玖米両国は7月14日ハバナで外務省局長級会議を開き、両国間の移民問題を話し合った。
ホセフィーナ・ビダル米国局長らクーバ側は、不法出国を促進する1966年制定の米「キューバ調整法」、不法出国を煽るため同法に1995年に加えられた「乾いた足・湿った足」規定、および、在外勤務のクーバ人医師に亡命を促す「クーバ医師臨時入国許可計画」が正規の移民を阻害、クーバ人の不法出国、人身取引、第三国への玖経済難民流入を招いている、と糾弾した。
両国は昨年7月20日、54年半ぶりに国交を再開したが、玖側は、関係正常化深化の条件の一部としてとして、これら米国の悪法・規定の廃棄を求めてきた。ジョン・クリーマー米州担当国務次官補ら米側は、具体的な回答を避けた。
双方は、2月マイアミ開催の不法移民取締り会合と、6月同地開催の玖国境警備隊と米沿岸警備隊との会合については有意義だったと評価した。
玖経済難民は、エクアドール(赤道国)、コロンビア、ガイアナ、ブラジルなど南米諸国を経由し、パナマ、コスタ・リカなど中米諸国からメヒコを経て米国入りするのが盛んになっている。赤外務省は15日、玖難民殺到に困っている諸国に連携して対処しようと呼び掛けた。
赤内務省は12日、同国滞在中の玖難民171人のうち75人をクーバに送還した。キトのメヒコ大使館は、同75人へのメヒコ通過査証発給を拒否していた。75人は送還後、「人権が犯された」などと赤玖両国を非難しているが、赤外務省は、同難民やメディアは意図的誤報をしている、と批判した。
一方、クーバでは16日、マタンサス大学の卒業式が挙行され、工学部を卒業、工業技師になったエリアーン・ゴンサレス青年(22)が、卒業生355人の総代として、革命指導者フィデル・カストロ(89)への書簡を読み上げ、取得した学位をフィデルに捧げると表明した。
エリアーンは少年時代の1999年11月、母親らに連れれて小舟で米国を目指したが難破、一人だけ救助された。その後、マイアミの親戚が少年を引き取ると主張。「少年奪回」を求める父親、フィデルらと激しく対立した。
当時のクリントン米政権はクーバ側主張を容れ、少年を2000年6月、帰国させた。エリアーンは「対米抵抗」の象徴として、大切に育成されてきた。
エリアーンはフィデルへの書簡の中で、「私たち専門職は、革命が必要とすれば、いかなる塹壕からでも戦う」と述べた。