社会主義クーバは7月26日、第64回「民族反逆の日」を迎えた。カストロ兄弟らによる1953年7月26日の陸軍モンカーダ兵営襲撃事件を記念する。キューバ革命の原点となった武装決起だった。兵営はサンティゴ市にあり、革命後は学園都市となった。旧兵営の一部は、襲撃事件に関する博物館になっている。
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中央式典は、西部のピナルデルリオ州の同名の州都で午前7時開会。灼熱の太陽を避けるためだ。ラウール・カストロ国家評議会議長(86)以下の幹部をはじめ数千人が出席、ホセ=ラモーン・マチャード共産党第2書記(87)が演説した。
マチャードは、1959年元日の革命勝利時、クーバ人の平均寿命は53歳だったが、今日は79歳になったと強調。30%だった非識字率は現在、実質的に零%と、革命直後の識字運動と、その後の無料教育制度を讃えた。
最大の問題は経済困難だと指摘、「経済建設こそが革命の成果を維持することを可能にする」と説いた。また、「対敵姿勢を断固維持する」とし、国交再開から2年経った米国に対する警戒を忘れない厳しい姿勢を示した。経済封鎖全面解除に向けて闘争し続けることも確認した。
「ボリバリアーナ革命」を遂行するベネスエラとニコラース・マドゥーロ同国大統領への支持と連帯をあらためて表明。「ベネスエラの問題はベネスエラ人民のみが解決できる」とし、諸外国の内政干渉を批判した。
マチャードは、英紙フィナンシャルタイムズが最近、「クーバがベネスエラ問題の仲介する可能性がある」と報じたのを踏まえて、これを否定。「ベネスエラの主権と自決を絶対的に尊重する」と述べた。
式典には、モンカディスタ(モンカーダ兵営襲撃参加者)、グランマ号遠征、革命戦争開始前夜時代からの地下活動の、それぞれの生存者も出席。次代を担う若者たちも数多く出席した。式典は午前8時15分に終わった。
革命の最高指導者フィデル・カストロは昨年11月25日、90歳で死去。フィデルのいない最初の「民族反逆の日」となった。
▼ラ米短信 ◎メヒコ農村教員学校生43人強制失踪事件から34カ月
メヒコ・ゲレロ州イグアラ市一帯で2014年9月26日起きたアヨツィナパ農村教員養成学校生43人が、陸軍、連邦警察も関与して失踪させらてから7月26日で34カ月。事件jは依然未解決のままだ。遺族や支援団体はこの日、雨の中、首都メkヒコ市のレフォルマ大通りを抗議行進し、政府に事件捜査状況を開示するよう要求した。
この日、2016年のメヒコでの殺人事件発生件数が2万3953人と発表された。一日平均65人強。