▼▼▽▼▼グアテマラ内戦中(1960~96)、市民殺戮の最悪時期に軍政を率いていたエフライン・リオス=モント退役将軍(85)が1月26日、法廷に初めて出廷した。
首都グアテマラ市にある重罪を裁く法廷のカロル・フローレス判事は、「主に陸軍が犯した恐るべき犯罪は、陸軍の最高位にあったリオスの判断次第で避けられた」とし、リオスの重い責任を指摘した。
判事はリオスに、「自発的に出廷した」として身柄を拘束せず、保釈金50万ケッツァール(約6万4000ドル)の支払いと自宅蟄居を命じた。
担当のマヌエル・バスケス検事には、2か月以内に捜査し起訴状を作成するよう要請した。
判事は、リオスの責任の重大さを語る際、「虐殺と人道犯罪で禁錮30年の実刑が科せられるかもしれないが、高齢ゆえに、そうならないかもしれない」と述べた。リオスの弁護士ダニーロ・ロドリゲスは、「公判開始前に禁錮刑に触れた」として、判事を告訴する構えを見せている。
リオスは、1982年3月から83年8月まで軍政を率いた。陸軍を中心とする軍隊、警察および、「市民自衛巡視隊(PAC=パック)」という準軍部隊を使って、凄まじい殺戮作戦を展開した。
検察は、エル・キチェー県イシルで起きた先住民267人虐殺を含む226件の掃討作戦で、計1770人を殺し、女性1400人を強姦した事件をリオス政権の責任と見ている。これは判明した件数だけであり、実際の蛮行ははるかに多いとされる。
リオスは政権を握る直前の1980年1月31日、スペイン大使館に逃げ込んだ反体制派らをスペイン人外交官もろとも焼き殺した。後のノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチューの父親ら計37人が死亡した。
メンチューは1999年スペインの法廷で、虐殺、拷問、国家テロの罪でリオスを告訴した。同法廷は以来、リオスを国際手配してきた。
グアテマラ憲法裁判所は2008年、スペイン法廷の決定を「不適切」として却下した。だが国内で告訴の動きが続いていた。
リオスは内戦の和平合意が成る前から国会議員や国会議長に納まり、非逮捕特権を享受していた。だが最後の任期が今年1月14日の新国会発足によって切れたため、出廷を余儀なくされた。
内戦中に夫を殺された女性たちの組織「グアテマラ全国未亡人連絡会議(CONAVIGUA=コナビグア)」の幹部ロサリーナ・トゥユクは、「この日が来るのを30年も待っていた」と語った。
この国では1月14日、内戦中に陸軍の高官で、やはり人道犯罪に関与したと見られるオットー・ペレス=モリーナ退役諸軍(66)が政権に就いた。本音と建前が異なる「三権分立」の制度の下で、そして「同じ穴の狢(むじな)」ペレス政権の下で、リオス裁判がどう展開することになるのか。内外世論は、その推移を監視することになる。