ラ米核兵器禁止条約(通称トラテロルコ条約)が1967年2月14日、メヒコ外務省(当時の通称トラテロルコ)で調印されてから14日で50周年となった。今はフアレス大通りにある外務省で記念の外相会議が催された。
条約は1962年10月のクーバ核ミサイル危機を教訓として生まれ、69年4月25日発効した。推進者のメヒコ外相アルフォンソ・ガルシア=ロブレスは82年、ノーベル平和賞を受章した。
条約は後に「ラ米・カリブ核兵器禁止条約」と改名された。事務局「LAC(ラ米・カリブ)核兵器禁止機構」(OPANAL=オパナール)はメヒコ市にある。この日、第25回OPANAL総会(外相会議)が開かれた。今日、LAC33カ国全部が加盟、批准している。
総会で演説したエンリケ・ペニャ=ニエト(EPN)墨大統領は、「世界は依然核兵器の危険に晒されているが、我々はLACを世界平和の約束の地として再確認する」と述べた。
だが演説の力点は、トランプ米政権の対墨政策への批判に置かれた。大統領は、「強国を含むいかなる国も、国際社会の諸原則に反する独自の原則や意思を押し付けてはならない。国際関係は権利、敬意、対話に基づかねばならず、脅迫や実力に依ってはならない」と強調した。
EPNはまた、「今新たに世界は我々LACの団結ぶりを観ている。LACが寄せてくれた連帯に、全メヒコ人民を代表して感謝する。メヒコは将来に亘ってLACの国だと、誇りを持って言う。困難な時の友こそ善き友と言われるが、メヒコは支持を受けて感動した。価値ある大きな支援だった」と語った。
会場からは強い拍手が続いた。トラテロルコ条約は、その後の南太平洋、東南アジア、アフリカ大陸、中央アジア・モンゴルの各地域の核兵器禁止条約締結に繋がった。
メヒコと、中米北部三角形3国(グアテマラ、エル・サルバドール、オンドゥーラス)の外相は今会議に先立つ13日メヒコ市で会合し、同3国からメヒコを経て米国に向かう移民希望者の扱いなどを協議した。
▼ラ米短信 ◎ドミニカ共和国(RD)でジャーナリスト2人殺害さる
RDのサンペドロ・デ・マコリス市のラジオ放送局で2月14日、ルイス・マルティネス局長と、ニュースを読み上げていたルイス・メディーナ記者兼アナウンサーが侵入者に射殺された。女性秘書ダヤナ・ガルシアは重傷を負った。
ドミニカ・ジャーナリスト協会(CDP)と全国報道労働者組合(SNTP)は、メディーナ政権に事件の早期解決を要請した。RDでは一昨年4月にも記者が殺害されている。
▼ラ米短信 ◎大量のベネズエラ紙幣がパラグアイで発見さる
ベネスエラ通貨ボリーバル・フエルテ(bf)の50bf、100bf札を詰めた約500の袋(重さ30トン)が2月13日、ブラジル国境に近い、パラグアイ東部のカニンデジュー県サルト・デル・グアイラ市の武器商人の家で発見され、警察に押収された。
警察は資金洗浄および犯罪関与の疑いで武器商人を逮捕、取り調べ中。紙幣は14日、首都アスンシオンの中央銀行に運ばれ、金額計算などにふされた。
警察は、米国のDEA(麻薬捜査局)とベネスエラ当局と連携、事件解明に努める。ベネスエラ政府は、100bf札を2月20日に使用不可とすることを、本事件発覚前から決めている。
Bf札は、ベネスエラ西部コロンビアの国境地帯、南部ブラジルの国境地帯で出回っている。だがなぜ遠いパラグアイに運ばれたのか、そこに関心が集まっている。