した侵攻部隊をヒロン浜(プラヤ・ヒロン)に上陸させながら撃破され、失敗した。その翌月、CIAを使ってトゥルヒーヨ暗殺には成功した。
☆日本外務省は、現地調査を十分にしないまま、日本人移民をRDに送りこんでいた。トゥルヒーヨは、1937年にハイチとの国境地帯でハイチ人定住者1万数千人を虐殺した。だがその後もハイチ人の侵入を警戒して、国境の不毛地帯の人口を増やそうと、「我慢強い働き者」として知られていた日本人の導入を図った。移住者は言わば、国境地帯の防人(さきもり)の役割を担わされたのだ。
☆ところが、日本人移民が入植して間もなく、庇護者だった頼みの独裁者は暗殺された。その結果、日本人移民の苦闘が始まった。よく知られている、日本政府の無責任RD移住問題である。
☆フィデル・カストロは大学生時代に、トゥルヒーヨ打倒のためのRD侵攻作戦に参加するため軍事訓練を受けていた。有名な「カヨ・コンフィテスの訓練」だ。59年の革命成功後、カストロはRDにゲリラ部隊を送り込んだが、トゥリヒーヨ打倒に至らず失敗した。その後も、ゲリラ部隊を侵入させたが、失敗した。
☆キューバ革命後3年間のカリブ情勢や米政府の陰謀という実話を背景に書かれたのが、この小説だ。当時の情勢を踏まえて読むと、一層面白くなる。英政府諜報機関MI・6の要員だった作家グレアム・グリーンの一連のラ米ものとは一味違う技法の物語だ。ラ米好きには、堪えられない。
☆チボ(仔山羊)は強壮とされ、RDを30年も独裁支配したトゥルヒーヨの強壮性を象徴する。仔山羊はまた山羊として、生贄にされる。政敵や反対派を容赦なく殺害した独裁者は、最後には暗殺された。「仔山羊の祭」という原題が意味するところだ。
☆訳者は「フィエスタ」を敢えて「狂宴」などとせず、「饗宴」とすればよかった。あるいは、「仔山羊の祭典」でも悪くはなかった。