LAC(ラ米・カリブ)左翼・進歩主義諸国が構成する「米州ボリバリアーナ同盟」の第15回外相会議が4月10日ハバナで開かれた。今会議は、ALBA主導国ベネスエラへの連帯、LAC「平和地域」化実現への方策が主な議題だった。
議長のブルーノ・ロドリゲス玖外相は、ベネスエラ攻撃の中心にいる米州諸国機構(OEA)のルイス・アルマグロ事務総長(前ウルグアイ外相)を「常軌を逸している」と批判した。エクアドールのギヨーム・ロング外相は2日の同国大統領選挙決選で、「市民革命」を10年間推進してきたコレア政権の後継候補レニーン・モレーノが当選したことを報告した。
ニカラグアのシッダルタ・マリーン国際問題担当大統領顧問は、米共和党極右のクーバ系議員イレアナ・ロスレティネンらによる米議会への「ニカラグア投資条件法」(通称「ニカ法」)案再提出の動きを糾弾した。法案は、「ニカラグア選挙の公明正大な実施」、「人権尊重」などが保障されなければ投資を制限する、という内容。昨年9月、同議員らが提出、下院は通過したが、上院で否決されていた。
外相会議では4種類の文書が採択された。「ニカラグア連帯宣言」は、ニカ法案を「経済封鎖法案」と捉え、再提出しようとしている議員たちを糾弾した。「カリブ連帯宣言」は、カリブ地域の統合と発展を支援。最貧国ハイチに連帯。欧州連合(EU)によるカリブ共同体(カリコム)への対応を批判した。
エクアドール関係文書は、「市民革命」10年の成果とモレーノ当選を讃えた。「ベネスエラ支援宣言」も採択された。
閉会式は会議殿堂で開かれ、ラウール・カストロ玖国家評議会議長、ニコラース・マドゥーロVEN大統領も出席した。クーバ国歌で始まり、終わって首脳らが着席しようとすると、会場に居たベネスエラ人留学生らが同国国歌を歌い出し、合唱となって拡がった。ベネスエラへの連帯の感動的な場面だった。
ラウール議長に代わって演説した玖大学生連盟(FEU)のジェニファー・ベーヨ議長は、べネスエラをはじめとするラ米進歩主義政権を攻撃しているOEAを「米国の植民地省」と扱き下ろし、「クーバは絶対にOEAに復帰しない」と強調した。
マドゥーロ大統領も演説、「ALBAは<奇蹟作戦>でLAC住民400万人の視力を回復させた」と讃えた。次いでOEA批判を開始、「創設以来69年のOEA史は、痛み、死、侵略者の血で彩られている。帝国主義者の利益へ我々ラ米諸国が従属した屈辱の歴史だった。LACの全合法政権への侮辱の歴史だった」と述べた。
さらに、アルマグロOEA総長を厳しく批判、「ベネスエラは、OEAと米国に支援され、帝国主義者の利益に供する野党勢力によるゴルペ・デ・エスタード(クーデター)の行動に直面している」と指摘した。
べネスエラの首都カラカスでは10日も、保守・右翼野党連合MUDの反政府行進があった。その若者らの別働隊は投石や「器物損壊」行動を展開、治安部隊が催涙ガスと放水で鎮圧した。18人が逮捕され、200人が負傷した。
この野党行動は4月になってから5回目。マドゥーロ大統領が指摘するように、反政府勢力は街頭での騒乱状態を重ね、これを政権打倒の起爆剤とし、軍部に蜂起を促す戦略をとっている。
▼ラ米短信 ◎ボリビアでゲバラ部隊最初の玖人ゲリラが死んでから半世紀
1967年4月10日、ボリビアでゲリラ戦を展開していたチェ・ゲバラのゲリラ部隊の一員ヘスース・スアレス=ガヨル(30)が激流に呑まれて死亡してから50年が経った。ゲバラ部隊で最初に死んだ玖人ゲリラだった。この日、クーバでは追悼行事が催された。
スアレスは、スペイン・アストゥリアス州からの移民の子孫。ハバナ大学生だったころ、フィデル・カストロの「7月26日革命運動」に参加、都市部で反軍政の破壊活動に従事した。
追及されてメヒコに亡命。革命戦争中の58年、玖島西部のピナール・デル・リオ州に潜入する。ゲバラの部隊に入って闘い、革命勝利を迎えた。革命後、ゲバラ工業相の下で、砂糖産業担当副工業相に就任。だがゲバラに従って66年12月19日、ボリビアに赴いた。