2015年7月21日火曜日

キューバ米国史の円環が閉じ、新たに開く

 7月20日の玖米国交正式再開に感慨を覚えざるを得ない。クーバ革命戦争は私が中学1年生だった年の12月に始まった。3年生の元日に革命は勝利し、高校2年生の正月、米国がクーバとの断交に踏み切った。

 次いで3年生になったばかりのころ、米傭兵部隊によるヒロン浜侵攻事件が起きた。この事件の延長線上でクーバ核ミサイル危機が起きたのは、私が大学1年生の秋だった。

 私はジャーナリズムコースにいたため、「英字新聞講読」という授業の一環として、連日ジャパンタイムズを読みながらミサイル危機の推移を追っていた。これが私のクーバ情勢の「取材」の始まりとなった。

 私は1967年メヒコ市を拠点にラ米全域カバーのジャーナリズム活動に入った。その年10月同市で、チェ・ゲバラのボリビアでの死の報に接した。私のチェ取材は、その時始まった。

 ミサイル危機から53年、メヒコ滞在開始から48年、今、玖米両国は国交を再び開いた。私の脳裏で、一つの歴史の円環が閉じた。

 だが、ブルーノ・ロドリゲス玖外相は20日、ワシントンの大使館開館式での演説で、「両国間に正常な関係はかつて一度もなかった」と、いみじくも指摘した。常に米側による内政干渉の歴史だったからだ。

 この7月20日、私の中で、新しい円環の最初の小さな弧が形取られた。おそらく多くのクーバ人の中でもそうだろう。

 2015・7・21 東京 伊高浩昭