▼▼▼チリの国家教育会議(CNED=セネド)は1月26日、小学校と中等学校の歴史教科書で、ピノチェー軍事独裁政権(1973~90)を表す用語として、「独裁」と「軍政」の両方を使うことを決めた。これは、「独裁」を廃止し「軍政」に統一しようと謀ったピニェーラ右翼政権の後退を意味する。
ハラルド・ベジェル教育相は1月4日、「軍政」だけを使うようCNEDに諮り、CNEDはこれを承認した。ところが民主派や左翼、特に人道犯罪の被害者や遺族から轟々たる非難が巻き起こった。教育相をはじめとする政権内右翼は、世論を見誤っていた。
ピノチェー独裁時代、3225人が殺され、うち約1200人の遺体は行方不明のままだ。また3万8000人が拷問された。外国への避難や亡命を余儀なくされた者は数万人に及ぶ。
ピノチェーは晩年、人道犯罪関与で糾弾された。家族ともども公金横領による不正蓄財で起訴された。だが、断罪されないまま死んでいった。
ピニェーラ政権は、弱肉強食の新自由主義政策推進、公共大学教育の制限、先住民族マプーチェへの弾圧などで支持率が低迷している。今回の「歴史改竄」は、支持率低下をさらに促す要因になりつつあった。
そこで教育相は「軍政」用語強制を取り下げ、従来どおり「独裁」の用語も認める<両論併記>の打開策をCNEDに提示した。
CNEDは、政府の譲歩案を賛成6、棄権1、欠席2で可決した。棄権したのは、ピノチェー時代に弾圧の先頭に立っていた軍と警察の利益を代表する退役将軍だった。欠席したのは民主派で、一人は抗議して25日辞任し、他の一人は「独裁下での人権蹂躙の教科書記述が弱すぎる」と批判していた。
だが知識人たちは、「政府とCNEDの決定には、<独裁>と<軍政>を同列に並べることで、あたかも同義語のように受け止めさせる狙いがある。都合の悪い<独裁>の真の意味を薄め弱めるためだ」と批判している。
実業家で富豪のセバスティアン・ピニェーラ大統領は、「イデオロギーに欠け、経済に集中しすぎている。イデオロギーのないところを政権内右翼に付け込まれている」などと、内外で厳しく批判されてきた。イデオロギー政策面で<裸の王様>になっていたということだろう。
来年は、ピノチェーが率いた軍事クーデターの40周年。自由選挙で選ばれた「世界最初の社会主義政権」と讃えられたアジェンデ政権が崩壊してから40年になるわけだ。1973年9月11日のクーデター当日、サルバドール・アジェンデ大統領は自ら命を絶った。
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私は73年のクーデター後間もなくチリに入り、首都サンティアゴと周辺を取材した。チリ全土を覆っていた、残虐と恐怖と重圧を忘れない。