2012年7月27日金曜日

~波路はるかに~第4回


【7月25~26日グアテマラにて伊高浩昭】ピースボート「オーシャンドゥリーム号」は25日早朝、G国ケッツァル港に入港した。タクシーで遠乗りした。アティトゥラン山の麓に青緑色の水をたたえるアティトゥラン湖と、湖畔のパナハッチェル町を訪ねた。今回の旅で最初の観光だった。町の教会は古く、独特の建築構造で、目を見張らせられた。マヤ民族の女性二人が、何かを盛んに祈りながら、前方にではなく後方に膝歩きしていた。願掛け、お百度参り、である。キリスト教の神、カトリックの神に魂を捧げ、5世紀の長きにわたって催眠術にかけられてきたところに、マヤ人の悲劇がある。そう思いながらも、女性二人に象徴される先住民族の苦悩が少しでも和らぐのを願わざるをえなかった。
旧首都アンティグア市は2年ぶりだったが、欧米白人が闊歩して、街の生態系が変わっていた。彼らは、先住民の消極的寛大さに甘え、仙人面して暮らしている。困ったものだ。60年代末に来たころは、異邦人は稀だった。
夜7時、日没と同時に首都グアテマラ市に着いた。外輪の山地から市街地を見渡し、40数年間に同じ山地から夜間見渡した光の海を懐かしく思い出した。大統領政庁、大聖堂のある中央広場を久々に眺め、周辺の下町を車窓から見て、100km南の港に戻った。
26日は、首都手前の巨大スラム「ビージャ・ヌエバ」を取材した。人口は150万人で、首都の延長にあって、首都圏を構成している。このスラム都市の一部に、入れ墨が特徴の青少年暴力団「マラス」が根を張り、殺人、暴行、脅迫を恣(ほしいまま)にしている。AK47突撃銃などで重武装した警官たちが市内を巡視し、自動車道では「マラス」や麻薬マフィアによるコカイン密輸の取り締まりに当たっていた。
周辺にそびえる幾つかの火山から噴煙が上がっていた。火山たちは、眼下の怒れる暴力の街を見るに見かねて爆発する準備を進めているのではないか、とさえ思えた。
7月26日は、キューバ革命の原点「モンカーダ兵営襲撃」の59周年の日だ。その1年前の1952年のこの日、エバ・ペロンが癌で死去した。PB船は、メキシコのマンサニージョ港に向けて出港した。