2014年8月15日金曜日

パナマ運河が通航開始100周年迎える

 パナマ運河は8月15日、通航開始100周年を迎えた。太平洋側の出入り口バルボア港のあるパナマ市と、大西洋カリブ海側の出入り口クリストーバル港のあるコロン市を中心に記念行事が催されている。

 コロンビア領だったパナマは、米国の軍事圧力を背景に独立。米国は、スエズ運河建設者フランス人レセップス失敗したパナマ運河建設を引き継ぎ、閘門式を導入して1914年、第1次世界大戦開戦後の8月15日、完成させた。

 運河と両側の帯状の運河地帯は米国の支配下に置かれていたが、第二次世界大戦後、クーバ革命を経て、パナマに民族主義が高まった。64年には運河奪回を求める大学生らが運河地帯に入り、パナマ国旗を掲げようとして米軍に射殺される重大事件も起きた。

 1968年10月軍事クーデターで政権に就いた国家警備隊の司令官に収まったオマール・トリホス将軍は果敢な運河奪回闘争を開始し、77年、カーター米大統領との間で新運河条約を結んだ。その結果、運河は1999年12月31日正午、パナマに返還されることになった。だがトリホス将軍は81年、CIA関与が濃厚な陰謀で、ヘリコプター機上で爆殺された。

 ブッシュ米政権は89年12月、パナマを軍事侵攻しノリエガ将軍が率いていたパナマ軍を壊滅させた。将軍の身柄を米国に拉致連行し、後続のパナマ政権に、米国による非常時の運河支配継続を認めさせた。この米軍による大規模侵攻で、最大推計8000人のパナマ人が殺された。

 ブッシュは、息子ブッシュ(後の大統領)のパナマでの放蕩の証拠握るノリエガ将軍を排除し写真などの証拠を破壊する目的も込めて軍事侵攻したとの見方が、米国人らから打ち出されている。

 21世紀に入り、故トリホス将軍の息子マルティンが閘門式第3水路建設を決め、現在工事が進行中。当初、開通100周年の今頃には新水路も開通しているはずだった。だが工事は遅れ、現時点では16年1月通航開始の見込み。

 日本の通航量は米国、中国に次ぎ第3位。

 私は1972年、トリホス将軍の計らいで、外国人記者団の一員として、パナマ市から運河鉄道でコロン市に行き、貨物船で運河を通ってパナマ市に戻った。最近ではピースボート船上講師として7~8回通航した。