2016年3月25日金曜日

アルゼンチンで軍事クーデター40周年記念行事、大々的に実施

 アルヘンティーナは3月24日、軍事クーデター発生40周年記念日(国祭日)を迎えた。ブエノスアイレスの五月広場をはじめ全国各地で抗議行進や記念行事が催された。

 「五月広場の祖母たちの会」、同「母たちの会(創設路線)」、逮捕失踪者遺族会などは国会前から7月9日大通りを経て、大統領政庁前の五月広場まで行進した。人々は、軍政に殺された3万2000人余りの犠牲者の顔写真を並べた長い布の幕を掲げながら行進した。

 「祖母たちの会」のエステーラ・デ・カルロット会長は五月広場で声明を読み上げ、マクリ政権は排他的で少数者の権利のためにある、と批判。マクリ政権発足後100日間に10万人以上が解雇されたことなどを糾弾した。

 同「祖母の会」のタティー・アルメイダ会長は、「オバーマ大統領が約束通り機密文書を公開するのを見守る」と表明した。マクリも亜国の機密文書の公開を約束した。

 一方、団体「記憶・真実・正義会合」も左翼や人権団体とともに、国会前から五月広場まで行進した。「調整(首切り)・収奪・弾圧反対、3万人余りの犠牲者はここにいる!」と叫んだ。また、バラク・オバーマ米大統領がこの日、「記憶公園」の「国家テロリズモ犠牲者記念碑」に参ったことに抗議した。

 別の「母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長は、会の本部から前政権閣僚らと共にトラックで五月広場に行き、定例の「ロンダ」(周回抗議行動)を展開した。

 フェルナンデス前大統領の息子らが指揮するペロン派左翼青年団体「ラ・カンポラ」は、五月広場で「権利なしに民主はない」と叫び、気勢を挙げた。

 首都のフサイ広場では、政党UCR(急進市民同盟)が、軍政下で殺された国立ブエノスアイレス大学生たちの慰霊板の除幕式を挙行した。

 オバマとマウリシオ・マクリ亜国大統領は24日午前、「記憶公園」を訪れた後、首都を離れ、それぞれ別々に家族と共に保養地バリローチェで過ごした。軍政糾弾行事の中心地ブエノスアイレスを早々と離れた印象だ。

 同地でマクリはオバーマに会い、別れを告げた。オバーマ一行は同日夜、首都郊外のエセイサ空港経由、帰国の途に就いた。米国では、オバーマが23日の晩餐会の場でタンゴを踊ったことに、ベルギー事件の直後に不謹慎だとする批判が出ている。

 オバーマをノーベル平和賞受賞者仲間と見なしている亜国受賞者で人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル(APE)は、「24日に亜国に滞在するならば、軍政と米政府との関係を明らかにし、責任を認めるべきだ」という趣旨の書簡を3月初め、米国大使館を通じてオバーマに送付していたことを明らかにした。

 APEは24日には、「過去を記念することは過去に留まることではない。よりよい祖国をついくるため、現在を照らすためだ」と語った。

 また亜国政府が人権擁護を軍政下での人道犯罪に限りがちなことを批判。「人権は鉱山労働者、先住民、幼児、農民、農薬被害者ら広範な問題に及ぶが、これを理解する者が少ない」と指摘した。

 キルチネル夫妻2代12年間のペロン派左翼政権について、「人権問題を自分たちに都合のいいように利用した」と批判した。マクリ大統領に関しては、「新自由主義者であり、人権問題に無関心だ。だから我々はイデオロギー的に政府と対立することになろう」と指摘した。