私は若い日に、日本と外国の先人ジャーナリストたちから薫陶され影響を受けた。そんな日本人の一人が、むのたけじ(武野武治)だった。8月21日、101歳で死去した。
私は学生時代、著書『雪と足と』を読み、存在を知った。戦争に抵抗しなかった朝日新聞を敗戦の日に辞め、秋田県横手市で家族と「たいまつ新聞」を発行していた。その苦労・苦闘と喜びの日々が、この本に綴られていた。
私は、自分のジャーナリストとしての将来像の一部分にむのたけじを入れた。さまざまな理想型のモンタージュが将来像だった。
ジャーナリストになって四半世紀経ったころ、1990年代前半のある日、私は横手の自宅にむのたけじを訪ね、インタビューした。人間を描くシリーズに登場してもらったのだ。その時の記事がすぐには見つからないため、ここに紹介できないが、印象深い会見だった。
私は冒頭、学生時代に著書を読んだ時からむのたけじを知っていたことを話した。「ほう、そうでしたか」と嬉しそうに応じてくれたのを記憶している。当時、75歳ぐらいだったはずだ。
3~4年前のことだが、神田神保町の東京堂でむのたけじの講演会があり、私は参加し、質疑応答もした。その時のメモは、ブログに書いたはずだ。
私の理想型の基になった内外ジャーナリストは、これで全員が鬼籍に入ってしまった。101歳、むのたけじの反骨の記者人生は、エベレスト山の頂を窮めたようなものだ。
生前、会えたことを感謝している。御本人と、ジャーナリズムという共通の職業に対してである。