▼▼▼キューバ革命戦争のさなか、中部のエスカンブライ山脈に立てこもり、「エスカンブライ第2戦線」を構築して司令官となったエロイ・グティエレス=メノヨは、革命勝利後、フィデル・カストロと対立して袂を分かち1961年、米国に亡命した。
▼マイアミを拠点にCIAと組んでキューバにテロ攻撃を仕掛け、65年、コマンドを率いてキューバ島に上陸した。だが制圧され、反逆罪で禁錮30年の実刑に処せられた。86年、当時のスペイン首相フェリーペ・ゴンサレスの仲介で釈放された。
▼マイアミに住み、以前と打って変わって対玖和解運動を展開した。このため同地の亡命社会から「洗脳された」と非難され、白眼視された。
▼2003年、訪玖旅行中に米国旅券を破棄し、クーバ永住を申請、許可された。「内側から変革運動を続ける」というのが言い分だった。
★このグティエレス=メノヨが10月26日、ハバナ市内の病院で動脈瘤の持病により死去した。77歳だった。
▼ハバナのコロン墓地で28日、遺灰が埋葬された。遺灰の一部は、エスカンブライ山脈に散布された。
▼葬儀には反体制派の面々が参列した。プエルト・リーコ在住の長女パトゥリシアは、葬儀に駆け付け、「父ほどこの島を愛した者はいない」と語った。
▼キューバは25日、サンティアゴ市をはじめ東部一帯がウラカン(ハリケーン=台風)に見舞われ、甚大な被害が出た。国を挙げて復旧活動に取り組んでいる。また28日は、革命の英雄カミーロ・シエンフエゴスの行方不明死53周年の記念行事が挙行された。グティエレス=メノヨの死は陰に隠れてしまっている。