2017年3月23日木曜日

 チリ大統領選挙前哨戦が本格化。ピニェーラ前大統領が野党側から出馬表明、政権党連合も5人が統一候補指名を争う。▼最高裁は元諜報機関員33人に禁錮刑言い渡す

 チレでは11月19日、大統領選挙が実施されるが、野党側のセバスティアン・ピニェーラ前大統領(67)が21日出馬を正式に表明したことで、前哨戦が本格的に始まった。

 資産25億ドルという富豪ピニェーラは、ピノチェー軍事独裁政権(1973~90)の流れを汲む保守・右翼野党連合の候補として2005年に最初の出馬を試みたが、中道・左翼政党連合のミチェル・バチェレーに敗れた。

 バチェレーの第一期政権末期の09年、2度目の出馬でエドゥアルド・フレイ元大統領を破って当選、10~14年、政権に就いた。現在2期目にあるバチェレー政権は支持率が低迷、野党に政権交代の可能性が出ている。

 野党側は7月2日、予備選で統一候補を決めるが、ピニェーラは逸早く立候補を表明した。その演説で、バチェレー政権が為した無料教育、奨学金制度などを導入した教育改革、労働、保健制度改革を「悪政」と扱き下ろした。会場では、極右勢力が「チレ万歳、ピノチェー万歳」のう歌を合唱した。

 ピニェーラは、90年に自財閥傘下の企業が脱税を指摘され、07年にはインサイダー取引でLAN航空株を買った罰金70万ドルを支払った。このように過去に財界人として問題があった。

 政権党連合「新多数派」は、最大勢力のキリスト教民主党(DC)がカロリーナ・ゴイク党首、もう一つの大勢力である社会党(PS)がリカルド・ラゴス元大統領、JMインスルサ前OEA(米州諸国機構)事務総長、フェルナンド・アトゥリア議員、急進党(PD)がジャーナリストのアレハンドロ・ギジエルと、それぞれ名乗りを挙げている。

 社会党は1990年3月の民政復活後、ラゴス、バチェレー(2期)の両大統領を出してきた。一方、DCは同じく、故パトゥリシオ・エイルウィン、フレイの両大統領を出した。

 故アウグスト・ピノチェー陸軍司令官が率いた軍部による流血のクーデターで1973年9月11日倒された人民連合社会主義政権の故サルバドール・アジェンデ大統領(社会党)の娘である上院議員イサベル・アジェンデ現党首は出馬を予定していたが昨年10月辞退、ラゴスら党員を支援する側に回った。ところが、3候補ともパッとしない。

 そこで輝きだしたのは、急進党のギジエルだ。現時点での支持率調査で、ピニェーラの25%に次ぎ、15%で2位に着けている。ギリエルは早速、ピニェーラの立候補演説を批判。「何ら新しい政策が見られない。現政権が遂行した教育、保健、税制改革を覆すことなどできまい」と、福祉政策削減を図りたいピニェーラの新自由主義路線を攻撃した。

 ゴイクDC党首は、「ピニェーラは現政権を非難するのではなく、自陣営内の極右勢力を気にかけるべきだ」と指摘。ラゴスも「ピニェーラは政府が保障すべき人民の自由にも、年金基金問題にも触れていない」と批判した。社会党は4月中に候補者を一本化する方針。

 一方、チレ最高裁は22日、ピノチェー軍政期の諜報機関「国家情報局」(CNI)に所属していた元機関員33人に市民5人の拉致・殺害・遺体放棄の罪で禁錮刑を言い渡した。

 33人は1987年、カルロス・カレーニョ陸軍大佐誘拐事件への報復として同年、共産党の地下武闘組織「マヌエル・ロドリゲス愛国戦線」(PPMR)のフリアン・ペーニャら5人を拉致、拷問して惨殺。遺体をヘリコプターに載せ、バルパライソ沖の太平洋に投棄した。事件の詳細は、軍政下の人道犯罪専任のマリオ・カローーサ特別検察官が明かした。

 禁錮刑は、元将軍と少佐の計2人に15年、21人に10年、9人に5年、1人に3年。国家が支払う5人の遺族への賠償金は計3億8000万智ペソ(約57万5000ドル)。

 チレでは、軍政終焉後27年経つ今も、時効のない軍政期の人道犯罪追及が続いている。軍政期には3200以上が殺され、数多くの市民が拷問された。多数が国外に亡命した。だが依然、ピノチェーを讃える極右勢力が健在だ。