第7回米州首脳会議は4月10~11両日パナマ市のアトゥウラパ(大西洋・太平洋)会議場で開かれた。オバーマ米政権が3月9日発動したベネスエラを「安保上の脅威」とした政令糾弾を巡って議論が分裂、最終宣言無しで会議は終わった。次回首脳会議は2018年、リマで開かれる。
この首脳会議の宣言作成は全会一致制。9日の米州外相会議で、ベネスエラやニカラグアが最終宣言の序文に「域内諸国による一方的脅迫禁止」などを盛り込み、問題の政令を糾弾する文言を決議に加えよう提案した。
だが米加の北米両国が反対。また他の決議案でも全会一致が成立せず、結局、最終宣言はできなかった。代わりに主催国パナマが、会議の議事録とともに宣言のうち全会一致が得られた42項目について追って報告することになった。
首脳会議では、ベネスエラ締め付けの政令を出したバラク・オバーマ米大統領が非難・批判の的になった。南米、カリブ、中米の多くの首脳から政令批判や撤回を求める発言があった。半面、ペルー、コロンビア、メヒコ、グアテマラなどの首脳は、この問題に触れなかった。
日本では、米玖首脳会談があたかも今首脳会議のすべてであったかのような報道が目立つが、ラ米では様々な角度から広範な報道がなされている。この点で日本人読者は不幸だと言えるだろう。
この首脳会議は、米州諸国機構(OEA)主催の会議なのだが、この点さえ押さえない報道が多かった。クーバの参加は、OEA非加盟国であるがゆえに際立った。
1962年にケネディ米政権にOEAから追放されたクーバは、2009年のOEA外相会議で追放決議が廃棄された後も、OEA復帰の意思を示していない。
オバーマ大統領はラウール・カストロ議長との<にわか蜜月>を演出し、首脳会議での気まずい思いから救われた。
だがラウールも、首脳会議でベネスエラを痛めつける政令を批判するのことも忘れなかった。
ラウールはまた、首脳会議の合間に、ジャマイカ首相、カナダ首相、コロンビア大統領、カリブ海に仏領諸島を持つオランダの首相特使らと会談した。
クーバにとって実り多い首脳会議であったことは疑いない。
またベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領も11日、オバーマとごく短時間だが会談している。内容は明らかにされていないが、これも重要な出来事だった。