アルゼンチン連邦法廷は10月26日、軍政時代(1976~83)に市民拉致・拷問・殺害に関与した軍人ら12人に終身刑を言い渡した。首都ブエノスアイレス市内にある(旧)海軍機械学校(ESMA=エスマ)で起きた人道犯罪のうちの86件に関わった被告18人に対する判決で、他の2人に禁錮25年、22年と18年が各1人、別の2人は無罪だった。
ESMAで「消された」市民には、軍政と闘ったジャーナリスト、ロドルフォ・ワルシュ、「五月広場の母たちの会」のアスセーナ・ビジャフロールら創設者3人、フランス人尼僧2人も含まれている。犠牲者の多くはヘリコプターや輸送機に乗せられ、ラ・プラタ川に突き落とされた。
終身刑を言い渡された者のなかで国際的に最も名の知られた元海軍中佐アルフレド・アスティースは、ナチスのヨーゼフ・メンゲレになぞらえて「死の天使(エル・アンヘル・デ・ラ・ムエルテ)」と呼ばれていた。メンゲレは1979年、逃亡先のブラジル・サンパウロ州で海水浴中に心臓発作で死亡している。
この「ESMA裁判」は09年12月に始まり、今月14日結審した。公判で証人250人が証言した。
軍政時代の人道犯罪を断罪する機会は、1983年の民政移管によって訪れた。だが、軍部の圧力に耐えきれなかったアルフォンシン政権と、軍部を味方につけようと努めたメネム政権の下で「無処罰」化が進んだ。しかし、キルチネル前政権下で「免罪」や「恩赦」が無効とされ、裁判が加速されてきた。キルチネル夫人クリスティーナ・フェルナンデス(現職大統領)が今月23日の大統領選挙で圧勝し再選を果たした要因には、夫婦2代の政権下で進展した人道犯罪裁判への支持が含まれている。
ネストル・キルチネル前大統領は昨年10月27日、心臓発作で急死した。1周忌の27日(昨日)、出身地パタゴニアはリオガジェゴの墓地に廟が完成し、フェルナンデス大統領ら遺族が法事を執り行なった。また同市内でキルチネル像の除幕式が行なわれた。
(2011年10月28日 伊高浩昭)