ジャマイカは北西端の観光地モンテゴベイに入港する。秋田県とほぼ同じ面積の島国で、対角線つまり南東端に首都キングストンがある。首都はいろいろな意味で面白いが、保養地は、それを楽しむつもりのない者にはつまらない。
記者時代から何度も来ている所、特に取材上の興味はない。今回は船内生活でなまりがちの足腰を鍛えるため、港から中心部まで5kmの海岸通りを1時間余りかけてゆっくりと歩いた。
海浜のディスコテカはレゲエの踊り場で、ビールやラム酒を飲みながら何時間も踊り続ける。汗をかけば、海につかる。売店では、ブルーマウンテンコーヒーやラム酒を売っている。
武者爺と羽後さんは下船した。カナダ西部で過ごしてから帰国するとのこと。夜出港、パナマ運河北岸(カリブ海)のコロン市クリストーバル港に着くまでの中一日には、パナマ史とパナマ運河史を語った。
クリストーバル港に入港。11月に入った。 ジャマイカで乗った草緑色の小鳥は、運河通航中に密林に消えた。また移民鳥が出た。
クリストーバル・コロンの姓名をクリストーンバル港とコロン市の名前に分けて使っている。太平洋岸に最初に到達したスペイン人の名前バルボアは、パナマ市の港名とパナマ通貨の名となっている。
パナマは6月に来て取材したばかりなので、港構内で休養した。夕刻、友人ワゴと何年振りかで再会した。クナ民族で、モラの専門家だ。たまに乗船し、モラを語ることがある。
翌日、早朝から運河を通航する。運河入口の東側に6月開通したばかりの運河第3水路入口が見えた。通航中、時折、第3水路を通航中の巨大コンテナ船のコンテナの山が密林の上をゆっくりと動くのが見える。旧来の運河は10回は通った。一度、第3水路を通航してみたいものだ。
パナマ市のバルボア港を横に観て太平洋に出る時、東方の彼方にパナマ市新都心の高層ビル群のスカイラインが見える。「パナマ文書」事件の中心となっている弁護士事務所は、そこにある。
運河を出て中2日で、グアテマラのケッツァール港に着く。これに備え、グアテマラ史を講義した。同港1日目は、乗り合いタクシーで行ったアンティグア市で独りのんびり過ごした。4年ぶりだった。いつ来ても思うのだが、半世紀前とほとんど変わらない風情だ。
2日目は資料整理に当てた。船の陰に群がる魚たちは飢えている。大きな魚が小魚を追いまわし、食べてしまう。束の間ながら共食いを止めさせようと、パンくずをやった。船はメヒコのマンサニージョ港を目指す。