2011年11月30日水曜日

喜納昌吉ら沖縄御三家<奇蹟の競演>

★☆★☆★沖縄民衆音楽界を率いてきた喜納昌吉(63)、知名定男(66)、照屋林賢(62)=アイウエオ順!=が12月1日、<歴史的競演>をする。相互にライバル意識が強く、「絶対に交わらない三ツ星(ミーチブシ)」と言われた3人だが、共通の友人でフォークシンガーの南こうせつの仲立ちで実現することになった。司会は南が務める。

   会場は、3人が育った沖縄市(旧コザ市)の沖縄市民小劇場で19:30から。

   「LIVEコザ 三線SAMURAI~島うた40年史」がコンサート名。(なぜ沖縄でサムライなのか、やや違和感がある。)

   私は10月初め那覇で昌吉に会った際、この合同コンサートの 話を聞いた。「信じられない」と言うと、「僕自身が信じられないさ。こうせつの熱意に折れざるをえなかった、としか言いようがない」と昌吉。

   宣伝ビラに刷り込む名前の順番とか、誰がトリになるかとか、打ち合わせが大変だったらしい。「とにかく、やってみないと、どんなコンサートになるのかわからないさ」

   新聞は「歴史的競演」、「奇蹟の競演」などと書いて、前景気を煽っている。

   私は1977~79年、3年近く通信社の那覇支局にいて、沖縄情勢を取材し報道した。昌吉とは当時からの友人。定男は「バイバイ沖縄」が大ヒットした時インタビューし、その後、ペルーのクスコ郊外でばったり出会ったことがある。照屋は、林賢よりも、父親の林助(故人、漫談家)の方をよく知っていた。

   ライブを聴けないのが残念だが、ビデオで必ず観る。3人のシンガー・ソングライターも年をとった。だから対立を棚上げし、融和のひと時を共有しようと同意し合ったのだろう。

(2011年11月30日 伊高浩昭執筆)

【沖縄の日本復帰(米国から日本への施政権返還)から間もない1970年代後半の状況や、若き日の喜納昌吉の活動については、拙著『沖縄アイデンティティー』(1986年、マルジュ社)を参照されたい。また沖縄の21世紀初頭までの状況については、拙著『双頭の沖縄』(2001年、現代企画室)をどうぞ】

2011年11月29日火曜日

ベネズエラが太平洋岸に<出口>

ーーーーーベネズエラ東部のオリノコ油田から、コロンビア太平洋岸のトゥマコ港まで送油管が建設されることが確定した。

    カラカスで11月28日、ベネズエラのウーゴ・チャベス、コロンビアのフアン・サントスの両大統領が会談し、協定に調印した。

    1999年2月政権に就いたチャベスは早くから構想を打ち出し、コロンビア政府とも基本的には合意していたが、同国のウリーベ前政権(親米・反チャベス)と冷戦状態に陥ったため、構想は棚上げされていた。

    この送油管が完成すれば、ベネズエラは中国に日量100万バレルの原油を輸出できるようになる。米国が依然影響力を維持しているパナマ運河を通過せずに、太平洋圏への原油輸出路を確立する戦略的意味は、ベネズエラにとって大きい。中国にもしかりだ。

   チャベスはサントスとの共同記者会見で、「中国や日本に原油を運ぶのに、南米南端やアフリカ南端をいちいち回っていたら大変だ」と述べた。
 
   パナマ運河を巨大タンカーが通行できない状態が長らく続いてきた。パナマ運河地帯では、2014年以降の完成を目指して、超大型船舶の通行が可能な第3水路の建設工事が進められている。これを横目にチャベスとサントスは送油管建設を決めたのだ。

   将来的な不安材料は、コロンビアのゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」と「民族解放軍(ELN=エエレエネ)」が過去に、同国内の送油管を破壊してきたこと。特に活動拠点が中部から北部にまたがるELNは、送油管破壊を主要な戦術にしていた。

   コロンビア政府は、ゲリラの武力制圧を急いでいるが、ゲリラとの恒久的な和平がない限り、送油管建設と運営に不安がつきまとうことになる。

(2011年11月29日 伊高浩昭執筆)

2011年11月28日月曜日

カプニャイ駐日ペルー大使講演会

☆★☆★☆「過去・現在から未来へーーコンドルは飛翔する」

    ペルーのフアン・カプニャイ駐日大使が、ペルーの現代情勢や対日関係について講演する。

    立教大学ラ米研主催の公開講演企画で、12月17日(土)1500~1800、池袋キャンパスの「マキムホール」M302大教室で開かれる。

          演題は、「ペルー情勢と展望-21世紀の秘日関係」。

    講演会は、同ラ米研のラ米論Ⅱ「現代ラ米情勢」(伊高浩昭担当)の今年最終講座を兼ねる。
   
    講演に続いて、その内容を踏まえた対話(大使と伊高)、会場の受講生および一般聴衆との質疑応答が行なわれる。西語による大使の講演・発言には、逐次通訳が付く。

    入場無料で予約は不要。当日、関係資料を配布。

    ペルーやラ米に関心をもつ皆さんのご来場を歓迎する。

(2011年11月28日 伊高浩昭)

群なす無責任者が原発事故を招いた

▼▼▼NHKTV番組「シリーズ原発危機 安全神話 ~当事者が語る事故の真相~」を11月27日夜、観た。宮川徹志ディレクターらが制作した力作だ。

    3・11以後、東電福島原発事故の根本的原因が人災だった事実が盛んに指摘されてきた。それを政府、東電、科学者ら、原子力政策と東電原発の責任者・関係者150人に取材して検証したところに、この番組の価値がある。

    結論は、<安全神話>が責任者らの思考を停止させ、米スリーマイル島、ソ連チェルノブイリと大原発事故が2度も起きながら、対策を講じなかった、という実に無責任極まりない人々の、利益優先の愚かな判断が事故を招いたということだ。

    東電幹部らの「想定外」という無責任の代名詞のような言い分も、実は、想定を怠ったからだったことが証明された。番組は、倫理観を失ったかにみえる企業人に政府が従属していた事実を暴き出す。

    政府も東電も、原発周辺の住民をだまし続けて、事故に至った。「事故の際は住民を速やかに退避させるべし」という、手引書に盛り込まれるべき項目は、「盛り込めば事故が起こりうることを認めることになるから」と排除されたという。

    このように退廃した組織人たちが、日本に住む人々の安全を蹂躙していた。対策は最初から無視され、為されても後手後手に回った。だから原発が大津波を受けた時、為すすべもなかった。糾弾されていない官民にまたがる組織的無責任は、重罪と言うしかなく、厳罰に値しよう。

    その津波の危険性についても、「地震随伴事象」として、脇に追いやられていたという。スペイン語では海底地震を「マレモート」と呼ぶ。それは、津波とともに陸地をしばしば襲う。それが常識であり、「随伴」ではない。この点を指摘した人物が一人いたが、その声はかき消されたという。

    驚くべきは、3・11から8カ月以上たった今でも、現在の当事者たちの認識が甘く、危機意識に乏しいことだ。取材に応じた人々からも、謝罪はなく、「罪の意識」は感じられなかった。番組を観た視聴者の間で、怒りがさぞ渦巻いたことだろう。

    番組は、NHKを含むメディアにも責任があったことを認めている。この認識を深化させ、巨悪をさらに暴いてほしい。メディアの根幹は、<マスコミ>という、本来正しくなく品のない呼び方をされて平気な低次元の存在であってはならない。ジャーナリスムでなければならない。

    九州電力のやらせ事件と、それに絡んだとされる佐賀県知事の追及はどうなっているのか。メディアの無責任と怠慢は、現在も進行中だ。取材者・報道者は冷水を頭からかぶって、<マスコミスト>であるのを止め、ジャーナリストにならねばならない。

           「組織の犯罪」ないし「組織的犯罪」という巨悪は、ほとんどの場合、(本来権力のない平凡な人々の利権集合体である)権力を隠れ蓑にして、責任の所在を曖昧にし、結局は無処罰に終わってしまう。言い古された言葉だが、日本の民主は依然、<でも暗し>である。ジャーナリズムが眠り、<マスコミスト>が権力の一部に成り下がっている限り、夜明けは来ない。


(2011年11月28~29日 伊高浩昭執筆)

【このNHK番組を、先に当ブログに掲載した共同通信社編集委員室企画を踏まえて観ると、わかりやすい。また、この番組を観ると、共同通信社企画の内容が一層理解しやすくなる。】

2011年11月27日日曜日

建築家が取り組むラテンアメリカ

☆☆☆☆☆立教大学ラ米研主催の第42回「現代ラ米」公開講演会が11月26日夜、「ラ米の都市を歩くー文学と建築の視座から」をテーマに開かれた。講演者は、文学者の柳原孝敦・東外大准教授と、建築家の原広司・東大名誉教授。

    柳原氏は、「記憶の都市メキシコ」と題し、「現実のメキシコ市とは別にある記憶の都市メキシコ」について語った。憲法広場(ソカロ=中央広場)の一角、大統領政庁(国家宮殿)とメキシコ大聖堂(カテドラル・デ・メヒコ)の間で発掘されたアステカ時代の中央神殿や、旧グアダルーペ大寺院(バシリカ・デ・グアダルーペ)を取り上げて、歴史の重層性を説いた。

    <征服者>によって地中に葬られ抹殺されたはずの歴史が、ある時地表に現れて、破壊者が築いてきた歴史を暴き、白日の下に晒す。その残酷さを語って、興味深かった。


    原氏は、「<実験住宅・ラテンアメリカ>のこれまで」と題し、「建築家が忘れがちな貧者のための住宅という視点」で、2003年から5年余り続けた南米4都市での活動を語った。

    モンテビデオ、コルドバ、ポルトアレーグレ、ラパスの4都市で展開した「実験住宅」の建設実験は、ラ米の先住民族の山村の「離散型集落」から得た閃きを基にしている。

    先住民族の農民は必要なだけ共同作業をして相互に助け合うが、農作業の場合、休耕期になると、集団行動は終わる。人々は、半径50m程度の距離を置いて住んでいる。隣家の人々の姿がよく見え声が聞こえる範囲で分散し、点在するように居住している。

    これに対し、スペイン人が教会を中心に建設した街は、人々が密集して住んでいることから、「クラスター(集束)型」と呼ばれる。

    先住民が時に助け合い、時に離れ合うのは、「仲良くするが、それにも限度がある」、「個人間に違いがあり、それを認め合う」という、言わば「全体主義とは異なる思想」を示している。つまり「全体のなかの部分を認める」のだ。

    【脱線するが、キューバの制度は今、全体としての社会主義体制を維持しながらも、個人の経済活動の自由を徐々に認める方向に歩み出している。】

    「全体のなかの部分」では、互いに干渉を避け合う。このような「離散型集落」の「連帯・団結と、個々人の自由」という生き方を住居に取り込むのが、「実験住宅」だ。

    貧者が建てたい家を只に近い安価で自由に造る、というのが原氏の掲げる理想の旗だ。ラ米の都市周辺には必ずと言っていいほど、(ブラジルでファヴェーラと呼ばれるような)低所得者居住地域が拡がる。そんな地域で只で建てるべき住居が「実験住宅」なのだ。

    だが、一家族用3棟の住宅は、建設費が200~250万円かかる。実験段階から脱するのは難しい。(財政的に難しいだけではなく、建築法など制度上からも風土的因習面でも難しい。)

             ×                     ×                    ×

    講演会終了後に、原さんとじっくり話し合う機会を得た。私が、「実験住宅」は実用化の可能性がないとすれば一種のハプニングではないですか、と訊くと、「よく<ハコモノ(箱物)>という言葉を耳にするが、私が目指すのは<ハコ>という物の建設ではない。重要なのは、創り造る過程だ。その意味では、ハプニングです」と答えた。

    講演と会話から、私は、居住条件がいかに人間の思想形成に影響を及ぼしうるか、ということについて閃きを得た。「実験住宅」がもし日本で実現し拡がっていけば、まさに革命が起きる。だから実現しないのだろう。貧者のため、人間的であるため、という考え方は、今の世では反資本主義、アナーキーと受け止められがちだ。原さんは、そのような境で創造を続けている。

(2011年11月27日 伊高浩昭執筆) 

    追記:原氏は講演で、「実験住宅はコンクリート(有形的、具象的)でなく、ディスクリートです」と言った。「ディスクリート」の意味を私流に勝手に解釈すると、「絶やすこと=反建築」、転じて「エフィメラ=かげろう=短命」となる。だからハプニングなのだ。
    1970年代初め、ダビー・シケイロス制作の恒久的に保存される巨大壁画に反発していた彫刻家ホセルイス・クエバスは、メキシコ市内の繁華街で「ムラル・エフィメロ(はかない壁画)」というハプニングを演じた。壁画大の巨大な紙に絵を短時間で描き、完成した直後に破り捨てる、というものだ。私は原氏の話を聴きながら、クエバスの「はかない壁画」制作を取材していた時の情景を思い出した。
      
    【シケイロスとクエバスの関係やメキシコの壁画運動については、拙著『メヒコの芸術家たち』(1997年、現代企画室)を参照されたい。】

2011年11月26日土曜日

映画『アキラの恋人』

★☆★☆★キューバでドキュメンタリー映画『ラ・ノビア・デ・アキラ(アキラの恋人)』(56分)が完成し、11月12日ハバナで試写会が開かれた。折からの日本文化週間に合わせて上映されたもので、マリアム・ガルシア=アラン監督、元女優オブドゥリア・プラセンシア、西林万寿夫・日本大使らが出席した。

    1968年、初の、そして唯一の日玖合作映画『ラ・ノビア・デ・クーバ(キューバの恋人)』がキューバで制作された。今は亡き黒木和雄監督の作品だった。船乗りの日本人青年アキラがハバナの街で美しい娘マルシアを見初め、ハバナから東部のサンティアゴまで追いかけていくという物語だ。水も滴る美青年だった津川雅彦が主演、マルシアは女優未経験だったプラセンシアが演じた。

    この映画の制作から43年経ったが、キューバでは一度も公開されなかった。新作『アキラの恋人』では、黒木作品制作に至ったキューバ側の映画政策上の理由、合作だが黒木組が制作しキューバ側は支援するのが主だったという事情、両国映画人の出会いの意味、黒木作品の歴史的価値などが、生存している関係者たちによって縦横に語られている。

    当時、キューバで最も人気のあった日本映画は、勝新太郎主演の『座頭市』シリーズだった。私は、革命第1世代のアルマンド・ハルト氏が文化相だった時、同氏にインタビューした。ハルト文化相は、「キューバ人は、スーパーマンとか西部劇のガンマンとかハリウッドの英雄しか知らなかった。世界にはさまざまな英雄がいることを教え、視野を拡げるため、日本映画の英雄も紹介したのだ」と語った。

    あのころ日本人の男性はハバナの街で「イチー!」と、よく呼びかけられたものだ。『キューバの恋人』のカーニバルの場面にも、<座頭市>が登場する。黒澤明督・三船敏郎主演の一連の作品や、『木枯らし紋次郎』も人気があった。後に『おしん』が大ヒットする。

    興味深いのは、当時通訳を務めた長野県系キューバ人フランシスコ宮坂が、「あのころ日本からの漁業協力があって、漁船員がたくさん来ていた。だからアキラという船乗りの役柄が生まれた」と語っていることだ。当時、日本共産党系の漁業指導員らが漁船とともにキューバ近海で活動していた。また、日本の大手漁業会社も進出していた。

    キューバ側関係者はみな、『アキラの恋人』の制作を機に『キューバの恋人』を初めて観ることができた。プラセンシアは「観て恥ずかしかった」と語っている。「マサ(津川)は親切で、素人の私を、ゼスチャーを交えて、優しく励ましてくれた」と言う。

    ある関係者は、「キューバ革命が熱気を帯びていたころの映像はニュース映画ぐらいしかなく、『キューバの恋人』は極めて貴重な映像だ」と評価する。

    12月1~11日ハバナで第33回国際 「ラ米新映画」祭(通称ハバナ映画祭)が催される。『アキラの恋人』も上映されることになっている。

    日本では字幕が既に作成され、上映準備が進んでいる。私は日本側関係者の好意で試写版を観た。なかなか面白い。津川もインタビューに応じて思い出を語っている。

    まず『キューバの恋人』を観てから『アキラの恋人』を観る。楽しい2本立てになる。惜しむらくは、なぜ『キューバの恋人』が40数年間もお蔵入りしていたのか、その理由の究明がないことだ。

             ×                ×                ×

    私は1968年当時、『キューバの恋人』制作のため東京・ハバナ間を往来していた黒木監督と、主演の津川に中継地のメキシコ市で会い、取材した。その時のエピソードや、今年9月、東京・新宿でのラテンビート映画祭で『キューバの恋人』が再上映された際のトークショーに出演した津川の話などについては、月刊『LATINA』誌(2011年)9月号p70掲載の拙稿を参照いただきたい。

(2011年11月26日 伊高浩昭執筆)

2011年11月25日金曜日

3・11 文明を問う (6の6)=最終回=

ーーーーーー共同通信社編集委員室国際インタビュー企画18回連載記事紹介ーーーーーー

    第16回目は、ミャンマーの仏僧3人が登場する。この国を2008年5月2日、巨大な台風(サイクロン)が襲った。死者と遺体未発見者は14万人に達した。

    ウ・ブサニャ・サラ師(64)は、「50年前と比べ、人間と自然の質は低下した。物欲が深まり利己的になり、思いやりを忘れた。それが気候変動や、新たな疫病の流行を生んでいる。災害は人間が生み出す。考え方を変えなければならない時が来ている。このことを巨大な自然の力が気づかせてくれた」と警告する。

    「先進国は科学を過信し、おごってしまった。原発事故も、その結果だ」。「私たちは老いと死から逃れることはできず、科学もこれを止めることはできない。科学は万能でない」

    「人は、定められた以外の時に死ぬのは難しい。亡くした人、失ったもののことばかり考えて暮らすのでは意味がない。いつか来る死の時まで、課されたことを精一杯やり、歩んでいかねばならない」

    「苦しみは、過去と未来にばかり思いを置くことから生まれる。瞑想で現在の自分に集中し、苦しみを軽減できるようにする。苦痛も永遠ではない。自分を救うのは自分以外にない」

    (アジア人、特に日本人は我慢強さで知られているが)「我慢は、指導者が優れている場合は意味があるが、そうでない場合は良い結果をもたらさない」。「政府が<民主主義>と主張しているものが真の民主主義でなければ、変えるために行動することは必要だ」

    アシン・バラ・サミ師(45)も、「物質主義を発展させるのであれば、心と精神も鍛えなければならない。そうでなければ破滅に向かう」と、警鐘を鳴らす。

    ウ・パニャ・シリ師(36)は、08年の被災時、「僧侶というよりも人として共に歩みたかった。木の枝に引っかかっていた5歳の姪の遺体を見たが、個人的な悲しみに浸っている暇はなかった。おびただしい遺体に埋葬地が足りず、遺体の腕と腕を結び、川から海へと流した」と述懐する。

    「宗教は行動が伴ってこそ意味を持つ。私は僧侶という仕事で奉仕することで、自分自身を救い、心の平安を得ている」


    最後の発言者は、米国の上院議員、副大統領、駐日大使などを歴任したウォルター・モンデール氏(83)。1979年にスリーマイル島原発事故が起きた時、副大統領だった。「今となっては恥ずかしい。安全な原発だと思っていたが、違っていた。福島原発も安全だと思っていた。誰も想像していなかったが、原発の冷却装置が津波に対して脆弱だった」

    「米国は使用済み核燃料の問題で研究を重ねたが、いまだに処分方法が決まらない。問題解決は遠い」

    「日本以上に核兵器の危険性を知る国はない。今や原発事故も経験した。日本は、代替エネルギー開発分野で世界の先頭に立ってほしい」

    「米海兵隊の普天間航空基地のような問題の解決には、注意深く時間をかけて調和をつくりださねばならない。この問題は日米間の中心的な問題ではないし、あした解決しなければならないわけでもない」


    最終回(第18回)は、このインタビュー企画を統括した杉田弘毅編集委員がまとめている。「東日本大震災と東電福島原発事故は、世界の幅広い分野の識者にさまざまな思考を促した。インタビューからは、この大災害が現代文明に与えた衝撃が読み取れる」ーー。

            ×                  ×                ×

    共同通信社編集委員室のこの連載企画は、日本各地の読者の間で反響が大きかった。また学者、科学者ら専門家からの反応も強かったと聞く。要点だけでもと思い、転載させてもらった。

(2011年11月25日 伊高浩昭まとめ)

2011年11月24日木曜日

ラテンアメリカ(ラ米)乱反射

★☆★ラ米は、音楽、映画、舞踊、演劇、文学、建築、彫刻など芸術が実に豊かだ。日本には、音楽を中心に、その豊かなラ米文化を紹介する優れた月刊誌がある。言わずと知れた『LATINA(ラティーナ)』である。

    私は縁あって、2006年初めから毎月、この雑誌に「ラ米乱反射」を連載してきた。「乱反射=レフレクシオン・イレグラル」と名付けたのは、ラ米のあらゆる事象が乱れ飛び、衝突し、さまざまな方向に反射する、というような意味を込めてのことだ。

    第1回から第24回までは、単行本『ラ米取材帖』として、ラティーナ社から2010年5月に刊行された。

    いま、なぜ本稿を書くかと言えば、「乱反射」が、今月11月20日に発売された2011年12月号で70回に到達したからだ。一度も休載せず、毎回400字詰め原稿用紙16枚を書いてきた。

    第70回の主人口は、10月23日のアルゼンチン大統領選挙で圧勝し2選を果たした、クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル大統領だ。

    「経済を政治に従属させた夫婦(めおと)政権」、「圧勝クリスティーナに暗雲迫る」という2本見出しを付けた。「夫婦政権」というのは、ご存じのとおり、昨年10月急死した夫ネストル・キルチネル前大統領と2人3脚で政権を運営していたからだ。

    私が1970年代初め、ブエノスアイレスでペロン復活期の政情を取材していたころ、夫妻は大学生だった。二人はペロン派青年部で知り合い、愛し合って結婚した。そして夫妻で政権に就いた。

    亜国(アルゼンチン)政治には、このようなロマンが時として伴い、開花する。

    『LATINA』の編集上のおはこは何と言ってもタンゴだが、この70回目の記事には、タンゴ街ボカの港に、ほんの少しだけ触れておいた。

(2011年11月24日 伊高浩昭執筆)

3・11 文明を問う (6の5)

ーーーーーーー共同通信社編集委員室国際インタビュー企画18回連載記事紹介ーーーーーーー

    13人目の登場人物は、米国人政治思想家フランシス・フクヤマ氏(58)。「東京電力と日本政府のお粗末な災害対策、事故発生後の対応のまずさ、原子力産業と政府の癒着が、実に悲惨な結果を招いた。規制当局が何ら監視機能を果たさず、業界の手先となり、その利益のために働いていたようなものではないか」

    「さまざまな利益集団が生まれて、強い影響力を持つようになり、自己の権益を守ろうと民主的政治制度を操る術を覚えた。このため、政治制度は身動きがとれなくなっている。その一例が、規制当局と癒着し、市民の安全を犠牲にしてまで自己利益を図ってきた日本の原子力業界だ」。「米国では、保険会社と医療業界がつるんで、本格的な医療保険改革を難しくしている。金融業界も強くなりすぎて、激しい富の集中と格差が生まれている」ーーー「これが、先進民主社会が直面している政治の自壊、という問題だ」

    「今の日本の制度や政治は、どこかがおかしくなっている。日本国家を組み立てている諸制度が自壊しはじめたのか」。「政治制度は、激変する環境に対応できないと、破綻する。権力や財の世襲を求める力が強まると、自壊する」

    「これまで優位だった欧米の思想・制度は、他地域の思想を取り込んだものとなっている」


    14人目は、アイルランド人の政治学者、ベネディクト・アンダーソン氏(75)。「被災地支援に駆けつける日本人に、良質で純粋なナショナリズムと、将来への希望を感じる」

          「一方、日本の官僚、東京電力の無責任さは犯罪的だ。首相を代えても問題は解決しなことを、日本人は知るべきだ」
    
         「日本人は菅直人氏ら政治家を非難するが、官僚や企業幹部の責任を追及すべきだ。首相や閣僚はたたかれて更迭されるが、問題の根である官僚や組織は居直るから解決しない。メディアの責任でもある」

    「ナショナリズムや愛国主義には二つの側面がある。法律や制度を守り、自分たちの仲間を助けよう、社会にとって良いことをしよう、責任をもって行動しようという良い面と、主に右翼政治家が煽る排外主義だ」。「もし日本に良質のナショナリズムがなかったら、今回の震災で人々はもっと利己的に行動し、悪事も働いたと思う」

    「良質なナショナリズムは子供、つまり将来を大事にする」


    15人目は、イタリア人政治哲学者アントニオ・ネグリ氏(78)。「東日本大震災は、20世紀後半からつくられてきた<原子力国家>が幻想だったことを証明した。国家は権力を永続きさせるため原発の絶対的安全性を保証しなければならず、結果的に原子力に国家体制を捧げることになる。原子力は、国家の形を変える一種の怪物になった」

    「第2次世界大戦では二つの恐ろしいことが起きた。ユダヤ人虐殺と、広島・長崎だ。この二つは、かつてはコインの表裏だった。この記憶をもう一度取り戻す必要がある。なぜなら、二つとも恐ろしい技術の力が行使されたものだからだ」

    「核廃棄物の問題を解決できない以上、歴史は脱原発のドイツの道を歩むと思う」

    「新自由主義は矛盾をはらんでいる。一方で社会と市場の自由化を促しながら、もう一方で国家を巨大化する。原子力国家も一例だ」

    「米国の覇権は深刻な危機にある。リーマンショック前後から、世界は米国の指令から独立し、多極的に動いている。かつて完全に米国に従属していたラ米も従来より独立し、中印両国もそれぞれ拠点になっている。米国の覇権の衰退に拍車がかかっている」

    「同じ敗戦国でもドイツは、欧州に依存することで米国からの独立性維持に努めたが、日本はそうしなかった。中国でなく米国との関係をずっと優先させてきたため、その代償をいま支払っている」

    「世界のシステムを民主化できなかったオバマ米大統領に失望した。それだけ軍事産業ロビーが完全に国家構造に入り込み、軍事産業から脱することは不可能になっている。原子力が巣食ったときと同じように、国家システムが硬直している」

    「市民ネットワークには、自治だけでなく、共同体を形成するという気持が大事だ。政府に介入されない独自の通信網を持つとともに、財産権など個人の権利を超越する必要がある」

(2011年11月23日 伊高浩昭まとめ)

スペイン総選挙の反響

               スペイン総選挙が11月20日実施され、マリアーノ・ラホーイ党首の率いる野党「国民党(PP=ペペ)」が過半数を上回る186議席を得て圧勝した。

     PPは、スペイン内戦を起こしたフランシスコ・フランコ将軍ら反乱軍の「国民戦線」の流れをくむ保守~右翼政党。ホセマリーア・アスナールが首相だったPP政権(1996~2004)以来ほぼ8年ぶりに政権に返り咲くことになった。
     
     南米ではアルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ペルー、ボリビア、エクアドール、コロンビアなど、中米ではパナマ、コスタ・リカなど、カリブ海ではドミニカ共和国、ハイチなど、そして北米に位置するメキシコが、マリアーノ・ラホーイ次期首相を祝福した。

     スペインが重視する大国ブラジルは、公式声明を出していない。
    
     最も注目されるのは、アスナールPP政権が敵視した社会主義キューバだ。だが22日現在、反響は出ていない。フィデル・カストロ前議長は、極右のアスナールと犬猿の仲だった。

     アスナールは欧州連合(EU)を巻き込んで、カストロ体制に冷戦を仕掛けた。スペインやラ米諸国では、ラホーイ新政権とラウール・カストロ政権が早晩、緊張関係に陥るとの展望記事が出回っている。
     
     マイアミのキューバ系社会にある「キューバ系米国人財団(FNCA)」は、ラホーイ勝利で、スペインおよびEUのキューバへの圧力が強くなると、期待を表した。
    
     次に注目されるのは、ウーゴ・チャベス大統領が「ボリバリアーナ革命」を遂行しているベネズエラだ。外務省は、「チャベスが、スペイン人民に民主的行事(総選挙)の成功を祝福した」との声明を発表した。

     またニコラース・マドゥーロ外相は、「新政権とはイデオロギーの違いを超えて良好な関係を維持したい。我が国とポルトガル(右翼政権)との関係が模範となる」と述べた。
     
     ダニエル・オルテガ大統領が11月6日に再選されたばかりのニカラグアは、公式声明を出していない。だが「今日のニカラグア」誌が、「スペイン人民はPPを怖がらなくなった」と論評した。

     かつてスペインには、内戦に敗れた「人民戦線」派(スペイン共和国支持派)の間に、フランコファシズムの思想を引きずっていたPPへの恐怖心があった。今選挙でPPが議会の過半数を制したことは、有権者の多くに「過去への恐怖心」がなくなったか薄れたかを意味すると分析している。
     
     ラ米・カリブ33カ国は12月2~3日ベネズエラの首都カラカスで首脳会議を開き、米国・カナダの入れない「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」を創設する。来年はスペインのカディスで、第22回イベロアメリカ首脳会議が開かれ、ラホーイが議長を務めることになる。

     ラ米の団結があり、ラ米を歴史的に重視するスペイン外交がある。時代も、21世紀第2・10年期に入っている。ラホーイとしても、アスナールのような極右反共路線に簡単には乗れないはずだ。

(2011年11月23日 伊高浩昭執筆)

2011年11月21日月曜日

3・11 文明を問う (6の4)

ーーーーーー共同通信社編集委員室国際インタビュー企画18回連載記事紹介ーーーーーー

     10人目の登場人物は、米国人の「環境思想家」レスター・ブラウン氏(77)。「(福島原発事故であらためて現実問題になった)原子力のリスクは、現代文明が直面する多くのリスクのうちの一つでしかない。高騰続く穀物価格、増え続ける飢餓人口、国として体を成さない破綻国家増加という3つの傾向に注目している。地球の再生能力をはるかに上回る速度で天然資源を浪費することの上に成り立ってきた現代文明が、崩壊に向かい始めたことを示している」と、衝撃的な指摘をする。

     「持続可能でない水資源の利用、魚の乱獲、森林破壊など、地上のすべての資源で減少が目立つ。地球が吸収できない量の二酸化炭素を放出していることからも、今の経済は、いつか破裂するバブル経済、ねずみ講経済と言える」

     「人類はボートで川下りしながら、滝つぼに向かっているようなものだ。このままでは滝つぼに落ちる。一刻も早く、天然資源を浪費する文明から方向転換し、全速力で逆方向に漕ぎださねばならない。もしかしたら滝つぼはすぐそこにあり、手遅れかもしれないが」

     「21世紀の安全は軍事手段では確保できない。気候変動、穀物価格や食糧、水資源、人口増加などが安全を左右するからだ。この安全を脅かすものが何かを考えれば、新たな経済、新たな文明の在り方も見えてくるはずだ」

     「発展途上国の貧困を解消し、人口増加に歯止めをかけねばならない。原子力と化石燃料を早急に再生可能エネルギーと省エネで置き換えること。過剰な取水を規制すること」

     「引き返し可能な地点は、自然によって決められている。自分たちの文明が崩壊に向かっている事実に向き合うのは難しい。引き返しがまだ間に合うと確信する理由はないが、努力を放棄する理由もない」

     
     11人目は、韓国の詩人、鄭浩承(チョン・ホスン)さん(61)。東日本大地震の直後に、「日本よ、泣かないで」という詩を発表した。「被害者の涙が私の涙、私の隣人の涙のように感じられ、書こうと思った」

     「2004年のスマトラ沖地震の時は客観的な視点を持ったが、日本に対してはそうならなかった。なぜ自分が切迫感を感じたのか、深く考えてみたい」

     (大震災後の「日本は一つ」という雰囲気に新たなナショナリズムを感じないかとの質問には)「そうは考えない。軍国化に進むなら、それは退歩だ。日本は退歩するほど愚かではない」

     「韓国では、戦争、貧困、革命などを経て、他者への分かち合いよりは、自分を守る生存の方が大きかった。日本については戦後、戦争、分断、貧困がなく、富と安全と秩序を備えた暮らしをしていると考えられていた。しかし大震災を見て、人間の暮らしは同じで、絶望感も同じだという同質性、苦痛の同質性を感じた。だから韓国人は誰が言い出すというのではなく、自発的に日本を助けようという声を上げたのだ」


     12人目はインドの前大統領アブドル・カラム氏(79)。核兵器、ミサイル、宇宙開発に長年携わった科学者だ。「日本も含め世界の地震多発地域にある原発は直ちに耐震と津波対策を強化しなければならない。インドは04年のスマトラ沖地震で津波が押し寄せてきた経験を踏まえて、地震と津波に耐えられる原発を設計するようになった」

     「大事なことは、科学技術に不可能はないということを信じて努力すること。難問はいつでも生じるが、難問に主導権を握られるのではなく、科学者が主導権を握り、立ち向かわなければならない」

(2011年11月21日 伊高浩昭まとめ)

ルセフ大統領が署名

ーーーーーーブラジルのジルマ・ルセフ大統領は11月18日、「真実委員会」設置法と、公的情報接近法に署名した。両法は10月26日国会で成立していた。署名から180日後に発効する。
【本ブログ10月29日付「ようやく真実委員会」を参照されたい。】

    大統領は署名後、「我が国の歴史を汚した出来事が2度と再び繰り返されないために真実を知る必要がある」と述べた。また、南米南部軍政諸国間で、亡命していた政敵らを相互に逮捕し殺害した「コンドル作戦」の実態究明のため、アルゼンチンに協力を求めたいと述べた。

    さらに、「委員会には、制服組に報復する意図はない。若者たちに近過去の出来事を知らせるのが主な狙いだ」と強調した。「ブラジルを一層公平、平等、民主的な国にするために必要な、真実と記憶の構築をする」とも語った。

    大統領はまた、真実委員会が軍部や旧秘密警察の機密情報を調査できるようにするための「公的情報接近法」にも署名した。

    この調査が進展すれば、軍政が1979年にお手盛りで成立させ発効させた「恩赦法」を無効化することも可能と、人道犯罪被害者、遺族、人権団体などは期待している。

    ルセフ自身が、軍政時代にゲリラ活動をして逮捕され拷問されたが、性的暴行に遭った可能性があると指摘されている。

    1964年以降の軍政時代にわかっているだけで500人が殺された。拷問に遭った市民は数え切れないという。

    国連人権高等弁務官事務所は、ルセフの署名を歓迎し、礼讃した。

(2011年11月21日 伊高浩昭執筆) 


2011年11月17日木曜日

ノリエガ将軍22年ぶり帰国へ

ーーーーー1980年代のパナマで最高実力者だったマヌエル・ノリエガ退役将軍(77)がクリスマス前にパナマ市に戻ることが11月16日明らかになった。

       ノリエガ将軍はブッシュ米(父親)政権から敵視され、1989年12月、米軍の大規模な軍事侵攻で政権を追われ、パナマ市内のヴァティカン大使公邸に亡命したところを90年1月、米政府の圧力で引き出され、そのままマイアミに連行された。

       将軍は、コロンビアの麻薬組織「メデジンカルテル」と連携し巨額のコカイン密輸に関与したとして92年、禁錮40年の実刑判決を受けた。その後、30年、20年と減刑された。

       一方、フランスの法廷は、巨額の麻薬資金をパリで高級アパートを購入して洗浄したとして、将軍に禁錮7年の判決を下し、米国に身柄引き渡しを求めていた。

       将軍の身柄は2010年4月フランスに送られ、将軍はパリ郊外の刑務所に入れられた。だが今年9月、監視付きの保釈処分となった。パナマ政府は将軍の身柄引き渡しを要求しており、その審理がパリの法廷で始まっていた。焦点は、そこに移っていた。

       11月16日、米司法当局はパリの法廷に、将軍のパナマへの引き渡しに異議は唱えないと通告した。これによって最終的に、囚人としてではあるが将軍の帰国に道が開けた。

       23日には将軍のパナマ行きをめぐる法廷手続きが終わり、あとはパナマ・フランス間での身柄送還の準備だけとなった。パナマ政府は将軍の帰国に備え、厳戒態勢に入った。

       パナマには、72歳を超えた囚人は自宅軟禁処分にするという優遇措置がある。将軍は、該当する。だがパナマのリカルド・マルティネリ大統領は16日、滞在先のロンドンで、「家庭軟禁制度はあるが、収監されるだろう。しかし最終的には判事たちが決める」と述べた。

       パナマでは1985年に、ノリエガの政敵だったウーゴ・スパダフォラ(当時45)が暗殺され、ノリエガの関与が明らかになって、パナマの法廷は禁錮20年の実刑判決を下した。将軍は帰国すれば、この刑に服すことになるわけだ。
            ×                ×                ×

       1980年代からのノリエガをめぐる事件の背後の闇は深い。いずれ続報を書きたい。

(2011年11月17~24日 伊高浩昭)

2011年11月16日水曜日

元大統領の身柄引渡しへ

ーーーーグアテマラのアルバロ・コロム大統領は11月15日、アルフォンソ・ポルティージョ元大統領(60)の身柄を米司法当局に引き渡すのを許可した。一国の大統領経験者の身柄が他国に引き渡されるのは、極めて稀なことだ。
  
      ポルティージョ(2000~04年政権担当)は、台湾からの援助金250万ドル、グアテマラ国防省資金390万ドルなどを横領し米国の銀行を使って洗浄した容疑で、ニューヨーク検察から身柄引き渡し要求がなされていた。

      ポルティージョは大統領任期が終わった04年の2月、逮捕を逃れるためエル・サルバドール経由でメキシコに逃亡した。だが08年逮捕され、グアテマラに送還された。しかし12万5000ドルの保釈金を支払って仮釈放処分となった。

      ところが10年初め米当局の要請で逮捕状が出ると、カリブ海岸から海路、隣国ベリーズに逃走を謀った。だが北部海岸で逮捕された。政府も、総額1500万ドルの公金横領罪で訴えていたが、法廷は今年5月26日、ポルティージョの「無罪」の主張を認めて、無罪を言い渡した。

      典型的なインプニダー(無処罰)だった。

      だが最高裁は3ヶ月後の8月26日、米当局からの身柄引き渡し要求を受け入れ、コロム大統領に最終判断を求めた。コロムは、判断は次期大統領に任せるとして、引渡命令書への署名を避けていた。

      11月6日、大統領選挙決選投票で、オットー・ペレス=モリーナが当選した。次期大統領に決まったペレスは、ポルティージョの身柄引き渡しに賛成した。これによりコロムは署名に踏み切った。

      引渡決定はある意味で<英断>かもしれないが、もとはと言えば、グアテマラの法治性が体をなしておらず、無処罰がまかり通ってきたためだ。法治能力に欠けるため、国家としての恥を忍んで、厄介者を引き渡さざるを得なくなったわけだ。
              ×           ×             ×
      私はポルティージョが大統領として来日した折、あるパーティーで会話した。その後、彼の施政4年間に公金5億ドルが横領された、との数字も出ている。ポルティージョとの束の間の時間も、後味の悪いものになった。

(2011年11月16日 伊高浩昭)

3・11 文明を問う (6の3)

ーーーーーー共同通信社編集委員室インタビュー企画18回連載記事紹介ーーーーーー

    7人目の発言者は、タイ人映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクン氏(41)。2004年、「トロピカル・マラディ」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。

    「この悲劇(東日本大地震)を通じて自然は、非常に重要な信号を世界中の人々に送った。<母なる自然>は人々を温かく抱擁する理想的な母でありながら、時には怒り、破壊する」

    「インターネットやテレビの映像で、世界中の人々が瞬時にして自然の破壊力を知った。世界中から日本への支援が送られたのも、自然が触媒になり人々を結びつけたからだろう」

    カンヌでの受賞時、「世の中が西欧的、ハリウッド的に染まるなか、物の見方がまるで違う世界もあるのだ、ということを教えてくれた」と評された。

    08年のリーマンショックについては、「起こるべくして起きた。格差や不平等を放置してきたからだ。人を最優先する思想が必要だ」

    「経済発展を早期に達成したが、非常に大きな人権問題を抱えている中国のシステムは、新たな発展モデルとしては機能しない。人権という自然な価値を求める人々の力がいつか示され、中国も変わらざるを得なくなるだろう」

    「従順さのレベルが日本では非常に高い。だが震災後、政府に怒りをぶつけられないことに居心地の悪さを感じている日本人がたくさんいることがわかった。いつもきちんと列に並び、豊かな文化をもつ人たちがなぜ窒息しそうだと感じるのか、理解できない。従順だった社会が深いところで変わっていく様子を撮ってみたい」


    8番手は、米国人作家レベッカ・ソルニットさん(50)。世界の被災地を訪れ、市民が連帯や共助の素晴らしさに気づき、無能な政府を倒すことさえある。そのような状況を取材し書いてきた。

    「関東大震災時に朝鮮半島出身者が殺害された。そんなパニックは、慌てた警官や行政官が起こすのだ」

    「市民は、復興は自分たちでやった方がよいと立ち上がる。政権や政権党がいかに機能しないかが暴かれ、市民は自信をもつ。一方、政治エリートは失った行政権限を取り戻そうと戒厳令を敷き、市民を再び管理下に置こうとする。メディアもエリートの一員として現状維持に力を貸す」

    「(大災害を経験した)日本では目覚ましい変化がいずれ起きるだろう。どんなものになるのか想像できないが、世界は今、日本に注目している」


    9人目は、台湾南東部の離島・蘭嶼に住む先住民族タオ人の漁民作家シャマン・ラポガン氏(53)。自給自足の暮らしをしながら、書きつづける。

    「若者はモーターボートに乗り、夜の海を怖がる。海と闘いつつも愛するという海との親密な関係からは程遠い」

    「海は自然の冷蔵庫だ。中には魚がいて、腐ることがない。われわれは海と友だちになり、必要なものをもらう。すべての国が底引き網漁をすれば、魚はいなくなってしまう」

    「年とともに体力も衰えてきたが、やっぱり潜りたい。海は魚がいて美しく、豊かな情感や知識をくれるからだ」

    台湾では3つの原発・計6基が稼働している。日本の援助で第4原発の建設も進んでいる。2つの既存の原発は台北から20キロ圏内にあり、事故の際、速やかに避難できるかどうかが問題になる。

   故郷の蘭嶼には、核廃棄物貯蔵所がある。「福島原発には1987年に行ったことがある。台湾電力がタオ人を視察に招待した。蘭嶼の貯蔵所は安全だ、と宣伝するためだった」

   「海の汚染が心配だ。台湾政府はタオ人をだまして核廃棄物を蘭嶼に置いた。貯蔵所移転のに向けて努力している。だが島民の危機感はとても弱い」

(2011年11月16日 伊高浩昭まとめ)

映画『汽車はふたたび故郷へ』

★☆★☆★グルジア人で、1979年以来フランスに住むオタール・イオセリアーニ監督(1934年生まれ)の2010年の作品。原題「シャントゥラパ」。仏グルジア合作。126分。字幕翻訳・寺尾次郎。

    来年2月18日(土)、岩波ホールをはじめ、全国の映画館で順次公開される。(私は11月15日、東銀座での試写会で観た。) 

    原題を、冊子に登場する評者たちは「歌えない人」、「社会の枠組みのなかでうまく生きていけない人」、「役立たず」、「跳ねっ返り」、「屈しない人」などと訳している。監督自身は、冊子に載っているインタビューのなかで、「役立たず」、「除外された人」の意味だと説明している。実存的アウトサイダーを指しているのは疑いない。

    2時間を超える映画だが、長さを感じさせない。作品に吸い込まれてしまうからだ。旧ソ連の小さな構成国グルジア(現在は独立国)のひなびた光景、美しい和声の歌、老人の群、世代間の融合と隔たり、弾圧、無理解、酒・たばこ、絶望と希望などが、画面の印象として残る。

    愛の存在の奥ゆかしい示唆はあっても、あからさまな愛の表現は一切ない。総じて、重たさのない重厚な作品だ。登場人物たちは、感情は豊かだが感傷には乏しい、気取らないハードボイルドばかりだ。

    邦題が示すように、主人口である若い才能ある映画監督ニコラスは、祖国グルジアで弾圧され、フランスに亡命させられて、古びた列車でパリに行く。そして映画を作る。だが作品は一般受けしない。監督は、風変わりな若者と見なされる。祖国では弾圧、亡命地では無理解に遭った。

    そこで再び、故郷に帰る。だがソ連解体後で、祖国は高層アパート群の建設まっただ中、すっかり世変りしていた。

    ニコラスはパリに出る以前、グルジアでソ連時代の秘密警察KGBに拷問される。パリでは映画人たちから「KGBって何だ?」と、皮肉っぽく問いかけられる。ニコラスは、その場を離れてしまう。

    ここに、東西冷戦中の「鉄のカーテン」を挟んだ「無理解」が描かれる。だがイオセリアーニは勧善懲悪を用いない。西側にとっては<絶対悪>の一つだったKGBも、強者の犬でありながら、運命に翻弄された人民だった、との解釈があるからだろう。

    厚く危険な「鉄のカーテン」を、ニコラスの放つ伝書鳩はいとも簡単に超越してしまう。鳩は、「カーテン」の両側には、体制こそ異なるが、人間性はあまり変わらない人々がいるのを知っている。ニコラスもイオセリアーニも、鳩がひとっ飛びで得る知識を、長い時間をかけて修得したのだ。

    映画には、カリブ海諸島の黒人系混血娘を思わせる<人魚>が2度登場する。1度目には水面に笑顔を現し、2度目はクライマックスで、ニコラスの手を取り水中を泳ぎ去っていく姿がしばし描かれる。

    再会した家族と故郷の田園にピクニックをしにいったニコラスは、鱒のような川魚を釣っている最中に、かの不思議な人魚によって水中に引きずり込まれるのだ。

    そのまま人魚に誘(いざな)われて、グルジアでもなく、パリなど西側でもない、異郷に向かって消えていく。弾圧も無理解もなく、作品が正当に評価される別天地に向かって去っていったのだろうか。

   あるいは、イオセリアーニは、若き日の自分自身をある程度投影させたニコラスに、自分の半生よりも、ずっと素晴らしい人生を送り、もっと優れた映画を創ってほしいと、願望を込めて人魚を登場させたのではないか。

   否、(映画という価値を超えた領域に目をやって)、映画監督にならなければ、どんな人生を歩んでいたのだろうかと、人生の「未知の選択肢」を思い描いたのではなかったか。

(2011年11月16日 伊高浩昭)

2011年11月15日火曜日

核戦争の危機を警告

ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は11月13日、支持者を前に演説し、「中東危機は深まり、世界人民にとって脅威となっている。米国とNATOは、カダフィ殺害に次いで今や、アサド・シリア政権への攻勢を強めている。欧米はシリアに破壊活動分子を送り込んで、暴動・流血・殺害を拡大させている」と、欧米を強く非難した。

        同大統領は14日には、ラジオ・テレビの全国中継放送を通じて、次のように指摘し、国際社会に注意を喚起した。

        一つ、米国は、欧州およびイスラエルと共謀して、イランとの紛争を起こそうとしている。この瞬間にも、中東に核戦争の危機が迫っている。

        一つ、バラク・オバマ(米大統領)は、イラクとアフガニスタンでの戦争を終わらせると公約していたが、新たな戦争を起こして公約を破れば、自らを敵に回すことになる。

(2011年11月15日 伊高浩昭 )

米・イスラエル・NATOを非難

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長(85)は11月13日、新聞コラム「省察」で、欧米イスラエルの対イラン圧力で緊迫化している中東危機について論評し、戦争勃発の危険性を警告した。

       一つ、イランが侵略されれば、同国の戦闘能力、人口の大きさ、国土の広さから、血みどろの戦いが起きるだろう。それはイスラエルが、1981年、2007年にそれぞれイラクとシリアの原子炉を爆撃して破壊した時の冒険主義とは比較にならない甚大さを伴うはずだ。

       一つ、イスラエルは核保有国であることを認めないが、200~500発を保有していると見なされている。核を保有しているからこそイスラエルは、帝国主義と植民地主義の道具としての役割を中東で果たすことが可能になっている。

       一つ、今、懸っているのは、中東の人々が自由で平和に生きる正当な権利であって、イスラエル人のそれではない。

       一つ、国連と国際原子力機関(IAEA)は、イスラエルが米国とNATOの支援を得て冒険した事実を知っている。イスラエルが今またイランを攻撃しようと意図しても、不思議はない。

       一つ、いかなる国も核兵器を保有してはならない。原子力は平和利用だけに供されねばならない。この精神がなければ、人類は容赦なく自滅に追い込まれるだろう。

(2011年11月15日 伊高浩昭)

2011年11月14日月曜日

書評『百年の孤独を歩く』

スペイン語文学者で翻訳家の田村さと子(1947年生まれ)が、1985年に知己になって以来、親交を保ってきたコロンビア人ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM)の代表作『シエン・アニョス・デ・ソレダー(邦題「百年の孤独」、本来は「孤独の百年」)』の物語の舞台を訪れる文学探訪記。2011年4月、河出書房新社から出た。2400円。

      GGM好きには堪えられない<旅日記>であり、とりわけGGM夫妻、親族らから友人として扱われてきた著者をうらやましがる向きもあるだろう。

      カリブ海に突き出したグアヒーラ半島にワユー民族を訪ねるくだりは、とくに興味深い。ワユー社会ではいざこざが起きると、仲介者が双方の話を聞き、過去の対立の歴史などを話して聞かせ、いざこざを解決する。その仲介者を「多弁家」と紹介しているが、ここは「語り部(アブラドール)」とするのがいいだろう。マリオ・バルガス=ジョサ(MVLL)の『密林の語り部(エル・アブラドール)』と同じような立場の賢者なのだ。

     著者は後書きで、GGM夫妻に親しくしてもらっているがゆえに、GGMや夫人の私生活面にはできるだけ触れないことにしている、と書いている。当然の配慮だろう。本書にGGMの挨拶文や推薦文の類がないのが好ましい。

     だが著者は、「私は自分を唯美主義者だと思っている。それは、表現が美的になるよう心を砕くことを意味する。文体を模索してさんざん苦しむ」など、GGMに貴重な発言をさせている。

     著者は、コロンビア行脚の行く先々で、左翼ゲリラ、極右準軍部隊(パラミリタレス)、麻薬組織、軍・警察部隊が入り乱れて戦う状況に遭遇し、そのことを記している。ならば、GGMに、そのような状況について一言語らせればよかった。この点は惜しまれる。

     GGMが南米人であるよりもカリブ人であるという、日本人には気づきにくいイデンティダー(認同、アイデンティティー)を、作品や風土から指摘し、強調しているが、完全に的を射ている。

     難点を指摘すれば、『百年の孤独』に登場するアウレリアーノ・ブエンディーアの名前が「アウレリャノ」となっていることだ。そのように耳に聞こえて訳した者がいるとして、それに倣ったのかもしれないが、正確さが必要だ。

     GGMを「マルケス」している箇所が多いが、「ガルシア=マルケス」とするのが正しい。バルガス=ジョサの場合も「ジョサ(ないしリョサ)」とすれば不完全だ。もし「マルケス」を使うならば、「父方姓ガルシアまで書くと長すぎるから、便宜上、母方姓マルケスだけを書く」などの注意書きを添えるのが、読者にとっては親切だろう。

     そうしないと日本人読者いつまでも中途半端な理解しかできなくなる。

     また、本書の冒頭でGGMの愛称を「ガボ」と書きながら、「ガブリエル」という肝心の名前は、かなり後の方になるまで書いていない。「ガボ」が「ガブリエル」の愛称であるのが、スペイン語の知識のない読者にはわかりにくいはずだ。

     しかし、GGM好き、ラ米好きならば、こんな短評は脇に置いて、本書を読むのが先決だろう。

(2011年11月14日 伊高浩昭)

3・11 文明を問う (6の2)

----共同通信社編集委員室インタビュー企画18回連載記事紹介ーーーー

     4人目の登場人物は、ことし6月下旬、4度目の来日を果たしたノーベル文学賞作家マリオ・バルガス=ジョサ氏(75)。ペルー人で、スペイン国籍ももつ。

    「東日本大震災は、世界が注目する大惨事だ。作家は常に自分の時代に立ち向かわなければならない。文学は人間を目覚めさせ、常に正義と進歩を目指す。作家は文学を通じて行動する」

    (福島事故を契機に近代化を反省すべきかと訊かれて)「近代化に背を向けるべきではないが、進歩には危険性もある。物質主義は感情、感受性、個人精神を破壊し、専門外の人間との対話を奪い、非人間的な社会をつくる。物質的進展と豊かな精神性を調和させなければならない」

    「近代化は小さな文化を消しがちだが、小さな文化は全球(グローバル)化に対する重視すべきもう一つの原則を示す。それは震災で問われている自然との関わり方、自然への畏敬を教えてくれる。伝統文化は近代化の障害ではなく、われわれ人類の財産なのだ」

    「原発は、自然に挑戦するリスクが大きく、文明が破壊される恐れがある。このエネルギー源を拒否し、リスクのないものを世界は協力して創るべきだ。文学、ジャーナリズムは議論を起こそう。福島の教訓を世界はないがしろにしてはならない」

    「これからは文学、美術、音楽など、人間の在り方を示すものが役割を果たす。日本は、物質主義でない市民文明を創る今後の闘いでも模範となってほしい」

[MVLL(マリオ・バルガス=ジョサ)来日時の伊高執筆記事は、月刊『ラティーナ』誌2011年9月号および、『週刊金曜日』誌10月7日号を参照されたい。]


    5番手は、「平和研究の父」と呼ばれるノルウェー人政治学者ヨハン・ガルトゥング氏(80)。
    
    「日本の原発の多くは海浜にある。科学者たちは、地震や津波への警戒を政府や電力会社になぜ警告しなかったのか。この点に怒りを覚えた」

    「日本は、クリーンエネルギーに転換できる地熱、地中の熱水が豊富だ」

    「原発からの転換には莫大な初期投資が要る。21世紀の終わりには実現できるのではないか。エネルギーの歴史を考えたとき、福島は世界の象徴になる」

    「広島・長崎の原爆は米国が投下した。では、福島原発事故は誰の責任か。日本は、それを考えるべき重大な機会にある」

    「日本は米国の要求に対して常に抵抗しない。日本は、対米同盟関係から本当の意味での独立を果たさなければならない」

    「現代は全球主義(グロ-バリズム)でなく、地域主義の時代だ。欧州連合、アフリカ連合、東南アジア諸国連合などが機能している。日本は米国との良好な関係を維持しつつ、東アジアでの非軍事共同体の結成を目指すべきだ」[感想ならぬ一言:そして南米諸国連合(ウナスール)も機能している。]

    「原爆の被害者であり、(植民地支配の)加害者でもある事実を受け止めて行動する指導者が日本には必要だ。(南京大虐殺などをめぐる)議論があろうが、悪いことをしたという自覚が前提になければならない。加害者には、行為に及んだ理由を伝える権利がある。被害者には、それに反論する権利がある」


    6人目は、ノーベル平和賞受賞者でケニア人のワンガリ・マータイさん(71)。環境保護政策の指導者だった。

    「われわれは自然の力に対して謙虚になるべきだ。人類は自然の最上に位置していると思いがちだが、自然の力はわれわれを簡単に打ちのめす」

    「技術や能力のない途上国が原発を導入すれば、自国民だけでなく人類を危険にさらす。原発には<発展ぶり>を誇示したがる政治家の自尊心を満たす魔力がある。こうした力に寄り掛かる人々を止めよう」

    「アフリカには水力発電に適した大河がたくさんある。コンゴ川が活用されれば、アフリカ全土を賄うエネルギーを得ることができる」

    「人類は(大自然の破壊、気候変動などを)警告されながら何もしてこなかった。すぐ忘れてしまう。だが忘れることは、ある面ではいいことかもしれない。人類は忘れなければ立ち上がることができいないのかもしれない」

[感想:マータイさんは、このインタビュ-記事が紙面に載っていた時期の2011年9月26日、癌で死去した。日本人の「もったいない」の思想を国際社会に広めようと努めた賢者だった。「もったいない主義」も、MVLLの言う「小さな文化」である。]

(2011年11月14日 伊高浩昭まとめ)

2011年11月13日日曜日

3・11 文明を問う(6の1)

共同通信社編集委員室の杉田弘毅記者ら編集委員グループは、東日本大地震・東電福島第1原発大事故を受けて、「3・11 文明を問う」というインタビュー特集記事の執筆を企画し、6月から10月にかけ18回続きとして、全国の加盟新聞社に配信した。世界のさまざまな知識人が登場する。発言は極めて興味深い。今日から6回にわけて、内容を紹介する。
              ×               ×                ×
     最初の登場人物は、ゲアハルト・シュレーダ前ドイツ首相(67)。2002年に、原発を2020年代までに全廃する脱原発法を成立させた。同氏は語る。

     「チェルノブイリ事故が起きた1986年の8月の社民党大会で、原子力に代わる新技術の導入と、大手電力会社の合意を条件に脱原発を図ることを決議した。電力会社の反対はすごかった。同意しなければ法的に強制する、と通告した。だが合意獲得が好ましかったため、原発停止までの猶予期間を容認した」[感想:これぞ政治家というものだろう。]

     「欧州連合や日本は、エネルギー需要を満たすため<3つの音>を重ねて和音をつくる必要がある。1つは風力、太陽光、バイオマスなどの再生エネルギー。二つは省エネ。三つは、脱原発までの過渡期の技術として、気候変動への影響が少ない天然ガスなどを利用すること。日独は技術先進国として省エネの先導役となるべきだ」

     「再生エネルギーの発展が期待できるため、中長期的に見れば脱原発は経済的だ。短期的には電力料金の上昇が考えられるが、省エネでこれを抑制できる」

     「原発のない世界は可能かという質問自体が、2050年には笑われてしまうはずだ。サハラ砂漠からの送電計画などは当たり前になる」

     ドイツの企業連合は、サハラ砂漠などに、鏡で集めた太陽熱で蒸気を発生させる太陽熱発電所網を張り巡らせ、欧州に送電して、2050年までに欧州の電力需要の15%を賄う計画を打ち出している。

     2人目の登場人物は、ブラジルのルーラ前政権で環境相を務めたマリーナ・シルヴァ氏(53)。東日本大地震発生を知って真っ先に浮かんだのは、「賢人は他者から学ぶ。自分の失敗からさえ学べない者は愚かすぎる」ということだったという。[感想:まさに日本人が批判されている。]

     「政府は原発についてすべてを開示し、原発が与える地球全体への影響を考えつつ、国民と議論しなければならない。透明性がなければ、震災の教訓を生かせない」  

     「ブラジルでは30年以上も前に砂糖黍をアルコール化する計画を始め、代替エネルギーを開発した。現在、エネルギーの45%が再生可能だ。日本も国を挙げて再生可能で安全なエネルギー開発に投資すべきだ」

     「ブラジルの研究では、風力は原発より約2割安いコストで同じ量のエネルギーをつくることができる。水力と太陽光の可能性を秘めるブラジルに原発は不要だ」

     アマゾニーア(アマゾン川流域)の密林に育ったシルヴァは、限界が見える「北」の先進国の開発モデルでない「新しいモデル」を模索している。「人類は今、文明の岐路に立つ。判断を誤れば自滅する。前例のない転換点だ」

     3人目の発言者は、ゴルバチョフ・ソ連政権で外相を務め、ソ連消滅後にグルジア大統領も務めたエドゥアルド・シェワルナゼ氏(83)。「(チェルノブイリ事故のような)国家的危機の際の政治指導者の責任は、国民に真実のみを語ることだ」。回想録で「あの時、真実を求める戦いに負けた」と、強い自責の念を告白している。 [感想:日本の指導者は東電に丸め込まれた、という印象が強い。]

     「チェルノブイリ事故はソ連崩壊の直接の原因ではなかったが、一つの要因ではあった。ペレストロイカ(改革)の真価が問われる最初の試練だった。ゴルバチョフは事故を、グラスノスチ(情報公開)の推進に使った」

     だが、「人類は原子力に勝るものをまだ見出していない」として、今は原発の安全性向上が重要という立場をとる。

     大事故発生時に情報を公開できるかどうかは、政府の力量次第だ。「国民に真実のみを語ることだ」という氏の指摘は、福島事故で情報隠しを批判される日本政府にとって思い意味を持つ。

(2011年11月13日 伊高浩昭まとめ)

2011年11月12日土曜日

学生が政府に勝利

          
    
     コロンビアのサントス政権は、財政破綻に直面している国公立大学の民営化を促進し、産学協同の一層の強化を促す「上級教育法案」を10月3日国会に提出していた。

    だが、大学生を中心とする全国的な抗議行動に遭い、法案を11月11日撤回した。

    大学生、その予備軍(中等学校生=高校生)、教職員、父兄、労組は、「知識の商業化」を方向づける法案に反対し、10月から全国で抗議行動を7度展開、うち3回は大規模動員だった。

    学生は「全国学生拡大会議(MANE=マネ)」を組織し、10月12日ストライキに突入した。

    11月10日には、首都ボゴタの15~20万人をはじめ、全国で200万人の動員に成功した。
これを予知したフアン・サントス大統領は前日の9日、学生側がストを止めれば法案を撤回する、と約束したが、撤回して「誠意」を示した。

    MANEは12~13両日、ストを解除するか否かを議論した。その結果、①政府は法案撤回手続きを完遂する②政府は白紙状態に戻って学生と上級教育改革案について話し合う③政府は抗議行動の自由を保障するーの3点をスト解除の条件として政府に提示した。

    結局、16日、法案撤回手続きが終了したのを受けて、ストを解除した。

    大学授業料は学生負担は増えつづけている。私学の場合、学生の負担は年間1万ドルに及ぶ。教育予算は伸びず、大学の負債は増え続け、学生の苦境は深刻化した。

    最低賃金は月額300ドル。親たちの多くは学資を払えない。中等学校生の37%しか大学に進学できず、うち45%しか卒業できない。

    学生の多くは、アルバイトをしつつ、「学生融資」を受けざるを得ない。進学者の過半数が、融資の返済で行き詰まり、単位も取得できず、大学を去っていく。

    法案は、大学が社会変革の基盤になるのを妨げ、少数富裕層を頂点とする伝統的支配階層の天下を維持するのに都合のいい学生をつくるのを狙いとしている。そう大学人は批判していた。

    MANEは、全国での大動員は、富裕層・支配層の意見を伝えるのに忙しいマスメディアが当てにできないためでもあると、はっきり語っている。メディアの社会的責任も問われている。

    大統領は法案を撤回した。新自由主義教育の荒廃が拡がるコロンビアで、学生たちは<革命的な>勝利を記録した。

    チリの学生も4月から、政府の新自由主義教育政策を変えさせようと闘ってきた。だが、ピノチェー軍政以来、新自由主義が広く深く浸透しているチリである。政府は譲歩しない。スペインの学生も同様の闘いを続けている。

(2011年11月12~17日 伊高浩昭)

2011年11月11日金曜日

法王がキューバ訪問へ

          
           バティカンは11月10日、法王ベネディクト16世が来年キューバを訪問する、と発表した。

    キューバの守護神「聖母カリダー・デ・コブレ」出現400周年に合わせての訪問。訪問時期は明らかにされていないが、3月後半の可能性があるという。

    キューバでは、400周年祭に向けて、8月8日から12月30日まで、聖母像の全国行脚が行なわれている。

    前法王・故ヨハネパウロ2世は1998年1月、法王として初めてキューバを訪問し、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時)と対話した。法王は、「世界がキューバに開き、キューバも世界に開くべきだ」と働きかけた。

    フィデルには、ソ連圏崩壊で共産主義への信頼もついえてキューバ人の心に生じた空洞を、革命前から存続していたカトリック信仰で埋めようと、法王を招いた。

    同時に、東西冷戦後の時代にキューバが生きる道は、国際社会と広く関わる以外にないとの認識から、法王の影響力を期待した。

    一方、法王には、フィデルの<全球的社会正義>に耳を傾けることによって、猛威を振るっていた弱肉強食の新自由主義の<不正義>を国際社会に訴える思惑があった。 

    2008年に就任したラウール・カストロ議長は、カトリック教会との対話を推進し、フィデル時代に捕えられていた反体制派(もしくは反革命派)の囚人たちを釈放した。

    ハバナ大司教ハイメ・オルテガ枢機卿は最近、「囚人釈放は終わった」と述べ、法王来訪の可能性を示唆していた。

    反体制派は、来訪する法王に「キューバの民主化」促進を直訴しようと準備を始めた。

    法王は、キューバ訪問時に、メキシコも訪れる。現法王のラ米訪問は、07年のブラジル訪問に次いで2度目。コロンビア・カリブ海岸のカルタヘーナ市に立ち寄る可能性もあるという。 

(2011年11月11日 伊高浩昭)

2011年11月10日木曜日

アンデス諸国共同体首脳会議

       
              アンデス諸国共同体(CAN=カン)に加盟するボリビア、エクアドール、ペルー、コロンビアの4カ国大統領が11月8日、コロンビアの首都ボゴタで首脳会議を開いた。

   エクアドールのラファエル・コレア大統領が、コロンビアとの貿易の著しい不均衡を理由にCAN脱退の可能性をほのめかしたため、急遽開かれた。

   コレアによると、今年1~8月のコロンビアへの輸出は6億6600万ドル、同国からの輸入は14億5700万ドルだった。

   会議の議長を務めたコロンビアのフアン・サントス大統領が、事前協議で不均衡是正を約束したため、会議は穏便に進んだ。コレアは、満足の意を表した。

   CANの公式首脳会議は、08年から開かれていなかった。4首脳は、今後年1回開くことで合意した。また、CANと南部共同市場(メルコスール)との関係強化を図ることを決めた。

   ボリビアのエボ・モラレス大統領は、「コロンビアの前政権の下では訪問できなかったが、サントス大統領になって信頼関係を築くことができた」と表明した。

   ペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領は、記者団から、コロンビア軍によるFARC最高指導者アルフォンソ・カノの掃討について意見を求められ、「コロンビアの内政問題だ」と返答を避けた。

   CANは1969年、「アンデス条約(機構)」として6カ国で発足した。だがチリがピノチェー軍政時代に脱退し、ウーゴ・チャベス大統領のベネズエラも06年、ペルーとコロンビアの対米自由貿易協定交渉開始を嫌って、脱退した。

   4カ国の合計人口は9700万人。2010年の域内貿易は78億ドル。今年は90億ドルに達する見込み。ボリビアとエクアドールは、チャベスが盟主の「米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)」に加盟している。

(2011年11月10日 伊高浩昭)

2011年11月9日水曜日

キューバ革命軍相決まる

ラウール・カストロ国家評議会議長(上級大将、初代革命軍相)は11月8日、第3代革命軍相(国防相)に、これまで第1副革命軍相だったレオポルド・シントゥラ=フリーアス大将(70)を任命した。9月3日に第2代革命軍相フリオ・カサス大将が心臓発作で死去して以来、空席だった。

   革命軍相は、カストロ体制にとって国防だけでなく、内相と並ぶ治安の要。それだけに2カ月に及ぶ空白期間が、「権力闘争の存在」など、憶測を呼んでいた。後任第一候補である第1副相の地位にあったシントゥラだが、「ラウールよりもフィデルに近い」と見なされてきた。

   だが11月5日、サンティアゴ市郊外の東部第二戦線霊廟で、カサスの納骨式が行なわれたことから、シントゥラの任命は間近と見られていた。革命戦争中、第二戦線はラウールが指揮した拠点で、カサスは側近だった。この霊廟には、ラウールと親友だったスペインの舞踊家アントニオ・ガデスも眠っている。

   シントゥラは1957年、マエストラ山脈でゲリラ戦を指揮していたフィデル・カストロの元に16歳で馳せ参じ、少尉として59年1月のハバナ入城を果たした。キューバ軍事学校を卒業し、モスクワに留学した。

   エティオピア戦争(78年)では戦車部隊を指揮した。南アフリカ軍相手のアンゴラ戦争では、最前線で戦闘部隊を率いた。89年処刑されたオチョア将軍の後任として西部軍団司令官。91年から共産党政治局員。98年「キューバ共和国英雄勲章」を受賞。08年10月から第1副相を務めていた。革命戦争以来の「歴戦の兵(つわもの)」である。

   一方、後任の第1副相には、アルバロ・ロペス=ミエラ大将(68)が就任した。従来からの総参謀本部長を兼任する。やはりエティオピアやアンゴラで戦い、共和国英雄。政治局員。

        ロペス=ミエラ大将は、ラウールの子飼いと見なされている。実働部隊を取り仕切る総参謀本部長を兼務することは、遠くない将来、本命として革命軍相に納まる可能性を示唆する。 
(2011年11月9~14日 伊高浩昭)

米国と関係正常化で合意

   ボリビアと米国は11月7日ワシントンで、関係正常化のための「相互尊重・協力に基づく両国関係の枠組み合意」に調印した。

   両国関係はボリビアで2008年9月、反政府農民暴動が起きた際、エボ・モラレス大統領が「背後に米大使の陰謀があった」として、当時の米大使を追放し、極度に悪化した。モラレスはさらに、米DEA(デア=麻薬捜査局)代表らを「陰謀加担」で追放し、DEAとの関係を絶った。

   これに対し、当時のブッシュ米政権はボリビア大使を追放し、アンデス諸国向けの特恵関税制度のボリビアへの適用を停止した。

   以来、両国関係は、臨時代理大使級に格下げされたままになってきた。

   米国に09年オバマ政権が登場すると、交渉機運が生じ、両国は関係正常化の交渉に入った。

   調印された「合意」は、大使早期着任、麻薬取締協力、通商促進、人間・経済・社会・文化の持続可能な開発、などを謳っている。両国合同委員会を新設するが、同委が「合意」の実施を保障・検証することになるという。

   モラレスは8日、訪問先のコロンビアの首都ボゴタで記者団の質問に答えて、「前の米大使は内政干渉をした。米国はボリビアに対し歴史的に初めて、ボリビアの主権と憲法を尊重すると約束した。相互尊重の合意が成り、ボリビアが従属する関係は終わった」と述べた。

   米国務省は、「合意を基に、関係の全面的正常化を図りたい」と表明した。この「全面的」の言葉に、DEAボリビア事務所を再開させたい思惑が含まれているのは疑いない。

   これについてモラレスは、「DEAはかつてボリビアで警察と軍を指揮していた。私も、その犠牲者だった。だが、そのようなことも終わった」と述べ、「DEAが戻ってくることはない」と言明した。

   DEAはかつてコチャバンバ郊外に、麻薬栽培地とコカイン製造工場の摘発を主目的とするボリビア警察特別機動部隊の基地を置いていた。そのころモラレスは、コカ葉栽培農民労連の代表だったが、多くの栽培農が警察機動部隊により殺され傷つけられた。モラレスも常に監視されていた。「犠牲者だった」との発言は、一連の迫害を指す。

   ラパスで留守を預かっていたアルバロ・ガルシア副大統領も8日の記者会見で、「DEAは不要であり、戻ってこない。ボリビア軍と諜報機関が麻薬取締の役割を十分に果たしている」と語った。政府は09~2011年に、コカ葉不法栽培地2万5000hrを摘発した、と明らかにしている。
       ×                   ×                  ×
   私は1990年代半ば、コチャバンバのモラレスの事務所で彼にインタビューし、労連の案内で、コカ葉栽培の中心地チャパレ地区を取材した。その翌日、警察機動部隊の軍用ヘリコプターに乗り、同部隊が地上と上空から栽培農を弾圧する光景を機内から取材し、かつ見守った。

   地上では機動部隊が栽培農に向けて水平発砲し、ヘリコプターは栽培農に対し催涙ガスを執拗に投下していた。栽培農が手にしていた武器は、マチェテ(山刀)、鍬、棍棒などだった。

   翌日、ラパスの新聞には、この弾圧で数人が死亡し、負傷者も出た、と書かれていた。

   私は、機動部隊の共犯者だったかのような気持になり、取材記者の<業(ごう)の深さ>に、鬱鬱としたものだ。ボリビアは取材の思い出の多い国だが、悔恨を伴って真っ先に思い出されるのは、あのヘリコプター取材をした苦々しい一日の情景だ。

(2011年11月9日 伊高浩昭)   

2011年11月8日火曜日

書評『チェ・ゲバラ-最後の真実』

   ブラジル在住のボリビア人医師にしてジャーナリストのレヒナルド・ウスタリス=アルセ(1940年生まれ)が40年の調査取材を積み重ねて書き下ろした労作。原題は『チェ・ゲバーラ 生と死および神話の復活』(2008年)。服部・石川共訳。2011年7月、ランダムハウスジャパン刊、2200円。

   この本の最大の価値は、チェのゲリラ部隊がボリビア軍と戦闘し殲滅されたアンデス前衛山脈の渓谷地帯ニャンカウアスー地域について、「チェは、同地域でゲリラを訓練した後、同地域を兵站(補給基地)として維持し、200km北方の別の地域で戦闘するつもりだった」との証言を得た点にある。

   証言者は、チェの側近中の側近だったキューバ人ゲリラ、ハリー・ビジェガス(暗号名ポンボ、後にキューバ革命軍少将)ら、実際にボリビア遠征に参加した側近たちである。だが「200km北方の地域」がどこなのか明記されておらず、この点が画竜点睛を欠く。実に惜しい。

   捕虜になった翌日、チェは殺害され、両手は切断されホルマリン漬けにされた。指紋照合のためと、米政府の諜報・謀略機関CIAから要請されて、ボリビア軍政が医師に切断を命じたのだ。

   CIAはチェの頭部も切り取るよう要請したが、医師は「キリスト者として受け入れられない」と拒否し、代わりにデスマスクをとることにした。ところが型をとる材料がなかったため、急遽、蝋燭を買い集め、これを鍋で煮て獣脂を採り、これを固めてデスマスクをとった。

   チェの祖国アルゼンチンの登録所に残されていた指紋と照合して、チェであることが確認され、両手は不要になった。これを当時のボリビア内相アントニオ・アルゲダスが、デスマスクとともに保管することにした。

   このエピソードを掘り起こした点も価値がある。

   ここから先は私が書こう。チェの両手は内相を通じてキューバに渡された。チェ没後30年の1997年、チェの両手のない遺骨が地中から掘り出され、キューバに帰還した。その遺骨は両手の骨と再会し、一つの箱に入れられ、キューバ・サンタクララ市のチェの霊廟に納められた。デスマスクについて言えば、CIAはデスマスクは特に必要としていなかったはずだ。狙いは別のところにあったと思われるが、説明が長くなるので、敢えて触れない。

  本書の難点は、チェがボリビア遠征前の1966年のある日、友人に別れる際、「アスタ・ラ・ビクトリア、シエンプレ(勝利の日まで、常に)」と言った、と書かれているところだ。

  この言葉は、チェの「別れの手紙」の末尾に登場したのが最初だが、実はチェ自身が書いた言葉ではなく、フィデル・カストロが、手紙の最後の数行の文章を書き換えて作った言葉だった。

  この経緯については、イグナシオ・ラモネ著『フィデル・カストロ みずから語る革命家人生』(伊高浩昭訳、2011年、岩波書店)下巻の「解説」を参照してほしい。

  チェが、自分で作った革命標語でないものを他人に言うとは思えない。それどころか、知識人だったチェには、そんな標語などを口にすることを軽蔑する傾向すらあった。
 
 私は、「チェは絶対に言わなかったはずだ」と断定的に言うことはできない。その場に居合わせなかったからだ。だが、本書のこの個所が引っ掛かってならない。

(2011年11月8日 伊高浩昭)

2011年11月7日月曜日

<違憲性>粉砕した貧者の論理

   近隣のグアテマラは11月6日の決選投票で、過去の殺戮の亡霊のような退役将軍を次期大統領に選んだが、ニカラグアは同じ日の大統領選挙で「復活した過去の革命」の強化・定着を選んだ。

   現職のダニエル・オルテガ大統領は、開票率85・80%で、得票率62・65%(132万票)に達し、2位のファビオ・ガデア候補(独立自由党)の30・96%(65万票)に大きく水をあけた。この段階で選管は、オルテガ勝利を認定した。

   オルテガは、父子3代・43年間のソモサ家独裁を1979年7月に倒したサンディニスタ革命の立役者の一人だった。ゲリラ組織「サンディニスタ民族解放戦線(FSLN=エフェエセエレエネ)」は政党化し、1984年の大統領選挙でオルテガが当選し、90年まで政権にあった。

   この80年代は、反共帝国主義に凝り固まったレーガン米政権に内戦を仕掛けられ、ニカラグアは戦火の巷となった。レーガンは、ホンジュラスで反革命(コントラ)ゲリラ部隊を組織し、ニカラグアに送り込んで、建設過程に入っていた革命を破壊した。

   因みにレーガンは1983年には、カリブ海のグレナダに、キューバに接近しすぎたとの理由で軍事侵略し、政権を倒した。
 
   1990年以降、チャモロ、アレマン、ボラーニョと、3代の親米・新自由主義政権が続き、革命の成果は殺ぎ落とされ、貧富格差が拡大した。貧しい多数派は、2006年11月の大統領選挙で、「復活したオルテガ」を勝利させた。

   だが、オルテガにとって決して楽勝ではなく、選挙前に、カトリック教会など保守派との妥協を強いられた。私は2010年9月、現地でオルテガにインタビューしたが、90年の第1期政権末期のオルテガと随分と雰囲気が変わっていた。年もとり(今月11日で66歳)、人間もまろやかに、かつ狡猾になっていた。 

   大群衆を前に演説し、「今のニカラグアは、<キリスト教、社会主義、連帯>、この三つが柱だ!」と強調した。大統領選挙出馬について問題点を含めて訊くと、「すべては有権者人民が決める」と答えるだけだった。

   オルテガの横には、ニカラグア・カトリックの総元締め、マナグア大司教のミゲル・オバンド枢機卿の姿があった。20世紀の遺物が並んでいるような印象をもった。

   1990年の大統領選挙時、反サンディニスタ派は、毎週のようにマナグア市内の日本大使公邸で戦略会議を開いていた。日本政府は、「情報収集だった」と言い訳するだろうが、明らかに内政干渉をしていた。オバンドは、この会合の常連だった。チャモロや、米大使館員も参加していた。 

   オバンドに、かつての宿敵オルテガとの<蜜月状態>について訊くと、「政府はとてもよくやっている。これでいいのだ」と言った。平和共存は、利害関係の一致を物語る。

   しかしオルテガは、戦略に長けた百戦錬磨のつわものになっていた。「ボリバリアーナ革命」を遂行するベネズエラのウーゴ・チャベス大統領から巨額の援助を取り付け、これを<真水>として、貧困大衆に注ぎ込んだ。広い底辺層はオルテガを熱狂的に支持した。オルテガは、その底辺層をFSLNの下部組織とした。

  いわば、ボリバリアーナ革命が、傷だらけになっていたサンディニスタ革命を救ったのだ。無料の保健、教育など、かつての革命の成果が復活した。重要なのは、FSLN指導部に、新自由主義をできるかぎり修正して、社会正義を広めようという意思があることだ。

  野党は、新自由主義・親米主義程度しか頭になく、対抗イデオロギーを打ち出せない。候補を一本化できず、強くなったオルテガには到底及ばなくなっている。

  オルテガの泣き所は、憲法が「同一人物の大統領就任は2期まで」、「連続2期は不可」と規定していること。ソモサ長期独裁を教訓とした規定である。

   オルテガの出馬は、「3期目」を狙うものであり、「連続2期目」規定への挑戦だった。

   だがオルテガは自派で最高裁を固め、「この憲法規定は適用されない」という奇妙な判断を昨年までに勝ち取り、出馬した。野党は、今選挙戦で「違憲」、「非合法」などと攻撃した。

   しかし貧困大衆は、オルテガに圧勝を贈って、「憲政の論理」を押しつぶした。

   欧州連合の選挙監視団は、オルテガ勝利を認めながらも、「選管は政府からの独立性が薄く、透明性に問題があった」、「監視団の行動が十分に認められない場合があった」という趣旨の批判をし、政府に改善を求めた。
   オルテガは、次期任期の終わりには71歳を越える。サンディニスタの人民大衆も若返りが進んでいる。引退し、後継者に政権を譲る覚悟で、新たな船出を図るべきだろう。

(2011年11月7日 伊高浩昭) 
   
   

グアテマラ「最悪の選択」  

   グアテマラで11月6日、大統領選挙の決選投票が実施され、開票率96%の段階で、オットー・ペレス=モリーナ候補(61)が得票率55%弱で、当選者と認定された。

   9月11日実施の第1回投票での上位2人が決選に臨んだが、2位だったマヌエル・バルディソーン候補(41)は45%強で、「2位の壁」を越えられなかった。

   新大統領は来年(2012年)1月14日就任する。任期は4年。

   当選したペレスは陸軍の退役将軍。内戦(1960~96年)中、最悪の殺戮が行なわれたとされるリオス=モント軍政時代、陸軍の第一線にあり、先住民族ら市民殺害が最も多かったキチェー県で部隊を指揮した。1998年のフアンホセ・ヘラルディ司教暗殺事件の黒幕と目されている。

   このような<血塗られた>人物が政権に就くことになるとは、あたかもグアテマラの歴史が過去に向かって逆流しているかのような錯覚を抱かされる。ペレスは伝統的支配階層の利益を守りつつ、事あるごとに軍・警察を使って強権を発動するだろう。

   敗れたバルディソーンは弁護士で、ペテーン県を中心に勢力を張る成金資産家。麻薬資金を動かしているとの疑いがもたれている。凶悪犯には死刑で臨むと公約していた。

   決選に進出した両候補とも、イデオロギーは極右~右翼で、いずれも有産層の利益を代表する。このため識者から、「悪か次悪」でなく「最悪か悪の選択」と皮肉られてきた。 

   マヤ民族で1992年のノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチューは、前回に次ぎ2度目の大統領選挙に挑戦したが、得票率が3・26%(候補10人中6位)で、前回同様に振るわなかった。

   長年にわたる少数派白人とラディーノ(混血)による支配下で、人口の絶対的多数派であるマヤ系先住民族は、方言ごとに別々の民族集団であるかのように教え込まれ、分断され統治されてきた歴史の催眠術からいまだに覚めていない。マヤ人の多くが決選で<両悪>のいずれかに笑顔で投票したのだ。

   たしかにマヤ民族も若返っている。意図的ともいえる歴史教育での<内戦隠し>で、軍の残虐性を知らない若い有権者が多いのも事実だ。ペレスを支持した多くの貧しい若者の過去は<白紙>なのだ。

   疫病化している大土地所有制度、貧富格差、麻薬犯罪、人権蹂躙。。。貧しい多数派のグアテマラ人は、内戦が終わって15年を経ても、依然、悲惨さや困窮状態から抜け出せない。

  それでも、新政権が何らかの社会政策を打ち出すかどうかを見守りたい。困窮者のために、ペレスが過去の汚名をすすぐため<大化け>するのを祈りたい。

(2011年11月7日 伊高浩昭)
      

2011年11月6日日曜日

チェ・ゲバラと歩んだ人生

   チェ・ゲバラの最初の夫人イルダ・ガデア(1921~74)が書いた『ミ・ビーダ・コン・エル・チェ』の日本語訳『チェ・ゲバラと歩んだ人生』がついに出た。中央公論新社からで、訳者は新進気鋭の松枝愛(まつえだ・めぐみ)だ。

  イルダは死の2年前1972年に、『チェ・ゲバーラ  アニョス・デシシーボス(チェ・ゲバラの決定的な歳月)』を刊行したが、絶版となった。だが2006年ボリビアで復刻版が出版され、それを訳したのが『チェ・ゲバラと歩んだ人生』である。

  この本には、これまで日本ではほとんど知られていなかった、チェのグアテマラ時代とメキシコ時代の生き方が細かく記されている。恋人・妻だった左翼活動家イルダでなければ書けなかった本だ。

  アルゼンチン人青年医師エルネスト・ゲバラは、グアテマラでイルダと出会い、1954年の流血のグアテマラ政変を身近に経験して、革命家への道に入った。メキシコ市ではカストロ兄弟に会い、キューバ革命に参加することになる。まさに「決定的な歳月」だった。

     イルダの実弟リカルド・ガデアが、姉や、姉が属した「アメリカ革命人民同盟(APRA=アプラ)」について書いた巻末の文章は貴重だ。また、イルダ縁の地を訪れリカルドに会ってまとめた「訳者後書き」も読みごたえがある。

  松枝は前訳書『革命の侍』(2009年、長崎出版)のときもそうだったが、物語が展開する土地を歩き、著者らに会って翻訳し、「後書き」を書く。訳者の意気込みが感じられる。

  チェに関する本は数多いが、これは特に面白い。だが、これ以上、内容に触れるのは控えよう。みなさんに読んでほしいからだ。(因みに、巻末の「解説」は不肖・私が書いている。)

  チェの女性観もうかがわれ、この点でも興味深い。

(2011年11月6日 伊高浩昭)
   

2011年11月5日土曜日

FARC最高指導者戦死

現在も活動しているラ米で最も古いゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」のアルフォンソ・カノ最高司令官(63)が11月4日戦死した。

  コロンビアのフアン・ピンソーン国防相は5日の記者会見で、同国南西部のカウカ州スアレス市外れのアンデス山岳地帯チリアデロ(標高2100m)で4日、国軍・警察連合部隊とFARCの10時間に及ぶ戦闘のさなか、カノは空爆を受けて負傷した後、戦闘で死亡した、と発表した。

  政府は数ヶ月前からFARC最高指導部に包囲作戦を仕掛け、カノを何度か追い詰めていた。政府は、「対FARC戦史上、最大の成果」と自賛している。米軍仕込みの電子諜報技術と、FARC内部の通報者によって得られた情報がカノ殺害につながったという。

  カノの本名は、ギジェルモ・レオン=サエンス。1948年首都ボゴタに生まれ、国立コロンビア大学で法学と人類学を学んだ。だが修了せず、コロンビア共産党(PCC)の青年部で活動し、理論家として名を馳せた。ソ連に数年滞在し、指導者として教育を受けたとされる。FARCはPCCの武闘部門として1964年に発足したが、カノは80年にFARCに入り、武闘を開始する。

  当時のFARCは、「伝説の司令官」マヌエル・マルランダ最高司令官の指揮下にあったが、カノは
最高指導部に早々と抜擢された。

  1991年8月、日本人2人(東芝技術者)がアンティオキア州内でFARCに拉致される事件が起きた。その際、身代金交渉で指揮を執ったのもカノだった。日本人2人は、身代金受け渡しがすんだ同年12月、州都メデジンで解放された。

  マルランダは2008年3月病死し、カノが第2代最高司令官に就任する。当時のウリーベ政権は、米軍の広範な協力を得てFARCを弱体化させ、後継のサントス現政権も指導部掃討作戦に力を入れていた。

  カノの死はFARCにとって痛撃だが、これによってFARCが和平交渉と武装解除の方向に簡単に進むと見る者はいない。それでもフアン・サントス大統領はFARCに、「戦いつづけても死か刑務所入りしかない」として、投降し武装解除に応じるよう呼び掛けた。

  サントスはウリーベ前政権で国防相を務め、FARC掃討戦に通じている。カウカ州都ポパヤンに飛び、カノの遺体を確認した。カノは濃い髭面で知られていたが、遺体に髭はなかった。顔から人物を特定されるのを警戒して、死の3日前に髭を剃っていたという。

  FARC書記局(7人)は5日、「コロンビアの平和は武装解除では成らず、武装蜂起を招いている根本的原因をなくすことによってのみ可能だ」として、武闘継続を表明した。

    注目点は、残存する最高指導部のうちの誰がカノの後任に納まるかだった。FARCは11月5日、
ティメレオーン・ヒメネス(52)、暗号ティモチェンコ、本名ロドリーゴ・ロンドーニョ=エチェベリを最高指導者に選び、同月15日発表した。有力視されていたイバン・マルケスは、序列2位になった。

  ティモチェンコは、ソ連に留学。1982年FARC入り。90年からFARC書記局員を務めていた。

(2011年11月5~16日 伊高浩昭)

2011年11月4日金曜日

俳句とジャーナリズム

   「散文的な人間」という言い方がある。「平凡で、つまらぬ奴」といった意味だ。私は半世紀近く、ジャーナリズムという散文の味気ない方のジャンルを飯のタネにしてきたことから、「散文的な人間」と受け止められても仕方ないと思っている。

   NHKの衛星TVは、昨年までか、今年3月までか、毎週土曜日朝、松山から「俳句王国」という50分の番組を流していた。私は、少しでも「韻文的」になれればと、よく観ていた。主宰のなかに、鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)という、いつも和服姿で登場する風格のある著名な俳人がいた。(もちろん、いまも活躍している人だが。)

  この主宰の批判や指導には、深みと趣があった。何年か前、ある会合で、この人物を見かけた。
私は臆面もなく、自己紹介をして話しかけた。つまり、質問をしたのだ。

  「先生、俳人の立場から、俳句と短歌の違いをどう捉えておられますか」

  俳人は、少し考えてから答えた。
「われわれからすると、5・7・5で十分です。あとの7・7があると、詩が説明的、散文的になってしまうかもしれませんね」

  恐れ入った。<世界最短の詩>の達人は、俳句と短歌の境に、韻文と散文の境を見ていたのだ。私はその後、先生の言葉を教訓として、表現には気をつけるようにしてきたが、長い散文の記事を書きつづけているため、教訓は精神としてしか生かせない。だが、あの言葉は、私の脳裡でいつも輝いている。

  今年1~4月、ピースボートで船上講師として世界周遊航海をした折、船上で俳人に出会った。「山河」同人の、高野公一さんである。私は、高野さんに相談して「船上俳句会」を開こうと企画した。だが、いくつかの理由で実現しなかった。

  船を下りて半年近く経ったころ、高野さんから『アンダンテ』という新しい句集が送られてきた。そのなかに織り込まれている作品の数々のなかから4句を紹介したい。(いずれも高野さんの作品である。)

  地球から零(こぼ)れていくか冬の蠅

  かくまでに小さき地球や卯浪立つ

  夏の月あかるすぎても拒まぬ手

  羊水の中の寝返り春を航(ゆ)き

(2011年11月4日 伊高浩昭)

大統領予備選挙候補決まる

   ベネズエラ次期大統領選挙は、2012年10月7日実施される。次期大統領の任期は2013~19年の6年間。1999年2月に就任して以来、再選を繰り返してきた現職のウーゴ・チャベス大統領は、施政連続20年を目指して出馬する。

   一方、14年ぶりの政権奪回を狙う野党勢力は、野党候補が乱立しては勝てないと、統一候補を指名することにしている。野党連合「民主連合会議(MUD)」は来年2月12日、予備選挙(統一候補を決める指名選挙)を実施するが、11月3日公示され、候補者が明らかになった。

   候補は、エンリケ・カプリレス(ミランダ州知事)、パブロ・ペレス(スリア州知事)、レオポルド・ロペス(元カラカス首都圏区長)ら、男性5人、女性1人の計6人だ。

   これに対し、現職として利益誘導政策などで有利な戦いを進めているチャベスは、政権党「ベネズエラ統一社会党(PSUV=ペエセウベ)」を総動員し、全国で集票作戦を展開中。「得票1000万票」(得票率70%)を目指している。

   野党予備選候補6人が決まった3日、余裕のチャベスは、選挙綱領として「2013~19年・国家社会主義計画」の概要を明らかにした。「ベネズエラ人民を資本主義文化から解放する教育」を重点政策として掲げている。

   今年6月、キューバのハバナで「野球のボール大の骨盤肉腫」の除去手術を受け、癌であることを告白したチャベスだが、同情が支持率を押し上げている。

(2011年11月4日 伊高浩昭)

2011年11月3日木曜日

ルーラ前ブラジル大統領が癌

   ブラジルの前大統領ルイス=イナシオ・ルーラ=ダシルヴァ氏(66)は10月29日、喉頭癌にかかっていることを明らかにした。サンパウロのシリア・レバノン病院に31日入院し、化学治療を受け、11月1日退院した。医師団は、経過は良好と発表した。

   ルーラは、施政8年間の政策が国内外で高く評価されており、「癌との闘い」の報道は国際社会にも衝撃を与えた。

        ジルマ・ルセフ現ブラジル大統領はルーラを見舞ったが、ルセフ自身もルーラ政権の官房長官だった2009年、リンパ腺癌を同じ病院で克服している。

   南米では、パラグアイのフェルナンド・ルーゴ大統領がそけい部リンパ腺癌にかかり、昨年、サンパウロの同病院で治療している。

   また、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領も今年6月、癌(骨盤肉腫)を除去したと公表し、キューバの首都ハバナで定期的に治療と検査を受けてきた。チャベスはその後、「癌との闘いで勝利した」と宣言し、来年10月の大統領選挙出馬を目指している。

   キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は2006年7月、腸内出血で緊急手術を受けたが、その際、「大腸(結腸、直腸)癌」説が流れた。キューバ政府は「国家機密」として、カストロ氏の病気について言及を避けてきた。

(2011年11月3日 伊高浩昭)

2011年11月2日水曜日

伝説の女性闘士死去

   アルゼンチン共産党(PCA)の名誉党首ファニー・エデルマン(100歳)が11月1日、ブエノスアイレスで自然死し、長い闘争の人生に終止符を打った。

   ファニーは1911年2月27日、コルドバ州内のロシア人移民の家に生まれた。19歳だった30年、イリゴジェン民主政権が軍事クーデターで倒されると、政治闘争に身を投じた。音楽教師として働きながら、34年PCAに入党して政治囚救済運動を展開し、国際赤十字でも活動した。

   スペイン内戦が勃発した36年、建設労組幹部ベルナルド・エデルマンと結婚。翌37年9月、第3インターナショナル(コミンテルン)の動員命令を受けて、夫妻でスペイン内戦に国際義勇兵部隊の戦士として参戦し、バレンシア一帯で戦った。

   38年5月、「国際的な女性闘士」の名声をもって帰国した。47年ペロン政権下で、アルゼンチン女性連盟を創設。59年、革命直後のキューバに行き、女性運動の指導者ビルマ・エスピン(故人、ラウール・カストロ議長の妻)と会う。72年には国際民主女性連盟の議長に就任した。

   キューバ革命、アジェンデ・チリ社会主義政権、ニカラグア・サンディニスタ革命などの支援活動を続けた。78年にはアルゼンチン軍政の人権蹂躙状況をジュネーブの国連人権委員会で告発し、軍政糾弾を呼び掛けた。

   満百歳に達して間もないことし3月、キューバ政府から「ホセ・マルティ勲章」を授与された。

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   ジョージ・オーウェルの『カタルーニャ讃歌』の影響が強いが、私の世代のジャーナリストには、
スペイン内戦を反ファシズムの側で戦った人々への愛着と敬意がある。ファニーを鍛えたのも、この内戦だった。


(2011年11月2日 伊高浩昭)

2011年11月1日火曜日

悪名高い諜報機関解体

   コロンビアのフアン・サントス大統領は10月31日、大統領直属の諜報・謀略機関「公安庁(DAS=ダス)」を廃止する政令に署名、発令した。この日はDAS設立58周年記念日であり、その日に合わせた秘密警察の解体だった。

  DASは、要人暗殺、市民殺害、麻薬組織との連携、電話盗聴など膨大な数の違法事件に関与し、元DAS長官の何人かは逮捕されたり、有罪判決を受けたりしている。とくにウリーベ前政権下で、DASと極右準軍部隊(パラミリタレス)との連携による殺害事件や、DASによる組織的な政治家らへの電話盗聴・傍受事件が頻繁に行なわれていた事実が発覚した。世論の厳しい突き上げもあって、DAS解体は時間の問題となっていた。

  新たに諜報任務を担うのは、大統領直属の文民機関「国家情報局(ANI=アニ)」で、アルバロ・エチャンディーア退役提督が初代長官に就任する。

  DASの職員約6000人は、検察庁、外務省、内務省、国家警察に編入される。一部の<優秀な者>はANIに入るものとみられている。この人事異動は年末までに終了する。
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  私は1980年代後半から90年初めにかけて、<麻薬戦争>期のコロンビアを重点的に取材した。その折、当時のDAS長官にインタビューし、大統領候補ルイス・ガラン暗殺事件をはじめ重要事件について訊いた。後年その長官が、ガラン事件などさまざまな政治的謀略事件に関与していた事実が明るみに出て、愕然とした。不明ゆえに仕方ないことではあったが、悔恨の念にかられたものだ。

【私の<麻薬戦争>期のコロンビア取材ついては、拙著『コロンビア内戦ーーゲリラと麻薬と殺戮と』(2003年、論創社)を参照されたい。】

(2011年11月1日 伊高浩昭)
 

ボゴタ市長選で左翼当選

   コロンビアで10月30日、32州知事、1102市長、および州会・市会議員を選ぶ統一地方選挙が実施された。この国では、大統領に次ぐ重要な地位は首都ボゴタの市長と見なされており、同市長選に最大の関心が集まったが、かつてのゲリラ組織「4月19日運動(M19)」のゲリラだったグスタボ・ペトロ(51)が得票率32%強(72万票)で当選した。

  M19は1990年、政府との和平交渉の結果、武装解除し政党となって、91年の制憲議会選挙に参加した。ペトロは、M19の流れを組む野党「代替民主軸(PDA)」の上院議員を経て昨年の大統領選挙に出馬したが、フアン・サントス現大統領に遠く及ばず敗北した。

  ボゴタ(現)市長はPDAのサムエル・モレーノだったが、公金横領罪で逮捕され、PDAは後継候補選びで大混乱していた。ペトロはPDAと袂を分かち、「プログレシスタス(進歩主義者)」という政治運動を興し、今選挙に臨んだ。

  これに対し、将来の政権復帰を狙うアルバロ・ウリーベ前大統領は、緑の党(PV)から出馬した元ボゴタ市長エンリケ・ペニャローサ候補を、自党「国民連合社会党(PSUN)=通称U(ウリーベ)党)」を大動員して支援した。だが得票率25%弱(56万票)で2位に甘んじ、敗北した。

  ウリーベは、米国のブッシュ前政権の<対テロ戦争>と連動して、米軍から訓練、兵器、諜報の支援を受けつつ国内で、極右準軍部隊(パラミリタレス)と組んで<国家テロ>戦術を展開した。ゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」の弱体化という政府目的達成に邁進したが、おびただしい人権蹂躙事件を起こした。

  このウリーベは昨年の大統領選挙で3選を狙い、そのために改憲しようと試みた。だが(機密情報によると)、オバマ現米政権から内々の警告を受けて断念した。そこで今選挙でボゴタ市長および、出身地メデジン州の知事と州都メデジンの市長に子飼いを据え、それを足場に影響力の温存を図ろうとした。しかし、これら3つの選挙でことごとく敗れ、思惑は見事につぶされた。

  ペトロの当選は、ウリーベ式の富裕層のための右翼強権主義の政治手法がコロンビアでも時代遅れになりつつあることを明確に示した。

  ペトロは2012年元日に就任するが、市会45議員中、与党議員は8人程度であり、4年の任期を乗り切るのは楽ではない。他党との妥協による連携が不可欠になる。

(2011年11月1日 伊高浩昭)