▼▽▼1962年半ばから月末にかけて、キューバ核ミサイル危機が起きた。その50周年に当たり、米国で10月13日、機密指定を前日解除された関連文書2000ページが公開された。最も興味深いのは、ジョン・ケネディ大統領がフィデル・カストロ首相に宛てた書簡だ。
▼米軍のU2偵察機は62年10月14日、キューバにソ連製ミサイルが配備されつつあるのを発見した。ケネディは17日付でカストロに、「ソ連はミサイルを配備したことにより、キューバに深刻な問題をもたらした。配備され続ければ米国は、キューバの将来にとって死活的に重要な手段を講じることになる」と警告する書簡案文を用意した。
▼それには、「ソ連人が出ていきミサイルが撤去されれば、米玖関係は改善される」との<人参>も含まれていた。
▼だが大統領補佐官らは、書簡内容は、米軍がキューバを空爆で急襲する選択肢を失わせるとして、書簡内容に反対した。
▼そこでケネディは、ソ連にミサイル撤去の決断をする時間を与えつつ、キューバ空爆を避けるため、外交解決の選択肢を策定するよう国務省に命じた。
▼国務省は25日、ブラジルのジョアン・ゴラール大統領の仲介で、対玖関係改善策を含む書簡をカストロに渡すことを決めた。「カストロ体制打倒」と「ソ連人・ミサイルを追放した場合は打倒しない」という選択肢が、書簡に盛り込まれた。だが「打倒しない」という約束を米国が守るか守らないかは別のこと、というニュアンス(意味合い)だった。
▼ブラジル政権の特使は29日ハバナに到着した。ところがソ連のニキータ・フルシチョフ首相は28日、「米国はキューバを軍事侵略しない」という公約と、「トルコからの米ミサイルを撤去する」という密約と引き換えに、キューバからミサイルを撤去する決定を米側に既に伝えていた。
▼ミサイル危機当時のケネディのキューバ「接近策」については、04年に部分的に公開されていた。細部は今回初めて明らかにされた。