2014年5月14日水曜日

◎ピースボート「2014波路遙かに」第4回=パナマにて=伊高浩昭

 カサブランカから10日航海し、11日目にカラカスのラ・グアイラ港に着いた。この大西洋・カリブ海航路が3分の2過ぎたころ、北回帰線を通過して熱帯に入った。とたんに暑くなり、連日、飛び魚の群が飛び交った。船を巨大な鯨とでも見なし、驚いて逃げ飛んだのだろう。
 北回帰線から西南西に斜めに下り、マルチニク島の南を、その島影を見ながら航行し、カリブ海に入った。この航路のさらに南にはセントルシア島があるが、遠すぎて見えない。
 15ヶ月ぶりのカラカスは、私にとって、チャベス死後最初の訪問だった。「チャベスは生きている、祖国は存続する」のスローガンがあちこち描かれている。「チャベスは生きている、戦いは続く」というのもある。壁面には、前方を鋭く見つめるチャベスの両眼が描かれている。チャベスの神通力は、この社会を辛くも支えている。
 船内講座は、ラ米概観、モンロー宣言200周年、ラ米軍政、クーバ革命、チェ・ゲバーラの人生、ベネスエラ情勢上下2回をやった。船上講師には、カサブランカから、料理評論家の枝元なほみ、
ベネスエラ青年オルケスタ「エル・システマ」の8人らが加わった。カラカスからは、環境写真家の藤原幸一、米国人元経済狙撃手のジョン・パーキンズ、アンデス文明写真家の義井豊、ペルーの「砂と葦簀(よしず)」(アレナ・イ・エステーラ)の17歳の女性団員、ベネスエラ外務省の東アジア担当の女性職員4人が加わった。オルケスタの青年たちは下船した。
 カラカスでは、盆地の外輪山に上って、放火の山火事で燃えた斜面に植樹した。大いにくたびれた。その夜、植物の名前を知らずに植えたのに気づき、専門家の藤原幸一に笑われた。2日目は、パンテオン、偉人記念碑、チャベス廟を訪ねた。廟では、感慨があった。インタビューした思い出やたくさんの記事を書いたことを思い巡らせた。キャロルの本を訳したばかりだったこともある。
 夜は、「エル・システマ」トップの室内楽団の演奏を聴いた。素晴らしかった。その後、ニコラース・マドゥーロ大統領が、住宅建設計画に基づき建設されたアパルタミエントを住民に引き渡す、全国統一中継番組の放送現場を取材した。6年前に東京で会ったマドゥーロは外相だったが、今は最高指導者だ。地位が少しずつ人をつくっているのか、貫禄が増していた。
 2月上旬以来の反政府勢力による街頭行動は、下火になったが、散発的に狙撃手による殺人などが起きている。大統領は、住宅引渡しの番組のさなかに2~3度、特定されていない殺害事件の犯人に対して警告した。
 帰船してからは、カラカス首都圏担当相ビジェガス、バルガス州知事ガルシア=カルネイロらと会食した。両人と対話したが、得るところが少しはあった。知事からは、2002年クーデター時の様子を書いた著書をもらった。カラカスを離れてからは、パナマ運河史を語った。パーキンスと会食した。彼とベネスエラ外務省職員はコロンで下船した。藤原も、ガラーパゴス行き組を率いて、グアヤキルに飛び立った。
 コロンでは3年ぶりに、クナ民族のモラ制作師ワゴ・メンデスと会い、ビールを飲んだ。明日は一日かけて運河通航だ。第3閘門式水路建設工事現場を遠望できるかいなかが問題だ。2年前に通航したときには見えなかった。