ブラジルのジョアン・ゴラール大統領の民主政権が軍事クーデターで1964年3月31日倒されてから半世紀が過ぎた。東西冷戦のさなか、ラ米を「軍政時代」に導いた最初のゴルペだった。背後には米政府の意図があった。日本は東京五輪大会を控え、国中が浮かれていた時期だった。
ゴラールは、長らく監視下に置かれていたが、亜国政権に1973年復帰したフアン・ペロン大統領の招きで亜国に亡命した。だが同大統領の死後の76年、亜伯両国軍政の連携による「コンドル作戦」によって、亜国メルセデスで暗殺された。
ヂウマ・ルセフ現大統領は、ゲリラ活動に参加し逮捕され拷問された経験の持ち主だが、2012年に「国家真実委員会」を設置し、軍政時代(1964~85年)の人道犯罪の実態究明に努めてきた。
亜国、ウルグアイ、チレで軍政犯罪の解明と軍部元高官断罪が続く一方で、恩赦法と軍部の発言力に阻まれて解明が進展していなかったブラジルの状況を変えるためだった。
ゴルペ50周年を前に最近開かれたリオデジャネイロ州真実委員会で、軍政期に陸軍大佐だったパウロ・マリャンイス(76)は証言し、拷問や殺害の恐るべき実態を語った。
それによると、「拷問は真実を引き出すための手段」として正当化されていた。殺したゲリラや左翼の遺体は、身元判明を不可能にするため歯を破壊し、手を切り取った。死体は腹を裂いて浮き上がらないようにした上で、袋に入れてリオ州山岳地帯の川に投棄した、という。
リオ州内ペトロ-ポリス市の邸宅を「死の館」とし、ここを陸軍情報部は1971~78年、拷問・殺害所として使用していた。元大佐は約40人の殺害に関与した疑いが持たれているが、「後悔していない」と述べた、という。