「完訳 マルコムX自伝」(上下2巻、濱本武雄訳、2002年、中央公論新社)を読み終えた。マルコムX(1925~65)が語り、作家アレックス・ヘイリー(1921~92)が執筆し、マルコムXが暗殺された65年に出版されたものである。ある本を書くための参考資料として完訳本を読んだのだが、率直な感想は、原語で遅くとも70年代に読んでおくべきだった、ということだ。
というのも、私は1981~84年、南アフリカのヨハネスブルクに駐在し、制度化された極悪の人種差別体制、アパルトヘイト(人種隔離)体制の下で取材し、暮らしたからだ。それは、異邦人としての「無関心・無関係」を許さない、非人道的な抑圧制度だった。制度維持に、日本政府や日本企業も加担していた。日本人は、不名誉きわまりない〈名誉白人〉として処遇されていた。この待遇を受け入れることで、やはり加担していた。もし私がこの本を読んで南アに赴任していたとすれば、取材・報道の角度や深度が変わっていたのは疑いない。あらためて不勉強を恥じた。
下巻の巻末のヘイリーによるエピローグは、マルコムX暗殺の模様を克明に伝えている。彼は、過激な言葉を連ねる黒人自立主義で身を立て、汎アフリカ人主義、汎アフリカ系主義、全人種融和主義の方向に移行して間もなく、凶弾に倒れた。本書は、彼が離反するのを余儀なくされた黒人自立主義組織から嫉妬され狙われ殺された可能性が強いことを示唆している。暗殺者が誰であろうと、その背後には間違いなく、黒人を差別する白人至上主義の米国社会があった。マルコムXは、常にこの本質を突いたため、過激な発言を繰り返すだけで行動しない黒人過激派結社や、白人右翼から敵視されていた。
ボクシングのヘヴィー級チャンピオンだったカシアス・クレイ=モハメド・アリとマルコムXとの交友の記述も興味深い。クレイは組織に残り、マルコムXは去った。私は1972年に、羽田からホノルルに向かう機内でモハメド・アリを見かけ観察したことがある。本書に記されたような彼の人間性を、かすかに垣間見ることが出来たように思う。
マルコムXは黒豹のように躍動し、陳腐な黒白融和主義を引き裂いた。「ブラックパンサー」は、その流れを汲む。強烈な読後感が残った。細々とは書くまい。読んでいない人々には、一読することをお勧めしたい。【20120816 横浜に向かっているオーシャドゥリーム号にて伊高浩昭】