これぞ映画だ。文句なく面白い。それでいて考えさせる。アルヘンティニダー(アルゼンチン性)が十分に描かれている。亜国、南米、ラ米、スペイン語、バルセローナなどが好きな人には必見だ。
亜国人でバルセローナ在住の作家ダニエル・マントバーニはノーベル文学賞を受賞する。世界各地から講演依頼などが殺到するが、ダニエルは40年前に捨てた生まれ故郷の田舎町からの帰郷招待を受けることにする。
この映画は2016年の作品だが、40年前の1976年は、ホルヘ・ビデーラ将軍らがクーデターでイサベル・ペロン政権を倒し、軍政ファシズムを敷いた年である。1983年まで7年続いた軍政下で、じつに3万2000人が殺害された。ダニエルが、軍政を逃れて出国した多くの左翼、知識人、芸術家の一人であったことが、まず窺える。
ブエノスアイレスのエセイサ空港に着くや、入道のような風貌の粗野な大男が待っていた。首都ブエノスアイレス周辺に拡がるブエノスイアレス州の「サラス」の市長から派遣された出迎えだった。軍政期の秘密警察の拷問者を連想させる、乱暴な口のきき方しかできないこの男は、パンパ(大草原)を走る道でタイヤをパンクさせるが、スペタイヤを持っていない。
この男は便意を催すと、ダニエルの小説のページを破り取り、それを持って草むらにしゃがみ込む。この男の絡む最初の難儀の逸話が、ダニエルの帰郷の先行きが荒れ模様になることを予感させる。
待っていたサラスの市長は好人物だ。市庁舎の壁には、故フアン・ペロン大統領と故エバ・ペロン夫人の写真が並ぶ。市長がペロン派であることを示唆している。市長は、ダニエルを「卓越した市民」(この映画の原題)として表彰し、胸像を建てる。
だが、地元の実力者は、農牧業者協会(ソシエダー・ルラル)の面々で、伝統的に農牧業者とペロン派は折り合いが良くない。同協会員を思わせる富裕な旧友アントニオ、地元美術界のボスであるロメーロの存在がダニエルの滞在を不確かなものにする。
ロメーロは自作の絵画がダニエルによって選考から外されるや、ダニエルを敵視、手下をも使って公然、非公然の攻撃を仕掛ける。その度を超えた激しさが、軍政期の市民迫害を想起させる。
成り金の友人アントニオは、粗野なマチスタ(男性優位主義者)の本性を露わにする。妻がかつてのダニエルの恋人だったことが、わだかまちになって消えていないアントニオだが、娘フリアがダニエルのホテルを訪ね関係をもったことを知るや激怒。ダニエルを小型トラックの荷台に荷物のように乗せ、空港に送る。
と、アントニオは、闇夜のパンパの道でダニエルを降ろし、走れと命じる。そして、逃げ惑うダニエルの足元をライフル銃で撃つ。だが突然、ダニエルは転倒する。フリアのボーイフレンドが狙い撃ちしたのだ。
ボーイフレンドは大柄の若者で、野豚の鳴き声が得意だが、やはり粗野な人物。これまた軍政期の「法律外処刑」を連想させる。物語は暗転するのだが、と思いきや、舞台はバルセローナに転じる。ノーベル賞受賞後、最初の書き下ろし作品を発表する記者会見の場面だ。
ダニエルは、胸をはだけて銃弾が貫通した傷跡を示し、フィクションとノンフィクションの狭間を記者らに悟らしめる。満面笑顔の作家は、遠い故郷の粗野で嫉妬深い人々よりも数段上手だった。笑えない話だ。
実は、この映画は、その新作の物語を展開させる形で描かれているのだ。故ガブリエル・ガルシア=マルケスがコロンビアを描きつづけ、マリオ・バルガス=ジョサがペルーを題材とし続けているように、ダニエルも故郷の田舎町から逃れられないのだ。
粗野ではあっても怒ることを知る純朴な田舎町の人々と、バルセローナに住み、故郷を発想源として使い続けるしたたかで富裕な作家の対比も、よく描かれている。それは、「アメリカーノ」(この場合は亜国人)と「ペニンスラル」(イベリア半島人=スペイン人)との対比でもある。
イタリア移民の末裔らしいダニエルは、バルセローナ人、欧州人になってしまい、「アメリカーノ」(米大陸人)から見れば、「彼岸の人」にすぎない。サラス市長に閃いた「卓越した市民」の表彰は、実態のない空しいエピソードだった。だが市長は誠実さにおいては、著名人ダニエルに勝っている。しかし、誠実さが必ずしも評価されない世の中なのだ。
★「笑う故郷」は、現在「静かなる情熱」を上映中の岩波ホールで9月16日~10月27日上映される。
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