2016年11月30日水曜日

フィデル・カストロ前議長のハバナでの国葬終わる

 クーバ革命の最高指導者だった故フィデル・カストロ前国家評議会議長の葬儀が11月29日、ハバナの革命広場で執り行われた。広場に面したホセ・マルティ記念館に安置された遺骨の前を、クーバ市民とともに来賓たちが通過した。

 実弟ラウール・カストロ現議長(85)が、ミゲル・ディアスカネル第1副議長、ホセ=ラモーン・マチャード副議長(共産党第2書記)、ラミーロ・バルデス革命司令官(副議長)と共に、遺骨を納めた小さな棺の両側に立つ「グアルディア」(警護)を最後に務めた。

 夜になってから革命広場を埋めた数十万人の市民を前に人民葬が催された。ラ米・カリブ諸国からベネスエラ、ボリビア、エクアドール、コロンビア、メヒコ、ニカラグア、エル・サルバドール、オンドゥーラス、パナマ、ドミニカ共和国、スリナムの11カ国大統領、ウルグアイ副大統領、ホセ・ムヒーカ同国前大統領、ジャマイカ、バハマ、ドミニカ、セントルシーア、アンティグア・バーブーダ、セントヴィンセント・グラナディーンの6カ国首相が参列した。

 フィデルがクーバ軍や軍事顧問を派遣したアフリカからは南アフリカ、ナミビア、ジンバブウェ、赤道ギネア、カボヴェルデ、ウガンダの6カ国大統領、アルジェリア国家評議会議長が出席。欧州からはギリシャ首相、ロシア下院議長、スペイン前国王ら。アジアからはイラン副大統領、中国副主席、ヴェトナム国会議長らが参列。

 米国からは、大統領顧問ベン・ローズ、ジェフリー・デローレンティス駐玖大使。このほか多くの国から外相、特使、大使らが参列した。日本からは古屋日玖友好議員連盟会長が出席した。

 各国首脳が順次、短く演説。エクアドールのラファエル・コレア大統領は、「フィデルは無敵だったが、寿命にだけ敗れた。生きた時代に名誉を与えて死んだ。信念の人フィデルは信念をクーバ人民と大なる祖国(ラ米)に植え付けた。たぶん強風がラ米を見舞うかもしれない。ラ米は団結せねばならない」と強調した。

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は、「フィデル、あなたの業績は世界人民を永遠に照らす灯台だ。革命遂行を誓い、勝利の道を歩み続ける」と語った。

 ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領は、「フィデル、どこに居る?」と大群衆に問いかけた。群衆が一斉に「ここに居る」と応えると、「彼は逝かない、無敵のまま居続ける。祖国の偉大な歴史によって絶対に無罪を宣告された」と続けた。モンカーダ兵営襲撃後の裁判でフィデルが展開した自己弁護の締めくくりの言葉「歴史は私に無罪を宣告するだろう」を踏まえている。

 ギリシャのアレクシス・チプラス首相は、「フィデルは、社会変革が恒久的な闘争であることを教えてくれた」と前置きし、「我々もまた、新自由主義の市場法則という圧政と闘わねばならなかった」と述べた。

 最後にラウール議長が謝辞を述べ、語った。「世界中から数え切れないほどの連帯を受けた。フィデルは貧者の貧者による貧者のための社会主義革命を指導した。その革命は反植民地主義、反アパルトヘイト、反帝国主義、人民の解放と尊厳のための戦いの象徴となった。彼の言葉はきょうこの革命広場で響きわたっている」。

 「遺骨の前で、あなたの不朽の模範に従い続けることを誓う。愛するフィデル、今ここに国家の英雄ホセ・マルティ像と共にあるが、この場所に半世紀以上に亘って、並はずれた苦難の日々に集い合い、重大な決定に際して人民に諮問した。私たちが勝利を記念したこの場所で、殉死者、戦士、英雄的人民と共に<勝利の日まで必ず>と叫ぶ」。

 (1960年代からマイアミで亡命生活を送っているカストロ兄弟の妹フアーナ・カストロは、「私たちは政治的理由で離ればなれになったが、肉親としての感情は続いている。妹として兄の死を悼んでいる」と、マイアミで語った。)

 遺骨は30日、東部のサンティアゴデクーバ市まで約1000kmの葬送キャラバンの旅に出た。1959年1月、革命戦争に勝ったフィデルがハバナまで1週間かけて凱旋演説をしながら辿った道を逆に進むのだ。

 12月3日、同市内のアントニオ・マセオ革命広場で告別式が挙行され、4日、遺骨は埋葬される。