パナマは12月20日、米軍侵攻27周年記念日を迎えた。「1989年12月20日犠牲者家族・友人協会」(AFAC)をはじめ関係団体、人権団体などが、一部犠牲者の墓のある「平和墓苑」、最大の犠牲者が出たエル・ショリージョ地区など米軍侵攻の縁の地で追悼式典や「悲しみの行進」を実施した。
AFACのトゥリニダー・アジョーラ会長(60)は、「遺族が黙らないのは、肉親たちがどのようにして殺され、遺体がどこにあるのかがわからないからだ」と語った。米軍侵攻で殺されたパナマ人は2000~8000人と推計に幅があり、定かでない。破壊されひら地にされてしまったエル・チョリージョ地区は、被爆地になぞらえて「ヒロシマ」と呼ばれている。
遺族らは12月20日を「国喪の日」に制定するよう政府に働きかけてきたが、政府は依然、承諾していない。フアン=カルロス・バレーラ大統領の政府はこの日、「平和墓苑」で式典を催した。
バレーラ政権下で今年7月設立された「1989年12月委員会」のフアン・プラネルス委員長(AMラ・アンティグア・カトリック大学長)は20日、米政府が約束通り、侵攻関係文書などを我々に提供するよう求め、約束が実施されるか否かを監視する、と述べた。また、侵攻時に米軍が持ち去ったパナマ公的機関の文書類を返還するよう要求した。
米国のジョン・フーリー駐巴大使は今年2月、赴任に際して、米政府は事件を見直す用意があると述べ、資料提供などに触れていた。同大使は委員会に対し、トランプ次期政権が外交上の正式な約束をほごにすることはありえない、と伝えたという。
米州諸国機構(OEA)の米州人権委員会(CIDH)は今月9日ワシントンで、侵攻事件被害者から証言を聴取した。パナマでは、被害者賠償などに道が開かれる兆しとも受け止められている。
ジョージ・ブッシュ(父親)政権は、海兵隊など4軍部隊2万6000人を投入してパナマを急襲。破壊、殺戮、機密文書奪取などを恣(ほしいまま)にした。90年1月初め、パナマ最高指導者だったマヌエル・ノリエガ国防軍司令官をマイアミに強制連行し、麻薬取引関与罪で禁錮20年の実刑に処した。これも主権と国際法を完全に無視した暴挙だった。
ブッシュがなぜ残忍なパナマ侵略を決行したかには、さまざまな見方がある。第一は、1999年末のパナマ運河返還まで10年の時点で、必要とあらば米国はいつでも運河管理権を握ることができる、ことを内外に示すという狙いだ。
米政府が鳴り物入りで「米国とパナマ民主の敵」に仕立てたノリエガを打倒し連行する狙いもあったが、連行のために大軍を投入し残虐行為に出る必要はなかったはずだ。
CIA元要員筋情報では、息子ブッシュがパナマで放蕩していた証拠写真などを探し破壊する目的もあったという。父親は息子を、いずれ米大統領に仕立て上げたかったかららしい。来るべき戦争に備え、新型兵器を試し、旧兵器類を消費し、奇襲作戦の演習をする意味もあった。90年の湾岸戦争では、パナマで実験されたステルス爆撃が投入された。
上記委員会は、死者数、米軍侵攻の理由などを調査、バレーラ政権の任期末までに報告を出す。
侵攻事件に関して書籍が刊行されてきた。社会学者オルメド・ベル―チェの『侵攻の真実』、クラウディオ・カストロ『パナマ侵攻』、詩人ホセ・ブランコ『死の蛍』、元パナマ駐在クーバ大使ラサロ・モラ『パナマ1989ね12月 我々に忘れる権利はない』、FJスクリアレフスキ『始まった侵攻』、フアン・モルガン『無益な傷跡』、ペドロ・プラード『夢の反対側』などがある。