2015年7月28日火曜日

鶴見俊輔先生の思い出

 哲学者、評論家の鶴見俊輔先生が京都市で7月20日、肺炎で亡くなった。93歳だった。私の<学外恩師>だった。

 鶴見さんは1972年9月から73年6月まで10ヶ月間、メヒコ市に滞在し、大学院大学コレヒオデメヒコで教鞭をとった。私は、同コレヒオ前任の石田雄(いしだ・たけし)先生の紹介で、鶴見さんに会った。

 私は10ヶ月間、私のラ米出張取材時を除き、メヒコ市でみっちり教えをこうむった。メヒコ市内、郊外を共に取材がてら散策し、一度は遠方のソノラ州内のヤキ民族居住地まで訪れた。

 鶴見さんが50歳、私が29歳の時だった。私が東京に戻ってからも、80年代後半ブラジルに駐在していた時も、『思想の科学』誌への記事執筆や伝記執筆の機会を与えていただいた。京都の家に泊めていただき、寺を案内していただいたこともある。

 思い出は数知れないが、一つだけ紹介すれば、「漫画は命がけで読むんですよ」と言われた言葉も印象深い。漫画の研究者でもあった鶴見さんから、さまざまな漫画、劇画を貸していただき読んだものだ。

 敗戦後70年の日本史の最大・最悪の曲がり角で、鶴見さんは亡くなった。しかし数知れない鶴見門下生が恩師の思想を受け継いでゆく。