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2018年6月7日木曜日

 サンチェス・スペイン政権の閣僚17人中、11人が女性▼新鮮さで、保守・右翼の国民党との違い鮮明に▼ベネズエラ大統領が「CIAと結託した国営石油破壊工作」を暴く▼国際司法裁がVEN,ガイアナ両国から領有権問題で意見聴取へ

 スペインのペドロ・サンチェス新首相は6月6日、内閣を組閣、17人中、11人を女性が占める「女性優位内閣」となった。副首相兼首相府相に女性閣僚筆頭のカルメン・カルボ(60)が就任した。

 他の女性閣僚10人は、経済、財務、法務、国防、教育、労働、地方、環境、保健、工商の各相。
 一方、男性閣僚はジョセプ・ボレル外相(71)以下、内務、科学、勧業、文化、農水の6人。

 サンチェスは、スペイン内戦(1936~39)でファシズムに蹂躙された共和派の流れを汲むスペイン労働社会党(PSOE)の書記長から首相に就任。内戦で勝利したフランコ・ファシスト勢力の流れを汲む国民党(PP)との違いを明確にする狙いも込めて、女性を数多く登用する内閣とした。

▼ベネズエラ大統領が「国営石油会社破壊工作」を暴く

 ニコラース・マドゥーロ大統領は6月5日、国営石油PDVSA(ぺデベサ)の元幹部職員らはカラカスの米大使館と結託し、同社の原油資産能力を腐敗によって削ぎ、内部から同社を破壊しようと謀っていたと明らかにした。

 カラカスでのPDVSA労働者との会合で暴露したもので、関与した元幹部ら約80人を逮捕、未逮捕者は逃亡したという。
 大統領によると、元幹部らは米大使館で査証申請をした際、CIAから協力を持ち掛けられ協力した。ベネズエラの原油生産は、日量140万バレル台に落ちている。

 スペイン警察は6日マドリードで、PDVSAから横領された資金60憶ユーロを洗浄した容疑でベネズエラ人ホルヘ・リンコンを逮捕した、と発表した。ホルヘは、在米VEN人企業家ロベルト・リンコンの息子。

 一方、国際司法裁判所は4日、ベネズエラ東部のエセキーボ地方(ガイアナ西部)の領有権問題をめぐりVEN・ガイアナ両政府に同裁判所で18日に会合したいと通知した。VEN外務省が5日明らかにした。

 ベネズエラは、旧宗主国スペインから引き継いだ領土エセキーボ地方が、これを奪った英国から独立したガイアナの領土になっているとして、領有権を主張してきた。

2018年6月2日土曜日

 スペイン新首相にペドロ・サンチェス労社党(PSOE)書記長▼国会下院がM・ラホーイ首相を不信任▼ラ米に好影響

 スペイン国会下院は6月1日、マリア―ノ・ラホーイ首相(63)に対する不信任決議を採択。同首相は職位を失い、野党第1党「スペイン労働社会党」(PSOE=ぺソエ)のペドロ・サンチェス書記長(46)が新首相に決まった。

 下院定数は350。不信任決議には過半数の176議員の賛成が必要だが、180票集まった。PSOEの議席は84で、これに左翼ポデモス連合、カタルーニャ党、バスク民族党(PNV)が同調した。

 PNVを除く賛成票は175と半数だったが、PNVの5票が加わって180に達した。PNVは、中央政府がバスク州に5億4000万ユーロのインフラ投資をするというサンチェスの約束を多として賛成に回った。

 サンチェスは、軍事独裁者フランシスコ・フランコの1975年の死を経た民主化後、フェリーペ・ゴンサレス、ホセ=ルイス・ロドリゲス=サパテロに次ぐ3人目のPSOE首相となる。近く国王の認定をもって、正式に就任する。

 フランコ独裁の流れを汲む保守・右翼勢力の国民党(PP)党首だったラホーイは、ホセ=マリーア・アスナル元首相の後を受けて党首に就任。だが2004、08両年の総選挙に敗れ、サパテロ政権を2期許した。

 だが2011年12月、ようやく政権に就いた。リーマンショック後の経済危機で緊縮経済を余儀なくされ、さらにラホーイ自身も関与した疑惑が高まった腐敗事件で14年窮地に陥った。この時、ラホーイは英領ジブラルタル奪回問題を使ってナショナリズムを煽り、窮地を乗り切った。

 だが人気は落ち国民の経済不満も収まらず、15、16両年の総選挙で政権を失う危機にまたも陥ったが、野党分裂により辛くも延命に成功した。

 しかし1999~05年に起きた「グルテル事件」と呼ばれる一大汚職事件が再燃、5月24日、PP幹部ら29人が長期禁錮刑を含む有罪判決を受けた。彼らは、複数の企業から公共事業発注と引き換えに多額の賄賂を受け取っていた。
 さしものラホーイも今度ばかりは逃げられず、不信任された。ラホーイはアスナルと同様、右翼で、ラ米ではキューバやベネズエラに厳しかった。

 ラ米19カ国の宗主国だったスペインは、歴史的、言語的、宗教的、文化的紐帯から依然、ラ米への影響力を維持している。ラ米にとっては、トランプ米政権と歩調を合わせていた右翼ラホーイが去り、中道左翼のPSOEが政権に戻ったことで息つける空間が増えたと言える。

 カタルーニャの共和主義者にとっても、王党派のPPが政権から降りるのは意味がある。だが王政を排して共和国を復活させるのは至難の業だ。スペイン共和国は1939年、内戦に勝ったフランコによって潰され、フランコの死の直後に王政復古した。

 共和国復活が難しいため「独立を」という選択肢が出ているわけだ。ラホーイは昨年来、「独立派を抑えつけた」が、それによって記憶されるかもしれない。

2018年5月3日木曜日

 スペイン地下結社「バスク国と自由」(ETA)が書簡で解散を宣言、犠牲者に謝罪▼結成60周年、「自分たちの時代は終わった」と結論▼ベネズエラ大統領が「武闘決起も辞さぬ」と野党候補を牽制

 スペイン・バスコ(バスク)州の独立派武闘地下結社「エウスカディ・タ・アスカタスナ」(バスコ国と自由)は5月2日、新聞や政治家らに送付した書簡で、組織解体を宣言した。書簡は今年4月16日付。

 1958年にバスコ民族主義者党(PNV)の青年組織として発足してから60年。書簡は「ETAの歴史的時代は終わった」と述べている。
 ETAは60年代以降、計853人を殺害したとされる。ETA要員も多数殺害されたり、投獄されてきた。

 書簡には「西仏両政府の理解は依然、得られていないが」と記されている。ETAは書簡で、殺害した犠牲者、遺族に謝罪している。これに対し両国政府は、謝罪は遅すぎたと表明した。ETAはピレネー山脈両側の西仏バスコ地域に拠点を設けていた。

 ETAは、政党化して政治に参加する意図はない、としている。ETAはフランコ独裁時代は、内外の民主派から広範な支持を得ていたが、フランコが1975年11月に死去、やがて民主化過程が軌道に乗ると、「破壊活動組織」などと非難されるようになった。
 スペインの政治評論家は、「コロンビアのFARCと違い、ETAには社会復帰し政治参加する立場にない」と指摘する。

【筆者はフランコ時代末期に仏国側バスコ地域でETA幹部にインタビューした。拙著『イベリアの道』(1995年、マルジュ社)、同『ボスニアからスペインへ 戦の傷跡をたどる』(2004年、論創社)を参照されたい。】

▼ベネズエラ大統領が「武装蜂起も辞さない」と牽制

 5月20日の大統領選挙での再選を目指すニコラース・マドゥーロ大統領は2日、バルガス州カリブ海浜での演説で、「選挙の結果、国富を米国に渡す政府が現れたら、私はライフル銃を手に人民と共に戦いを挑む」と述べた。
 これは、べネズエラ通貨をボリーバルに替えて米ドルにすると公約するヘンリー・ファルコン候補への牽制発言。ファルコンはチャベス派と袂を分かった政治家で、マドゥーロに次ぐ有力候補。

 ファルコンは2日、過去19年間(故ウーゴ・チャベス前大統領14年、マドゥーロ5年)で今はチャベス派に勝つ最大の好機だ、と指摘した。

 一方、米州諸国機構(OEA)は2日、ワシントン本部での大使会議で、「ベネズエラ問題」を6月4~5両日同地で開催される第70回総会(外相会議)の議題とする提案を賛成19、反対6、棄権5、不参加4で可決した。
 「反マドゥーロ派」の米加墨グアテマラCRコロンビア秘智パラグアイ亜伯セントルシーアの12カ国が共同提案していた。同12カ国は、「20日の大統領選挙で生まれるベネズエラ政権を非合法と見なす」という決議案をも提案する準備を進めている。

 これに対しVENのサムエル・モンカーダOEA大使は、OEA憲章にある「内政不干渉原則」を盾に、12カ国の画策を糾弾した。

 この日、米国のOEA大使に就任したカルロス・トゥルヒージョ(反革命キューバ系3世)は、「ベネズエラはOEAを去るべきだ。ただし自発的にではなく」と述べ、VEN追放が望ましいとの考えを示した。
 その就任式でマイク・ペンス米副大統領は、「かつてVENは南米一豊かな国だったが、今や地域で最も貧しい国の一つに成り下がった」と口にした。

2016年5月20日金曜日

元スペイン駐在大使、林屋永吉さんが96歳で死去

 かつて外務省きってのスペイン語の使い手で、翻訳家でもあった元外交官、林屋永吉さん(96)が5月18日死去した。葬儀は24~25日、東京都文京区の護国寺で執り行われる。

 私が林屋さんを最初に知ったのは、メヒコ五輪のあった1968年ごろだった。五輪の前か後か記憶にないが、林屋さんは2度目のメヒコ市勤務で、日本大使館参事官兼日本文化センター所長だった。

 私は、日墨間の文化行事などの折、何度も林屋さんを取材、貴重な情報をいろいろいただいた。メヒコ市でのお付き合いは、少なくとも3年以上続いたと思う。自宅に招かれ、園子夫人の手料理を味わった。次は東京で何度かお会いし、麻布の洋館の自宅にも招かれた。

 その後、ボリビア駐在大使を経て、ペイン駐在大使になった。1982年、私はマドリードで林屋大使に再会、公邸で晩餐会を開いてもらたった。

 当時の私は南ア・ヨハネスブルク駐在だったが、亜英マルビーナス(フォークランド)戦争を4~6月ブエノスイアレスを拠点に出張取材。これが終わるとすぐにバルセローナに飛び、サッカーW杯スペイン大会を一カ月取材した。

 南ア-亜国ースペインを往来、南半球の初冬から真夏のイベリア半島への移動で、若かった私もグロッキーになった。マドリードでのW杯決勝戦終了後、私は大使を訪ねたのだった。

 時間は飛んで、90年代以降は、東京での外交行事、ラ米やスペインの大使館行事などで林屋夫妻にしばしば会っていた。晩年は、日西文化センターの仕事に力を注ぎ、何度も同センターのあるサラマンカに行っていた。

 大阪外語を卒業、外務省に入った林屋さんは、第2次大戦中、サラマンカ大学に派遣留学。45年拘留され、46年帰国した。スペインは、林屋さんの第2の祖国だった。

 マヤ文化の古典『ポポロブフ』を日本語に訳し、芭蕉の『奥の細道』をオクタビオ・パスとスペイン語に共訳した。

 数年前に転倒、杖を手にパーティーなどに参加していたが、高齢もあって体調が徐々に思わしくなくなっていた。メヒコ以来の共通の友人である伊藤昌輝元ベネスエラ駐在大使から、林屋さんが自伝執筆を構想していると聞き、出版されたら是非、書評を書かせてほしいとお伝えした。だが、それも叶わなくなった。

 スペイン語と深い知識を縦横に展開し、スペインやラ米を動きまわった優れた文化人の外交官が消えていった。  

2016年4月24日日曜日

スペインでセルバンテスの死歿400周年行事催さる

 『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(マンチャの郷士キホーテ)の作者ミゲル・デ・セルバンテス(1547~1616)の死歿400周年の4月23日、スペイン全土で記念行事が催された。

 実際の命日は4月22日だが、スペインでは埋葬された23日を命日としてきた。英国のシェークスピアの命日と同じになった。大作『ドン・キホーテ』は、スペインがクーバ、プエルト・リコ、フィリピン諸島などの植民地を米国に奪われた19世紀末以降の、スペイン民族主義の再高揚の過程で再評価され、優れた「スペイン性」の象徴として大きく持ち上げられた。

 この日、セルバンテスの生地である、マドリー郊外のアルカラー・デ・エナーレス市では、国王フェリーペ6世がメヒコ人作家フェルナンド・デルパソに2015年度のセルバンテス(文学)賞を授与した。

 専門家は、『ドン・キホーテ』を、<世俗の聖書>として、その後の欧州文学と世界文学に影響を与えてきた、と評価している。「世界文学史上最高の創作小説」と見なす評論家も多い。

 この物語では現実と幻想が交錯するが、現実主義小説の走りとして影響を及ぼした一方、幻想創設や20世紀の「魔術的リアリズモ」にも繋がった。

 今月5~12日来日したウルグアイのホセ・ムヒーカ上院議員(前大統領)は、「サンチョ・パンサの振りをするドン・キホーテ」と形容される。

 セルバンテスは1604年、この大作を世に出した。実人生も波乱に富み、レパントの戦いに参加し捕えられ、アルジェリアで5年、幽閉された。スペインでの募金で身代金が支払われ解放された。

 募金に貢献した跣足派三位一体修道会の尼僧院で2014年、発掘作業が行なわれ、セルバンテスのものである可能性があるという遺骨が見つかっている。

2016年1月24日日曜日

スペイン首相の多数派工作不調で左翼政権の可能性浮上

 スペインのマリアーノ・ラホーイ首相は1月23日、国会下院第2党PSOE(スペイン労働社会党、中道左翼、90議席)、ポデモス(左翼、69)、統一左翼(IU、2)などによる連立構想が浮上していることについて、「われわれPP(国民党、右翼、123議席)は上院で過半数、下院で第一党であり、そのような連立政権は機能しない」と述べ、強く牽制した。

 下院の定数は350議席、過半数は176議席である。昨年12月20日の総選挙から一カ月余り、政局は混迷の極にある。

 国王フェリーペ6世は22日、各党党首たちと個別に会談した。ポデモス代表パブロ・イグレシアスは国王に、連立政権構想を示し、その場合、PSOEのペドロ・サンチェス党首が首相、自身が副首相になる、と伝えた。

 この構想を事前にイグレシアスから伝えられていなかったサンチェスは不快感をあらわにし、現時点で、この連立構想に乗るつもりはないと表明した。ポデモスは、スペインからの独立を目指すカタルーニャのため独立の是非を決める国民投票の実施案を支持しており、独立に反対するPSOEと対立してきた。

 弱小政党IUは、ポデモスの呼び掛けに賛意を示している。カタルーニャの独立派諸党は事態を見守っている。

 PPは、PSOEおよび、下院第4党「市民」(中道右翼、40議席)との大連立を模索してきたが、PSOEが反対、市民も態度を保留し、行き詰っている。

 国王は27日再度、各党首から意見を聞き、最終的にラホーイに組閣を求める公算が大きい。だがラホーイが多数派工作に成功する可能性は小さく、これに失敗すれば、ラホーイは首相辞任を余儀なくされると見られている。

 国王から組閣を要請された者は2カ月以内に組閣せねばならない。ラホーイが早々に諦めれば、第2党のPSOE党首サンチェスに組閣責任が回って来る見通し。サンチェスは、これを待ってポデモスなどとの連立工作に着手する公算が大きい。 

2015年12月21日月曜日

スペイン総選挙:2大政党支配体制崩れる

 スペイン国会下院350議席を争う総選挙が12月20日実施され、予想通り、政権党PP(国民党、保守・右翼)が過半数を大きく割り込む123議席となり、第一党の地位は維持したが敗北した。

 前政権党PSOE(ペソエ=労働社会党、略称・社会党)は過去最低の90議席に落ち込んだ。代わって急台頭したのが総選挙初参加のポデモスで、一気に69議席を獲得した。第2保守党「シウダダーノス(市民)」は40議席に留まった。

 この結果は、1975年の独裁者フランシスコ・フランコ死後40年の民主化過程の多くの期間を占めてきたPSOEとPPの2大政党制が崩れたことを意味する。

 新国会は来年1月13日召集される。それまでに新内閣結成のための多数派工作が展開される。国王はまず第一党PPのマリアーノ・ラホーイ党首(現首相)に組閣を打診する。だがPPと「市民」を合わせても163議席で、過半数176議席に届かない。

 そこで考えられるのが、PSOE、ポデモス両党、およびカタルーニャ2党(計17議席)、バスコ民族党(PNV、6議席)、統一左翼(IU、2議席)など小政党による中道左翼・左翼・民族主義連合政権だ。これであれば、180議席を上回ることになる。

 もう一つの可能性は、PPとPSOEの「大連立」だが、これは両党それぞれの支持者に対する「裏切り」となり、実現性は乏しい。

 どのような組み合わせの政権ができても安定性に欠け、1年ないし1年半内に新たな総選挙が実施される公算が大きい、と見られている。

 PPは、長引く経済不調、ラホーイら幹部らの報酬不正受領事件、右翼的社会・文化政策などが災いし後退した。PSOEは、進歩主義よりも保守主義に傾斜したと批判され、ポデモスの躍進を許した。

 

2015年10月2日金曜日

政権交代の懸かるスペイン総選挙は12月20日実施へ

 スペインのマリアーノ・ラホーイ首相は10月1日、総選挙を12月20日実施する、と明らかにした。政権党PP(国民党、右翼・保守)は今年の地方選挙で後退、総選挙で政権が交代する可能性も指摘されている。

 それというのも、フランコ独裁後の民主時代に政権を担ってきたエスパーニャ労働社会党(PSOE=ペソエ、中道・中道左翼)およびPPに次ぐ第3勢力として新興のポデモス(中道左翼・左翼)が同地方選で台頭。ポデモスとPSOEが連立すれば、国会で過半数を制することになりうるからだ。

 ラホーイは先月のカタルーニャ州議会選挙で独立派が過半数を握ったことにより、国内他州に動揺が拡がっていることや、同州選挙で独立派が得票率では48%未満だった事実を踏まえ、総選挙期日発表に踏み切った。

2015年9月28日月曜日

カタルーニャ州議会選挙で独立派が過半数制す

 スペイン北東端のカタルーニャ州で9月27日総選挙が実施され、独立派2勢力の合計獲得議席が州議会(定数135議席)の過半数72議席に達した。独立推進者のアルトゥール・マスの「独立賛成運動」(62議席)と、独立派「人民連合候補団」(CUP、10議席)は正統性が得られたとして、2017年の独立実現を目指す意志を表明した。

 だが両勢力の合計得票率は47・85%で、50%にわずかに及ばなかった。このため中央政府のマリアーノ・ラホーイ首相は、独立には正統性がないとの立場を打ち出した。選挙が、独立の是非をかけた一種の住民投票と見なされていたからだ。

 カタルーニャはスペイン一の富裕州で、「最も欧州的」で、ロマンス語系の独自の言語カタランを持ち、歴史的に独立志向が強い。人口は750万人、主権者は551万人。今回の投票率は77%を超えた。

 他党の獲得議席数は、中道右翼「市民たち」25、中道カタルーニャ社会党(PSC)16、右翼政権党PP(国民党)11、中道左翼ポデモス系「カタルーニャは可能だ」11。

2015年8月18日火曜日

詩人ガルシア=ロルカの遺骨発掘作業、10月再開へ

 スペインの詩人フェデリコ・ガルシア=ロルカ(FGL)らの遺骨を探している同国市民団体は8月17日、遺骨発掘作業を10月再開する、と明らかにした。

 共和主義者で同性愛者だったFGLは、内戦勃発直後の1936年8月17日、アンダルシーア州内でフランコファシスト要員に殺害され、遺体を州内アルファカル地域の地中に埋められた。

 有志や市民団体は長らく遺体発掘作業を続けていたが、ことし5月、州政府が資金を打ち切ったため、中断を余儀なくされていた。このほど州政府が予算を復活させたため、作業再開が可能になった、という。

 10月は熱暑が収まりながら日照時間が依然長いため、発掘作業に向いている。FGLの遺骨は作業中断個所から20m以内の地域に埋まっている可能性が強いという。

 内戦以降、フランコ派によって13~15万人が処刑され、うちFGLを含む10万人の遺体は集団墓に放置され、遺骨の所在が明らかでない。市民団体はこれまで6500柱の身元を確認してきた。

 また内戦中から30万人が国外に亡命、27万人が投獄され、共和派過程から子供1万人が拉致され、フランコ派に渡された。
 

2014年11月25日火曜日

セルバンテス賞にフアン・ゴイティソロ決まる

 スペイン人作家フアン・ゴイティソロ(83)が今年度のセルバンテス賞に11月24日決まった。授賞式は来年3月、マドリーで。賞金は12万5000ユーロ(15万5000米ドル)。

 ゴイティソロはフランコ独裁を嫌って長らくパリに住んだが、1966年以降、モロッコのマラケシュを拠点にしている。西仏アラビア語をこなす。

 作品には『祭の終わり』、『フリアン伯爵の名誉回復』、『手の遊び』、『イデンティダーの徴』など。

 内戦時のサライェヴォの状況を書いたルポルタージュ『サライェヴォノート』などのジャーナリズム作品も多い。
 

2014年6月28日土曜日

「尊厳ある貧乏暮らしをする自由」のある社会を求めて

 月刊誌「世界」7月号(岩波書店)に、「貧乏であることが一つの選択肢となる社会を築く」という、極めて興味深いインタビュー記が掲載されている。『雇用なしで生きる』の著者フリオ・ヒスベールに、。ジャーナリスト工藤律子がマドリードで会見し、まとめた。

 ヒスベールは、銀行勤務の傍ら、既存の資本主義経済でない「もう一つの経済」を確立し広める研究を続け、「もう一つの銀行構想(IABA=イアバ)」を仲間とともに運営してきた。経済力でなく人間を評価して資金を貸す銀行だ。構想は、既に各地で流通している地域通貨の発想と通底する。

 「時間銀行」の発想が面白い。従来のボランティアの概念を超えるもので、助けられる側も他者に貢献すべき資質を見つけ提供できるようになる。いわゆる弱者も自信を得て、「自己肯定感」が向上する。しかしアフリカなどの発展途上国には「時間銀行」がない。それは、「私でなく、私たち」という集団的生存を重視する共同体が生きているからという。ラ米の先住民社会も同じだ。

 この優れたインタビュー記事を読むことを、お勧めする。読者の脳裏には、日本社会の欠陥も浮かび上がることだろう。

★☆★
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2014年3月24日月曜日

元スペイン首相アドルフォ・スアレスが死去

 スペインのアドルフォ・スアレス元首相(81)が3月23日、マドリーの病院で死去した。肺炎をこじらせたのだが、11年前からアルツハイマーを患っていた。

 スアレスは、独裁者フランシスコ・フランコ死去の翌76年、カルロス・アリアス=ナバロ首相の辞任を受けて後任に任命された。政治と経済の改革を託され、77年に内戦後初の自由選挙を実施し当選、首相の座を維持、81年1月辞任した。

 後任のレオポルド・カルボソレロ首相が就任する81年2月23日、フランコ独裁の流れを汲む極右のアントニオ・テヘーロ中佐率いる治安警備隊(グアルディア・シビル)が国会に乱入し、ゴルペ(クーデター)を起こした。

 だが国王フアン=カルロス・デ・ボルボンの説得で、ゴルぺの陰謀は挫折し、民主体制が守られた。スアレスは、フランコ体制後の「民主体制を固めた人物」として評価されてきた。

 政府は24~26日を国喪とし、31日に国葬を挙行する。

2014年3月12日水曜日

スペインの生態学者らが日本政府に原発再開断念を求める

 団体「行動する生態学者たち」と、カタルーニャ社会党などカタルーニャ州左翼3党の州会議員の計20数人は3月11日、東電福島原発大事故3周年を記念して、バルセローナの日本総領事館前に集結し、総領事館に書簡を手渡した。

 書簡は、福島原発事故の悲惨さ、放射能汚染の深刻さに触れ、日本政府に「日本にある48カ所の原発を再開しないよう」要請している。

 書簡はまた、広島と長崎で人類最初の原爆犠牲者となり3年前に福島原発事故に遭った日本人は、世界中から放射能被害の源を無くすため行動を起こす正統な資格を持つ、と訴えている。

 さらに「地震現象と人間の過ちは、電脳理論を超えて原発の安全を脅かす」と指摘し、統御不可能なもの(放射能)を統御するには限界がある、と警告している。

 書簡は、今年がスペイン・タラゴーナのバンデジョース原発の事故25周年に当たると前置きし、大惨事に至る直前だった同原発を廃止に追い込む運動を日本政府は支援すべきだ、と呼び掛けている。

2014年2月27日木曜日

伝説のフラメンコギタリスタ、パコ・デ・ルシア死去

 フラメンコの伝説のギタリスタ、パコ・デ・ルシーアが2月26日、心臓発作により死去した。66歳だった。

 パコ(本名フランシスコ・サンチェス=ゴメス)はメヒコ・カンクン市のカルメン浜に別荘を持っていた。浜辺で息子とサッカーに興じていたところ倒れたという。

 パコはアンダルシーア州アルヘシラスのロマ人(ヒターノス)の家に生まれ、幼年時代に父アントニオからギターを弾かされた。少年時代には、いっぱしのギタリスタになっていた。

 芸名の「デ・ルシーア」は、母の名ルシーアからとった。

 カディス出身のフラメンコ歌手カマロン・デライスラとは1960年代から盟友で、数々の舞台で共演した。1979年には二人のアルバム「時の伝説」(ラ・レジェンダ・デル・ティエポ)を出したが、ことしはその35周年だった。

 カマロンは1992年に癌で死去。以来、孤独に耐えてきたという。

 パコは、ジャズを取り入れるなど、フラメンコの「革命」を推進した。

 スペイン国王、文化相、アルヘシラス市長らが一斉に哀悼の意を表明している。

2014年1月6日月曜日

スペイン世論調査:62%が国王退位を求める


 エスパーニャ紙エル・ムンドが1月5日報じた王室に関する世論調査結果は、回答者の62%がフアン=カルロス・デ・ボルボン国王(76)の退位を求めている。

 退位を求めた回答者は、フェリーペ皇太子が即位すべきだ、と考えている。

 現国王は2012年にアフリカで象を狩り、轟々たる非難を浴びた。また娘婿の腐敗が明らかになり、王室の威信はぐらついた。

 回答者は、皇太子ならば、王室の威信回復を果たすことができると見ている。

 しかし国王制度そのものに対する支持は49・9%で、50%を割った。

2013年7月19日金曜日

スペイン内戦勃発77周年


 ラ・ゲラ・シビル・エスパニューラ(スペイン内戦)は1936年7月17日から18日にかけて、スペイン領アフリカ駐屯の反乱軍部隊と本土の反乱軍が連動して蜂起したことにより、勃発した。それから77年が過ぎた。

 島流し扱いされていた軍部内反乱志向派指導者フランシスコ・フランコは、アフリカ大陸沖のカナリア諸島の中心地テネリフェから移動して18日、「英雄的在アフリカ部隊に栄光あれ。とりわけスペインに。この歴史的瞬間に汝ら、および本土の同志たちと団結する我々アフリカ部隊の情熱的挨拶を受けてほしい。勝利を盲信せよ。名誉あるスペイン万歳」という声明を発表し、反乱の指揮を執った。

 スペインの活字メディアは、数日前から、「無政府主義者による内戦勃発直前のフランコ将軍暗殺未遂事件」、「フランコ派家庭の娘で現在90代半ばの老女のマラガでの内戦勃発当時の体験談」、「詩人フェデリコ・ガルシア=ロルカ殺害と、今に続く集団墓発掘作業」、「メキシコに亡命した共和派の人々」など、特集記事を掲載している。

 左翼議員たちは今年5月国会に、7月18日を「フランコ主義糾弾の日」に制定する法案を提出したが、フランコ派の流れを汲む政権党PP(国民党)の反対で審議は難航している。

 ところが、そのマリアーノ・ラホーイ首相をはじめ政権は腐敗事件の渦中にあり、重大な危機に直面している。同首相は9月来日が予定されているが、それまでに醜聞事件が収まるかどうかわからない。

2013年7月15日月曜日

歴史家らがスペイン内戦関係公文書の開示禁止を批判


 スペインは7月17日、内戦勃発77周年を迎える。スペイン内戦(1936~39)の実態は、いまだに十分には解明されていない。内外の歴史家ら研究者は、スペイン政府に公文書の開陳を強く求めてきた。

 サパテロ前政権(中道左翼)は2010年10月、内戦期以降の公文書を機密度ごとに仕分けした。だが国民党(PP、右翼)のラホーイ現政権のホセマヌエル・ガルシアマルガージョ外相は2012年12月、外務省公文書の閲覧を禁止し、関係予算を他に回してしまった。

 国防相文書は1936~68年の1万点が2011年に開示の準備が整えられていたが、現政権国防相がやはり昨年12月、その公開を禁止した。

 歴史家らは、「スペインの民主主義の質が疑われる」、「政府は何を恐れているのか」と批判している。

 PPは、フランコ派の流れを汲むため、支持者や議員には弾圧者の子孫が多い。この事実も、文書公開禁止と関連があるはずだ。

2013年7月5日金曜日

スペイン内戦をえぐる映画「メキシカン・スーツケース」を観る


 西墨両国合作のドキュメンタリー映画「マレタ・メヒカーナ」(英語でメキシカン・スーツケース)を試写会で観た。スペイン内戦(1936~39)の現場で写真を撮った3人の写真家が残したネガティヴフィルムを通じて、同内戦の意味をえぐる優れた作品だ。

 私は学生時代から数多くのスペイン内戦関係の史書、ルポルタージュ、文学を読み、映画を観てきたが、本作は特に優れた作品の中に座を占めている。

 ロバーロ・キャパ、その恋人ゲルダ・タロー、デイヴィッド・シーモアの写真家3人の命をかけた撮影行動は、計126本のフィルム(映像4500コマ)が日の目を見たことによって、見事に甦った。

 キャパの助手チキ(イメレ・ヴァイス)の存在が大きかった。彼が、多くの亡命者を受け入れたカルデナス墨政権の駐仏大使にネガを納めた3つの長方形の紙箱を渡し、ネガはメキシコに着いた。これが在墨米人の手に渡り、95年にネガの存在がわかった。

 だが曲折を経てネガが、キャパの実弟コーネルがニューヨークで運営していた国際写真センターに渡されたのは、2007年のことだった。

 その仲介をした英国生まれの帰化メキシコ人女性トリーシャ・ジフが、監督、製作、脚本を担当し、この映画を作った。彼女は、「大きな目的に情熱的に関わることと、中立の振りをしない人々を描いた映画」だと、本作を形容している。アンガージュマンである。

★8月24日から、東京・新宿のシネマカリテで公開される。電話03-3352-5645 必ず観ることをお勧めする。[参考書:『ボスニアからスペインへ-戦(いくさ)の傷跡をたどる』(伊高浩昭著、論創社)]

2013年6月11日火曜日

「世界」誌が、スペイン市民の変革運動ルポを掲載


 月刊誌「世界」7月号(6月8日刊行、岩波書店)に、「スペイン 行動する市民が築く民主主義」という、優れて興味深いルポルタージュが載っている。文・工藤律子、写真・篠田有史のおなじみの二人の最新の仕事だ。

 2011年の5月15日(日本では沖縄施政権返還記念日だが)、マドリーの中心部をはじめ全国各地で、効力をほぼ失った資本主義政治・経済体制を突き上げる若者たちの一大抗議運動が展開された。全国で600~850万人が参加した。これを「15M」(5月15日決起)と呼ぶ。

 工藤は「15Mはスペイン人に新しい政治文化をもたらし、人々の発想を変えた」と指摘する。二人は毎年現地で取材しているが、3回目の今年の「15M」は「怒りから反乱へ」というスローガンを掲げていたという。

 記事は、予算削減で悪化する公共教育に異議を唱える運動「緑の潮流」、質の低下を招く医療機関民営化に反対する運動「白い潮流」、住宅ローン被害者を救う団体「PAH」、貨幣を介在させない相互扶助制度「時の銀行」などの活動を紹介する。

 すべては、金銭的豊かさでなく、真に豊かに生きる「ビビール・ビエン」という考え方に裏打ちされている。記事に登場する人々は、弱肉強食の新自由主義にまで堕落した資本制に代わる、参加型民主主義実現を通じ、市民意思で富を配分する政治・経済形態を志向している。

 すなわち、「よりよいもう一つの世界」の構築を志すアルテルムンディズモである。

 記事は日本人に、有権者意思とかけ離れた政治家との決別を訴えるが、多数派有権者の優先課題を明確にして政治家に突きつけるくらいの行動がとれないものか、ともどかしがる。

 因みに「世界」本号には、3月に死去したベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスの半生を綴る、イグナシオ・ラモネの「一人の革命家の道のり」(坪井善明訳)も掲載されている。ラモネはアルテルムンディズモの旗頭の一人である。チャベスも、それを理想としていた。