東京・渋谷で5月17~23日開かれた「アフリカ映画祭」で、ドキュメンタリー「キューバのアフリカ遠征」の「コンゴ編」(131分)と「アンゴラ編」(138分)を観た。いずれもフランスとエジプトの合作で、2007年に制作された。
キューバ革命(1959年元日)の英雄エルネスト・チェ・ゲバラは、1960年の「アフリカの年」を境に植民地から相次いで独立していったアフリカに革命家としての活路を見出し、65年4月コンゴに赴いた。だが現地の「革命勢力」はチェの眼には、本気で戦おうとしているとは映らなかった。チェは失敗を悟り、コンゴを後にした。
アンゴラは75年に独立したが、3派に分かれての内戦に突入した。反共2派の後ろ盾はコンゴ(ザイール)、南アフリカ白人政権、米国だった。残るMPLA(エムペラ=アンゴラ解放人民運動)を支援したのはキューバとソ連だった。
キューバを「ラテンアフリカ」と捉えるフィデル・カストロは、東西冷戦最後の戦場となったアンゴラに延べ35万人の兵力を送りこみ、他の2派を撃破する。フィデルの派兵決定は、ソ連にとっても寝耳に水だった。
「ポルトガルの春」(74年4月)の香りが漂うリスボアで75年元日を迎えた私は、その7年後、南アを拠点に3年余り南部アフリカ情勢に取り組むことになる。
ベルリンの壁が崩壊した89年までにキューバ・アンゴラ連合軍が勝って戦は収拾に向かった。だがナミビア独立と南ア・アパルトヘイト体制崩壊を促したキューバ軍の歴史的役割は、米国と、その主張に同調するメディアによって意図的に矮小化された。
2本の映画にはチェと、フィデル、ポンボ、リスケーらキューバ人、ナセル、カブラル、ルムンバ、ニエレレ、マシェル、ネト、ハイレセラシエらアフリカの指導者が登場する。南アのピック・ボタ、マグナス・マラン、米国のチェススター・クロッカーも出てくる。私には「懐かしい」のではなく、「忘れられない顔」が少なくなかった。
2本とも、とても面白く、参考になった。だが、冷戦時代を知らない若い世代には理解しがたいかもしれない。想像力を磨いていれば別だが。