ボリビア人作家エドゥムンド・パス=ソルダン(1967年生まれ)が2003年に世に出した『チューリングの妄想』を半年前に読んだとき、あの近代と現代が相剋し合っているボリビアで、こんな電脳(コンピューター)世界の小説が出たとは! と新鮮な感想を得た。
私は、この作風と小説内容に「レアリズモ・ビルトゥアル」(ヴァーチュアル・リアリズム)と名付けた。
舞台は、アンデス前衛山脈の幾重にも連なる山並みと、その間に渓谷、盆地が拡がるバージェと呼ばれる地帯の中心地で、この作家の出身地であるコチャバンバ市を想定した架空都市「リオ・フヒティーボ」(「逃亡の川」の意味)。
「チューリング」は、第2次大戦中、ナチドイツの難解な暗号を解読し、英国攻撃の一部を防いだ功労者アラン・チューリングに因んでいる。今年3月には、東京でチューリングの実話を描いた「イミテーションゲーム」という映画が上映された。あの映画を観た人ならば、この小説に親しみを覚えるだろう。
1970年代に米国、ブラジル軍政と歩調を合わせて圧政を敷いた軍政首班ウーゴ・バンセルが、しばしば登場する。バンセルは90年代後半、選挙で政権に返り咲くが、癌により任期途中で辞任し、死んでいった。この時期の時代背景も小説に描かれている。
惜しむらくは、コチャバンバを勢力基盤とするコカ葉栽培農民組合連合会長エボ・モラレス(現大統領)が全く登場しないことだ。モラレスの政治的将来の有望性を見抜いて筋に絡ませていれば、小説の厚みが増したはずだ。
ハッカーと諜報機関が熾烈な戦いを繰り広げるが、その過程で登場人物や「犯人」の素性が暴かれていく。「魔術的現実主義」ならぬ「ヴァーチュアル現実主義」の世界が、アンデス大高原(アルティプラーノ)のボリビアの印象とかけ離れているところが、この小説の味だ。
日語訳は現代企画室から昨年7月刊行された。服部綾乃、石川隆介共訳。両訳者の巻末解説も面白い。本書の書評を新聞か雑誌に書くつもりだったが機会を失い、、このような形で遅ればせながら紹介することにした。