米州諸国機構(OEA、34カ国加盟)は6月1日、ワシントンの本部で常設理事会(大使会議)を開き、ベネスエラ問題に関し、「OEAは、主権尊重の下、ベネスエラの政府、憲政機関、政治・社会勢力の間での対話による解決努力に協力する」と謳う決議を採択した。
具体的には、南米諸国連合(ウナスール)の対話仲介使節団(スペイン、パナマ、ドミニカ共和国元首脳)の努力を支持している。
OEAのルイス・アルマグロ事務総長は5月31日、加盟国の民主状況が「変更された場合」に適用される「米州民主憲章」をベネスエラに適用すべきとの立場で、この件を討議する大使会議を6月10~20日の期間に開くよう加盟国に呼び掛けていた。
だが加盟国の多くはベネスエラの主権を無視した総長の決定に異論を唱え、穏健な決議が採択された。アルマグロ事務総長の敗北、ベネスエラの勝利、と受け止められている。
この日の会議にアルマグロは欠席し、不快感を示した。会議は輪番制議長国アルヘンティーナの大使が議長を務めた。同大使は、「OEAの主人は我々加盟国だ」と述べ、主権を超えて憲章適用を促進したアルマグロを暗に批判した。また、アルマグロの代理で出席した事務局幹部の発言を許可しなかった。
亜国のマクリ右翼政権は反マドゥーロの急先鋒だが、同国のスサーナ・マルコーラ外相はブエノスイアレスで、「亜国は、安易な民主憲章適用に賛成しない。その適用は必ずしも問題解決に寄与しない」と述べた。
こうした亜国の「態度豹変」は、マルコーラ外相が今年後半の国連事務総長選挙に出馬するため、ベネスエラを含むラ米諸国の支持を必要としているから、と解釈されている。
1日の決議は多数派の合意によって成立したが、憲章適用を求めるパラグアイだけは合意に参加しなかった。デルシー・ロドリゲスVEN外相はカラカスで、「パラグアイだけが外れたのは残念だ」と語った。
ブエノスイアレスでは2日、「ラ米カリブ主権・団結議員網」の第2回会合が開かれ、OEAによる「主権侵害の民主憲章適用に反対する」ことを表明した。
スペインでは「マドリー・アメリカ館」で2日ベネスエラをめぐるフォロ(フォーラム)が開かれた。ホセ・ガルシアマルガージョ外相は、「我々が(ベネスエラ問題に)対処できなければ、人道的危機が暴動につながる可能性がある」と指摘した。
またフェリーペ・ゴンサレス元首相は、「ベネスエラでの物資供給不足は深刻であり、このまま事態が悪化すれば、カラカソ再来もありうる」と警告した。「カラカソ」は1989年2月末、緊縮財政政策で生活苦に陥った貧困層がカラカスで大挙して略奪、軍隊が出動して制圧、最大3000人が殺された、とされる一大騒擾事件。
ゴンサレスはさらに、「ソ連消滅後の1990年代前半、クーバは極度の物資欠乏状態に陥っていた。今のベネスエラは似たような状態にあるが、一層悪い。なぜならクーバは当時、欠乏状態の中で物資を効果的に配給していたからだ」と述べた。
カラカスでは2日、国立ベネスエラ中央大学(UCV)学連が、ニコラース・マドゥーロ大統領退陣要求運動を開始する、と表明した。この学連は、保守・右翼野党連合MUDに近い立場をとっている。
ボリビアのエボ・モラレス大統領は2日コチャバンバで、「ラ米連帯が帝国主義の介入を阻止した」と、OEAの対話促進決議を讃えた。モラレスに招かれて来訪したホセ・ムヒーカ前大統領も、「OEAでは米国の圧力が腹立たしい。ベネスエラ問題対処では、ウナスールの方をはるかに信頼できる」と述べた。
ベネスエラでは2日、シモン・ボリーバルによる奴隷解放宣言200周年の記念式典が、アリストーブロ・イズトゥーリス副大統領出席の下で催された。同副大統領は、ベネスエラでアフリカ系の最高位にある。
▼ラ米短信 ペルー大統領選挙決選の選挙戦は2日終了、この日発表されたCPIによる最新の支持率調査結果はケイコ・フジモリ(41)51・6%、ペドロ=パブロ・クチンスキ(77)48・4%、3・2ポイント差でケイコが優勢を維持している。
だがPPKは、終盤で再び激化した反フジモリ運動および、4月の大統領選挙第1回投票で3位になった左翼「拡大戦線」候補ベロニカ・メンドサがPPK支持を表明したことなどから、やや盛り返している。