山田吉彦(1894~1975)というホメロス研究家、著述業者、翻訳家が、1939年の旅行経験を敗戦後の日本でまとめた『モロッコ』(初版1951年、2008年復刻、岩波新書)を読んだ。
フランス植民地時代のモロッコを植民地軍などの伝を辿りながら、フランス語を駆使して旅する興味深い紀行文だ。モロッコ庶民の風俗、考え方が細かく綴られているのが面白い。
だが、植民地支配を批判する記述はない。日本の台湾、朝鮮半島、満州での植民地支配の時代であり、著者は、列強による弱者支配を当たり前のように受け止めていたのかもしれない。
惜しむらくは、1939年というスペイン内戦(1936~39)終結の年にスペインと因縁の深いモロッコを旅しながら、内戦関連事項が一切書かれていないことだ。
しかし、本書の内容は読み応えがある。どんな角度からであれ、当時のモロッコを描いているからだ。仏モロッコ絡みの歴史があちこちにちりばめられているが、読む上で苦にならない。
ある高齢の碩学は、フランス当局から高給で大学学長に招かれながら、「わしは本読みじゃ。気の向いたときに本を読める自由な境遇を選んだのじゃ」と言って断る。味わい深い箇所の一つだ。