2012年5月10日木曜日

『田中英光評伝』を読む

★☆★高校生のころ『オリンポスの果実』を読んだ。1932年のロサンジェルス五輪に出場する日本選手団の一員である主人公のボート選手が、太平洋を渡る船内で女性に恋心を抱く。作者である田中英光(1913~49自殺)は、日本軍が対中侵略を開始したころの五輪時のエピソードを38年に書き始め、対米開戦前の40年に発表した。それを20年近く経ったころ、私は読んだのだ。

☆時代離れした、淡く、何か懐かしいような、そして杏のように甘酸っぱい思いがした。

★私は、著者であるこの作家に関心を持った。だが、大学生になり、ジャーナリズムの方向に邁進しだし、読書傾向も変化して、この作家の他の作品を読む機会はなかった。しかし、『オリンポスの果実』と、その読後感を忘れることはなかった。

☆南雲智が書いたこの評伝は、論創社から2006年に出て、同社の社長から1冊贈られた。それは自宅の本棚のどこかに眠ることになった。昨年3月の大地震と、その後の大きな余震で、本棚の本は多くが崩れ落ち、瓦礫のようにあちこちにたまっていて、いまだに片付いていない。必要な本を探すのも困難で、蔵書にあるのを知りながら、図書館から借りている始末だ。

★昨夜、連日読んでいるラ米関係の本に疲れて、何か別の種類の本が読みたくなった。何気なく<瓦礫>の隅に目をやると、赤い文字が目を射た。それが、この評伝だった。「ああ、田中英光か」と思い、『オリンポスの果実』を思い出しつつ、読み始めた。そして読み終えた。

☆田中英光という人物は、当時の日本人としては超大柄ながら、器用に振る舞える生活者で、戦時中は日本の体制の宣伝に一役買った。坂口安吾、太宰治、織田作之助らとともに「無頼派」として括られているが、実際に無頼派であったのは晩年の短い一時期にすぎない。---南雲は、そのように分析し、書き綴っている。

★ソウルが「京城」と呼ばれていた植民地時代、企業駐在員として8年間駐在した田中英光の言動が興味深い。そんな側面ならぬ大きな<正面>がこの作家にはあったのかと、新鮮だった。

☆夜半、評伝を読了したとき、この作家は、最大の作品『オリンポスの果実』とともに過去に沈んだ。