2011年10月17日月曜日

むのたけじ講演会

  東京神田の東京堂で9月16日、96歳のジャーナリスト、むのたけじ(武野武治)の講演会があった。『希望は絶望のど真ん中に』(岩波新書)の出版に合わせた会合だった。私は応募して、参加する権利を得た。私の心は躍っていた。私が尊敬する数人のジャーナリストのなかの一人だからだ。
  私と、この大先輩の共通点は、大学時代にスペイン語を学んだこと、メディア記者だったこと、エドゥガー・スノー(故人、中国革命を内側から報じた米国人ジャーナリスト)を尊敬すること、ぐらいしかない。この本には「トンテリーア」、「ケ・セラ・セラ」、「ブエノスアイレス」などスペイン語が幾つか登場するが、この点をとっかかりとして、私はこのブログにこの文書を載せることにした。
  ジャーナリストになるのを目指していた学生時代、むのたけじの最初の著書2冊、『たいまつ十六年』(1963年、企画通信社)と『雪と足と』(1964年、文藝春秋新社)を読み、感動した。以来、むのたけじは、私がジャーナリストの理想像を構成するうえで大きな存在になった。
  この日の講演でむのたけじが語った要点を、前述の新刊書内容とやや重複するが、並べる。

  「私は18歳のとき社会主義者であることを宣言し、これが生涯を貫くエネルギーになってきた。思想を抱きながら生活するのが不可能な軍国主義の時世だったため、選ぶべき職業はジャーナリズムぐらいしかなかった。75年間淡々と歩んできたが、ジャーナリストとして生きてきてよかったとは思わず、後悔もしていない」

  「人生=LIFEの完結である死は、誕生と同じくらいめでたいものではないか」

  「敗戦した日本は開戦責任を自らに問うことなく、1970~80年代の好景気で成金になってしまった。そのバブルが日本人の心になり、日本と日本人は自分自身を見失ってしまった」

  「兵役のない時代の子供は自由で、大人と対等に話し合える。現代の子供は、互いの相違点を認め合ったうえで理解し合い、連帯できる」

  「本気の恋に失恋はない。ひとはよく、愛がすべてとか、愛よりうえのものはない、などと言う。しかし、敬うという価値が愛の上にあるのではないか」

  講演の後、質疑応答となった。むのたけじは講演開始から1時間半、立ちっぱなしで大声で話しつづけた。私は『雪と足と』などを読んだ思い出を披露してから質問した。「尊敬するジャーナリストは」と訊くと、「あまりいませんな。『中国の赤い星』を書いたエドゥガー・スノーですかね」と答えた。私は以前、むのたけじがスノーに敬意を抱いていると述べていたのを知っていたが、確認するために敢えて訊いた。
  「気に食わないジャーナリズムの傾向は」と訊くと、ことし5月初めの、バラク・オバマ米大統領のオサマ・ビンラディン殺害作戦を挙げて、「国際世論は、ビンラディンになぜテロリズムを決行したか、その理由を聞きたかった。その機会を奪って抹殺してしまうとは許し難い。生きて捕えるべきだった」と即座に答えた。
  新刊書の冒頭には、「職業を問われると、私はジャーナリストと答えるが、とてもためらう。きのうきょうに始まったことではない」と記されている。それはなぜか? その答えが新刊書に盛り込まれている。私も、同じ刃を45年間、自分自身に突き付けてきた。
  私は通信社記者だった1990年代に秋田県にむのたけじを訪ね、インタビューしたことがある。そのときの取材メモがうまく見つかれば、それを紹介したい。(2011年10月17日 伊高浩昭)