▼▼▼1997年4月22日、リマの日本大使公邸がペルー軍・警察の特殊部隊によって解放された際、前年12月から公邸を占拠していたゲリラ「トゥパック・アマルー革命運動(MRTA)」のコマンド14人は全員射殺された。ところが、コマンドの数人は生きて捕えられた後に殺害された、との目撃情報があった。
▼人質だった日本大使館員・小倉英敬書記官(現・大学教授)は、ゲリラの一人エドゥアルド・クルス=サンチェスが生きて捕えられていたのを目撃した、と証言してきた。法医学者らによる検死で、「法律外処刑」だったことをうかがわせる事実が確認されたという。
▼コスタ・リカの首都サンホセにある米州人権裁判所は、これらの証言や判断を基に、ペルー政府に対応するよう求めていた。フアン・ヒメネス司法相は2月23日、ペドロ・カテリアーノ元副司法相ら弁護士3人を代理人に指定したことを明らかにした。
▼司法相は、「法律外処刑でなかったことを示す証拠がある」と語っている。