ペルー大統領選挙決選(6月5日)の結果が9日判明、「改革のためのペルー」(PPK)候補ペドロ=パブロ・クチンスキ(PPK、77)が超僅差で「人民勢力」(FP)候補ケイコ・フジモリ(41)を破り勝利した。
国家選挙過程事務所(ONPE=選管)発表によると、開票率100%で、PPK50・12%、ケイコ49・88%。0・24ポイント差だった。PPKは7月28日の独立記念日に就任する。任期は5年。
4月10日の第1回投票後に始まった選挙戦は、「反フジモリ」運動が盛り上がった序盤、PPKがリード。だが中盤前半でケイコは自党FPの全国組織を動かして追い付き、中盤後半でPPKを追い抜いた。
ケイコは終盤前半、りーどを5ポイント以上に拡げ、「当確」に接近した。危機感を抱いた反フジモリ派は再び運動を激化させ、ケイコのリードを縮めた。
さらに、第1回投票で3位になった左翼「拡大戦線」(FP)の候補だったベロニカ・メンドサがPPK支持を打ち出し、左翼票をPPKに回した。これにより終盤後半、PPKが支持率でかすかにケイコを上回った。PPKはその僅差を維持して、逃げ切った。ペルー大統領選挙史上、最も僅差の選挙となった。
PPKは米財界に近い経済屋。1990年代のフジモリ政権に始まるペルー新自由主義経済路線を、トレード政権経済相として強化に努めた。在米経験が長く、米国籍もかつて保有していた。スペイン語の発音にも英語なまりが目立つ。
PPK政治は、ウォール街とホワイトハウスに近いものとなるが、今回の勝利で左翼の支援が決定的だったことから、保守・右翼本流をやや中道寄りに修正した路線をしばらくはとらざるを得ないと思われる。
また国会(130議席)でケイコ派FPが73議席を握るという厳しい現実がある。政権と国会に「ねじれ」が生じるわけで、僅差の勝利と相俟ってPPKは、FPの協力を仰がねばならない。このこともPPK政治の規制条件となる。
また77歳と高齢で、任期中に80歳を迎えるため、標高4000mを超えるアンデス高地などを訪問するのは難しい。海岸地方中心の政治にならないよう、注意が必要になろう。
一方、決選で2回連続して惜敗したケイコは、父親フジモリへの「呪い」から解放されなかった。だが41歳と若いため、5年後も出馬は可能だ。3度目の正直を狙うには、国会でPPKに協調し、「よりよいペルー」建設に尽力することで、有権の間に依然根強い「反フジモリ感情」を中和化するのが肝要かもしれない。
ケイコには、FP国会議員である実弟ケンジがいる。ケンジにも政権に就きたい野心がある。有権者は「父アルベルト-娘ケイコ-息子ケンジ」と続く「フジモリ一族の支配」を怖れる感情さえある。この点にもケイコらは留意せねばならない。
大接戦ではあったが、ペルー人は、<異端児ケイコ>でなく、<無難は経済人>を次期最高指導者に選んだと言える。