2016年2月28日日曜日

「43人事件を忘れたがっている」とメキシコ大統領を批判

 メヒコ・ゲレロ州イグアラ市で2014年9月26日、教員養成学校生43人が強制失踪させられた重大事件の発生から2月26日で1年5カ月が過ぎた。この日、学生たちの親と支援者は、北東端のタパウリパス州の対米国境東端の街マタモロス市で、事件解明を求める運動を展開した。

 このため事件後、毎月26日に首都メヒコ市で展開されていた抗議行進は、この26日には行なわれなかった。

 エンリケ・ペニャ=ニエト(EPN)大統領は24日、国旗制定記念日に際し、イグアラ市駐屯の陸軍第27大隊基地での式典に出席、演説した。イグアラ市は、1821年に「イグアラ計画」と呼ばれる独立綱領が策定された地。

 この史実に立ってEPNは、「イグアラは歴史的に重要な地であり、いつまでも悲劇的事件と結び付けられたままであってはならない」と述べ、暗に43人失踪事件との関連付けに不快感を表明した。

 これに対し、人権団体やメディアは、「政府は事件解明の責任を果たさずに事件を忘れ去りたがっている」と厳しく批判している。

 大統領が演説した陸軍大隊はまさに、43人失踪の事件当日、事件に関与した疑いがもたれている。だが政府は、同大隊への直接的な捜査を認めていない。このためせ内外世論は、政府には事件解明に意志がない、と糾弾している。

 ある新聞は、「大統領は犯罪者を咎めず、自分の名誉を傷つける相手を咎めようとしている」とEPNを切り捨てている。

 一方、24日はミチョアカン州でホセ=マヌエル・ミレレス医師が率いた自警団発足の3周年記念日。自警団は州内36市を麻薬マフィア「聖堂騎士団」から17ヶ月間解放した。

 だが、市民武装団が治安を回復したのに驚愕したEPN政権は、自警団を抑え込んだ。指導者のミレレスは2014年6月末からソノラ州エルモシージョ市の刑務所に収監されてきた。陸軍用の銃器を不法所持した、という容疑でだ。

 ミレレス釈放を求める弁護士らは26日、ミレレスが自警団結成3周年を機に獄中から電話で発した声を公表した。その中でミレレスは、「政府は我々を裏切り、我々を武装解除し、犯罪組織に身を晒させた。記念日に祝うことなど何もない」と語っている。

 また、「我々は36市を17ヶ月間も解放していたのに、連邦警察、州警察、市警、陸軍部隊が居る州都モレリアでは毎日20人が殺され、車100台が盗まれ、強盗事件が頻発している。なぜだ」と政府当局を批判した。

 ミレレスを描いたメヒコ・米国合作の映画「カルテルランディア」(邦題「カルテルランド」)については、公開された時、私は既に刑務所にいたとして「観ていない」と述べた。
 

2016年2月27日土曜日

後継候補は2018年に選出、とボリビア大統領表明

 ボリビア国民投票(2月21日実施)でエボ・モラレス大統領の2019年大統領選挙出馬が不可能になったことから、政権党MAS(社会主義運動)内部で後継者を探す動きが出始めている。

 MASの元上院議員サンドラ・ソリアーノは2月27日、後継者はモラレスの長女エバリス・モラレス(23)にすべきだ、と表明した。エバリスは大学法学部で弁護士になるため勉学中。

 父親大統領派の若者の政治運動「エボ世代」の中心的活動家でもある。26日で発生後1年5カ月経ったメヒコ教員養成学校生43人強制失踪事件の43人への連帯運動を展開中。また、ボリビアの太平洋岸領土回復の悲願実現を支持するチレ人との連携などを遂行している。

 これに対し、MASの上院議員レネー・ホアキーノ(元ポトシー市長)は27日、「政治家として最高位を志す。私にはその能力がある」と表明した。ホアキーノは2009年の大統領選壺前、モラレスの対抗馬になろうとしたことがある。

 ホアキーノはまた、野党勢力からは、サンタクルース州知事ルベーン・アコスタ(社会民主運動)、政治首都ラパス市長フェリックス・パツィ(第3千年紀)、実業家サムエル・ドリア(国民連合)、カルロス・メサ元暫定大統領、ホルヘ・キロガ元暫定大統領らが出馬する可能性がある、と指摘した。

 一方、モラレス大統領25日、後継者は選挙前年の2018年に決める、と言明した。モラレスは今回の敗北について、「一つの戦(いくさ)には敗れたが、戦争全体には負けていない」と述べた。

 モラレスはさらに、国民投票の投票動向に影響を及ぼしたインターネットによる「愛人醜聞情報」の伝達を念頭に、「社会メディアを尊重するが、嘘偽りの悪宣伝は規制すべきだ」と述べ、政府が規制措置の検討に入ったことを示唆した。

 モラレスはコカ葉栽培労働者全国組織の最高指導者でもあるが、27日開かれた第15回ユンガス-チャパーレ(コカ葉生産)伝統地域特別連合会議」で演説、「大統領任期は4年近く残っているが、大統領罷免の是非を問う国民投票を実施してもいい」と述べた。この国民投票の実施可能性はないが、実施されれば勝つとの自信を示した発言で、敗北後の強がりだろうか。

 内務省は26日、モラレスの元愛人ガブリエーラ・サパタを逮捕、「愛人の地位」を利用して、自身が重役を務める中国系企業CAMCが政府発注事業を獲得したか否かなどを取り調べている。

 ボリビアには中国企業約70社が進出、鉱業、土建などに参入している。

2016年2月26日金曜日

ペルー大統領選まで45日、ケイコ・フジモリが支持率1位

 ペルー大統領選挙まで45日となった2月25日、リマのエキシトーサ紙は支持率調査結果を報じた。1位は従来と変わらず、「人民勢力」(FP)を率いるケイコ・フジモリで33・7%。アルベルト・フジモリ元大統領の長女で、元国会議員。

 2位は、「皆、ペルーのため」(TPP)候補で経済学者のフリオ・フスマン18・3%。3位は、実業家で元州知事のセサル・アクーニャ(「ペルー進歩のための同盟」)の7・3%。

 4位は、「改革目指すペルー人」(PPK)候補ペドロ=パブロ・クチンスキ(PPK)元経済相で、6・8%。5位は、3期目を狙う前大統領アラン・ガルシア(「人民同盟」AP)の6・4%。

 6位は、「拡大戦線」(FA)のベロニカ・メンドサで4・1%。7位は、人民行動党(AP)のアルフレド・バルネチェアの3・8%。2期目を目指す元大統領アレハンドロ・トレード(「ペルーは可能」PP)は2・8%で、8位に留まった。

 4月10日の選挙(第1回投票)で過半数得票者は出そうもなく、上位2候補が6月5日の決選に進出する公算が大きい。その場合、ケイコの進出は堅いと見られており、誰が対抗馬になるかに関心が集まっている。

 第1回投票の結果が判明し次第、決選に向けて、落選した3位以下の候補たちの得た票の奪い合いが始まる。

 現在、各陣営間で足の引っ張り合いや激しい攻撃合戦が展開されている。
 

2016年2月25日木曜日

LATINA3月号・伊高執筆乱反射は「ペルー大統領選」

◎最近の伊高浩昭執筆記事

★月刊誌LATINA3月号(2月20日刊)

「ラ米乱反射」連載第119回 「ペルー次期大統領の最有力候補はケイコ・フジモリ  元国家警察長官マルコ・ミヤシロが政策顧問」(現地リマでの取材を踏まえた4月大統領選挙展望、および80~90年代のペルーの治安状況)

映画評:「エスコバル 楽園の掟」(アンドレイ・ディステファノ監督)=3月12日シネマサンシャイン池袋などで公開=

書評:「文学会議」(セサル・アイラ著、柳原孝敦訳、新潮社)

★月刊誌「映画秘宝」4月号:「パブロ・エスコバル:暴力でのし上がった稀代の無法者 罪滅ぼしか? 貧しい人々に<善>施す」

★映画「エスコバル 楽園の掟」冊子:「麻薬王パブロ・エスコバル  ロビン・フッドとゴッドファーザーを自認した<錬金術師>」

2016年2月24日水曜日

カストロ兄弟の兄ラモーン(91)が死去

 カストロ兄弟の長兄ラモーン・カストロ(91)が2月23日、死去した。認知症を患い、長らく人前に出ていなかった。農業技師で、革命政権の農牧業政策に貢献した。

 1953年7月26日、二男フィデル(現在89)、三男ラウール(同84)がサンティアゴ市内の陸軍モンカーダ兵営を襲撃、失敗に終わった後、ラモーンは逮捕され、収監された。

 革命戦争中は、実家の農場経営を支えながら、両弟を支援。特にサンティアゴ近郊に展開したラウールの東部第2戦線への補給路を構築した。両弟のような政治的野心はなかった。

 カストロきょうだいは7人で、総領で長女のアンヘラは2012年に老衰で死去。二女フアーナ(82)は革命に反旗を翻し米国に亡命、マイアミに住む。肺癌で療養中。著書「カストロ家の真実」(2012年、中央公論新社)がある。この本には、カストロ家の内情が詳述されている。

 三女エンマ(79)はメキシコ在住。四女アグスティーナ(77)は熱心なカトリック信者。7人きょうだいは、5人になった。
 

ボリビア国民投票でモラレス大統領が僅差で敗北

 ボリビア選管は2月23日夜、21日実施のモラレス4選をかけた国民投票でエボ・モラレス大統領が敗れたことを明らかにした。開票率99・72%、改憲賛成48・69%、反対51・31%で、2・62ポイントの僅差で改憲反対派が勝利した。

 モラレス大統領は、出口調査で反対が優勢な趨勢を明確に示していた段階で、先住民票、農村票、在外票の開票を待つと言い、逆転勝利に期待をかけていた。確かに差は縮まったが、賛成が反対を上回ることはなかった。

 モラレスは24日、敗北を認めながらも、「反対派による汚いキャンペーンがあった」と糾弾した。

   これでモラレスは、2019年実施の次期大統領選挙に出馬できないことになった。現任期は2020年1月までであり、モラレスはいったん、政権を離れなければならなくなった。

 モラレス政権下で制定された現行憲法は、連続2選までしか認めていない。モラレスは2005年、旧憲法下で当選し06年1月就任。その後、新憲法を制定、その下で2選を遂げた。今回、改憲によって3選を目指したが、既に10年政権にあり、飽きられていたことは否めない。

 野党幹部の一人、カルロス・メサ元暫定大統領は国民投票結果を受けて、「絶対不可欠な大義はあっても、余人をもって代えがたい人物はいない。そのことが証明された」と述べた。

 南米では昨年末以来、右傾化が顕著だ。アルヘンティーナにマクリ右翼政権が誕生。ベネスエラ国会は保守・右翼野党連合MUDが多数を占めた。これに続くモラレスの敗北で、南米左翼路線の退潮が一層鮮明になった。

 ボリビア政権党MAS(社会主義運動)内部では、モラレスの後継者の地位を狙う権力闘争が始まることが予想される。現時点で有力なのは、モラレスの側近で先住民のダビー・チョケウアンカ外相と見られている。
 

2016年2月23日火曜日

腐敗まみれのホンジュラスで取締支援団が活動開始

 腐敗が蔓延しすぎて動きがとれなくなっているオンドゥーラスで2月22日、「オンドゥーラス反腐敗・無処罰支援団」(MACCIH)が活動を開始した。元ペルー首相で弁護士のフアン・ヒメネスが団長以下50人で、過半数は外国人。

 この支援団は、過去半年、フアン・エルナンデス大統領のオンドゥーラス政権と米州諸国機構(OEA)が話し合った結果、1月19日ワシントンのOEA本部で同大統領とルイス・アルマグリOEA事務総長が調印、設置された。

 以前から収賄など汚職が絶えなかったが、社会保障庁(IHSS)資金から3億3000万ドルが横領され、その一部である九万4000ドルが2013年の大統領選挙時に当選者とされたエルナンデス現大統領の選挙資金に回されていた事実が暴露され、一大醜聞事件になった。この国では、毎年4億4000万ドルもの国庫資金が横領されている、と指摘されている。

 政権党の国民党が腐敗の中心の一つ。官僚機構、財界、外国企業も絡んでいる。

 ヒメネス団長は22日の記者会見で、相手が誰であろうと、いかなる組織であろうと、腐敗があれば摘発すると述べた。支援団は向こう4年間、活動する。活動資金は、政府からの独立性を維持するため、米欧政府などが拠出する。

 オンドゥーラス人の40%は極貧状態にある。
 

   

2016年2月22日月曜日

ボリビア国民投票でモラレス大統領敗北の公算

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は2月21日実施された国民投票で敗北した可能性がある。選挙最高裁判所(TSE)は22日、開票率85%段階で、モラレス4選への反対53・8%、賛成46・2%と発表した。各種の出口調査でも反対が上回っている。

 モラレスは、2019年の次期大統領選挙への出馬を可能にするための改憲をかけて国民投票を実施した。現行憲法下では連続2選しかできず、モラレスは改憲で連続3選を可能にしようとしている。

 先住民族アイマラ人であるモラレスは2006年1月以来、旧憲法下での最初の当選を含め既に3選を果たし、政権は10年続いている。現行任期も2020年1月まで、あと4年ある。

 次回選挙に出馬し当選すれば、政権は2025年まで続くことになり、さすがに有権者は拒絶反応を示さざるをえなくなった、と指摘することができる。2025年はボリビア独立200周年であり、モラレスは大統領として、その年を迎えたがっていた。

 民放テレビ、出口調査機関などは、改憲反対52・3%、賛成47・7%、同51対49など、反対が過半数と発表している。

 ボリビア9州のうち、出口調査で賛成票が多数なのはラパス、コチャバンバ、オルーロの3州だけだ。

 モラレスは外国紙に対し、「支持団体から新自由主義勢力を復活させないために出馬してくれと推挙された。だが負けたら(2020年1月)チャパーレに帰る」と語っている。コチャバンバ市郊外のチャパーレはモラレスが指導するコカ葉栽培労組の中心的栽培地だ。

 さらに後継者候補の一人として、ダビー・チョケウアンカ外相の名を挙げた。米帝国主義反対一辺倒の論理は古いのではないかと訊かれると、「帝国と資本主義があるかぎり闘争は続く」と答えた。

 モラレスとともに歩んできたアルバロ・ガルシア副大統領も、「我々は人民の中から出てきた。人民の意見に従う」と、敗北を覚悟したかのような発言をしている。

 モラレスは経済建設で前例のない成果を挙げたが、国民投票直前の今月初め、愛人のいる企業に公共事業を発注した疑惑を暴露されたのが響いた。またエル・アルト市で政権党MAS要員らが市庁舎に乱入し放火、6人が死亡する事件が起きたのも影響した。

 南米ではアルゼンチンでの右翼政権発足、ベネズエラ国会での保守・右翼連合の多数支配など右傾化の流れが顕著になっている。モラエス敗北が確定すれば、南米左翼の潮流に対する右傾化の逆流が本流になる可能性が出てくる。

ニカラグアのフェルナンド・カルデナル師が死去

 ニカラグアで貧者の教育に尽くしたイエズス会司祭フェルナンド・カルデナル(82)が2月20日、入院していたマナグアの病院で死去した。詩人エルネスト・カルデナル(91)は実兄。

 1952年に見習い僧となり、やがて「解放の神学」を支持、ソモサ長期独裁に反対を唱え、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を支援した。

 1979年7月、独裁打倒の革命が勝利すると、駐米大使就任を求められて断り、識字運動を引き受けた。翌80年、「識字十字軍」運動を展開、60%近かった非識字率を一気に15%程度に引き下げた。

 1984年、サンディニスタ政権の教育相になるや、当時のローマ法王ヨハネ=パウロ2世の命令で、兄エルネスト、ミゲル・デスコトらとともに僧職を追われた。

 大衆教育運動「ニカラグア信仰と喜び」を指導。1996年、62歳でイエズス会復帰が認められた。

 葬儀は、イエズス会系の中米大学(UCA)で執り行われる。80年代のサンディニスタ革命を代表する人物がまた一人去った。

2016年2月21日日曜日

アルゼンチンタンゴ「セステート・メリディオナル」を聴く

 亜国の若手6人組楽団「セステート・メリディオナル」(真昼の6人楽団)が「タンゴ・ルネサンス」と題して40日に及ぶ日本公演中。2月19日のマチネーを中野サンプラザで聴いた。楽団長パブロ・エスティガリビアのピアノは素晴らしい。第1バイオリンのセサル・ラゴも良かった。

 全11曲にアンコールのラ・クンパルシータ。「ポル・ウナ・カベサ(首の差で)」、「エル・チョクロ(トウモロコシの粒)」、「ケハス・デ・バンドネオン(バンドネオンの嘆き)」の古典3曲のほかは、アストール・ピアソーラや新しい曲など。ピアソーラが父の死に際して作曲した「アディオス・ノニーノ」は圧巻だった。

 踊りは、2015年タンゴ世界選手権優勝のカミーラ・エセキエル組をはじめ3組。限られた振付の限界に挑むような動きが良かった。歌手エステバン・リエーラは声が堅い。太く甘い声が欲しい。

 残る公演日程は21日名古屋、23日川口、24日千葉、26日足利、28日仙台、3月1日長岡、2日川越だけ。

 問い合わせは、LATINA(03-5768-5588)および各地の「民音」。このセステートは、聴き観て楽しめる。

2016年2月20日土曜日

ボリビアで21日モラレス大統領続投の是非問う国民投票実施

 ボリビアで2月21日、エボ・モラレス現大統領の2019年実施の次期大統領選挙出馬の是非を問う国民投票が実施される。大統領連続2選までを認めている現行憲法の第168条を改正し、連続3選を可能にするか否かを問う。有権者は560万人。

 19年選挙にエボが出馬し当選すれば、2020年1月までのエボの任期は25年まで5年間延長される。エボは2006年1月就任し、既に10年余り政権にある。2025年までなら、連続19年の長期政権となる。

 ボリビア経済は、天然ガス、原油、鉱物など好調な輸出の増大で年平均4・9%成長。エボは、国庫収入を教育、医療、住宅建設など社会投資に投入、人口の7割方を占める先住民らの支持を固めてきた。

 政府統計によると、2006~15年に貧困率は53%から29%に減り、260万人が中産層に上昇した。一日当たり1ドル以下で暮らす極貧層は38%から17%に減った。

 だが国際経済の冷え込みで一次産品価格が低下した昨年、国庫収入は32%も減った。これにより、経済を政治の推進力にしてきたエボの勢いが鈍った。

 エボの多選に激しく反対してきた野党勢力は、好況時にエボが経済多角化のため投資しなかった、と批判している。

 そこへもってきて今月初め、エボが大統領の影響力を用いて、愛人が重役を務めている中国系企業に、公共事業7件(総額40億ボリーバル=5億6000万ドル)を入札なしで発注した疑惑、およびエボとその愛人との間に男児が生まれていたことが暴露された。ラ米人は愛人問題には概して寛容だが、地位を利用しての事業発注には批判的だ。支持率は急速に下がった。

 追い打ちをかけるように17日、ラパスに隣接するエル・アルト市で暴徒の群れが市庁舎に乱入し、書類を燃やし、放火した。この火災で職員6人が窒息死し、20人が負傷した。

 同市では、エボの政権党MAS(社会主義運動)幹部70人を巻き込んだ巨額の公金横領事件が起きていた。この事件の関係書類は、今回の事件で大方燃やされ、破壊された。事件も投票行動に影響を及ぼすと見られている。エボは、いつになく苦戦を強いられている。

 国民投票結果は、48時間以内(日本時間24日午前)に判明する見込み。南米諸国連合(ウナスール)の投票監視団20人、国際監視員1000人が各地の投票所に展開している。

 ウナスールのエルネスト・サンペール事務局長は19日、エボと共にコチャバンバ市を訪れ、同地に建設中の南米議会議事堂の建設状況を視察した。80%は完成している。

 一方、ボリビア国営石油会社・国庫油床(YPFB)と組むスペインのレプソール石油は19日、ボリビア南部のタリーハ州内カイピペンディ天然ガス田の3カ所で、新しいガス埋蔵地を発見したと発表した。これによりボリビアのガス確定埋蔵量は40%増えた。

 またエボと、ロシアのガスプローム社のアレクセイ・ミレル社長は18日タリーハ市で、ガス田共同開発など同社とYPFBの協力強化など3協定に調印した。

2016年2月19日金曜日

オバマ米大統領が3月キューバとアルゼンチン歴訪へ

 米政府は2月18日、バラク・オバーマ大統領が3月21、22両日、クーバを公式訪問する、と発表した。米大統領の訪玖は1928年のカルヴィン・コールリッヂ大統領以来88年ぶりとなる。オバーマ大統領はクーバ訪問後の3月23、24両日、アルヘンティーナを訪問する。

 米国家安全保障副顧問ベン・ローズは18日、オバーマ大統領はラウール・カストロ国家評議会議長と会談するが、実兄フィデル・カストロ前議長に会う予定はない、と述べた。ローズはまた、大統領はラウール議長と人権問題も話し合うとし、クーバの反体制派代表らとも会う、と明らかにした。

 米政府発表を受けてクーバ外務省のホセフィーナ・ビダル米国局長はハバナで記者会見し、クーバはオバーマ大統領を歓迎すると表明。訪問は、大統領のクーバの現実理解、両国間の対話拡大、相互協力に貢献する、と指摘した。

 局長は、人権問題が議題になることについては、既に両国間で何度も話し合われてきた、と述べた。

 88年前のコールリッヂ大統領訪玖は、ハバナで開かれた第6回汎米首脳会議出席のため。当時のクーバ独裁者ヘラルド・マチャード大統領と会談した。

 米大統領の亜国訪問については、1997年にビル・クリントン大統領がバリローチェでカルロス・メネム大統領と会談している。また2005年11月、マルデルプラタ開催の第4回米州首脳会議にジョージ・ブッシュ大統領が出席した。

 この会議では、ベネスエラの故ウーゴ・チャベス大統領、亜国の故ネストル・キルチネル大統領、ブラジルのルーラ大統領が組み、米国が提唱していた米州自由貿易地域(ALCA・FTAA)結成案を潰し、ブッシュは面子を失った。以来、亜国は米政府にとって
「鬼門」だったが、昨年12月、マクリ親米右翼政権が発足、米亜関係は緊密化しつつある。

 問題は、玖亜両国歴訪の間の3月23日が、コロンビア政府とFARCの内戦終結協定調印日であること。コロンビアのJMサントス大統領は以前、オバーマが調印式に立ち会うと示唆していた。

 サントスとオバーマは2月4日ワシントンで会談し、米国が4億5000万ドルのコロンビア援助を17年度予算で執行することを約束した。この会談でオバーマのコロンビア訪問がなくなったのかどうか、定かでない。

 ハバナを発った米大統領機がコロンビアに立ち寄り、調印式後にブエノスイアレスに向かう可能性も残されている。
 

2016年2月18日木曜日

ベネズエラが久々にガソリン価格値上げに踏み切る

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は2月17日、ガソリンの値上げを発表した。1989年以来、27ぶりの値上げで、19日から実施される。

 値上げは、ガソリン95オクタン物1リットル=0・097ボリーバル(b)から62倍の6bへ。91オクタン物同=007bから14倍強の1bへ。米ドル換算では、1リットル=0・01dから0・95dへの値上げとなる。

 大統領は、米国では0・78d、隣国コロンビアでは1・08dだと、比較した。だが通貨1d=6・3bの公定交換率での価格であり、闇市場では1d=1000bにも及んでおり、ベネスエラのガソリンが世界一安いことには変わりない。

 1989年初め、時のCAペレス大統領の政権がIMF勧告を受けて経済調整し、ガソリンを含む生活必需物資の価格や公共料金を引き上げたところ2月末、軍隊による鎮圧で死傷者多数が出るカラカス大暴動事件(カラカソ)が発生した。

 1999年登場した故ウーゴ・チャベス大統領はカラカソ体験から、貧困層が多い支持者の離反を怖れ、ガソリン値上げには踏み切れなかった。後継のマドゥーロ政権は2013年7月、ガソリン値上げ方針を打ち出したが、同じ理由で実行しないでいた。

 政府は、ガソリンを超安値の維持するため、年間125億ドルの補助金を支出していた。だが国庫は極度に悪化しており、それが14年後半以降の原油価格低落で破綻に繋がり、今回やむなくガソリン値上げに踏み切った。

 昨年12月の国会議員選挙で政権党連合は大敗、皮肉にもこれにより値上げが可能になった。当面、選挙はなく、失うものがすくないからだ。大統領は、値上げによる収益は社会政策に回すと約束している。

 ベネスエラは国庫収入の95%以上を石油に依存しており、2年半前の1バレル=100dから昨今は20d台に低迷しており、歳出を支え切れなくなっている。大統領は同時に最低賃金および食糧補助を52%3月1日から増やすことも決めたが、インフレが留まるところをしらず、労働者は月収で生活費の6割る程度しか賄えない。

 大統領が今回ガソリン値上げを実施したのは、ベネスエラが熱心に働きかけた結果16日ドーハで開かれたカタール、サウディアラビア、ベネスエラのOPEC3国およびロシアの4カ国石油相会議で、生産を今年1月の水準に据え置くことを決めたタイミングに合わせてのこと。

 ドーハ合意は、イラン、イラク、クウェートなど他の産油諸国の同調を条件としているが、原油重要が減っているのに供給が過剰すぎるのが最大の価格低落要因だとわかっているため、ここに至って合意形成に近づいた。各国とも財政が悪化しており、減産ではなくとも増産しないことで、国際原油市場の好感を招こうと期待している。

 マドゥーロ大統領は、2013年1月のベネスエラの原油輸出収入が33億1700万ドルだったのに対し、今年1月は7700万ドルと激減した事実を示し、ガソリン値上げの必要性を強調した。

 一方、野党連合MUDが圧倒的多数を占めるベネスエラ国会は16日、「恩赦・国民和解法」案の第1回本会議審議を終え、法案を可決した。委員会審議を経て本会議で第2回審議を近く行ない、可決されれば、成立する。だが大統領は拒否権を発動すると明言している。

 政府は、収監されている政治家ら約75人は、2014年前半、死者43人を出した街頭暴動事件の扇動罪や破壊実行罪で有罪になった犯罪者であるとし、恩赦対象にならないとの立場だ。

 これに対し、MUDや右翼メディアは「政治囚」と主張している。政府は、決して「政治囚」ではなく「囚人になっている政治家」と反論している。

 国会でMUDは、マドゥーロ大統領の早期退陣実現のための方策を練っている。憲法が保障する大統領罷免国民投票の実施申請には、有権者の20%(390万人)の署名が必要。MUDは、改憲による罷免の可能性をも探っている。

  
 


 


NGOピースボート本部でキューバ・米国関係を語る

 NGOピースボートの東京・高田馬場本部で2月17日夜、定例勉強会があり、キューバと米国の関係について講師の私が語り、質疑応答した。

 集まったのは今年8~11月、世界一周航海船への乗船を予定している若者や年配者たち。この第92回航海船は10月には、ニューヨーク-バハマーハバナの黄金航路を航行し寄港する。

 玖米両国が昨夏、54年半ぶりに国交を再開したから米玖直行航路が可能になった。今、米国や欧州の豪華旅客船がクーバ寄港を組み込んだカリブ海周遊や通過航海を続々申請している。

 PBは、玖米両国が対立していた時期からハバナ入港を何度も経験していて、クーバの受け入れ当局の評価は高い。PBはホノルルにも寄港しており、観光立州ハワイイ(ハワイ)から歓迎されている。

 だがPBは、底辺の生活を余儀なくされている人々の多いハワイイ先住民族の文化や生き方を理解したり、交流したりする機会を常に探っている。この辺りが、並の観光船と異なる。

 若者たちの多くは、東京、札幌、仙台、横浜、名古屋、大阪、福岡などのPB拠点でアルバイトし、その労賃で船賃のかなりの部分を相殺して乗船する。PB乗船がゼミの単位になる大学もある。

 私が若かったころには、PBのような自由で面白い航海船はなかった。今や世界の民主・進歩主義勢力や海洋沿岸諸国政府から注目されるまでになっているPBのある、現代の若者は幸運だ。

 年配者は往時の若者として、失われた青春の一部分を取り戻そうとPBに乗る。一種の回春である。

2016年2月17日水曜日

映画3本「オマールの壁」「人生は小説より奇なり」「無音の叫び声」を観る

 昨日、試写場を3カ所はしごして、映画3本を観た。家を出てから帰宅するまで9時間、映画を観ていたのは計5時間15分だった。駅から会場、会場から会場、会場から駅へと歩いたのは計90分くらいか。くたびれた。

 一つ目は、東銀座と築地の間にある松竹本社で、パレスティーナ人のハニ・アブアサド監督の2013年の作品「オマールの壁」(原題「オマール」、97分)。異常な日常の中の異常な出来事を描く、政治的人間ドラマの秀作だ。

 ヨルダン川西岸のパレスティーナ領と、その領土を軍事力を持って侵食するイスラエルが築いた高さ8mのコンクリートの壁越しに物語は展開する。

 日本人観衆にとっては、パレスティーナの置かれている状況の理解の一助となることだろう。4月16日、東京の渋谷アップリンクと角川シネマ新宿で公開される。

 歩いて京橋に移動し、「人生は小説よりも奇なり」(原題「愛は奇なり」)を観た。アイラ・サックス監督の2014年の作品で95分。同性愛者である中年の音楽家と初老の画家が長年の同居生活の末、結婚する。ニューヨークを舞台に、居住という生活の根本が醸す問題を中心に物語が展開する。人間の生き方と物悲しさをさりげなく描いた好作品。東京のシネスイッチ銀座で3月公開される。

 地下鉄で京橋から青山一丁目に行き、神宮外苑にある東北芸術工科大学で、「無音の叫び声」を観た。122分のドキュメンタリー。原村政樹監督の2015年の作品。

 山形県牧野(まぎの)村在住の農民詩人、木村みち夫(80歳、「みち」は、しんにゅうに由)の戦中、戦後、現代を辿り、戦争絶対反対の立場を打ち出す。

 木村の詩集の同人は、かつて無着成恭の「山びこ学校」の生徒であり、木村らの農民文化運動と「山びこ学校」が繋がっていることがわかる。

 上映の前後に木村が挨拶した。私は、木村に最も影響を受けた詩人は誰かと訊いた。同郷の黒田喜夫(1926~84)だと答え、外国人の詩人とは無縁だったと言った。

 4月9日、東京の「ポレポレ東中野」で公開される。詩を好む人には特に見応えがあるだろう。ネルーダのようなメタフォラ(隠喩)を駆使した作風ではなく、物事や心情を直接的に描く。一作の一部を紹介する。

 「コメのなる葉」

 コメのなる葉はかなしい  おおわが田むらの稲(オリザ)よ  コメのなる葉よ  ぬめりぬめる泥の深みから  必死に這いあがり   朝の世界をめざす勇姿よ
 
 原村監督編著の木村みち夫詩集「無音の叫び声」(農文協、2592円)が刊行されている。

キューバと米国が半世紀ぶりに民間航空協定を復活

 クーバと米国が2月16日、半世紀余ぶりに民間航空協定(合意議定書)を結んだ。ハバナでの調印式で、アデル・イスキエルド玖運輸相とアンソニー・フォックス米運輸相が調印した。

 米運輸省は17日から3月2日まで、米航空会社からのクーバ便開設申請を受け付け、3月半ば以降、各社に回答する。アメリカン、ユナイテッド、デルタ、ジェットブルーなどが申請を予定している。

 ハバナ行きは一日往復20便。サンティアゴ、サンタクラーラ、カマグエイ、オルギン、シエンフエゴス、マタンサス、マンサニージョ、カヨココ、カジョラルゴの9地方空港に各10便ずつ。計最大一日110往復便となる。

 だが米国内の需要次第だ。経済封鎖が解除されておらず、一般米国人の対玖自由渡航は禁止されている。一日10~15便のチャーター便は従来通り運航される。

 クーバのイシドロ・マルミエルカ貿易・投資相は現在訪米中で、貿易や投資について米側と話し合っている。

 一方、玖外務省は13日、誤ってハバナに運ばれていた米製ミサイルを米国に同日返還した、と明らかにした。このミサイルは米ロッキードマーティン社製で、レーザー誘導ADM114「ヘルファイアー」弾頭が付いている。

 2014年6月、パリから民間貨物として誤ってハバナ空港に送られた。米側は「演習用ミサイル」と発表している。

 今年7月末に任期が終わるペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領は17~18両日、クーバを公式訪問する。

フランシスコ法王が先住民への迫害をミサで謝罪

 メヒコを2月12日から訪問中のフランシスコ法王は15日、最貧州チアパスのサンクリストーバル・デ・ラスカサス市の市営スポーツセントロで野外ミサ執り行い、先住民族に過去の迫害を謝罪した。ミサには、マヤ系先住民を含む14万人が参加した。

 法王は、「先住民は無理解や社会的疎外に苛まれ、見下されてきた」と指摘し、「我々は許しを請うことを学ばねばならない」と述べ、先住民に「ペルドン(ごめんなさい)」と直接謝罪した。

 また法王は、「権力、金(かね」)、市場原理に酔い痴れて、先住民の土地を奪取したり、自然を汚染させることもあった」と、過去の植民者らによる狼藉を批判した。

 さらに、「先住民こそ、人と自然の調和を人類に教える立場にある。我々は、歴史的な環境破壊の危機を前に黙していてはならない」と、警鐘を鳴らした。

 ミサでは、先住民語のチョル、ツォツィル、ツェツァルも使われた。隣国グアテマラからも先住民らがミサに参加した。

 この都市は、スペイン人入植者による先住民への迫害を糾弾し、「インディアス(新世界植民地)の主権は先住民にある」と唱えた高僧バルトロメー・デ・ラスカサス師のゆかりの地。法王は、その史実を意識し、先住民の置かれた状況に光を当てた。

 20世紀後半、「解放の神学」の影響を受けたサムエル・ルイス司教が地元の大聖堂で司祭した。法王はミサに先立ち、同司教の墓と大聖堂を訪れた。

 1994年元日には、メヒコの伝統的支配体制に反逆し、先住民主体の「サパティスタ民族解放軍」(EZLN)が蜂起し、一時的だが陸軍を制圧した。以来26年、EZLNは包囲された状況の下、自治社会を維持している。
 

 

2016年2月15日月曜日

モラレス・ボリビア大統領が国民投票敗北を覚悟か

 2019年の大統領選挙に出馬し連続4選を目指すボリビアのエボ・モラレス大統領が、そのための改憲の是非を問う国民投票で敗北する可能性が出ている。国民投票は2月21日実施されるが、一週間前の14日公表された各種世論調査では、4選賛成と反対が40%同士で拮抗しているのが一件、他は反対38%、賛成34%など、反対が上回った。

 これを受けてモラレス大統領は14日、「反対が勝てば、それも権利行使の結果だ。そうなればMAS(政権党・社会主義運動)は別の候補を立てることになる」と述べ、敗北がありうることを覚悟していることを示唆した。

 大統領の苦戦は、モラレス多選に反対するあるジャーナリストがこのほど、モラレスが影響力を行使して、愛人が重役を務める中国系のCAMC社に政府発注の仕事を与えた、という見方を明らかにしたこと。

 併せて、モラレスと、その愛人ガブリエーラ・サパタ弁護士(28)の間に男児一人が生まれていたことも暴露した。

 大統領府は、モラレスが2005~07年、サパタと愛人関係にあった事実と男児がいたことを認めたが、「男児が死んだのを契機に別れた」と発表した。

 ところが、2015年のオルーロ市のカルナバルを見物するモラレスにサパタが寄り添っている写真が新たに暴露された。世論調査では、「モラレスは真実を話していない」、「愛人に便宜を図った」と見る回答が圧倒的に多くなった。

 大統領は、この醜聞暴露の背後には米政府(CIA)がいると非難したが後の祭、支持率は急速に落ちてしまった。モラレスは独身だが、二人の女性との間に長女と長男が一人ずついる。

 モラレスが21日に敗れれば、昨年末の亜国での右翼政権登場と、ベネスエラ国会議員選挙での保守・右翼野党連合圧勝に続き、南米での左翼退潮を印象付けることになる。

 

 

2016年2月14日日曜日

ハイチ暫定大統領にJ・プリヴェール前上院議長が就任

 アイチ(ハイチ)国会は2月14日未明、暫定大統領選挙を実施、ジョスレム・プリヴェール(63)を選出。同日就任した。同氏は、レネー・プレヴァル元大統領に近い。前日まで上院議長だった。

 国会でのこの選挙には5人が出馬、第1回投票では下院で、野党「闘争人民機構」(OPC)のエドガー・ルブラン元上院議員が1位、上院ではプリヴェールが1位になった。このため両者の間で決選が実施され、両院でプリヴェールが1位になり当選した。

 暫定政権下で4月24日、昨年末以来実現していない大統領選挙決選が実施され、その当選者は5月14日、正式な大統領に就任する。

 ちょうど3ヶ月間の暫定政権だが、プリヴェールは「合意形成に努める」と述べ、全有権者に協力を求めた。

 昨年10月25日実施された大統領選挙では政権党による大規模な不正が発覚、2位に着け決選進出資格を得た野党候補ジュドゥ・セレスタンは決選を拒否した。このため与党候補ジョヴネル・モイズだけとなり、決選は2度に亘って延期された。

 国内は大混乱に陥り、米州諸国機構(OEA)や、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)などが仲介の労をとった。

 この国は1957~86年、デュヴァリエ父子2代の独裁の後、混乱が続いた。改革派のJBアリスティド大統領が2度にわたり追放された結果、混乱は収まらないまま今日に至る。

 アイチの事実上の宗主国・米国、旧宗主国フランス、影響力の大きカナダはアリスティドの改革政策を嫌い、2004年の2度目の追放の際、3国が主役を演じた。

 

ベネズエラ最高裁が国会採決を否定、「経済非常事態」成立

 ベネスエラ政府と、国会で圧倒的多数を占める野党連合MUDの対立が先鋭化している。ニコラース・マドゥーロ大統領は1月15日、「60日の経済非常事態」を発動する政令を出したが、国会は22日、これを否決した。

 すると政府派が多数を占める最高裁判所は2月11日、国会の否決を無効と判断、政令は成立した。「非常事態」は、物資不足に対応し物流・供給を促進するため、民間企業保有の財の強制的活用を認めている。

 また、外為投機と外貨流出を抑えるため、通貨ボリーバル紙幣の国外持ち出し量と、国外からの持ち込み量を制限している。

 マドゥーロ大統領は、最高裁判断を受けて12日、「経済非常事態は(60日でなく)今年いっぱいと、来年の必要時期まで維持される」と述べた。さらにMUDを「破壊主義者」、「非愛国者」と攻撃した。

 これに対しヘンリー・ラモス国会議長が指導するMUDは同日、マドゥーロ大統領を政権から引きずり下ろすため改憲か、大統領罷免要求国民投票か、いずれかの合法的措置をとる検討を急ぐ、と強調した。

 憲法規定では、大統領が任期6年の半分を過ぎてから、有権者の20%の署名をもって申請、選管が認めれば、罷免投票が実施される。罷免票が大統領の当選時の票を上回れば、大統領は罷免される。今年4月下旬、マドゥーロの任期は半分を経過する。

 過去に故ウーゴ・チャベス前大統領が罷免投票に直面したが、社会政策拡充などで反転攻勢に出て、罷免派に打ち勝った。

 チャベスの側近だったアリストーブロ・イズトゥーリス執権副大統領は13日、民間企業などによる「経済戦争」に勝つには、生産を増やす以外に道はない、と指摘した。

2016年2月13日土曜日

ローマ法王とロシア正教総主教がハバナで歴史的会談

 ローマカトリックとロシア正教の最高聖職者が2月12日ハバナ空港貴賓室で会談した。1054年のキリスト教「大分裂」以来、初めての歴史的会談となった。

 フランシスコ法王は同日ローマから専用機で到着、ラウール・カストロ国家評議会議長に迎えられた。次いで、11日にハバナ入りしていたキリル総主教と抱擁し接吻を交わした。贈り物を交換した後、通訳を交え2時間会談した。

 会談後、二人は共同宣言を発表した。宣言は、中東とマグレブ(北アフリカ)でのキリスト教徒迫害の問題が中心を占めた。

 「中東、マグレブの多くの国々でキリスト者家族全体、居住地全体が消されている。寺院は破壊、略奪され、聖殿は冒涜され、記念物は取り壊された」と前置きし、「キリスト者としての良心と聖職者としての責任が無関心であることを許さない」として、国際社会にキリスト教徒を保護するよう訴えた。

 会談後、法王は訪問先のメヒコ市に飛び去った。法王庁広報官は、「目標に到達した。連帯と理解への道は容易ではなかったが、勇気ある試みだった。総主教の顔は喜びに満ちていた」と述べた。総主教は、「相互理解し合えた。キリスト教防衛に協力できる」と語った。

 総主教はこの日、革命宮殿でラウール議長と会談した。フィデル・カストロ前議長と13日会談。14日ハバナのロシア正教大聖堂でミサをして訪玖を終え、パラグアイ、ブラジル歴訪に向かう。

2016年2月12日金曜日

法王訪問前のメキシコの刑務所で囚人同士が戦い52人死亡

 メヒコ北部のヌエボレオン州都モンテレイ市内にあるトポチコ刑務所で2月10日夜から11日未明にかけて同じ麻薬マフィアに所属する囚人同士の戦いがあり、州政府の11日の発表によると、52人が死亡、5人が重傷、7人が軽傷を負った。

 この刑務所では、北部一帯で特に根を張る麻薬マフィア「ロス・セタス」が「自治支配」していた。看守ら刑務所当局は、彼ら囚人たちから現金を徴収、それと引き換えに内部支配を許していた。

 発表によれば、昨年末に近隣のタマウリパス州内の刑務所から移送されてきたロス・セタスの幹部がトポチコ刑務所の支配権を握ろうと画策、従来からのロス・セタスの幹部といさかいになり、今回の戦いとなった。囚人たちはこん棒やナイフを手に戦った。

 背景には、刑務所の過剰人口がある。国内389刑務所の7割は定員過剰で、トポチコ刑務所は定員の2倍の3800人が収容されてきた。囚人たちは絶えずストレスと、襲われる危険に苛まれている。

 12日来訪するローマ法王フランシスコは、米国国境のフアレス市にある刑務所を訪れることになっている。メヒコ政府にとっては、極めて都合の悪い時期に今回の重大事件が起きたことになる。

 メヒコ社会では犯罪者の多くが無処罰に終わる無法状態が支配しているが、刑務所内も腐敗の充満する無法地帯であることが、あらためて浮かび上がった。

2016年2月11日木曜日

ベネズエラとイランが経済協力関係活性化で合意

 ベネスエラのルイス・サラス経済担当副大統領は2月1日、イランのムスタファー・アラエイ駐ベネスエラ大使と会談し、両国間でこれまでに結ばれた協力協定をすべて見直し、特に経済分野での協力関係を実体化させることで合意した。薬品、原料、トラクター、耕作用機械の分野が特に重視されている。

 イラン大使は、ベネスエラの「生産経済」の開発を支援する、と述べた。イランは核開発問題が先ごろ解決し、経済制裁が解除され、他国に経済協力する余裕が出てきた。観光や油化も協力対象になる、と大使は指摘している。

 故ウーゴ・チャベス大統領とマハームド・アハマディネジャド前大統領の時代に両国関係は緊密化した。だが両首脳が去ったことや、ベネスエラの経済難、イランへの経済制裁が重なって、両国関係は勢いが失われていた。

 米国との関係が冷却しているベネスエラには、中国から原油と引き換えに資金が来るだけで、ベネスエラは財政が極めて厳しい。イランとの旧交を暖めたくなったのも不思議はない。

 両国が加盟する石油輸出国機構(OPEC)は1月、日量3233万バレルの原油を生産した。昨年12月より13万バレル増えている。目安の3000万バレルよりも233万バレルも多い。

 OPEC加盟国の中で、サウディアラビア、イラン、イラク、ナイジェリアが増産、ベネスエラ、アルジェリア、アンゴラは減産と、生産政策が二つに分かれている。

 今年のカルナバルは9日大方終わり、10日は「灰の水曜日」で、この日から40日間の四旬節が始まった。3月23日の「聖水曜日」からは復活祭だ。ベネスエラ政府は10日、全国で節電政策を始めた。

 電力の大口消費店舗には毎週月~金曜日、1500~1900の4時間しか配電しない。他の時間帯は自家発電するよう促している。ところが、自家発電設備を持つ店舗は、わずか1%にすぎない。

 多くの店舗は、自家発電装置がないため、営業日は毎日1300~1500と1900~2100店を閉め、1日4時間営業にせざるを得ないと表明している。カラカスや各地の商業会議所は、商業が大打撃を受けると批判している。

 原因は異常渇水で、シモン・ボリーバルなど2カ所のダムの水位が平常より8mも下がっていること。電力省は、節電は3カ月続く可能性があると見ている。

 ベネスエラは世界有数の産油国だが、火力発電でなく水力発電が主流。大河オリノコ水系や熱帯雨林があって、水量が豊かなためだが、異常気象で緊急事態となった。2013年にも同様の節電が実施された。
 

2016年2月10日水曜日

メキシコ人学生43人殺害の政府見解を外国調査団が否定

 メヒコ・ゲレロ州イグアラ市で2014年9月26日発生した教員養成学校生43人強制失踪事件を調査してきた亜国法人類学調査団(EAAF)は2月9日、43人は同市近郊コクーラ市内のごみ捨て場で殺害され燃やされたとする政府見解を「科学的に不可能」として否定した。

 43人もの死体を白骨化するまで燃やすには、強い火力を持つ大掛かりな焚火があったとしても長時間かかり、目撃者がいないわけがないのに、目撃者はいなかった、と調査団は指摘する。ごみ捨て場の様子から、科学的にも43人の遺体を燃やし尽くすのは困難と見ている。

 昨年9月、米州人権委員会(CIDH)の調査団も同じ見解を表明し、政府の結論を否定した。

 学生の家族らは、政府見解を「歴史的虚言」と非難してきた。ローマ法王フランシスコはメヒコを12~17日訪問するが、同家族らをミサに招待している。

 一方、8日未明、ベラクルース州オリサバ市内の自宅から就寝中に武装一味に拉致された女性記者らしい他殺体が9日、プエブラ州内で発見された。同州検察が発表した。

 この記者は、エル・ソル・デ・オリサバ紙で警察記事を担当していたアナベル・フローレス(32)で、2児の母。メヒコでは2000年以来、報道関係者88人が殺害されている。ベラクルース州は、記者にとって最も危険な州の一つだ。

 連邦警察は8日、先月11日ベラクルース州内で州警察に連行された若者5人のうち2人の遺骨が確認された、と発表した。5人は警官たちから組織犯罪団に引き渡され、殺されて農場に埋められた。

 身元が判明した2人の遺族は、その農場には100を超える人骨が埋められていた、と語っている。

 話は変わるが、コスタ・リカにいたクーバ人経済難民のうち113人が9日、空路、メヒコ北東部のタマウリパス州ヌエボラレードに到着、米テキサス州ラレードに向かった。

  
  

2016年2月9日火曜日

ラウール・カストロ議長は引退を決意、とJムヒーカ語る

 ウルグアイのホセ・ムヒーカ上院議員(80歳、前大統領)は8日、同国紙ラ・レプーブリカ紙面で、「クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は84歳の高齢ゆえに引退を決意している」と述べた。

 ムヒーカは1月ハバナでカストロ兄弟と会談している。フィデル・カストロ前議長(89)については、「神話の領域に達している。眼鏡なしに文字を読むのは驚異的だ」と語った。

 「カストロ兄弟と語るのは、世界に影響を与えた歴史を生きてきた人物と語り合うことだ。人は歴史を、史書を通じてでなくパンツ(生身の人間を意味)から知るのだ」と、得意の言い回しも披露した。

 ウルグアイの次期大統領選挙は2019年にある。ムヒーカは出馬するかと問われ、候補者になることは悪くないが私は84歳になっているはずで高齢が許すまい、と応えた。

 「国民党とコロラード党(ウルグアイ伝統両党)は私が出馬するのではないかと批判しているが、それには及ばない。大統領職は激務であり、寿命を縮めるだけだ」とも述べた。

 自身の日常生活に関しては、「私はこの国の典型的な中産層で、農場で耕し、いろいろな作物を生産している。私は山羊の乳のヨーグルトを飲んでいる」と語った。

 ムヒーカは今年4月初めごろ、来日が予定されている。

2016年2月8日月曜日

エル・サルバドールでのイエズス会士ら8人虐殺の容疑者を逮捕

 サンサルバドール(SS)市内にある中米大学(UCA=ウカ)で1989年11月16日起きた8人虐殺事件の容疑者5人が、2月5日逮SS市内で逮捕された。エル・サルバドール(EL)警察は6日、退役軍人の容疑者全17人のうち、元大佐ギジェルモ・ベナビデスら4人の逮捕を確認した。もう一人の退役大佐イノセンテ・モンターノは5日、米北カロライナ州内で逮捕された。

 事件はES内戦中(1980~92)に起きた。殺されたのは、UCAのイグナシオ・エジャクリーア学長、副学長、人権院長、神学図書館長、哲学教授のスペイン人5人、およびサルバドール人1人の計6人のイエズス会士と、サルバドール人女性用務員2人。当時の陸軍特殊部隊「アトゥラカトゥル」の兵士らによって中庭に連れ出され、射殺された。

 サルバドール・サンチェスES大統領は6日、逃亡中の12人に、早急に自首するよう呼び掛けた。

 事件発生後、ESで容疑者の軍人9人が逮捕されたが、7人は法廷で91年無罪となり、他の2人はアルフレド・クリスティアーニ大統領(1989~94)によって93年に恩赦された。

 だがスペイン政府は事件解明を断固主張、ES当局が動かないため2009年、本格的に調査を開始。2001年、国際刑事警察機構(インターポール)を通じて手配したが、容疑者は陸軍施設に逃げ込み匿われた。

 次いで15年8月、新たに手配されたが、ES最高裁は容疑者の所在場所確認だけでよいと受け止め、逮捕に動かなかった。業を煮やしたスペイン法廷は1月5日、インターポールを通じて、当該政府に逮捕を義務付ける「赤通告」を突き付けた。ES警察は大統領命令を受けて動き出し、首都で4人を逮捕した。今後は、容疑者のスペインへの身柄引渡が問題になる。

 この虐殺事件は内外に大きな衝撃を与え、内戦終結のための和平交渉開始を促す要因の一つとなった。筆者は内戦末期にUCAの現場を取材し、犠牲者の冥福を祈った。

 

好番組だった向井理の「竹内憲治の足跡辿るキューバの旅」

 革命前から革命後にかけクーバで造園、花卉栽培、新種開発に努めた日本人、竹内憲治(1901~77)の足跡を辿るTV番組を観た。懐かしかった。私が1972年のクーバ取材で竹内をハバナ郊外の農園に訪ねインタビューしていたからだ。

 当時の竹内は71歳だった。穏やかな人柄だったが、眼光は鋭かった。20世紀最初の年に広島県に生まれ、園芸が好きだったため、ニューヨークのコーネル大学で造園を学ぼうと1931年、米国を目指した。だが船が寄港したハバナで病気にかかり入院、米国留学の夢は砕かれた。

 竹内は留まった革命前のクーバで、経済を牛耳っていた米資本の一つデュポンの社長に見込まれ、バラデロ海浜に広大な庭園を築いた。私はそこを訪れてから竹内に会った。

 革命前の話も革命後の話も同じように面白かった。革命の覇者フィデル・カストロ首相から絶大な信頼を受け、猛暑が続くと、首相はビールを何ダースも農園に送ってよこした。(当時のクーバは大統領制で、首相が実権を握っていた。76年に国家評議会議長が元首として首相を兼任する現行制度に移行した。)

 今回のTV番組の案内人、向井理は理知的で良かった。最後に向井は、竹内の理念と行動は革命イデオロギーを超えていたという趣旨のまとめの言葉を述べたが、的を射ている。私は長い時間、竹内と対話しながら、まさに同じことを考えていた。

 竹内は「近く伝記を出すつもりで準備中」と言い、題名を「老人と花」にしたい、と言った。同時代をクーバで過ごしたアーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」を愛読していたからだ。

 だが竹内は、自伝が刊行される3か月前に76歳で帰らぬ人となった。題名は「花と革命」となり、東京の学苑社から出た。私が本人から聴いた多くのことが盛り込まれていた。

 竹内が開発した白百合「ホセ・マルティ」は今日、クーバ社会に欠かせない花となっている。クーバ史上最大の人物とされる偉人の名前を付けたところにも、竹内のクーバへの思い入れが窺える。

 クーバに竹内が植え付けた造園、花卉栽培などの技術は、クーバ人にしっかりと受け継がれている。竹内が蒔いた種は大輪の花を咲かせたのだ。

 島国日本を離れた竹内は、越境し、独自の創作的境地を見出し、その新天地に溶け込んだことによって、国境を無くした。私がラ米世界で会うことのできた最も印象深い日本移住者の中の一人である。 
 

2016年2月7日日曜日

ハイチ大統領と国会が暫定政権樹立で合意、4月決選へ

 アイチ(ハイチ)通信社(HPN)は2月5日、ミシェル・マルテリ大統領と国会上下両院議長が同日、暫定政権樹立で合意した、と報じた。同大統領は規定通り7日退陣し、国会が数日内に暫定大統領を選出する。繰り返し延期されてきた大統領選挙決選は4月14日実施、新大統領は5月14日就任する。

 暫定大統領希望者は国会に早急に登録する。大統領退任後は、エヴァン・ポール首相が政府の臨時首班となる。

 これに対し、野党勢力を代表する「G8」は、暫定大統領はジュール・カンタヴ最高裁長官にすべきだと主張。首相および閣僚15人は主要な政治家から選ぶべきだと訴えている。また暫定政権は、昨年10月25日の大統領選挙第1回投票時の大規模な不正を解明するのが先決だ、との立場を崩していない。

 国会が暫定大統領を選ぶ場合、上院は野党、下院は与党がそれぞれ多数派であるため、混迷が予想される。G8の強気は上院で多数派であることにも起因する。

 マルテリ大統領は7日国会で離任演説する。国会はその後、暫定大統領選出のため作業を続ける。

 首都ポルトープランスでは5~6日、野党勢力支持派が「大統領の6日辞任」などを求めて抗議デモを展開。これを潰そうと、1994年に解体された国軍の元兵士らが戦闘服姿、銃器で武装して出動、発砲した。負傷者が出ており、群衆に捉えられた元兵士一人が殺されたと伝えられる。

 マルテリ大統領は6日、「暴力はアイチを後退させるだけだ」と、暴力放棄を呼び掛けた。これまで仲介活動を続けていた米州諸国機構(OEA)使節団は、暫定政権樹立合意に漕ぎつけたことで任務を終えた。近くワシントンのOEA本部で報告する。

 アイチでも7日、恒例のカルナヴァルの祭が始まる。開催が危ぶまれていたが、何とか開催に辿り着いたというところだ。だが例年参加する20団体が今年は半減。政情混乱による準備不足や資金不足が影響したと見られている。

★マルテリ大統領は7日、国会で離任演説し政権を去った。ジョスレルム・プリヴェール上院議長は直ちに「権力の空白が生じた」と宣言、暫定大統領希望者の出馬を5日間受け付けると表明した。締め切り後、国会が暫定大統領を選出する。

 一方、ポール首相は同日、臨時首班となった。政情混乱を理由に7日から3日間続くカルナヴァルを一日短縮することを決めた。9日、上下両院議員15人で構成する暫定大統領候補受付機関が発足した。  

2016年2月6日土曜日

ローマ法王とロシア正教総主教が12日ハバナで歴史的会談

 ローマ法王フランシスコとロシア正教のキリル総主教が史上初めて会談することが決まった。双方は2月5日、法王と総主教はハバナのホセ・マルティ国際空港で12日会談し、会談後に共同声明を出す、と同時発表した。

 法王は12日から17日までメヒコを訪問するが、ハバナに立ち寄って総主教と会い、その後、メヒコに向かう。一方、総主教はクーバ訪問のためハバナ空港に滞在する。

 ラウール・カストロ国家評議会議長は昨年5月訪露した折、総主教を訪玖招待していた。総主教は2004、08年にもクーバを訪れている。ハバナにはロシア正教の大聖堂がある。フランシスコ法王は昨年9月訪玖した。

 法王庁と総主教庁は長らく交渉、ようやく会談が実現する運びとなった。キリスト教会は1054年の「大分裂」でローマカトリックとギリシャ正教に割れた。これまで故ヨハネ=パウロ2世ら法王がイスタンブールでギリシャ正教の総主教と会談してきたが、それは儀礼的なものだった。

 正教信者2億5000万人のうち1億6500万人はロシア正教であり、その総主教の存在が最も重要。12日のハバナ空港会談は歴史的な一幕となる。

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 米国務省は5日、米玖両政府当局者が1~4日マイアミで、人身売買、密輸、旅行書類偽造などについて協議した、と発表した。

 一方、コスタ・リカ(CR)外務省は5日、同国内にいる7000を上回るクーバ人経済難民は、希望すれば空路メヒコに出国できることになったと発表した。妊婦、未成年者のいる家族を優先させる。成人一人の航空代金は790ドル。

 もう一つの方法は、CRから空路サンサルバドール(SS)に行き、そこからバスでグアテマラ・メヒコ国境まで進み、メヒコに入国するもので、この経費は545ドル。

 1月の第1陣に次ぐ第2陣184人が4日CRを出発、このSS経由で5日、メヒコ・チアパス州イダルゴ市に到着した。

 パナマ西部のCR国境近くにも、クーバ難民1000人がいる。1月27日キトでのCELAC首脳会議の機会にパナマとメヒコと大統領が会談、パナマにいる同難民を早期にメヒコに送ることで合意している。
 別件だが、ハバナで25~28日、第1回サルサ祭が催される。サルサマジョール、バンバン、イサクデルガードなどの主要楽団と踊りのグルーポが出演する。

国連機関がウィキリークス創設者アサンジ氏解放を勧告

 国連人権委員会の機関「恣意的逮捕に関する作業グループ」(専門家5人)は2月4日、ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏(豪州人)を逮捕しようと意図している英国およびスウェーデンを「恣意的」と判断、同氏への自由を保障するよう勧告した。

 だが、この勧告は法的拘束力がなく、両政府は勧告を拒否した。アサンジの弁護士バルタサル・ガルソン(スペイン人)は5日、英国は国連人権理事会メンバーであり、その事実からだけでも勧告に従うべきだと批判した。

 アサンジは、かつてスウェーデン滞在中に「女性を暴行した」として逮捕状が出され、欧州で指名手配されているが、同氏は容疑を否定してきた。同作業グループは、スウェーデン検察庁はアサンジを依然起訴しておらず、スェーデンの言い分は不可解だ、との立場も示している。

 アサンジは英国で取り調べを受けた後の2012年6月、ロンドンのエクアドール大使館に亡命を申請、認められた。以来3年8カ月経つ。館内の陽光の入らない30m2の部屋に居住し、この「幽閉状態」により運動不足やストレスから健康状態に変調をきたしている、とエクアドール政府は明らかにしてきた。

 アサンジは作業グループの判断を受けて、両政府は勧告に従うべきだと表明した。だが英政府は、大使館を出た瞬間、逮捕すると言明した。

 アサンジは、身柄をスェーデンに送られれば、直ちに米国に引き渡されると警戒している。ウィキリークスは米国務省の厖大な外交機密をインターネットで暴いており、米国に引き渡されれば、反逆罪のような重罪で裁かれる公算が大きいと考えられるからだ。

2016年2月5日金曜日

米国が和平後のコロンビアに4億5000万ドルの援助を約束

 JMサントス・コロンビア大統領は2月4日ワシントンでバラク・オバーマ米大統領と会談、3月23日調印予定のコロンビア内戦終結協定のための交渉や、和平達成後の諸問題について話し合った。

 この会談は、米国がクリントン政権期の2000年に開始した「コロンビア計画」と名付けられた軍事および対麻薬支援政策の「15周年」(実質的には16年)を記念して行なわれた。

 米国はこの計画に基づき過去16年間に兵器、諜報、軍事訓練など総額100億ドルの支援を与えてきた。それによりコロンビア軍は「史上最強」になったが、当初目的にあった麻薬対策は疎かになり、効果を挙げられないままだ。

 サントス大統領は首脳会談後の記者会見で、「米国の支援なしに和平に近づくことはできなかった。和平後、安全、公平、幸福な国を造る」と上気して語り、米国に繰り返し感謝の言葉を表した。

 オバーマ大統領は、議会に来週提出する2017年度予算案にコロンビア援助4億5000万ドルを組み込む、と明らかにした。この援助予算は和平実現の場合に執行される。両首脳とも、和平後はコロンビア計画が新段階に入る、との認識を示した。

 米議会には共和党右翼を中心にコロンビア和平交渉に対する根強い反対意見がある。サントスは3日ワシントンで逸早く共和党議員たちと懇談し、理解を得るよう努めた。

 ハバナでの和平交渉は最終段階にあるが、FARC側代表団首席のイバン・マルケス司令は1日、予定通り3月23日に協定調印に漕ぎつけたいと、コロンビア誌に語っている。

2016年2月4日木曜日

ハイチ政府と野党が「暫定政権7日発足」で合意か

 アイチ(ハイチ)のジョスレルム・プリヴェール上院議長は2月2日、ミシェル・マルテリ大統領は5年の任期が終わる7日政権を去り、代わって暫定政権が発足する、と発表した。同議長は大統領と話し合った後、記者会見した。

 暫定政権は90日間で、その間に大統領選挙のやり直し決選投票を実施、当選者に政権を渡す。

 マルテリ大統領は3日、反政府野党勢力G8代表たちと初めて話し合った。決選進出を拒否したジュドゥ・セレスタン候補の所属するLAPEH、ジャンベルトゥラン・アリスティド元大統領率いるラバラー家族党も参加した。

 G8は、1月31日来訪した米州諸国機構(OEA)代表団との会合を「OEAには道徳的資格がない」として拒否した。OEAは、不正が明らかになった後も昨年10月25日の大統領選挙第1回投票結果を認め、決選の1月中の実施を働き掛けていた。

 だがG8は、2月1~2日訪れたCELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)外相派遣団(エクアドール、ベネスエラ、ウルグアイ、バハマ)とは会合した。同外相団は大統領、上下両院議長、政府支持派政党代表とも会合した。

 1月24日に予定されていた決選が無期限延期となるや、政府、反政府両勢力の街頭抗議行動が激化。選管SEP(9人)は辞任し、選挙実施母体が機能しなった。マルテリは29日、「後任が決まらない限り、任期切れの2月7日以降も政権に留まる」と意志表示した。

 だがG8をはじめとする反政府側がマルテリの退陣も求めていたことから、マルテリが政権に居座れば混乱状態の政情が収拾できなくなるとの危惧が急速に高まった。その結果、2日の暫定政権樹立で合意が成った。大衆音楽家が本職のマルテリも、7日始まるカーニヴァルに参加すると述べ、政権を退く意志を表明した。

 暫定政権は4月の決選実施、5月の新政権発足で調整する、との見方が出ている。だが政情は混迷の極にあり、今後も波乱が予想される。

詩人ネルーダの遺骨からバクテリア発見、鑑定調査開始

 チリ人ノーベル・文学賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)の遺骨から発見されたバクテリア(葡萄状菌)が、遺伝子鑑定など分析調査のためカナダとデンマークの研究所に送付された、と2月3日、詩人の甥ロドルホ・レジェスが明らかにした。

 このバクテリアは2014年5月、スペインの法医学研究所がネルーダの遺骨から発見していた。詩人は毒殺された可能性があり、その判断結果はバクテリアの分析を踏まえて、ことし3月公表される見通し。

 一方、ネルーダの死因調査のため遺骨発掘を許可したマリオ・カローサ判事は3日、法廷管理下にある遺骨はチレ法医学局を通じて4月26日、太平洋岸イズラネグラにある旧ネルーダ邸庭の墓地に戻される、と発表した。

 ネルーダは、故アウグスト・ピノチェーらによる軍部のクーデターが1973年9月11日起き、サルバドール・アジェンデ大統領が自殺、その社会主義政権が崩壊した12日後の9月23日、首都サンティアゴのサンタマリーア診療所で急死した。

 発足したばかりのピノチェー軍政は、ネルーダは前立腺末期癌で死去した、と発表。だがネルーダはクーデター発生後、イズラネグラの自邸から軍隊によって強引に首都の同診療所に移送されていた。ネルーダはまた、9月24日、当時のメヒコ大統領ルイス・エチェベリーアが派遣するメヒコ政府機で同国に亡命することになっていた。

 ネルーダの運転手だったマヌエル・アラヤは2011年、ネルーダはサンタマリーア診療所でも元気だったのに、自分とネルーダ夫人マティルデが病室を離れていた間に容体が急変し死亡したとして、「軍部による毒殺」を告発した。ネルーダがメヒコに亡命すれば、軍政にとって最も手ごわい反軍政の旗頭になりうるから殺した、とアラヤは主張する。

 これを受けてネルーダが所属していたチレ共産党(PCCH)は同年、遺族とともに法廷に真相究明を求めて提訴。担当判事カローサは13年4月8日、イズラネグラの墓を発掘。詩人の遺骨は米国とスペインの法医学研究所に送られ調査された。

 その結果、スペインの研究所でバクテリアが見つかった。

 カローサ判事は、ネルーダの一部骨片は埋葬されずに研究機関に保管される、と明らかにした。

 サンタマリーア診療所では1980年代初め、エドゥアルド・フレイ=モンタルバ元大統領が毒殺されたことが明らかになった。フレイは当初はクーデターに賛成していたが、軍政が長期化し横暴が増したことから、軍政を厳しく批判していた。

 運転手アラヤは、フレイ毒殺の事例に勇気づけられて、「ネルーダ毒殺」を告発した。
 
 
 

2016年2月3日水曜日

ウルグアイでのジカ熱対策保健相会議が協力を決議

 ウルグアイの首都モンテビデオで2月3日、ジカ熱対策を協議するためラ米・カリブ保健相会議が開かれた。同国は南部共同市場(メルコスール)の輪番制議長国。メルコスール、南米諸国連合(ウナスール)、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)に参加を呼び掛けていた。

 この保健相会議は1月27日、キト開催の第4回CELAC首脳会議の場で、ジカ熱感染問題が深刻なブラジルのヂウマ・ルセフ大統領が開催を提案した。その結果、ブラジルが加盟するメルコスールが主導した。

 ウナスール12カ国のうちガイアナ以外の11カ国、およびメヒコ、コスタ・リカ、ラ・ドミニカーナ(ドミニカ共和国)の計14カ国が出席した。汎米保健機関(OPS)とアンデス保健機関(OAS)も参加した。

 中心議題の一つとして、「国境管理強化」が議論された。兆候の出ない感染者もいるため、国境での規制は容易ではないという認識が共有された。

 ジカ熱は以前、ブラジル東北部やコロンビア一部地域で患者が出ており、南米では新しい現象ではない。専門家は、気候変動の影響で熱帯縞蚊の移動が容易になったのが今回の流行の原因ではないか、と見ている。

★会議は16項目の決議を採択し閉会した。決議には、世界保健機関(WHO)の役割重視、ジカ熱に関する教育・情宣、医療対応人員育成、情報共有、薬品共同買い付け検討、事態追跡グループ設置が含まれている。

2016年2月2日火曜日

ラウール・カストロ議長がフランス大統領と首脳会談

 クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は2月1日、フランスへの元首公式訪問を開始、パリの凱旋門で無名戦士廟に花輪を捧げた。次いでフランソワ・オランド大統領との首脳会談に入った。

 会談後、双方の経済担当閣僚らが、フランスが対玖債権3億9000万ドルのうちの2億3100万ドルを提供し、クーバでの両国合同開発計画の基金とする協定に調印した。

 さらに観光、通商、鉄道輸送などの協力協定も調印された。5月、相互に相手国の文化を紹介する文化月間を開くことも決まった。

 両首脳は会談後、記者発表に臨んだ。オランド大統領は、バラク・オバーマ米大統領は対玖関係改善について相当に努力してきたと評価、「最後までやるべきだ」と述べ、「冷戦の残滓に終止符を打つべきだ」と、米国の対玖経済封鎖全面解除実現に向けて尽力するよう呼び掛けた。

 ラウール議長は、パリクラブが対玖債権110億ドルのうち利子部分85億ドルを昨年帳消しにした際、フランスが積極的に動いたことへの謝意を表明した。クーバは債務元本26億ドルを18年かけて返済することになった。議長は、「お陰でクーバは新しい経済計画に取り組むことができるようになった」と述べた。

 オランドは昨年5月、クーバを公式訪問している。この日の首脳会談開始に際し、ラウールを抱擁、フランス語で「クーバ万歳」と言い、会談に入った。夜には公式晩餐会が催された。

 ラウールは訪問最終日の2日、パリで要人と会談をこなし、人間博物館を訪れた。

 

チリでエルドアン・トルコ大統領が難民問題で呼び掛け

 トルコのレジェプ・エルドアン大統領は1月31日チレの首都サンティアゴに到着、2日、ミチェル・バチェレー大統領と会談した。エルドアンは、チレと2001年に自由貿易協定(FTA・TLC)を結んだがラ米との最初の同協定調印であり、トルコにとってチレは南米の玄関口だ、と述べた。

 さらにサンティゴに本部のある国連ラ米・カリブ経済委員会(CEPAL)へのトルコの加盟希望を表明した。バチェレーは、貿易をはじめとする両国関係の拡大強化を希望した。

 会談後、エルドアンはCEPAL本部で演説、国際社会に難民支援をあらためて要請した。チレ駐在の欧州諸国の大使たちが多く出席していた。

 大統領は、シリア、イラクなどからの難民250万人がトルコに来て、うち26万人が今も国内の収容所にいると述べ、これまでにトルコは難民対策に90億ドルを費やしたが、外国から受けた援助は4億2000万ドルにすぎない、と指摘した。また、欧州は難民対策として約33億ドルの供出を約束したが、依然具体化していない、と苦情を口にした。

 今年5月26、27両日イスタンブールで難民問題などを話し合う第1回国連世界人道首脳会議が開催されると述べ、先のG20首脳会議でトルコはシリア北部に難民のための安全地帯を設定することを提案、国際社会の回答を待っている、と強調した。

 エルドアンは宗教絡みの難民差別に触れ、死を逃れた難民を宗教とテロリズムを関連させて差別することは、テロリズムの培養器になると指摘、国際社会に繊細な対応を呼び掛けた。

 シリアのアサド政権については、5年に及ぶ内戦で40万人が死亡したが、うち1万4000人は化学兵器で殺されたと非難。アサドはイランとロシアを同盟国としているが、シリア人の改革要求に耳を傾けるべきだ、と注文を付けた。

 トルコで連発した重大なテロリズムに関しては、国際社会の受け止め方が欧州での事件ほど深刻に捉えられないの遺憾だ、とし、テロリズムに善悪はないと強調した。

 大統領は、トルコの反政府勢力であるクルディスタン労働者党(PKK)と、シリアの反政府勢力、人民防衛隊(YPG)を関連付け、米政府はダエシュ(IS)との戦いでYPGと連携している、と指摘した。

 エルドアンはLAC(ラ米・カリブ)との関係については、2009年に6カ所しかなかったトルコの外交公館は現在13カ所に増えているとし、南南関係強化のためメヒコとコロンビアに「トルコ協力連絡機構」(TICA)の代表部を置いていると述べ、LACとのFTA締結を促進したいと強調した。

 さらに、トルコは米州諸国機構(OEA)、太平洋同盟(AP)、カリブ諸国連合(AEC)のオブザーバーであり、南部共同市場(メルコスール)、カリブ共同体(カリコム)と連携関係にあると述べた。メヒコ、インドネシア、韓国、豪州とともにMICTAを結成していることにも触れた。

 トルコとラ米の通商は2000年に10億ドルだったのが、14年には100億ドルと、10倍になった事実を強調した。エルドアンは2日以降、ペルーとエクアドールを訪問する。

 

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2016年2月1日月曜日

36年前のボリビア社会党首マルセロ・キロガ殺害犯を逮捕

 ボリビア社会主義の著名な指導者マルセロ・キロガ=サンタクルースを殺害した首犯の元陸軍下士官フェリーペ・モリーナが1月31日、ラパス市内で逮捕された。エボ・モラレス大統領が同日記者会見し、この逮捕について発表した。

 キロガは49歳だった1980年7月17日起きたルイス・ガルシア=メサらによる軍事クーデターのさなか、ボリビア労働中央連盟(COB)本j部に居たところ、モリーナらのコマンドに襲撃され、陸軍司令部に連行された。そこで拷問された後、殺害され、遺体を隠された。モラレス大統領は、モリーナはキロガの遺体を埋めた場所を知っているはずであり、白状してほしいと述べた。

 警察はモリーナの娘を尾行、隠れ家を突き止めた。警官80人が2時間かけて探し、屋根裏部屋の壁を偽装し造られていた隠れ場所からモリーナを見つけ出した。最高裁は2010年、逃亡中のモリーナに禁錮30年(短縮無し)の実刑判決を下している。

 元軍政首班ルイス・ガルシア=メサも1995年から禁錮30年で服役中。

 文学青年だったキロガは1957年、社会派小説「立ち退かされた人々」を著し、後にJLボルヘスやGガルシア=マルケスから「20世紀ラ米小説の中で最良の作品の一つ」と評価された。

 ジャーナリストでもあり、新聞を創刊した。60年代末のバリエントス軍政期に下院議員、その後のオバンド軍政下の69年、鉱山・石油相を務め、米ガルフ石油を国有化した。

 軍政を離れ71年社会党を結成。クーデターによるバンセル軍政登場でチレに亡命する。次いで亡命した亜国の国立ブエノスアイレス大学とメヒコの国立自治大学(UNAM)で教鞭を執った。72年に論文「くたばれ独裁」、73年に同「ボリビア略奪」を書いた。

 77年秘密裏に帰国、78年社会党を「UNO社会党」(PS-1)と改名。79年下院議員となって、バンセル軍政の人道犯罪を追及した。軍部ににらまれ、80年の新たなクーデター時に殺害された。

 キロガは、現代ボリビアの最も優れた知識人の一人とされていた。モラレス大統領は、2月21日実施の、憲法大統領再選条項改定のための国民投票の運動中だったが、記者会見を開いてモリーナ逮捕を発表した。