☆☆☆チリの左翼誌「プント・フィナル」(PF、「終止符」などを意味)が9月15日、創刊47周年を迎えた。故マリオ・ディアス=バリエントス初代編集長の下で1965年のこの日、創刊号が出た。
★73年9月11日の軍事クーデターの日、首謀者の陸軍司令官アウグスト・ピノチェーは、PF誌の関係者全員を逮捕するよう命じた。クーデター直前に発行された第192号は、軍部の横暴を厳しく非難していた。軍部はPF編集部を荒らし、放火した。殺されたり拷問されたり投獄されたりした同誌の編集者や執筆者は少なくない。
☆ディアスは亡命先のメキシコ市で81年、国際版(PFI)を発行した。ディアスは84年に死去したが、PFIは86年まで続いた。民政移管前年の89年、サンティアゴでPFは復刊した。
★67年1月前半号(第19号、初期には月間だった)は、当時ボリビアでゲリラ戦の準備に入っていたチェ・ゲバラの書簡をトップで掲載した。チェはそのなかで、モンカダ兵営襲撃蜂起から革命にかけての経緯を語り、フィデル・カストロの指導力を讃えている。25ヶ月間の革命戦争では「2万人が死んだ」と記している。
☆チェは67年10月処刑された。ボリビアでの野戦日記が残されていた。当時の謎めいたボリビア内相アントニオ・アルゲダスは68年初め、部下を使って日記の写しを密かにサンティアゴに運び、PF誌に渡した。ディアス編集長が、それをキューバに運び、カストロに渡した。日記は内容が厳しく点検され、同年半ばキューバで刊行された。
★PFは今月14日に第766号が出た。フレイ・ベット、エドゥアルド・ガレアーノら、ラ米の知識人が執筆者名簿に名を連ねている。「事実を正確に詳しく伝え、読者に判断してもらう」という、創刊時からの編集方針を守っている。
【私は、アジェンデ政権時代、チリに出張するたびにPFを読み、取材の参考にしていた。】