2015年7月30日木曜日

メヒコ市で第21回サンパウロ・フォーラム始まる

 第21回フォロデサンパウロ(FSP、サンパウロフォーラム)が7月29日、メヒコ市で始まった。FSPは1990年、ブラジルの労働者党(PT)によって創設されてから25周年。その記念会合でもあり、8月1日まで続く。

 議題は、ラ米左翼政権および進歩主義政権の在り方、新自由主義および右翼巻き返しに対する闘争、ラ米・カリブ地域統合、移民の権利擁護、国際情勢など。

 メヒコの民主革命党(PRD)とメヒコ労働党(PTM)が開催国政党として、会合を組織した。両党はこの日、合併への話し合いに入った。PTMが6月の国会議員選挙で得票が激減し、政党登録を抹消されたためだ。

 今会合には25カ国から約100政党・政治運動が参加。モロッコ政権と戦っているサハラウイも代表団を派遣した。クーバ、エル・サルバドール、ニカラグア、ベネスエラ、ボリビア、エクアドール、ウルグアイ、ブラジル、亜国などからは政権党が参加している。

ボリビアが領土問題で法王への仲介要請をチリに提案

ボリビアのエボ・モラレス大統領は7月29日ラパスで、1978年以来国交のない隣国チレとの大使級外交関係復活の意思を表明した。併せて、両国間にあるボリビア海岸領土回復問題の解決のためローマ法王フランシスコに仲介を要請しようと提案した。

 ボリビアはチレが仕掛けた1879年の太平洋戦争に敗れ、現在チレ領となっている広大なアントファガスタ地方を奪われた。以来、内陸国に陥ったボリビアは太平洋岸領土回復を悲願としてきた。

 法王フランシスコは今月ボリビアを訪問した折、両国に「分離の壁でなく平和の橋を構築するよう」呼び掛けた。これを受けてチレ政府はボリビアに、前提条件なしの国交再開案を提示した。

 モラレスはこの提案に応えた形だが、ミチェル・バチェレー智大統領に「共にヴァティカンに行き、法王に仲介を要請しよう」と働きかけている。モラレスは法王仲介の下で「5年以内の解決」を探りたいとしている。

 チレのエラルド・ムニョス外相はモラレス発言を受けて29日、我が方の国交再開提案は無条件であり、条件付きは受け入れられない、と拒否した。

 同外相はまた、ボリビアは2013年に国際司法裁判所に「海への出口」問題で審理を要請、現在、審理中であり、これと並行して法王が仲介の労をとることはありそうもない、と述べた。

 ボリビアはハーグの国際司法裁に、海岸領土問題でボリビアとの交渉に応じるようチレに命じる判断を下すべく提訴してきた。 
 

2015年7月29日水曜日

米下院に対キューバ禁輸解除法案が提出さる

 米共和党下院議員トム・エマーら共和、民主両党議員団は7月28日、「2015対玖通商法」案を下院に提出した。エマーは、クーバへの食糧輸出に関心の強いミネソタ州選出。

 法案は、半世紀を超える対玖禁輸に終止符を打ち、米企業に通商の自由を認める内容。ただし税金を玖市場開発に使ってはならない、との条件が付いている。

 23日には米上院歳出委員会が、米国人の対玖自由渡航と関連する銀行送金を認める法案を可決している。 

ウマーラ・ペルー大統領が最後の施政報告演説

 ペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領は独立記念日の7月28日、国会で施政報告演説を75分間ぶち、過去4年間の政権下で130万人が極貧生活を抜け出した、と強調した。

 また、ペルーは国際社会で信頼される国になったと自賛し、「開かれ誠実で透明な外交」を讃えた。

 だがウマーラ大統領支持率は最新の調査では15%。人権団体は、過去4年間に社会闘争で67人が殺された、と指摘している。

 社会紛争は、鉱山開発など大規模事業での土地収用、環境破壊、大企業の専横などが原因。だが大統領は、4年間に28の大事業に計204億7300万ドルを投下したと、「前例のない」ほど巨額の投資がなされたことを礼賛した。

 来年2016年の7月28日には、新大統領が施政方針演説をする。

ベネズエラ大統領が領土問題で国連総長と会談

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は7月28日、国連本部でバン・ギムン事務総長と会談し、ガイアナ西部のエセキーボ地方および、その沖の領海の領有権問題をめぐるベネスエラの立場を伝えた。総長は、留意すると応えた。

 この日は故ウーゴ・チャベス前大統領の生誕61周年で、カラカス市内にある霊廟などで記念行事が催された。チェベスとフィデル・カストロ前クーバ議長は、欧米テレビメディアに対抗するため、05年7月24日、ラ米多国籍テレビ放送テレスールを発足させた。

 今月10周年となり、27日、玖ジャーナリスト協会(UPEC、アニトニオ・モルトー会長)は、カラカスのテレスール本社(パトリシア・ビジェガス社長)で、同社に「尊厳賞」(04年創設)を贈呈した。

 今日テレスールは、ラ米で力を持つ欧米テレビ西語放送に対抗し、ラ米の立場からニュースを伝える最も重要なテレビメディアに成長している。 

2015年7月28日火曜日

鶴見俊輔先生の思い出

 哲学者、評論家の鶴見俊輔先生が京都市で7月20日、肺炎で亡くなった。93歳だった。私の<学外恩師>だった。

 鶴見さんは1972年9月から73年6月まで10ヶ月間、メヒコ市に滞在し、大学院大学コレヒオデメヒコで教鞭をとった。私は、同コレヒオ前任の石田雄(いしだ・たけし)先生の紹介で、鶴見さんに会った。

 私は10ヶ月間、私のラ米出張取材時を除き、メヒコ市でみっちり教えをこうむった。メヒコ市内、郊外を共に取材がてら散策し、一度は遠方のソノラ州内のヤキ民族居住地まで訪れた。

 鶴見さんが50歳、私が29歳の時だった。私が東京に戻ってからも、80年代後半ブラジルに駐在していた時も、『思想の科学』誌への記事執筆や伝記執筆の機会を与えていただいた。京都の家に泊めていただき、寺を案内していただいたこともある。

 思い出は数知れないが、一つだけ紹介すれば、「漫画は命がけで読むんですよ」と言われた言葉も印象深い。漫画の研究者でもあった鶴見さんから、さまざまな漫画、劇画を貸していただき読んだものだ。

 敗戦後70年の日本史の最大・最悪の曲がり角で、鶴見さんは亡くなった。しかし数知れない鶴見門下生が恩師の思想を受け継いでゆく。

メキシコの学生43人強制失踪事件から10カ月経過

 メヒコ・ゲレロ州イグアラ市で教員養成学校生43人が強制失踪させられた事件発生から7月26日で10カ月経った。遺族、学生、人権団体、一般市民ら2000人はこの日、メヒコ市中心街で抗議デモを展開した。

 遺族らは、エンリケ・ペーニャ=ニエト大統領に「43人を生きて返せ。さもなければ辞任せよ」と迫っている。だが既に10カ月が過ぎ、犯罪の真の責任者が明確にされず無処罰のまま、事件は迷宮入りの様相が濃くなっている。

 失踪にはイグアラ市長、市警、麻薬マフィアの殺し屋などの関与が明らかになっているが、州政府や陸軍イグアラ駐屯部隊も関与したとの見方もある。だから真相を暴けない、と観るのだ。陸軍は大統領の指揮下にある。

 遺族と支援団体はこの日、月末から8月半ばにかけて北部と南部に分かれ、自動車を連ね真相究明のための運動を繰り広げることを決めた。

 一方、AP通信がメヒコ検察庁から入手した情報によると、昨年10月から今年5月までにイグアラ市一帯でフォサ(秘密墓)60カ所が発見され、計129遺体が収容された。これらの遺体は、失踪生のものではないという。

2015年7月27日月曜日

キューバでモンカーダ兵営襲撃62周年式典を挙行

 キューバ革命の原点となった1953年7月26日の陸軍モンカーダ兵営襲撃から62年経った26日、サンティアゴ市内の同兵営跡で記念式典が挙行された。この日は「民族反逆の日」と呼ばれる。

 式典には、襲撃に参加したラウール・カストロ共産党第1書記兼国家評議会議長、ラミーロ・バルデス革命司令官ら生存者、JRマチャード党第2書記、ミゲル・ディアスカネル第1副議長らカストロ体制最高幹部らと、1万人の招待者が出席した。

 現在は小中学校の校舎や博物館になっている旧兵営建物の正面には、革命戦争中に手を振りかざすフィデル・カストロ反乱軍最高司令(前議長)の肖像、その両側にクーバ国旗と、フィデルが率いた革命組織「7月26日運動」の赤黒2色旗が掲げられた。

 マチャード第2書記が記念演説し、「昨年12月17日に始まった対米関係正常化の第一段階は、今月20日の大使館開設で終わった」と指摘した。

 続いて、「経済封鎖解除、グアンタナモ米海軍基地返還を含む正常化の諸課題を解決するための長く複雑な過程が今始まった」と述べた。

 前日25日は、サンティアゴ建都500周年に当たり、市内でカルナバルの行進が繰り拡げられた。 

 一方、米政府は27日、クーバを「人身売買取締が不十分な国」指定から」外した。米国は03年から、一方的にそう指定していた。

2015年7月26日日曜日

コロンビア政府がFARCへの爆撃を停止

 コロンビアのJMサントス大統領は7月25日、コロンビア革命軍(FARC)の拠点に対する爆撃を停止する、と言明した。

 FARCが20日、一方的停戦に新たに踏み切ったのに応えた形になる。

 双方は2012年11月からハバナで和平交渉を続けている。

ブラジル左翼は迫害されている、とルーラ前大統領語る

 ブラジルのルーラ前大統領は7月24日、サンパウロ市内での会合で、ブラジル左翼は迫害されており、私は迫害に疲れた、と述べた。

 ルーラは、そのような迫害はナチがユダヤ人を、ローマ人がキリスト教徒を、それぞれ罪人化した史実を想起させる、とも語った。

 前大統領は、国営石油会社ペトロブラスをめぐる大規模な贈収賄事件との関連で、検察庁から事情聴取されている。

キューバのサンティアゴ市が建都500年迎える

 キューバ東部の中心地サンティアゴ市は7月25日、建都500周年を迎えた。1515年、スペイン人ディエゴ・ベラスケスがこの地に街を開き、やがてサンティアゴはスペイン領クーバの最初の首都になった。

 サンティアゴから、その東のグアンタナモ市などにかけてはアフリカ系市民が多く、サンティアゴは「玖アフリカ系の首都」でもある。市内には、アフリカから伝えられた伝統宗教サンテリーアを観光客に見せる施設がある。

 植民地時代からクーバ革命にかけてサンティアゴはしばしば権力に対する抵抗の地となり、「英雄的な都」と呼ばれる。1953年7月26日には、フィデル・カストロら武装青年集団が市内にある陸軍モンカーダ兵営を襲撃し、革命の狼煙を上げた。

 この決起は失敗したが、5年5ヶ月後、革命は勝利する。きょう26日には、モンカーダ兵営襲撃62周年記念式典がサンティアゴで催される。

 カストロは1959年元日、首都ハバナで米国の後ろ盾を得た軍部による「新政権」擁立によって革命勝利が奪われるのを阻止するため、急遽サンティアゴを臨時首都とし、革命政権の初代大統領を指名した。

 現在サンティアゴ市は面積6000km2、人口100万人強。郊外には、クーバの守護聖母コブレを祀る聖堂がある。

 サンティアゴの地名は、スペイン、チレ、亜国、ドミニカ共和国など、スペイン語諸国に多い。このため区別する必要上、「サンティアゴ・デ・クーバ」(クーバのサンティアゴ)が正式名称。

2015年7月24日金曜日

米上院委が米国人のキューバ自由渡航解禁法案を可決

 米上院歳出委員会は7月23日、米国人のクーバ自由渡航、それに伴う銀行送金などの禁止を解除する法案を賛成18、反対12で可決した。20日の国交再開後最初の画期的な進展だ。

 法案には、クーバの港に寄港した船舶は、その後半年間、米国に入港できないとする現行法を無効にする条項も含まれている。

 この日の同委員会には民主党14人、共和党16人が出席したが、共和党議員4人が賛成に回った。共和党のジェフ・フレイク、民主党のパトリック・レーヒーの両議員が中心となって法案可決を推進した。

 一方、バラク・オバーマ大統領は23日ホワイトハウスで、NSC顧問、米州担当国務次官補、駐玖臨時代理大使らおよび、玖系実業家ら各界代表70人を招いて、対玖関係の現状評価と、当面の展望について話し合った。

 議題には、現行の経済封鎖の下でなしうることはなにか、が含まれている。

 クーバでは23日、フィデル・カストロ前国家評議会議長(88)が、テレスール放送開始10周年を祝うメンサヘを同社に送った。

 テレスールは2005年7月24日、当時のウーゴ・チャベス大統領の肝煎りで、カラカスに本社を置くラ米諸国の国際テレビ放送として発足した。強大な米国のテレビ放送に対抗し、ラ米の視座で取材し発信するニュース報道をモットーとしている。

 テレスールは8月、広島・長崎原爆投下70周年と、東電福島原発大事故の起きた現場周辺の取材を予定している。

2015年7月23日木曜日

チリ当局がビクトル・ハラ殺害で元軍人11人を起訴

 チリ司法当局は7月22日、ビクトル・ハラを拉致し殺害した容疑で元軍人11人を起訴することを決めた。「新しい歌」の旗頭で著名なカンタウトール(シンガー・ソングライター)だったハラは、軍事クーデター直後の1973年9月16日、サンティアゴ市内で拷問された後、体に銃弾44発を浴びせられて殺害された。

 2度とギターを弾けないようにと、ハラの両手と指は銃尾で叩かれ、砕かれた。主犯格の元軍人は米国に逃亡中で、11人には含まれていない。

 一方、1986年7月22日にサンティアゴ市内で写真家ら2人がガソリンをかけられ火をつけられた「焼き殺し事件」の容疑者として元陸軍士官・下士官計7人が起訴されることも決まった。

 在米チレ人写真家ロドリゴ・ロハス(当時19)はピノチェー軍政下での民主化要求デモなどを取材するため滞在していた。女友だちで大学生だったカルメン・キンターナ(同18)と共に生きたまま焼かれ、プダウエル空港に近い道路の溝に放置された。

 2人は助けを求め病院に収容されたが、ロハスは翌日死亡した。キンターナは重度のやけどを負いながら一命を取り留め社会復帰し、事件の証人になった。

 司法当局は、事件の現場にいた兵役新兵の証言により、起訴にこぎつけた。軍部は長らく、「2人は事故で火傷を負った。軍は助けなかっただけだ」と関与を否定していた。新兵は「沈黙の掟」を破って証言していた。  

米政府が近くグアンタナモ基地収容所閉鎖法案提出へ

 米政府は7月22日、クーバ東部のグアンタナモ米海軍基地内にある囚人収容所を閉鎖するための法案を議会に提出する準備過程の最終段階にある、と明らかにした。

 広報官は、これはバラク・オバーマ大統領の優先政策であり、大統領は閉鎖が米国の安全保障上の利益に適うと考えている、と述べた。

 収容所はブッシュ前政権が設置、一時は強制連行されてきた囚人約800人がいた。激しい拷問など非人道的措置が暴露され、国際問題になっていた。

 現在は116人で、その一部は亡命受け入れ国があれば解放される立場にあるが、引き取り国がなかなか現れない。

 議会では収容所閉鎖に反対する野党共和党が多数派であるため、法案が提出されても審議の難航が予想される。

 グアンタナモ基地は、米軍がクーバ独立戦争に介入した1898年に米海軍が占領したグアンタナモ湾の中央部にあり、1903年に米政府は強引に恒久的租借権を得た。

 ラウール・カストロ政権は、今後の対米交渉過程で基地返還を求めていく構えだ。

2015年7月22日水曜日

伊高浩昭著『チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア』刊行

◎伊高浩昭著『チェ・ゲバラ  旅、キューバ革命、ボリビア』(中公新書)刊行のお知らせ

▼7月24日から書店で販売開始、消費税込950円。

★目次
第1章 目覚めへの旅
第2章 運命の出会い
第3章 キューバ革命戦争
第4章 革命政権の試行錯誤
第5章 ヒロン浜の勝利
第6章 ミサイル危機と経済停滞
第7章 「出キューバ」へ
第8章 コンゴ遠征
第9章 ボリビア

▼南米、キューバ、ボリビアの地図、関連年表、参考文献一覧、および写真8枚掲載。

米・ラ米世論ともに対キューバ経済封鎖解除を支持

 玖米両国は7月20日、54年半ぶりに国交を再開させたが、ワシントンに本部を置く米調査機関PEWは21日、ラ米主要諸国の米玖正常化に関する調査結果を公表した。

 それによると、正常化支持は米国の73%に対し、智国79%、亜国78%、VEN77%、伯国67%、墨国54%だった。米議会が経済封鎖を解除する可能性は、米国72、亜79、智77、VEN76、伯71、墨55だった。

 「クーバ民主化」が数年内に進展する可能性については、VEN57、智54、亜47、伯46、墨39。クーバに対する好感は、智49、VEN42、亜38、伯30、墨19だった。

 また、ラウール・カストロ玖国家評議会議長(84)への信頼度は、VEN73、伯70、墨62、智61、亜53だった。

 一方、NYT紙は21日の論説で、米議会に対しクーバへの経済封鎖を解除するよう呼び掛けた。さらに、クーバの内政問題はクーバ人が話し合って解決すべきだ、と主張した。
 

2015年7月21日火曜日

NGOピ-スボートが米・キューバ国交再開で勉強会

 NGOピースボート(PB)は7月21日、東京・高田馬場の本部で、国際情勢勉強会を開き、昨日再開されたクーバと米国の国交をテーマに話し合った。講師は伊高浩昭が務めた。この主題でなされた最も早い会合の中のひとつになったはずだ。

 PBは年3回、世界一周航海、年2回、近海短期航海を、旅行代理店ジャパン・グレイス(JG)と組み、豪華客船オーシャンドゥリーム号を使って実施している。昨年12月17日、両国間で発表された国交正常化合意以後、PBは世界一周の過程で初めてニューヨークからバハマを経てクーバに寄港する大西洋・カリブ航路を企画した。

 かつて「幻の航路」、「夢の航路」などと形容されていた米玖を繋ぐ航路が可能になったのだ。来年半ば以降の第92回航海で実現する見通しだが、実現すれば、現代世界周遊旅客船航海史上、画期的なことになる。

 勉強会には、8月下旬に横浜を出航する第88回世界一周船に乗る要員を含むPB、JG職員ら約60人が参加した。極めて活発、かつ多角的な質疑応答がなされた。
 

キューバ米国史の円環が閉じ、新たに開く

 7月20日の玖米国交正式再開に感慨を覚えざるを得ない。クーバ革命戦争は私が中学1年生だった年の12月に始まった。3年生の元日に革命は勝利し、高校2年生の正月、米国がクーバとの断交に踏み切った。

 次いで3年生になったばかりのころ、米傭兵部隊によるヒロン浜侵攻事件が起きた。この事件の延長線上でクーバ核ミサイル危機が起きたのは、私が大学1年生の秋だった。

 私はジャーナリズムコースにいたため、「英字新聞講読」という授業の一環として、連日ジャパンタイムズを読みながらミサイル危機の推移を追っていた。これが私のクーバ情勢の「取材」の始まりとなった。

 私は1967年メヒコ市を拠点にラ米全域カバーのジャーナリズム活動に入った。その年10月同市で、チェ・ゲバラのボリビアでの死の報に接した。私のチェ取材は、その時始まった。

 ミサイル危機から53年、メヒコ滞在開始から48年、今、玖米両国は国交を再び開いた。私の脳裏で、一つの歴史の円環が閉じた。

 だが、ブルーノ・ロドリゲス玖外相は20日、ワシントンの大使館開館式での演説で、「両国間に正常な関係はかつて一度もなかった」と、いみじくも指摘した。常に米側による内政干渉の歴史だったからだ。

 この7月20日、私の中で、新しい円環の最初の小さな弧が形取られた。おそらく多くのクーバ人の中でもそうだろう。

 2015・7・21 東京 伊高浩昭

ケリー国務長官が8月14日キューバ訪問へ

 玖米両国が54年半ぶりに国交を再開した7月20日、ワシントンの国務省でジョン・ケリー長官とブルーノ・ロドリゲス外相が会談した。ケリーは会談後、8月14日にハバナの米大使館の開館式を主催するため訪玖すると明らかにした。

 ロドリゲス外相は玖大使館前の国旗掲揚式を主催、国旗は国歌が歌われる中、礼装した革命軍兵士3人によって掲げられた。1961年1月の断交時に掲げられていたのと同じ旗という。

 外相は、ロベルタ・ジェイコブソン米州担当国務次官補ら500人を招いた開館祝賀会で演説、「クーバ政府は敬意、対等、主権護持の立場で国交正常化を進めていく意志を持つ。経済封鎖解除、米軍占領下にあるグアンタナモ基地返還、主権尊重、不法宣伝放送打ち切り、人的・経済的被害への賠償など本質的問題を解決すべき長く複雑な過程が待っている」と指摘した。

 外相はまた、革命の歴史的指導者フィデル・カストロ(前議長)の智慧を強調するとともに、世界の諸国から示されてきた連帯に感謝し、この日に至るまでの玖人民の抵抗を讃えた。

 一方、ケリー長官は記者会見で、「完全正常化までには障害や苛立ちのある長く複雑な過程があるだろうが、善隣関係を築くことができるだろう。本日、過去に受けた損傷を修復し、長らく閉ざされていたものを開き始めた。だからこの日を祝福したい」と述べた。

 ハバナでは、米大使館が式典なしに開館した。市民らが米国旗の掲揚を見守った。 

2015年7月20日月曜日

ペルー次期大統領候補の1番人気はケイコ・フジモリ

 来年4月のペルー大統領選挙に出馬を予定している候補者の支持率調査の結果が7月20日公表された。「人民勢力」(FP)のケイコ・フジモリ(元大統領の娘、元国会議員)が33%で、他を引き離している。

 2位は、「変化のためのペルー人党」のペドロ=パブロ・クチンスキ(元経済相)で、15%。3位はペルーアプリスタ党(PAP)のアラン・ガルシア(前大統領)の11%。次いで、「可能なペルー」党のアレハンドロ・トレード(元大統領)で、8%。

 他は、「進歩のための同盟」のセサル・アクーニャ4%、国家主義者党のダニエル・ウレスティ3%など。

 選挙まで9月あり、出馬は12月正式に決まる。第一回投票で1、2位を占めるケイコとクチンスキが決選に進出する公算が大きいと見られている。

 大統領経験者2人は、ともに汚職・腐敗容疑がかけられており、人気が頭打ちになっている。

ニカラグアがサンディニスタ革命36周年迎える

 ニカラグアは7月19日、サンディニスタ革命36周年記念日を迎え、首都マナグアのマナグア湖畔にある「信仰広場」で支持者数万人を集めて記念式典が催された。

 革命戦争の英雄の一人だったダニエル・オルテガ現大統領は記念演説で、米政府に国際関係で従来の態度を改め、公平と権利を尊重するよう、諫言した。

 大統領は、米国では黒人青年たちが肌が黒いというだけの理由で殺されている、と批判。米警察は基本的人権を求めるデモ行進に対し催涙ガスを発射すべきでない、と忠言した。

 さらに、米大統領は依然、アフリカ系米国人だけでなくLAC(ラ米・カリブ)系をも差別する(南部の)人種差別旗に直面している、と指摘した。

 また、米共和党次期大統領選挙出馬希望者の中に、われらのアメリカ(LAC)人民、メヒコ人についてでたらめを口にする者がいる、と前置き。このような人物は、米帝国の根にある超保守主義、好戦主義、人種主義の思考を反映している、と非難した。

 式典には、ミゲル・ディアスカネル玖第一副議長、ホルヘ・アレアサVEN副大統領、エル・サルバドール政権党FMLNのホセルイス・メリーノ書記長、グアテマラ・マヤ人活動家リゴベルタ・メンチュー(ノーベル平和賞受賞者)が出席した。

 グアテマラのビニシオ・デレソ、オンドゥーラスのマヌエル・セラヤ、パラグアイのフェルナンド・ルーゴの3元大統領も出席した。

 一方、反政府派のサンディニスタ刷新運動(MRS)は声明を発表、ニカラグア人の大多数が貧しいのに(オルテガ)一族がこの国を私有財産化しようとしている、と非難した。

キューバと米国が54年半ぶりに国交再開

 玖米両国は7月20日午前零時、54年半ぶりに国交を再開した。米国務省前には外交関係を持つ諸国の国旗が掲げられているが、午前4時、クロアティアとキプロスの国旗の間にクーバ国旗が掲揚された。昨日まで利益代表部だったワシントンのクーバ大使館前にも国旗が掲げられた。

 この日、ジョン・ケリー国務長官は国務省にブルーノ・ロドリゲス玖外相を迎えて、国交再開後、最初の会談に入る。同外相は、クーバ大使館で、500人を招いて開館祝賀会を開く。 

2015年7月18日土曜日

伊高浩昭執筆LATINA8月号記事紹介

◎月刊LATINA誌8月号(7月20日発売)の伊高浩昭執筆記事

★ラ米乱反射 連載第112回
 「キューバと米国が54年半ぶりに大使級外交を再開  経済封鎖解除、グアンタナモ返還など難題山積」
(7月20日、両国の大使館が再開される。国交正常化交渉はこれから難題に取り組む。グアンタナモ米海軍基地の歴史を踏まえ、問題点を浮き彫りにする。)

★EVENTO欄 「海の詩歌」
 6月30日渋谷のコクーン劇場で1回限り催された独り暗誦劇の観劇評。ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソーア(1888~1935)が1915年に発表した「海の詩歌」(904詩句)を俳優ディオゴ・インファンテが激しく演じる。

★書評:ベニート・ペレス=ガルドース著『ドーニャ・ペルフェクタ(完璧な婦人)』 大楠栄三訳、現代企画室
 スペインの作家ガルドース(1843~1920)が1876年に著した物語。スペイン人の特質を象徴する作品。現代日本の状況に当てはまる問題も提起されている。

第48回メルコスール首脳会議終わる

 南部共同市場(メルコスール)の第48回首脳会議は7月17日ブラジリアで開かれ、一日だけの日程を終えた。輪番制議長はヂウマ・ルセフ伯大統領から、パラグアイのオラシオ・カルテス大統領に引き継がれた。

 カルテスは、メルコスールと欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)調印および、太平洋同盟(AP)との合意に向けて努力すると述べた。

 今回がメルコスール首脳会議への最後の出席となった亜国のクリスティーナ・フェルナンデス大統領は、8年間を振り返り、ボリビアとエクアドールでのクーデター未遂事件にメルコスールが南米諸国連合(ウナスール)と共に対処したことなどを挙げた。

 また4カ国で発足したメルコスールがベネスエラとボリビアを加え6カ国になったことについて、「メルコスールが成功したことを物語る」と称賛した。

 域内には、経済力の弱いパラグアイ、ウルグアイ両国が伯亜両大国に域内関税障壁の撤廃を求めるなど、経済格差に基づく問題がある。

 またベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領が持ち出した、ガイアナとの領土問題など政治問題もある。この領土問題については8月末、メルコスールとウナスールが合同首脳会議を開いて討議することになった。

在米キューバ大使館開館式はロドリゲス外相が主催

 クーバ外務省は7月17日、ワシントンで20日催される玖大使館開館式をブルーノ・ロドリゲス外相が主催する、と発表した。米各界から500人を招待するという。

 現在、利益代表部となっている館は、1917年建設の大邸宅(マンシオン)。ホワイトハウスに至る道路に面している。これが大使館意格上げされる。

 ロドリゲス外相は同日、国務省でジョン・ケリー国務長官と会談する。2人は4月、パナマ市で会談している。

 現在、ハバナの米利益代表部となっている巨大な建物は、バティスタ玖政権時代の1953年に建設され、61年1月の断交まで大使館だった。建物は20日、再び大使館となる。

 ロベルタ・ジェイコブソン米州担当国務次官補は17日、クーバに駐在する米大使館員は事前許可なしに玖国内を動き回ることができるようになるはずだ、と述べた。

 

ボリビアが南部共同市場(メルコスール)に加盟

 南部共同市場(メルコスール)の加盟5カ国およびボリビアは7月17日、ブラジリアでの外相級会合で、ボリビアを加盟国と認める議定書に調印した。

 加盟5カ国のうち亜国、ウルグアイ、ベネスエラの国会は既に、ボリビアを加盟国とするためのメルコスール条約改定を批准している。ブラジルとパラグイアの国会による批准が待たれる。

 この会合の後、加盟5カ国首脳は第48回首脳会議を開いた。会議は、次いで新規加盟のボリビアおよび、チレ、ペルー、エクアドール、コロンビア、ガイアナ、スリナムの6協賛国の首脳を含む代表とともに拡大会議を開く。ボリビアのエボ・モラレス大統領は既にブラジリア入りしている。
 
 

2015年7月17日金曜日

ブラジルのルーラ前大統領を検察が捜査

 ブラジル検察庁は、ルーラ前大統領が影響力を行使して、同国建設最大手オデブレヒト社に便宜を図ったか否かを捜査している。7月16日明らかにされたが、8日に捜査は開始されていた。ルーラに対する公的捜査は初めて。

 ブラジル国営の経済・社会開発銀行(BNDES)は同社の国外建設事業に融資しているが、その一部にルーラの影響力が物を言ったかどうかについて捜査されている。

 ルーラは政権を離れた後の2013年、クーバ、ドミニカ共和国、米国を歴訪したが、その費用はオデブレヒト社が負担したという。

 同社の社長マルセロ・オデブレヒト(46)は先月逮捕された。国営石油会社ペトロブラスの大事業は建設会社集団が巨額の賄賂を関係する国会議員らに支払って請け負っていた、と自供している。

 談合落札などによるペトロブラスの損出は21億ドルに上るとされる。1990年代初め汚職により大統領辞任に追い込まれたフェルナンド・コロル=デメロ上院議員も660万ドルの収賄容疑がかけられており、ブラジリアの邸宅が14日家宅捜査を受けた。

ニカラグアで依然高いオルテガ政権支持率

 ニカラグアで先に実施された世論調査の結果が7月16日公表された。政党支持では、政権党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が52・4%、無所属38・6%、立憲自由党(PLC)6・3%、独立自由党(PLI)1・6%。

 人物別支持率は、社会政策を執り仕切るロサリオ・ムリージョ(大統領夫人)76・4%、大統領ダニエル・オルテガ72・5%、国家警察長官アミンタ・グラネーラ70・5%の順だった。M&Rコンサルタント社が調査した。

 オルテガ政権に関しては、希望が持てる72・8%、国が進歩した68・5%、支持する65・4%。

 進行中のニカラグア大運河建設計画については、計画支持59・8%、実現可能性肯定65・7%だった。実現可能性肯定は、前回調査時の71・5%と比べ、5・8ポイント落ちている。


 

ドイツ外相がキューバを初訪問

 ドイツのフランクワルター・スタインマイアー外相は7月16日、独外相として初めて訪玖し、ラウール・カストロ国家評議会議長と会談した。ブルーノ・ロドリゲス外相が同席した。

 一方、サンティアゴでは16日、クーバ・カリブ企業家会合が開かれた。同市は近く建都500周年を迎える。

安倍参戦法案強行採決をAFPが解説

 安倍参戦法案の衆議院強行採決について、仏通信社AFPは東京発で解説記事を伝え、ラ米諸国で報じられている。概要は次の通り。

 右翼の安倍首相は(衆議院通過という)勝利を得たが、憲法の縛りを無くすのに怒る人民の声を無視した。野党勢力は、世論の法案反対に呼応して本会議場を離れた。このため与党連合は孤立した。

 前日15日、国会前で6万人が抗議デモを展開、報道によると2人が逮捕された。日本では街頭デモ動員数は通常少ないが、今回は問題が問題だけに参加者が多かった。

 与党は参議院でも多数派だが、参議院で法案に修正がなされる可能性を指摘する向きもある。だが修正されたとしても、衆議院はこれを否決できる。いずれにせよ、9月立法化される見通しだ。

 自他共に認める国家主義者の首相は、日本の軍事的立場を変えたがっている。憲法9条改正が不可能と悟った安倍は、憲法専門家らの違憲の警告に耳を貸さず、憲法再解釈の方法を選んだ。

 市民の大多数は反対している。安倍支持率は落ちている。反対派は、日本が地球的規模で米国の戦争に巻き込まれるのを義務付けられる恐れに警鐘を鳴らす。

 一方、賛成派は、不安定で予測不可能な北朝鮮や、台頭しつつある中国の存在が目立つアジア情勢の変化に備えるため新法が必要だと主張する。

 中国は、日本に専守防衛政策を放棄するのかと問いただしている。中国外務省は、中国の主権と安全を脅かすのと、地域の安定と平和を覆すのを抑制するよう警告した。

 中国は、20世紀前半にあった日本軍による破壊的な侵略と占領を想起しつつ、抑制の利かない日本の危険性をしばしば指摘してきた。


 

ベネズエラ外相が米政府の内政干渉を一蹴

 ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は7月16日、米国務省米州担当次官補ロベルタ(ロバータ)・ジェイコブソンに対し、「米国がなすべき(諸外国に対する)最良の勧告は沈黙だ」と反論、内政干渉を一蹴した。

 ベネスエラでは12月6日国会議員選挙が実施されるが、当局は15日、反政府極右のマリーア・マチャード元議員を1年間の公職追放処分とし、出馬を禁止した。同次官補はこれへの懸念を15日表明していた。

 マチャードは、米州諸国機構(OEA)でマドゥーロ政権を非難するため、あろうことか「パナマ大使代理」としてパナマ代表団席に着いた。このため反逆罪で昨年3月、国会議員資格を剥奪された。その後、クーデター陰謀罪で捜査対象になっている。

 ロドリゲス外相はさらに、「米国はベネスエラの統治国でないことを理解できないからベネスエラと良好な関係を築くのが難しいのだ」と、平気で内政干渉する米国を批判した。  

2015年7月16日木曜日

キューバ・マリエル特区への企業7社進出が決まる

 ハバナ西方45kmにあるマリエル開発特区(ZEDM)への進出が7企業に認可された。クーバ、メヒコ、ベルギーが各2社、スペインが1社。スペインとメヒコの食品関係各1社は、面積4500hrのA地区への進出が認められた。

 このほか米企業を含む400社から認可申請や打診があるという。7月15日伝えられた。

 この日、ラ・アバーナ・ビエハ(ハバナ旧市街)で2階建て住宅が崩落、住民4人が死亡、3人が負傷した。全国300万の不動産のうち40%の維持が好ましくない状態にあるという。住宅不足は60万戸。

 一方、ラウール・カストロ国家評議会議長は15日、人民権力全国会議(国会)での会期閉会演説で、クーバ経済は上半期4・7%成長、年末には4%になるもよう、と明らかにした。去年の成長率は1%だった。インフレは3~5%の間にあるという。

 外交面では、昨年12月の対米国交正常化合意を受けて4月パナマ市で米大統領と会談したこと、今月20日ワシントンの大使館を開くことに触れた。グアンタナモ米軍基地の返還が正常化に不可欠だとも指摘した。

 またニコラース・マドゥーロ大統領のベネスエラ政府に連帯、ラファエル・コレア大統領のエクアドール政権への不安定化工作を糾弾、ヂウマ・ルセフ伯大統領との連帯をあらためて打ち出した。

 クーバ医師団が、西アフリカ3国でエボラ出血熱患者を治療し、大地震に見舞われたネパールで医療活動に当たったことを強調した。

 7月26日のモンカーダ兵営襲撃62周年記念日とサンティアゴ県都500年記念行事をサンティアゴで催す、とも述べた。
 

安倍戦争法強行採決めぐる国際報道

 憲法違反の安倍戦争法案は7月16日、衆議院本会議で審議不十分なまま強行採決に付され、可決された。平和憲法は断末魔の声を上げている。

 英国紙ザ・タイムズ: 「日本人兵士は国外で戦うことができるようになる」の見出しで速報。

 英ロイター通信: 「安倍は抗議行動にも拘わらず衆議院を通した」を見出しに。廃案を求める15日からの抗議デモは、主催者発表で10万人、と伝える。

 知日派米人ジャーナリスト、ジェイク・アデルスタイン: 「安倍は首相としての最後の日々にあるのか」の見出し。安倍は立法化で勝つだろうが、日本の平和主義を変えるのには失敗した。大規模な抗議行動に直面している安倍は、祖父(岸信介元首相)が55年前に犯した過ちを繰り返すのではないかとの見方がある。アニメーションの宮崎監督が法案に反対を表明した時、安倍は国民の支持を失った。有権者多数派や学者の大勢は反対している。安倍が副総理に据えた麻生太郎(元首相は、ナチ党に学ぶべきだと先ごろ発言している。 

コロンブス像に代わり、フアーナ・アスルドゥイ像が登場

 ブエノスアイレスの亜国大統領政庁(カサ・ロダーダ)の裏にある公園中心部に、亜国とボリビアの独立のエロイーナ(女性英雄)、フアーナ・アスルドゥイの銅像が建てられ、7月15日、その除幕式が催された。両国大統領が出席した。

 銅像は左手に剣をかざし前進する姿。重量25トン、高さ9m、台座7m。従来は、クリストーバル・コロン像がここにあったが、撤去された。公園も旧来のコロン公園が廃止され、「アスルドゥイ広場」と命名された。

 クリスティーナ・フェルナンデス亜国大統領は2011年ベネスエラを訪れた折、当時のウーゴ・チャベス大統領(故人)から「あの虐殺者(コロン)はあそこで何をしているのだ」と訊きただされ、コロン像撤去を考え始めた、という。

 コロン像は1921年、イタリア系移民社会が建立し亜国に贈ったもの。フェルナンデスはエボ・モラレス大統領に相談、両国共通の女性英雄の像を建てることを決めた。ボリビア政府が1億ドルを提供し、亜国人彫刻家アンデレス・セルネリが制作した。

 撤去されたコロン像は当初、南方のマルデルプラタ市に移設される計画だったが、イタリア系社会や野党が市長を務める首都が猛反対。結局、アエロパルケ(首都市内空港)前のラ・プラタ河畔に移設されることになった。
 
 

安倍戦争法案強行採決と抗議行動めぐる外国メディア報道

 安倍政権が7月15日、衆議院特別委員会で強行採決した戦争法案と大規模な抗議デモについて外国メディアの報道を拾ってみた。

 クーバ国営通信プレンサ・ラティーナ: デモ隊が掲げるプラカードには「憲法9条を破壊するな」、「日本は再び戦争をしてはならない」などと書かれていた。法案を違憲とする意見が多い。平和組織は、安倍政権による軍国主義、地球規模で軍事紛争に介入する意図を糾弾している。

 英通信社ロイター: 日本の防衛政策に劇的な変化をもたらす法案が委員会で採択された。野党は憲法9条違反と主張している。安倍支持率は落ちている。主催者発表で6万人参加の抗議デモでは「9条守れ」、「安倍辞めろ」などの文字が見られた。共同通信は、東京以外でも抗議行動が展開されていると報じた。安倍の祖父である岸信介元首相は戦時内閣閣僚だったが、まさに55年前の1960年7月15日、首相を辞任した。だが安倍はこの危機を乗り切りそうだ、との見方が出ている。有権者に、安倍政権下で何か変なことが起きているが経済政策は支持する、という考えが多いからだ。

 英BBC放送: 法が成立すれば、日本は「集団的自衛権」という教義の下で、国外での戦争が可能になる。安倍は防衛上重要だと言っているが、世論多数派は反対している。中韓など近隣諸国は日本の軍国主義復活を非難してきた。

 中国国営通信・新華社: 戦後70年で最も重要な転換となる。野党だけでなく有権者多数派は廃案を望み、安倍退陣を求めている。安倍は訪米時に、今国会での立法を約束している。法案への世論の賛否については、中道右翼の読売新聞でさえ半数が反対と伝えている。右翼の産経新聞だけが支持の方が多いと書いている。 

2015年7月15日水曜日

キューバ共産党が来年4月、第7回党大会開催へ

 クーバ共産党(PCC)機関紙グランマは7月15日、第7回党大会を来年4月16日開くと発表した。党中央委員会総会が決めた。来年の4月16日は、首相だったフィデル・カストロ前議長による社会主義革命宣言の55周年記念日。

 国家評議会は14日、先月モスクワで刊行されたニコライ・レオノフ著『ラウール・カストロ 革命の人』の西語版がクーバで刊行されたことを明らかにした。600余人の議員全員に1冊ずつ配布され、歴史家エウセビオ・レアルが意義を語った。

 政府は13日、国営企業123社が昨年赤字を出し、うち24社は年内に閉鎖されると発表した。また6社は来年まで営業を続け、存否を判断される。ことし上半期で国営65社が赤字だった。

 一方、ワシントンのクーバ利益代表部のホセラモーン・カバーニャス代表は13日記者会見し、20日の大使館開設後、しばらくは大使は置かず、臨時代理大使が館長を務める、と明らかにした。

 同代表はまた、クーバ系市民の多いフロリダ州南部に領事館を開く可能性を示唆した。既にマイアミ市長らが領事館開設を拒否する姿勢を示している。

 米議会でもクーバ系の共和党右翼議員を中心に対玖関係正常化に異議を唱える者がおり、いかなる駐クーバ大使人事にも反対すると表明している。このため米国も当面、ハバナに開設される米大使館を臨時代理大使で運営するもよう。

 両国ともに、1977年に開設された利益代表部を大使館に格上げする。

2015年7月13日月曜日

アマリア・ロドリゲスのモザイク肖像画リスボアに登場

  ファドの女王アマリア・ロドリゲス(1920~99)のモザイクの肖像が、リスボアのファド中心地アルファマ地区の一角にある広場に登場した。

 サントメー通りに面した広場で、壁面から地面にかけて、黒、白、茶、バラ色の石で、髪を風になびかせた歌姫の全盛期の横顔が描かれている。

 演劇監督ルベン・アルベスが発案、リスボア市が資金を出し、造形芸術家ヴィルス(アレサンドロ)が制作した。

ベネズエラ向け貿易保険を14日から打ち切り

 ベネスエラの保守・右翼論調の日刊紙エル・ナシオナルが7月12日、ジャパン・タイムズ報道を基に報じたところでは、独立行政法人・日本貿易保険(日本輸出・投資保険=NEXI)は、ベネスエラ向けの新規貿易保険を14日から受け入れないことを決めた。

 日本の商社が自動車輸出代金をもらえず、同保険に200億円の補填が出たため。貿易保険停止は、2008年にクーバ向けが停止されたことがある。

 ベネスエラは国際原油価格の低迷で国庫が苦境にあり、資金繰りが厳しくなっている。 

ローマ法王が南米3国歴訪を終える

 ローマ法王フランシスコは7月12日、パラグアイ訪問を終え、ローマへの帰途に就いた。5日からエクアドール、ボリビア、パラグアイ3国を歴訪していた。9月にはクーバと米国を訪問する。

 法王はこの日、首都アスンシオンの周辺にある、2万3000家族が住む貧困地区バニャードノルテを訪れ、「教会に通いながら、貧困問題に目を向けない人々」の偽善性を批判した。また、人民文化とグアラニー文化を讃えた。

 ミサには数10万人が集った。ブエノスアイレスから前夜到着していたクリスティーナ・フェルナンデス亜国大統領も最前列で法王の話を聴き、終わると壇上で法王に挨拶した。

 同大統領は同国人の法王に深い親しみを抱いており、法王との6度目の謁見となった。

  法王の演壇は、マソルカ(トウモロコシの房)3万2000個とココ椰子の実20万個で飾られていた。

 今回の歴訪での法王発言では、貧者救済、国内政治対立の対話による解消、利益第一主義の経済政策糾弾が目立った。

2015年7月12日日曜日

ボリビア人作家の小説『チューリングの妄想』を読む

 ボリビア人作家エドゥムンド・パス=ソルダン(1967年生まれ)が2003年に世に出した『チューリングの妄想』を半年前に読んだとき、あの近代と現代が相剋し合っているボリビアで、こんな電脳(コンピューター)世界の小説が出たとは! と新鮮な感想を得た。

 私は、この作風と小説内容に「レアリズモ・ビルトゥアル」(ヴァーチュアル・リアリズム)と名付けた。

 舞台は、アンデス前衛山脈の幾重にも連なる山並みと、その間に渓谷、盆地が拡がるバージェと呼ばれる地帯の中心地で、この作家の出身地であるコチャバンバ市を想定した架空都市「リオ・フヒティーボ」(「逃亡の川」の意味)。

 「チューリング」は、第2次大戦中、ナチドイツの難解な暗号を解読し、英国攻撃の一部を防いだ功労者アラン・チューリングに因んでいる。今年3月には、東京でチューリングの実話を描いた「イミテーションゲーム」という映画が上映された。あの映画を観た人ならば、この小説に親しみを覚えるだろう。

 1970年代に米国、ブラジル軍政と歩調を合わせて圧政を敷いた軍政首班ウーゴ・バンセルが、しばしば登場する。バンセルは90年代後半、選挙で政権に返り咲くが、癌により任期途中で辞任し、死んでいった。この時期の時代背景も小説に描かれている。

 惜しむらくは、コチャバンバを勢力基盤とするコカ葉栽培農民組合連合会長エボ・モラレス(現大統領)が全く登場しないことだ。モラレスの政治的将来の有望性を見抜いて筋に絡ませていれば、小説の厚みが増したはずだ。

 ハッカーと諜報機関が熾烈な戦いを繰り広げるが、その過程で登場人物や「犯人」の素性が暴かれていく。「魔術的現実主義」ならぬ「ヴァーチュアル現実主義」の世界が、アンデス大高原(アルティプラーノ)のボリビアの印象とかけ離れているところが、この小説の味だ。

 日語訳は現代企画室から昨年7月刊行された。服部綾乃、石川隆介共訳。両訳者の巻末解説も面白い。本書の書評を新聞か雑誌に書くつもりだったが機会を失い、、このような形で遅ればせながら紹介することにした。

メキシコ麻薬王ホアキン・グスマンがまた脱走に成功

 ホアキン・グスマン(58)がまたも、メヒコ麻薬マフィア界最大のお尋ね者となった。「エル・チャポ」の渾名を持つこの男は、シナロア麻薬マフィアの首領。7月11日夜、メヒコ州内にある厳重なエル・アルティプラーノ刑務所から脱走した。

 グスマンは1993年、メヒコ国境に近いグアテマラで逮捕され、メヒコに身柄が引渡され、ハリスコ州内のプエルタ・グランデ刑務所に収監された。だが2014年2月脱走に成功した。

 当局発表によると、グスマンはシャワー室に行ったまま独房に戻らなかった。軍・警察は空港、自動車道などに緊急配備を敷き、グスマンの行方を追っている。

 グスマンが刑務所外の部下らと連絡を取り、脱走したのは明らか。シャワー室の床から刑務所外部に繋がる全長1・5kmのトンネルが発見された。麻薬王は、トンネルという古典的方法で脱走したわけだ。

 【続報】ミゲル・オソリオ内相は7月13日、グスマン脱走は刑務所内の腐敗によってもたらされたとして、幹部3人を停職処分にして取り調べ中であることを明らかにした。また、約50人の刑務所関係の労働者からも事情聴取中という。

 政府はこの日、グスマン逮捕につながる情報提供者に懸賞金6000万ペソ(約380万ドル)を与える、と発表した。
 

キューバがワシントンの大使館を20日開館へ

 クーバ外務省のホセフィーナ・ビダル米国局長は7月11日ハバナで、予定通り今月20日にワシントンのクーバ大使館を開設する、と発表した。同局長はこれまで、対米国交正常化交渉の首席代表だった。

 1961年1月3日の断交以来54年半ぶりの大使級外交再開となる。1977年に開設されたクーバ利益代表部が大使館に格上げされる。大使館開設は、大使館再開でもある。

 ビダル局長は、開館式典を催すとも明らかにした。

2015年7月11日土曜日

国連食糧計画がキューバを支援

 国連世界食糧計画は7月10日、2015~18年の期間にクーバに対し1800万ドルを支援すると明らかにした。

 東部諸州在住の65歳以上の高齢者、妊婦、未成年合わせて90万人に食糧支援することになる。

 このことは、クーバ政府による「皆福祉政策」が部分的に滞っていることを示唆する。

ベネズエラがガイアナとの領土問題で国連総長に仲裁要請

 ベネズエラのデルシー・ロドリゲス外相は7月10日、国連本部でバン・ギムン事務総長と会談し、同国とガイアナの間で係争中の、ガイアナ支配下にあるエセキーボ地方の領有権問題について、総長による仲裁を要請した。

 ガイアナ政府が、エセキーボ地方沖の大西洋での海底油田採掘を米石油会社に認可したことから、領有権問題が両国間で再燃している。

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は、この問題で強い態度に出ているが、これには12月の国会議員選挙に向けて政権党への支持を拡大させたい思惑がある。

チリがボリビアに国交再開を呼び掛け

 チレのエラルド・ムニョス外相は7月10日、「ボリビアと直ちに国交再開に踏み切る用意がある。政治的意思があれば可能だ」と述べた。

 両国はともに軍政時代の1978年、ボリビアの太平洋岸領土開腹問題をめぐって断交した。現在、国際司法裁判所が同問題で審理中。

 チレは、対立点の多い米玖両国が今月20日、54年半ぶりに国交を再開、その上で問題解決に向けて話し合うのを念頭に、ボリビアに復交を呼び掛けた。
 

ローマ法王がパラグアイ訪問

 ローマ法王フランシスコは7月10日、ボリビアで刑務所を訪れ、収容環境の改善を求めた後、パラグアイの首都アスンシオンに到着し、オラシオ・カルテス大統領らの出迎えを受けた。

 法王は最初の演説で、民主強化、人権重視、腐敗・麻薬取引一掃を呼び掛けた。「民主強化」には、パラグアイが経験してきたストロエスネル長期独裁や、事実上のクーデターだった数年前のフェルナンド・ルーゴ元大統領追放事件を踏まえての強い要望が込められている。

 法王は9日にはボリビアのサンタクルースで、7~9日開かれた第2回世界社会・人民運動会合の閉会式にエボ・モラレス大統領とともに出席し、「多数者を疎外してきた制度の変革を恐れずに口にせよ。利益しか考えず、社会的疎外や自然破壊を招いてきた現行制度はもはや通用しない。農民、労働者、共同体、人民、母なる大地は耐えられない」と、全球(グロ-バル)化した弱肉強食の新自由主義経済政策などを厳しく批判した。

 この会合は、「母なる大地」、住宅、就業、人民統合をめぐって開かれ、40カ国から3000人が参加した。

 法王随行者は10日、モラレス大統領から8日贈られた、槌と鎌形の十字架のキリスト磔刑像および、「アンデス山脈コンドル章」を法王はコパカバーナの聖母に捧げた、と明らかにした。法王は勲章や贈り物をもらわない習慣がある。同聖母を祀る教会は、ティティカカ湖畔のコパカバーナ丘の頂上にある。 

2015年7月10日金曜日

法王フランシスコが先住民族に対する教会の罪を謝罪

 ローマ法王フランシスコは7月8日、ラパスのボリビア政庁でエボ・モラレス大統領と会談、大統領から槌と鎌の形をした十字架にキリストが磔られている木製の磔刑像を贈られた。

 これは1980年3月21日ボリビア軍部に拷問され殺害されたスペイン人のイエズス会士ルイス・エスピナルの作品。

 モラレスは、エスピナルは人民解放のために闘ったとし、同じ闘いを展開する人に贈られてしかるべきだと説明し、法王に渡した。

 大統領はこの日の法王歓迎式典で、酸素の薄い高地が法王の健康に影響するのに配慮し、予定していた15分間の演説を5分間に縮めた。その演説で、資本主義、帝国主義、軍部独裁を激しく糾弾し、それらとの闘いを続けると強調した。

 法王は9日、東部の低地の大都市サンタクルースで大規模なミサを挙行。「いわゆる新世界征服期に教会が犯した咎のみならず、先住民族に対して犯した罪を謝罪する」と詫びた。かつてヨハネ=パウロⅡ世法王も謝罪している。

 法王はさらに、「ラ米全体の、あるいは人類の問題は現状では解決できず、構造的改革が必要だ」と指摘。「自由貿易とか緊縮財政とかの言い分で労働者や貧者を苦しめる条約などを通じての新植民地主義、金権主義」を警告した。

    

グアテマラ大統領の女婿、汚職で逮捕さる

 グアテマラ当局は7月9日、元大統領府事務局長グスタボ・マルティネスを影響力行使による不正蓄財容疑で逮捕した。マルティネスは、オットー・ペレス=モリーナ大統領の女婿。

 政府高官絡みの大規模な汚職事件の捜査は、マルティネスの逮捕で、追及の手が本丸(大統領)に近きつつあることを示している。

 マルティネスは、多国籍企業ジャガーエナジー社による発電所建設工事過程に特権を利用して介入し、蓄財したとされる。また、工事が違法性や環境破壊性を免れるように計らい金銭を授与した疑いもある。

リマで写真家義井豊がペルー写真展を開く

 ペルーの首都リマから素晴らしニュースが届いた。友人の写真家、義井豊(よしい・ゆたか、69)が、長年撮影してきたペルーの情景写真を展示する写真展が実現したのだ。展示会の名は「レフレクシオネス」。反射とか省察というような意味だ。この言葉に、義井の撮影哲学が象徴される。

 写真展はリマ市内にあるペルー日系人協会(APJ)の文化センターで同協会主催により7月7日の開かれた。その開場式で義井は、「私はカメラを通して、古来の人々の精神を感知する。撮影することで現実に直接接近する。私の写真を通してペルーの現実を感じていただければ幸甚です」と挨拶した。

 式には友人、知人ら80人が出席、日本の株丹達也(かぶたん・たつや)大使の姿もあった。義井の親友で写真家のオスカル・チャンビと、その夫人、川又千加子が会場デザインや配布資料に関し一役買った。

 展示されている写真は41点。縦2・5m、横4・5mの「プーノの沼沢地」(1983)は、先住民の母と娘が大きな荷物を背負って歩く姿を捉えている。後方にはアンデスの山並みと、リャマかアルパカの群がいる。壁面いっぱいに拡がる雄大な写真だ。

 他は1m×70cmの作品が10点、40cm×30cmが30点。すべてカラーだ。義井はアンデス古代文明の出土品や、その発掘作業を撮影する専門家で、第一人者だ。だが、歴史の尖端である現在・現実への深い愛情と敬意が遺跡撮影の基盤を支えている。それが写真展であますところなく示されている。

 有力紙エル・コメルシオやペルー通信社アンディーナなどが写真展開催を報じた。

 日本で写真家となった義井は1974年、ラ米を広く旅行し、強烈な印象を得た。次いで1981年ペルーを再訪したところ、天野博物館で仕事をすることになり、今日に至るペルー滞在が始まった。写真には、この写真家の仕事の歩みが記録されており、行間ならぬ「影間」には写真家の年輪が刻まれている。

 義井は昨年、ペルーで『乱反射する風景』という写真集(スペイン語版)を刊行した。百数十点の写真が詰まった濃厚な本だ。その中から選ばれた作品が今写真展で展示されている。

 写真展は8月2日まで続く。「さあどうぞ」と言うわけにいかない遠方だが、写真集を手にすればよろしかろう。日本語の説明冊子付きで日本でも販売されている。

 義井は日本で開催された多くのアンデス文明展の写真や、出土品搬出・搬入の交渉などを長年担当してきた功労者でもある。数々のアンデス文明展写真集を手掛けてきたが、ペルー日系人を特集した写真集も出している。

 毎年1~2度、渡り鳥のように日本にやって来る。NGOピースボートの船上講師でもある。
 
 

2015年7月9日木曜日

ローマ法王がボリビア訪問

 南米3国歴訪中のローマ法王フランシスコ(78)は7月8日、標高4000mのアンデス大高原(アルティプラーノ)にあるエル・アルト国際空港に到着した。空港の西の彼方にティティカカ湖が拡がり、東方にはラパス盆地の上方に標高6000m級のイリマニ冠雪大山塊がそびえ立つ。酸素は薄い。

 このため、高齢のうえ片肺の法王は、エクアドールからのボリビア航空機中、コカ茶を飲んだという。エル・アルト空港では、コカ葉を入れて首や肩から下げる毛織の小さな袋チュスパを贈られた。法王がコカ葉を噛みたいと言っていたからだ。

 出迎えたエボ・モラレス大統領は、伝統的なコカ葉使用の熱心な擁護者であり、ボリビアのコカ葉栽培農民組合連合の最高指導者でもある。

 歓迎のあいさつで大統領は、「エクアドール太平洋岸のさわやかな空気を吸って活力あふれているとお見受けします。侵略され海岸を奪われた、大なる祖国(ラ米)の一部(ボリビア)にようこそ」と述べた。1879年の太平洋戦争で海岸領土を奪ったチレを念頭に置いた発言だ。両国は現在、国際司法裁判所で、この問題に決着をつけようとしている。

 法王は、海岸領土問題には触れず、雄大で美しい光景を讃えつつ、「一層平等な社会を築かれんことを。この国の社会の多くの分野の人々が社会参加している」と指摘し、個人の権利、少数者の権利、環境保全などを定めた2009年制定のボリビア憲法を讃えた。モラレス政権の政策を概ね評価した発言だ。

 法王は大統領に案内されラパス盆地を下り、標高3600mの政治首都ラパスの中心部ムリージョ広場に移動した。沿道や広場には数万人の人々が結集した。隣国チレとペルーからの巡礼者もいる。

 だが法王はラパス滞在を4時間で切り上げ、東部のアマソニア平原にあるサンタクルース市へ移る。(ボリビアの憲法上の首都はスクレ)

2015年7月8日水曜日

ベネズエラが領土問題めぐり、ガイアナ駐在大使を召還

 ベネスエラのニコラス・マドゥーロ大統領は7月7日国会で演説し、授権法に基づき「統合防衛海域」を指定する、と発表した。これは東隣のガイアナと領土紛争が続いている同国西部のエセキーボ地方(16万km2)沖の海域で、ガイアナ政府が昨年から米エクソン・モービル社に海底油田を開発させていることに対する対抗措置。

 エセキーボ領有を主張するベネスエラにとって、自国領海・経済水域の主権が侵されたことになる。大統領は3月、主権と平和を防衛する要件に関し議会審議・採決を必要としない授権法に基づく政令発動権限を与えられた。

 大統領は、ガイアナ首都ジョージタウン駐在の大使を召還し、関係を見直すと述べた。

 別の場でマドゥーロは、「ガイアナのデイヴィド・グランジャー大統領は挑発者だ。ガイアナ人民でなく、米エクソン・モービル社の代表だ」と扱き下ろした。

 ガイアナ首脳は、このほどバルバドスのブリッジタウンで開かれたカリコム首脳会議で、エセキーボ問題に関し、ベネスエラを非難し、自国の立場を強調していた。 

ブラジル政権党連合がルセフ大統領支持で一致

 ブラジルのヂウマ・ルセフ大統領の政権党連合は7月7日、ブラジリアで幹部会合を開き、政権支持で一致した。大統領の所属する労働者党(PT)、議会最大勢力を誇る伯民主運動党(PMDB)、他6党の連合。

 これは、野党、伯民社党(PSDB)のアエシオ・ネヴェス党首、エンリケ・カルドーゾ元大統領らによるルセフ追い落とし工作に対抗する措置。大統領は「これはクーデターの陰謀だ。私は爪と歯で政権を守る」と、激しい言葉を吐いている。

 PSDBは、支持率が低下しているルセフに関し、①選挙最高裁はルセフが再選された去年10月の大統領選挙を無効とし、新たな大統領選挙実施を決める②最高裁はルセフを国庫絡みの不正で裁判にかける③ミシェル・テメル副大統領が昇格し、選挙管理政権となる-と呼び掛けている。

 だが財界は、ルセフが最近訪米し、伯米関係修復を果たしたことや、経済政策の転換などを評価し、PSDBとは距離を置いている。

 ルセフは7日ポルトガル北部のポルトで一泊、8日、第15回BRICS首脳会議が開催されるロシアのウファに向かう。BRICSは7日モスクワで、BRICS開発銀行を設立している。

 一方、伯議会下院は7日、大統領任期などを変更する政治改革法案を賛成420、反対30、棄権1で可決した。 

グアテマラのリオス=モント再審、「精神不調」で危ぶまれる

 グアテマラ法科学庁は7月7日、元軍政独裁者エフライン・リオス=モント被告(89)は裁判に耐えられる精神状態ではないとする弁護側主張を認めた。

 同被告は、軍政首班として先住民1771人の虐殺の責任を問われ、一昨年、禁錮80年の実刑判決を受けたが、法定手続き上の理由で判決は無効とされ、今月23日に再審が予定されていた。

 同庁の決定を受けて、再審が取り消される可能性がある。

米クルーザーが来年5月からキューバ便運航へ

 米カーニヴァル社は7月7日、米財務省認可が下りたとして、来年5月からマイアミ-ドミニカ共和国(RD)-クーバ間でのクルーザー運航を開始すると明らかにした。

 クルーザーは旅客710人乗り。年間3万7000人の利用者を見込んでいる。RDは首都サントドミンゴ港、クーバはサンティアゴ、ハバナ両港が寄港地として予想される。

 一方、イタリアのMSC社は今年12月からハバナを、同社カリブ周航船の冬季の母港とすることを決めている。 
 

映画「フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように」を観る

  映画「フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように」(2015、小谷忠典監督、90分)を試写会で観た。8月、東京・青山のイメージフォーラム館で公開される。

 石内の前作「ひろしま」と同じように、被写体の衣類選び、写真撮影、完成、展示会という流れで構成されている。前作では、被爆死した娘が、かすりにもんぺという戦時服の下に若い女性らしい、あでやかな、おそらくなけなしの下着を着けていた、という石内の「発見」に心を打たれた。

 今回は、フリーダ(1907~54)の死後半世紀経ってから他人の目に晒された故人の衣装、下着、コルセット、靴などが被写体。これらの遺品にはフリーダ特有の鬼気迫る魂が宿っている。石内は、それを宿したまま見事に撮影した。2012年の仕事だ。

 女性写真家でなければできない仕事だ。感性、着眼点、共感などで、男は到底及ばない。

 写真の撮影舞台はメヒコ市コヨアカン地区にある「青の家」だが、映画は合間に、テオティウアカン遺跡、テウアンテペック地峡(イスモ)にかかるオアハーカ州フチタン、メヒコ市憲法広場(ソカロ)、死者の日の情景などを挟みこんで、メヒコを出している。

 最後の場面は、2013年パリで開かれた前年撮影の石内フリーダ遺品写真展で終わる。ここで私は残念な思いを禁じ得ない。なぜ最後の場面はパリでなく、フリーダの故国メヒコの、国立劇場大サロンなどでの写真展にしなかったのか。

 石内のことだから、メヒコに、メヒコの歴史と文化に敬意を表し、仕事の成果を還元したと思う。ならば、映画の最後の場面はメヒコにすべきだった。なぜパリが出てこなくてはならないのか、意図がわからない。

 伏線があることはある。メヒコ市ソカロで石内は、パリ在住の親しい友人が自殺したことを知り、泣きながら通話する。この場面には違和感を禁じえなかった。ここだけメロドラマのようになってしまっている。

 メヒコ市で、コヨアカン地区で、オアハーカ州で、石内のフリーダ遺品写真展が開かれたというニュースを知りたい。

 コヨアカンには、青の家のすぐ近くに、トロツキーがスターリンの刺客からピッケルで脳天を割られた「トロツキーの家」がある。フリーダは夫ディエゴ・リベーラの浮気への腹いせもあってトロツキーと結ばれ、彫刻家イサム・ノグチとも愛を交わした。映画には、少なくとも「トロツキーの家」を登場させるべきではなかったか。

 コヨアカン界隈は私の駆け出し時代の「青春の地」だ。だから、ついつい思い入れが出てしまう。この映画が観るに値する作品であるのは疑いない。

週刊誌「エコノミスト」がマルティン・ゲバラ会見記掲載

 週刊誌「エコノミスト」(7月14日号、毎日新聞社)の「問答有用」欄は、革命家エルネスト・チェ・ゲバラ(1928~67)の甥マルティン・ゲバラ(52)へのインタビュー記。聞き手は、谷口健記者。

 マルティンは今年1~2月と6~7月の2回来日した。私は2度の機会に新宿、浅草、目黒、池袋などを歩き食べ語り合い、彼が好人物であることを十分に感知し、その発言にも少なからず価値があることを知った。

 2月以来、LATINA誌、NGO誌そんりさ、毎日新聞、時事通信ニュース、世界誌、週刊金曜日誌などにマルティンインタビューの記事が載った。いま新たにエコノミスト誌の記事が加わった。

 これらの記事を全部読んで総合し分析して、「マルティン・ゲバラ論」を書くのも悪くないと思う。

 この谷口記者の記事は、マルティンの本音をかなり掴み出している。亡き伯父エルネストを讃え、カストロ兄弟を厳しく批判するマルティンがここでも登場するが、記事冒頭で「米出版社からキューバ批判本を書くよう勧められたが断った」と発言し、節度を表しているのが興味深い。

 出たばかりの週刊誌の記事である。これ以上紹介するのは野暮だろう。興味ある人々は、直接読まれんことを。

2015年7月6日月曜日

伊高浩昭ブログに対する質問への回答

 拙ブログ「現代ラテンアメリカ情勢」筆者への直接、間接の質問の中で最も多いのは、なぜそんなに頻繁に更新するのか、というものです。暇なため一日中、ラ米情勢とにらめっこしているのではないか、と揶揄してくれる御仁もいます。

 そうですね、ブログを毎日書き足していくための暇が十分にある、ということです。真面目にお答えすれば、次のようなことが言えます。

 サマセット・モーム(1874~1965)は1919年に発表した『月と六ペンス』の登場人物に、「私が関心があるのは、永遠の現在だけだ」と言わせています。

 現在は絶えず未来を消化し過去として蓄積し続けます。つまり、人が生きている間中、現在は永遠です。

 死ねば、その人の永遠性は途絶えますが、別の人々の現在は続きます。ジャーナリスムは、そんな現在を記録し続ける仕事です。

 私は、ジャーナリズムを職業にして48年以上経ちます。あと2年で半世紀に達するため、それを一里塚とし、その後どうすべきか考えるつもりです。

 情勢にいつまでも乗っかっていたい、というのはジャーナリストの性であり業です。これを第二の天性としたからには、やり続けるだけです。

 回答になったかどうか、わかりませんが、これがブログ子の当座のお答えです。20150706 東京 伊高浩昭
 



ローマ法王がエクアドール到着

 ローマ法王フランシスコは7月5日、エクアドールの首都キトに到着した。ラファエル・コレア大統領はスクレ元帥空港で、「法王は亜国人かもしれないが神はブラジル人だ、とヂウマ・ルセフ伯大統領は言った。だが楽園(天国)」はエクアドールです。法王、ようこそ」と、歓迎の挨拶をした。

 これに対し法王は、「違いを評価し、対話と例外なき参加を促進すべきだ」と述べ、エクアドール国内で6月以来、政府への抗議運動を展開してきた反政府勢力との話し合いを暗に大統領に呼び掛けた。

 法王はまた、「チンボラソ山の頂から太平洋岸まで、アマソニアの密林からガラーパゴス諸島まで、エクアドール全土の人々が神に感謝するよう」訴えた。

 法王は9日間に亘ってエクアドール、ボリビア、パラグアイを歴訪する。

ベネズエラ外相が米国に「良好な関係」を呼び掛け

 ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は7月5日、米政府が他国に対する過去の経済封鎖を誤りだったと認めたのを歓迎すると述べ、国際法遵守の下で良好な関係を築くことができると、米国に呼び掛けた。

 これは、ジョン・ケリー米国務長官が4日の米独立記念日を機に、ベネスエラへの歩み寄りの姿勢を示す声明を出したのを受けたもので、独立記念日を祝福している。

 外相が指摘した経済封鎖とは、クーバに対するものである。

バルバドスでの第36回カリコム首脳会議終わる

 バルバドスの首都ブリッジタウンで7月2~4日開かれた第36回カリブ共同体(カリコム)年次首脳会議の最終声明が5日、バルバドス政府から発表された。

 声明は出席者名を並べただけで、会議の議題や討議内容に触れておらず、かなりの対立があったことを窺わせる。

2015年7月4日土曜日

岡本太郎美術館での「竹田鎮三郎展」が7月5日終わる

 川崎市多摩区の岡本太郎美術館で4月25日から開かれてきた、メヒコ在住52年の画家竹田鎮三郎の作品展「メキシコに架けたアートの橋」が7月5日、最終日を迎える。

 愛知県瀬戸市生まれの竹田は、同郷の画家北川民次に憧れ、1963年渡墨した。私はその4年後の67年、メヒコ市で竹田に会って以来、48年間、交流してきた。

 その67年制作の木版画「我がメヒコでの暮らし」は懐かしい作品だが、今作品展のポスターにも使用されている。竹田は、当時確立しつつあった作風を半世紀かけて完成させ、メヒコの豊饒な芸術大地に、メヒコ人の巨匠たちに引けを取らない画風を築きあげた。

 岡本太郎画伯が、メヒコ市内インスルヘンテス南大通りに面したラマ公園に建設中だったオテル・デ・メヒコの入り口のサロンの大壁に、壁画「明日の神話」を描いた時、メヒコに絵画留学していた日本人画家の卵たちを集めて画伯に協力したのが竹田だった。

 同じ公園の一角には、壁画家ダビーAシケイロスの作品の集大成である立体壁画「人類の行進」に包まれたシケイロス文化殿堂がある。これも当時、建設中だった。

 シケイロスのパトロンだったマヌエル・スアレスが、岡本太郎に「明日の神話」の制作を依頼したのだった。当時の経緯は、拙著『メヒコの芸術家たち シケイロスから大道芸人まで』(1997年、現代企画室)の「万人と対話した巨匠」を参照されたい。

 竹田展は明日5日終わる。 

グアテマラ国会委員会が大統領特権剥奪を勧告

 グアテマラ政権絡みの大がかりな汚職事件を6月12日から調査してきた同国国会特別委員会は7月3日、オットー ・ペレス=モリーナ大統領の不逮捕特権を剥奪するよう国会に勧告した。国会は近く審議し、採決するもよう。

 特権がなくなれば、検察庁が汚職事件との関連について大統領を捜査し、最高裁が審理することになる。

 事件は、税関と社会保障庁を巻き込んで展開されたが、今年4月暴露された。副大統領をはじめ政府高官ら多数が逮捕され、取り調べを受けている。

 大統領は、国内で激しい辞任要求行動に直面しながら辞任しないと突っぱねていたが、事件をめぐる予審開始が近づきつつあったため、憲法裁判所に庇護を求めた。だが6月30日、憲法裁は庇護を拒否した。

 国会委員会はこれを受けて、特権剥奪を勧告した。

 グアテマラ政局は、次期大統領選挙を9月6日に控え、混迷の極に達している。

AP首脳会議が中小企業向け基金創設決めて閉会

 太平洋同盟(AP)の第5回首脳会議は7月3日、パラカス宣言を採択して閉会した。域内中小企業向けに資本金を融資する基金の運営を2017年に開始することなどが盛り込まれている。

 メヒコ大統領から輪番制議長を受け継いだオヤンタ・ウマーラ秘大統領は閉会演説で、APは自由貿易など経済問題だけでなく、教育や貧困問題も扱っている、と強調し、APに対しなされている「新自由主義一辺倒」という根強い批判に反論した。

 ウマーラはまた、「APは短期間に、他の機構が成し遂げていない多くのことを果たしてきた」と自賛した。

 宣言にはメヒコ、ペルー、チレの3国大統領と、コロンビアのマリーア・オルギン外相が署名した。JMサントス・コロンビア大統領は2日帰国したが、同夜のAP首脳会議開会式で、「APは、市場はどこまで可能なのか、国家はどこまで必要なのか、を探る<第三の道>を採っている」と述べた。

コロンビアで初の安楽死

 コロンビア・ペレイラ市の病院で7月3日、末期癌患者に安楽死が与えられた。合法安楽死は同国では初めてで、ラ米全体でも初めてと見られている。死去した79歳のオビディオ・ゴンサレス氏は、5年来、顔面にできた癌で苦しんできた。

 コロンビアでは1997年に安楽死が合法化された。ことし4月20日改正され、特別委員会の裁定が必要になった。ゴンサレスは裁定を得ていた。合法化後、安楽死した者はいかった。

2015年7月3日金曜日

ケリー米国務長官が対ベネズエラ関係改善に触れる

 ジョン・ケリー米国務長官は7月2日ワシントンで、12月に予定されるベネスエラ国会議員選挙の正常な実施のための政治対話の重要性を指摘するとともに、米・VEN関係改善のための協力関係拡大を信じる、と述べた。5日のベネスエラ独立記念日を前に同国人民を祝福するメンサヘ(メッセージ)の中で語った。

 長官は、両国間には2世紀近く強い絆があったと前置きし、両国人民・政府間の協力拡大を信じると述べた。
 

フランスがジュリアン・アサンジ亡命受け入れを拒否

 フランス政府は7月3日、ウィクリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏(44、豪州人)の亡命申請を拒否した、と発表した。アサンジは、米政府から迫害され死の脅迫を受けているとして、亡命を希望する書簡をフランソワ・オランド大統領に出していた。

 仏政府は、「緊急性がない」と述べるとともに、欧州でアサンジは国際手配されている、と指摘した。

 アサンジは既に3年間、ロンドンのエクアドール大使館で亡命生活を送っている。

カリブ共同体がブリッジタウンで首脳会議開く

 カリブ共同体(カリコム)は7月2日、バルバドスの首都ブリッジタウンで第36回年次首脳会議を開いた。4日まで、経済問題と、「持続可能な開発」について討議する。

 現在、域内の政治問題は、ベネスエラと領土紛争が持ち上がっている加盟国ガイアナを支持するか否かだ。だが最重要の協賛国で、カリブ石油連帯機構(ペトロカリーベ)を通じてカリブ地域に強大な影響力を持つベネスエラに配慮し、会議はこの領土問題に直接的には触れない構えだ。

 2日、べネスエラのホルヘ・アレアサ副大統領がブリッジタウン入りしており、ガイアナ首脳との話し合いも予想される。

太平洋同盟(AP)加盟4カ国が第5回首脳会議開く

 ラ米太平洋岸のメヒコ、コロンビア、ペルー、チレ4カ国が構成する太平洋同盟(AP)は7月2日、ペルーのパラカス市で第5回首脳会議を開いた。4カ国は、新自由主義経済政策を採っている。経済・金融統合、技術革新、企業家の役割が今会議の議題。

 会議は当初3日開会の予定だったが、ボゴタ市内2カ所で2日爆発事件が起き計10人が負傷したことから、ペルー入りしていたコロンビアのJMサントス大統領が急遽帰国することになり、2日夜、会議は繰り上げ開催された。会議は3日も続く。

メキシコの放送ジャーナリスト、ハコボ・サブロドフスキ死去

 メヒコ放送ジャーナリズム界で長年指導的役割を果たしたハコボ・サブロドフスキ(87)が7月2日、メヒコ市内の病院で脳内出血により死去した。

 長年、TV放送テレビサのニュース番組キャスターとして活動。批判的言論を許さなかった制度的革命党(PRI)の長期政権下で、政権を支える報道を担った。

 このため保守や右翼から支持され、進歩主義者や左翼から批判されていた。ポーランド系ユダヤ人移民の二世だった。

 1959年1月8日、クーバ革命戦争に勝利したフィデル・カストロのハバナ入城を中継取材したことなど、数多くの現場取材や要人インタビューで知られた。1972年に当時のルイス・エチェベリーア墨大統領が来日した際、佐藤栄作首相にインタビューしている。

2015年7月2日木曜日

米国とキューバが7月20日、54年半ぶりに大使館再開へ

 バラク・オバーマ米大統領は7月1日ホワイトハウスで演説し、米玖両国は7月20日、互いの首都に大使館を開設することで合意した、と発表した。大統領はジョン・ケリー国務長官が今夏訪玖することも明らかにしたが、同長官がハバナの米大使館開設式に出席する可能性が残されている。

 クーバ外務省は、オバーマ演説に先立ちラウール・カストロ議長宛ての大統領親書を受け取ったが、ワシントンでもクーバ利益代表が国務省に同じ内容の親書を渡したと公表した。

 オバーマはジョー・バイデン副大統領を伴って演説、「両国間の相違は深い」と認めながらも、「大使館再開は歴史的だ。両国関係の新たな一章の幕開けだ。我々は隣人同士だが、いまや友人になれる」と謳い上げた。

 米議会に対しては、「いまや議会が動くべき時だ。クーバと米国の人民の声を聴き、経済封鎖解除のため票を投じよ。封鎖は50年間機能しなかった」と訴えた。

 さらに、「過去にしたように、クーバ島の未来を拉致してはならない。孤立化政策は機能しなかったし、逆効果さえ招いた」と指摘した。
 
 

2015年7月1日水曜日

国交再開記す米大統領親書がキューバに渡される

 玖米大使級外交再開を伝えるラウール・カストロ議長宛ての米大統領親書が7月1日朝、ハバナ米利益代表部のジェフリー・デローレンティス代表からマルセリ-ノ・メディーナ玖外相代行に手渡された。

 クーバ共産党機関紙グランマは同日、大使館開設は正常化のための長い過程の一歩に過ぎない、と指摘している。

 バラク・オバーマ大統領はワシントン時間午前11時(JST2日午前1時)に対玖国交樹立を発表すると伝えられる。

米国でコロンビア極右指導者マンクソに禁錮刑の判決

 ワシントン地裁は6月30日、コロンビアの極右準軍部隊「コロンビア統一自衛軍」(AUC)の首領だったサルバトーレ・マンクソ(50)に禁錮15年10カ月の実刑判決を言い渡した。

 AUCはコロンビア軍の補完部隊としてゲリラ相手の内戦に参戦、マンクソは夥しい数の殺人を命じた主犯として逮捕され、2006年コロンビアで禁錮8年の判決を受けた。信じがたいほど軽い罰だった。

 だが米政府が麻薬取引罪で身柄引渡しを要求、マンクソはコロンビアの刑務所に1年9カ月いただけで08年5月、米国に引渡された。

 米国で既に7年、収監されてきた。検察は禁錮22年弱を求刑していたが、裁判所は「模範囚」として15%の減刑に応じた。その結果、これまでの収監期間も差し引き、今後4年半程度、刑務所生活を送るだけで釈放されることになる。

 コロンビアでは殺人罪による禁錮刑が待っているが、同国法廷が米刑務所での服役期間を考慮してマンクソを釈放する可能性もあると指摘されている。 

F・ペソーア作・ポルトガル長編詩の暗誦劇を観る

 ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソーア(1888~1935)が100年前の1915年に発表した長編詩『オードゥ・マリティマ』(邦題「海の詩歌」)を俳優ディオゴ・インファンテが一時間余に亘って熱誦する独り芝居を東京・渋谷文化村のコクーン劇場で6月30日夜、観た。

 観劇評を書くため依頼されて観たのだが、客席で在日ポルトガル人たちが話すポルトガル語の飛び交う雰囲気に久々に身を置いた。ジョアン・ジルの奏でるギターを背後にして暗誦するインファンテのポルトガル語は特に美しく、力があった。

 舞台の上方に日本語字幕が掲げられ、配布された冊子には詩の日本語訳が記載されていた。だから意味は十分に伝わる。

 この俳優は、一度の公演で1回か2回しか演じない。それだけ詩との格闘が俳優の心身の負担になるからだ。

 素晴らしい夜だった。どんな評が私に書けるのか、わからない。
 
 

キューバと米国が7月1日、大使級外交再開発表へ

 クーバ外務省は6月30日、ハバナの米利益代表部から7月1日午前、玖米大使級外交関係再開を記したバラク・オバーマ大統領の親書が届く、と明らかにした。親書はラウール・カストロ国家評議会議長宛て。

 またホワイトハウス筋も30日、大統領が7月1日、対玖大使級外交関係再開に関する決定を発表する、と明らかにした。

 両国は昨年12月17日、国交正常化で合意したと発表。以来、ハバナとワシントンで計4回交渉し、その後も事務レベルで細部について交渉してきた。

 米国は1961年1月3日、アイゼンハワー政権が対玖断交に踏み切り、米州の一角に東西冷戦が始まった。国交再開は54年半ぶりとなる。