エル・サルバドール(ES)は1月16日、内戦和平合意調印25周年記念日を迎えた。首都サンサルバドールで記念式典が催され、サルバドール・サンチェス=セレーン大統領は、「経済社会問題という今日的必要性を解決するため、<第2の和平合意>を国連仲介の下で探ってゆく」と述べた。
大統領は、対立する右翼野党ARENA(国家共和同盟)に対し、内戦犠牲者および遺族に補償するための「和解・犠牲者統合的賠償法」の制定を呼び掛けた。これが<第2の合意>だ。
これについて、「新しい合意は生産的で安全で理性的かつ環境融和的社会にして、排除や社会的・経済的不平等なき福祉の充実した社会をもたらすものであらねばならない。<平和の文化>を創るものでなければならない」と強調した。
式典に出席した国連特使ミロスラフ・イェンカは挨拶し、「暴力と経済的不平等が多くの人々の和平享受を妨げている」と指摘。隣国オンドゥーラスのフアン・エルナンデス大統領、マリカルメン・アポンテ米州担当米国務次官補(元ES駐在大使)も出席した。
ESでは昨年5300人近くが殺された。人口10万人中81人で、世界最悪の非戦争殺人発生率である。
和平合意は1992年のこの日、メヒコ市のチャプルテペック城で調印された。当時のアルフレド・クリスティアーニ大統領のARENA政権と、ゲリラ連合「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」(FMLN)の間で署名された。メヒコ、ベネスエラ、コロンビア、スペインが保証国となり、国連が支援した。
1980年に始まった内戦は勝利のない痛み分けに終わったが、死者7万5000人、行方不明者8000人、負傷者4万人が出た。これら犠牲者の75%は文民だった。避難民は100万人に達した。12年続いた内戦の被害総額は16億ドルと見積もられている。
<第2の和平合意>のため、政府および政権党FMLNとARENAの間で仲介役をするのは、25年前にも国連ES和平監視団の一員だったメヒコ人外交官ベニート・アンディオーン。経験を買われた任命。
式典では管弦楽団、合唱隊、軍楽隊、民俗舞踊団が競演した。出席したコロンビア元上院議員で社会活動家のピエドゥラ・コルドバは、「コロンビアもようやく政府とFARCが和平合意に達し、今は政府とELNが和平交渉を始めている」と語った。
コルドバは14日、サンティアゴ・デ・クーバのフィデル・カストロの墓に参り、「力、抵抗力、光を与えてほしい」と祈願。来年のコロンビア大統領選挙に候補として出馬すると表明した。独自候補を出さないFARCはコルドバを支援するもよう。
サンチェス大統領は15日には、首都のオスカル・ロメーロ並木大通りに新設された「和解彫刻公園」の開園式と、その中心にある「和平記念碑」の除幕式を主宰。挨拶で「犠牲者補償こそが第2の和解になる」と述べた。ロメーロは1980年に右翼軍部から暗殺された首都大司教。これが内戦の引き金になった。
一方、犠牲者・遺族支援団体「プロブスケダ」の代表エドゥアルド・ガルシアは、「内戦犯罪者の無処罰の撤廃こそが最大の課題」と指摘した。ES最高裁憲法法廷は昨年7月16日、93年制定の「恩赦法」を違憲と判断している。これにより、国連真実委員会が93年報告した内戦中の人道犯罪事件のうち33件に裁く道が開けた。
元FMLN幹部のロベルト・カーニャスは、「25年経っても社会的平和がない。6万人の無法者の存在、麻薬犯罪、組織犯罪で社会は疲弊している」と述べた。和平合意にある犠牲者補償などが実現していない理由については、長らくARENA政権が支配、内戦後に新自由主義政策を固めたためと指摘した。
カーニャスはまた、「内戦を戦ったゲリラと兵士の多くは今、社会から除け者扱いされているが、これを社会に迎え入れる方策を練らねばならない」と訴えた。