映画「フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように」(2015、小谷忠典監督、90分)を試写会で観た。8月、東京・青山のイメージフォーラム館で公開される。
石内の前作「ひろしま」と同じように、被写体の衣類選び、写真撮影、完成、展示会という流れで構成されている。前作では、被爆死した娘が、かすりにもんぺという戦時服の下に若い女性らしい、あでやかな、おそらくなけなしの下着を着けていた、という石内の「発見」に心を打たれた。
今回は、フリーダ(1907~54)の死後半世紀経ってから他人の目に晒された故人の衣装、下着、コルセット、靴などが被写体。これらの遺品にはフリーダ特有の鬼気迫る魂が宿っている。石内は、それを宿したまま見事に撮影した。2012年の仕事だ。
女性写真家でなければできない仕事だ。感性、着眼点、共感などで、男は到底及ばない。
写真の撮影舞台はメヒコ市コヨアカン地区にある「青の家」だが、映画は合間に、テオティウアカン遺跡、テウアンテペック地峡(イスモ)にかかるオアハーカ州フチタン、メヒコ市憲法広場(ソカロ)、死者の日の情景などを挟みこんで、メヒコを出している。
最後の場面は、2013年パリで開かれた前年撮影の石内フリーダ遺品写真展で終わる。ここで私は残念な思いを禁じ得ない。なぜ最後の場面はパリでなく、フリーダの故国メヒコの、国立劇場大サロンなどでの写真展にしなかったのか。
石内のことだから、メヒコに、メヒコの歴史と文化に敬意を表し、仕事の成果を還元したと思う。ならば、映画の最後の場面はメヒコにすべきだった。なぜパリが出てこなくてはならないのか、意図がわからない。
伏線があることはある。メヒコ市ソカロで石内は、パリ在住の親しい友人が自殺したことを知り、泣きながら通話する。この場面には違和感を禁じえなかった。ここだけメロドラマのようになってしまっている。
メヒコ市で、コヨアカン地区で、オアハーカ州で、石内のフリーダ遺品写真展が開かれたというニュースを知りたい。
コヨアカンには、青の家のすぐ近くに、トロツキーがスターリンの刺客からピッケルで脳天を割られた「トロツキーの家」がある。フリーダは夫ディエゴ・リベーラの浮気への腹いせもあってトロツキーと結ばれ、彫刻家イサム・ノグチとも愛を交わした。映画には、少なくとも「トロツキーの家」を登場させるべきではなかったか。
コヨアカン界隈は私の駆け出し時代の「青春の地」だ。だから、ついつい思い入れが出てしまう。この映画が観るに値する作品であるのは疑いない。