2012年7月31日火曜日

~波路はるかに~第5回


7月29日メキシコ・マンサニージョ港にて伊高浩昭】PB(ピースボート)船オーシャンドゥリーム号は29日、コリマ州にある重要港マンサニージョに入港した。私にとっては3度目の同港寄港だったが、今回も地元観光局によるマリアッチ楽団の歓迎を受けた。私はメキシコでジャーナリズムの仕事を始めた。長く住み、第2の祖国といえば、メキシコしかない。メキシコに感謝し、感慨深くマリアッチを聴いた。だが調子に乗って、「グアダラハーラ」、「ハリスコ、ノ・テ・ラヘス」、「クク・ルクク・パローマ」などマリアッチ音楽の名曲を10曲も注文してしまった。女性一人を含む8人組の彼らは、笑顔を絶やさず、太い声を張り上げ、裏声を振るわせて歌ってくれた。頭が下がった。
 グアヤキル在住のギタリスト小林隆平さんがこの港で下船し、エクアドールに帰るので、彼を誘って街に散歩に出た。港を一望できるマリスコス(海産物)レストランで3時間あまりかけて昼食を取った。船旅の休日ゆえの、ゆったりした贅沢な時間だった。夕刻、コリマ州とマンサニージョ市が港沿いの中央広場で歓迎会を開いてくれた。民俗舞踊と歌だ。これに対し、PB側は小倉祇園太鼓をはじめ4種類の出し物で応えた。
 私の横には、州知事代理が座っていた。「71日の大統領選挙でPRIのEPN候補が勝ったことになったのはなぜですか」-私は訊ねた。インタビューとしてではなく、会話の一環として訊いたのだ。代理は、首をひねった後、「メキシコのような民主主義国家では、選挙によって政権はいつでも交代しうるのです!」と答えた。「政権党PANの敗因はなんですか」と続けると、「理由は色々あるが、要するに得票が足りなかったということでしょうね」。「ではPRDのAMLO(アムロ)が2回続けて落選したことにされようとしているのは、なぜでしょうか」-「先ほど指摘したように、民主国家は独裁政権を求めないからです」。眼前では、踊りや歌が展開されていた。私は会話を打ち切った。コリマ州知事はPRIが握っている。121日EPNが政権に着けば、コリマ州知事にも我が世の春が来るわけだ。
 グアテマラから乗船していたメキシコ人平和活動家で大学教授のパブロ・ロモ氏が28日の講演で、弱肉強食の新自由主義経済政策は「貧者への構造的暴力だ」と指摘し、強調していた。12
間の2代PAN政権を挟んで〈恐竜〉PRIの政権が復活しようとしている。メキシコ人支配層が長らく待ち望んでいた、PRIでもPANでもいいという「プリパニスタ体制」が生まれようとしている。邪魔な左翼PRDは埋没させるしかない、という保守右翼両党の新自由主義バネが強引に有権者に押しつけられつつあるのだ。PRIは大規模なメディアと選挙民の買収によってEPNを〈勝利〉に導いたとされるが、巨額の買収資金の出所の一つは、麻薬マフィアである。メキシコ政情の深刻さは、ここにある。メキシコは、完全にコロンビア化したのだ。そう言うしかあるまい。
 夕刻、隆平さんはギターを抱えて下船した。メキシコ市、ボゴタ経由でグアヤキルに着くのは30日の夜になるとのこと。船は、北方のエンセナーダに向かって出航した。

2012年7月27日金曜日

~波路はるかに~第4回


【7月25~26日グアテマラにて伊高浩昭】ピースボート「オーシャンドゥリーム号」は25日早朝、G国ケッツァル港に入港した。タクシーで遠乗りした。アティトゥラン山の麓に青緑色の水をたたえるアティトゥラン湖と、湖畔のパナハッチェル町を訪ねた。今回の旅で最初の観光だった。町の教会は古く、独特の建築構造で、目を見張らせられた。マヤ民族の女性二人が、何かを盛んに祈りながら、前方にではなく後方に膝歩きしていた。願掛け、お百度参り、である。キリスト教の神、カトリックの神に魂を捧げ、5世紀の長きにわたって催眠術にかけられてきたところに、マヤ人の悲劇がある。そう思いながらも、女性二人に象徴される先住民族の苦悩が少しでも和らぐのを願わざるをえなかった。
旧首都アンティグア市は2年ぶりだったが、欧米白人が闊歩して、街の生態系が変わっていた。彼らは、先住民の消極的寛大さに甘え、仙人面して暮らしている。困ったものだ。60年代末に来たころは、異邦人は稀だった。
夜7時、日没と同時に首都グアテマラ市に着いた。外輪の山地から市街地を見渡し、40数年間に同じ山地から夜間見渡した光の海を懐かしく思い出した。大統領政庁、大聖堂のある中央広場を久々に眺め、周辺の下町を車窓から見て、100km南の港に戻った。
26日は、首都手前の巨大スラム「ビージャ・ヌエバ」を取材した。人口は150万人で、首都の延長にあって、首都圏を構成している。このスラム都市の一部に、入れ墨が特徴の青少年暴力団「マラス」が根を張り、殺人、暴行、脅迫を恣(ほしいまま)にしている。AK47突撃銃などで重武装した警官たちが市内を巡視し、自動車道では「マラス」や麻薬マフィアによるコカイン密輸の取り締まりに当たっていた。
周辺にそびえる幾つかの火山から噴煙が上がっていた。火山たちは、眼下の怒れる暴力の街を見るに見かねて爆発する準備を進めているのではないか、とさえ思えた。
7月26日は、キューバ革命の原点「モンカーダ兵営襲撃」の59周年の日だ。その1年前の1952年のこの日、エバ・ペロンが癌で死去した。PB船は、メキシコのマンサニージョ港に向けて出港した。 

2012年7月25日水曜日

~波路はるかに~第2回


【7月19~20日パナマにて伊高浩昭】PBオーシャンドゥリーム号はベネズエラ西部とコロンビアの沖を航行し、パナマ運河カリブ海側のコロン市サンクリストーバル港に19日入港した。グアヤキ ル在住のギタリスト小林隆平さんは、船上講師仲間で、隆平さんと一緒にタクシーで80km北方のパナマ市に行った。運河沿いの64kmを含む両市間には片 側2車線の自動車道が開通済みで、わずか30分で首都に行き着いてしまった。これは画期的なことだ。
 旧運河地帯を観たところ、数年前に来た時とあまり変わってはいなかった。だが、ラス・アメリカス橋のたもとにあるエル・チョリージョ地区に行くと、一帯は 大きく変わっていた。1989年12月に米軍が侵攻し、「最大8000人が殺害された可能性がある」と報告された同地区では、伝統的な熱帯建築様式の木造 大型家屋が幾つも破壊された。この軍事侵攻後、地区は素早く平地にされ、米軍侵攻による破壊の跡は消し去られた。
 そこには今や、鉄筋コンクリートの熱帯式大型家屋が並び建てられている。マヌエル・ノリエガ将軍が君臨していたパナマ軍司令部も米軍に破壊されたが、跡地 は公園になっていた。これらの新しい建設によって、歴史は真実に触れることなく迂回して、忘却と曖昧の方向に進んでしまった。 
 旧市街(カスコ・ビエホ=パナマ・ビエハ)から海岸通り沿いに東に広がっていたパナマ湾岸地帯には、高層ビルが建ち並んでいる。今回ビルは一層増えてお り、さながら〈小型バンクーバー〉という印象だった。この〈パナマ・ヌエバ〉は金満家しか住めない地区とされ、いかにも成金的で、文化や伝統の感じられな い空虚な一大空間だった。パナマはラ米の一国だが、この摩天楼からはラ米性はまったく感じられない。
  夜、サンクリストーバル港のバルで会う約束をしていたクナ民族の衣装モラのデザイナーである友人に手違いで会えなかったのが心残りだ。
  船内では、東京での反原発17万人デモの報告があり、「広島・長崎・福島を経験した日本人がなぜ原発再開を許すのか」との疑問がラ米でも世界でも広がって いると、指摘された。日本の〈下り坂=クエスタ・アバホ〉は経済・政治だけでなく、思想・倫理・文化にも及んでいる。東電、政府、マスメディア、原発専門 家らは福島原発事故後、「80km圏内は放射能汚染の危険地帯」であると知りながら、「恐慌=パニック」を誘発してはいけないとの判断で、圏外への緊急退 避勧告を発動したり報道したりするのを控えた、という実態も伝えられた。
 船は20日早朝、出港し、8時間で運河を通過して、太平洋側に出た。私にとって10回近い運河通航となった。次の目的地は、ニカラグアのコリント港だ。

~波路はるかに~第3回


【7月22~23日ニカラグアにて伊高浩昭】パナマ運河を経て太平洋に入ってから、船内でサンディニスタ・ニカラグア政権の高官および同系の歴史学者と討論した。私の講座に二人を招き、ニカラグア文化について船客と質疑応答する時間も設けた。船客たちは詩人ルベーン・ダリーオに関心を抱き、これがコリント港からニカラグアに上陸した後、大いに役立った。行く先々での交流で、「ルベーン・ダリーオとサンディーノの国にようこそ」という歓迎の言葉が盛んに飛び出したからだ。サンディーノは言うまでもなく、サンディニスタ(サンディーノ主義者)の基となった歴史上の人物アウグスト=セサル・サンディーノ将軍だ。
 ダリーオの墓は、レオン市の大聖堂の中にある。同市を訪れた人々は、墓に参り、「日本に帰ったら、あなたの詩集を日本語訳で必ず読みますからね」などと声をかけていた。
 私はレオン市一帯で、小口融資制度による女性の自立支援政策を取材した。とても興味深い制度で、一本の記事にまとめたい。ニカラグア人の半数近くが上水道に恵まれておらず、その解決策、つまり深い井戸を掘って水道管で井戸の周辺地域に飲料水を配るという政策の実施現場も見た。水道管を敷設するための溝を10mほど、道路沿いの荒れ地に掘って連帯した。久々の肉体労働で、その直後の地元料理の昼食がうまかった。
 23日夕、首都マナグアに移動し、ルベーン・ダリーオ国立劇場で民俗舞踊を観た。数十人の少女がそろってマンボを踊ったのが素晴らしかった。ピースボート(PB)船客の若者有志は、小倉祇園太鼓を披露し、ニカラグア人たちから大喝采を浴びせられた。マナグア湖畔にある、劇場や革命広場のある地域は、1972年の大地震で破壊された旧マナグア市の中心街だった。私は、この大震災を取材した若い日のことを思い出していた。
 次いで、ダニエル・オルテガ大統領、夫人で政権の情宣政策を指揮している詩人ロサリオ・ムリージョが主宰する歓迎会に臨んだ。PB創設者の吉岡達也代表が、「原発廃絶運動を進めているが、ぜひ協力してほしい」と持ちかけると、大統領は「我々は核兵器廃絶外交を続けてきたが、今後は原発廃絶運動にも協力したい」と応じた。NGOと一国政府首班との「約束」であるが、極めて異例な人民外交だ。私は2010年にコリント港でオルテガにインタビューしたが、それ以来2年ぶりに言葉を交わした。
 1979年のサンディニスタ革命後、レーガン米政権の軍事介入で内戦を余儀なくされ、90年に下野したオルテガだが、6年前に政権に返り咲いてからは、「社会主義・キリスト教・連帯」をスローガンに、急進的でない、したがって無理のない改革政策を進めている。それは成功しつつある。ニカラグアは革命、内戦、新自由主義政権を経験した結果、現在の地道な改革政権に到達したのだ。変革のための財源確保が最大の問題だが、他の発展途上国の人道的開発モデルになりうる体制だと見た。「革命」とは、人道的開発政策を意味するのだ。
 大統領夫妻を何かにつけて持ち上げる〈個人崇拝〉が支持者人民の間で見受けられるが、夫妻
が強大な権力を確立しているのは疑いない。11月に市長・市議会議員選挙が実施されるが、政権はサンディニスタ体制の一層の支配強化を狙っている。
 Pbオーシャドゥリーム号は24日、グアテマラ・ケッツァル港に向けてエル・ザルバドール沖を航行している。大きなウミガメが時折海面に浮かび出て、挨拶を送ってくれる。

2012年7月18日水曜日

2012PB~~波路はるかに~~


201271416日カラカスにて伊高浩昭】14日午後、成田空港を発ち20時間後、カリブ海に面したマイケティーア(シモン・ボリーバル)国際空港に着きました。タクシーで30分かけてカラカス市に行き、ホテルに入ったのは深夜でした。数年ぶりに来たアンデス山脈の盆地の都会は、大統領選挙戦の真ただ中にあります。4選を果たして20年政権を目指す現職のウーゴ・チャベスと、14年ぶりの政権奪回を狙う野党連合統一候補エンリケ・カプリーレス(前ミランダ州知事)の左右一騎討ちで、15日発表の最新の支持率調査では、チャベス60%、カプリーレス24%、未決定(浮動票)16%でした。
 市内の壁という壁には候補者のポスターが貼られており、細長い壁面にはペンキで描かれた壁画のようなポスターが続きます。奇妙な感じがしました。これらのポスターの90%以上がチャベスのものだからです。政権と財政を握る現職ならではの大攻勢戦術です。ですが、ユダヤ系息子で財界の候補であるカプリーレスも資金は潤沢です。マスメディアを使い、遊説を重ねつつ、支持層拡大に必死です。
さまざまな階層の有権者と話し合いました。中流から有産層にかけてはカプリーレス、庶民・人民はチャベスを、それぞれ熱狂的に支持しています。社会は真っ二つに割れています。そこには憎悪すら漂っています。こうした緊張の対峙関係は、一触即発の危険を孕んでいます。
16日には、チャベスの盟友で著名なジャーリストであるJV・ランヘール氏(83)=元外相・国防省・副大統領=にインタビューしました。非常に興味深い内容ですが、これは東京に戻ってから分析し発表します。他にも、この画面では語り尽くせないほど沢山の収穫がありました。
ピースボート「オーシャンドゥリーム号」は15日早朝、ラ・グアイラ港(カラカスの外港)に着きました。船は16日夜遅く、私を新しい乗客として同港を出港しました。18日にはコロンビア沖を航行し、19日にはパナマ運河のカリブ海側の都市サンクリストーバルに着きます。私の船上講師としてのボランティーアの仕事は17日に始まります。8月下旬近くまで1ヶ月の船路です。

2012年7月14日土曜日

マイアミからハバナへ、半世紀ぶりに直行貨物船

☆★☆薬品、食品などコンテナ1箱分の人道支援物資を積んだ中型貨物船が7月13日、半世紀ぶりにマイアミからハバナに到着した。船はボリビア船籍のアナ=セシリア号。

★米国はケネディ政権下の1962年2月、キューバに対する広範な経済封鎖を敷いた。これにより、キューバに最も近い米国の主要港マイアミからハバナへの直行貨物船の航行は途絶えた。

☆フロリダ州エヴァーグレイズ港からハバナへの貨物船の運航は2000年から認められていた。アナ=セシリア物の運航会社は、経済封鎖を取り仕切っている米財務省から認可を受けている。

★今回運ばれたコンテナには、マイアミのキューバ人街「リトゥル・ハバナ」の人々から提供された物資が詰め込まれた。電動車椅子も含まれているという。船は11日マイアミを出港し、約150kmのフロリダ海峡を渡った。

☆この時期の運航開始はキューバ系有権者の票が狙い、と反オバマの共和党支持派は観ている。

2012年7月13日金曜日

中米の青少年麻薬暴力団マラスが部分的和解

▼▼▼エル・サルバドール(ES)、ホンジュラス、グアテマラの中米3国で殺人、暴行、強盗、麻薬取引などを恣(ほしいまま)にしてきた無法集団「マラ・サルバトゥルーチャス(MS-13)」と「マラ(M-18)」の幹部が7月12日、米州諸国機構(OEA)のホセ・インスルサ事務総長と会合し、両組織の部分的停戦の立会人になるよう同総長に要請した。

▼マラ両組織は、ES内戦中の1980年代から90年代初めにかけて、ロサンジェルスなど米加州のサルバドール人難民居住地域に住む青少年の間で生まれ、顔を含む体中に刺青を施している。殺人を厭わず、両派は激しい縄張り争いを繰り返し、一般市民多数が巻き込まれ死傷してきた。

▼麻薬取引の拡大に伴い、隣接する中米両国に勢力が拡がっていった。今日では、チアパス州などメキシコにも勢力は及んでいる。

▼「マラ(ス)」の言葉は、アマゾニーアにいる戦闘蟻「マラブンタ」から来ている。

▼総長は、首都サンサルバドール郊外のエスペランサ刑務所で、両組織幹部と会合した。13日、サンサルバドール大聖堂前で、部分的停戦の調印式が行なわれることになっており、総長は出席する。OEA総長の、この種の立会いは極めて異例のこと。

▼現在ES国内の刑務所に両組織の要員9600人が収監されており、巷には5万人が徘徊しているとされる。中米3国で殺人率が高いのは、マラ暗躍と無関係ではない。

アムロ陣営がメキシコ大統領選挙の無効を訴える

▼▽▼▽▼7月1日実施のメキシコ大統領選挙に野党PRD(ペエレデ=民主革命党、穏健左翼)から出馬したアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール候補(通称AMLO=アムロ)は12日、選挙裁判所に選挙無効を求めて提訴した。

▽理由は、勝利宣言した保守・右翼野党PRI(プリ=制度的革命党)のエンリケ・ペニャ=ニエト陣営が「少なくとも500万票を金で買った」ことから、自由で公正な選挙を規定する憲法に違反したため。

▼これに対し、PRI党首ペドロ・ホアキンは、受けて立ち、選挙の合法性を証明する、と述べた。

【参考:7月13日(本日)発行の「週刊金曜日」国際ニュース欄にメキシコ大統領選挙の分析記事が出ています。7月20日発行の月刊誌「LATINA」の連載「ラ米乱反射」は、メキシコ大統領選挙の特集です。いずれも伊高執筆です。ご覧ください。】

ニカラグア法廷がコロンビア人スパイに重刑判決

▼▼▼ニカラグアの法廷は7月12日、コロンビア人スパイ、ルイス・リオス被告に禁錮16年の実刑を言い渡した。ルイスはコロンビア軍に協力し、スペインメディアの記者を装ってニカラグア国内で活動していたところを逮捕され、裁かれた。

▼ニカラグアは、コロンビアが実効支配しているカリブ海のサナンデレス諸島などの領有権を主張している。特にこの点から、コロンビア軍はニカラグアの軍事能力に関心を抱いている。

▼リオスは、ニカラグアの防衛能力、対ベネズエラ・対露軍事協力関係などを探っていた、とされる。

チリで「反差別法」公布

☆★☆チリで7月12日、反差別法が公布された。

★思想、人種、貧富、容貌、障害、性的理由などで差別があった場合、375~3700米ドルの罰金、最高禁錮7年の罰となる。

2012年7月12日木曜日

ハイチ大統領がエクアドール訪問

☆★☆ハイチのミシェル・マルテリ大統領は7月10~12日、エクアドールを訪問した。去年9月のラフエル・コレア大統領のハイチ訪問への答礼だった。

★今回の訪問で、エクアドールがハイチで道路建設・維持、水路補修、排水路・下水渠建設、瓦礫除去・搬送、住宅改修、校舎修理に当たることが決まった。エクアドールはこれまでまでに1350万ドルを投入し、ハイチの道路175kmの改造、アスファルト橋138か所の架橋を果たした。

☆このほか、科学技術協力や、国家機構改革、制度強化、社会保障、高齢者・障害者保護などでエクアドールが協力することが決まった。

★アクアドールは国力が限られており、他国を援助するのは容易なことではない。だがラ米域内の最貧国ハイチには、このような援助が可能だ。米州の南南協力の好ましい形として注目されている。

☆長らく、南米アンデスの小国エクアドールと、<カリブ海のアフリカ>と呼ばれてきたハイチは、21世紀の今、同じラ米の国として、連帯できるようになっている。昨年12月「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」が発足したのには、理由があるのだ。

ブラジル外相がOEA総長発言に反駁

▼▽▼ブラジルのアントニオ・パトゥリオタ外相は7月11日、OEA(米州諸国機構)のホセ・インスルサ事務総長がパラグアイ暫定政権のOEA加盟資格を停止処分にしないと発言したのを受けて、「総長発言はOEAの合意ではない。とりわけ南米諸国の立場を反映していない」と反駁した。

▽外相はまた、南米諸国連合(ウナスール)の持ち回り議長国ペルーが近々、同連合の立場を表明する、と述べた。ウナスールおよび南部共同市場(メルコスール)は、パラグアイの加盟資格を来年4月の次期大統領選挙実施まで停止とする処分を実施している。

▼元チリ外相であるインスルサは、米国務省の立場を反映させがちで、今回の発言にもそれが出た。この発言には、暫定政権に反対しているパラグアイ国内の人民勢力も激しく反発している。

▽昨年12月、米加両国を除く<米州の南>33カ国の「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」が発足した。これにより、米加を含みキューバが加盟していない34カ国のOEAの存在価値は減少傾向にある。事務総長の米国より発言は、OEAの地盤沈下を促進することになる。

2012年7月11日水曜日

米州諸国機構総長がパラグアイ政変で報告

▼▼▼ワシントンに本部のある米州諸国機構(OEA、英語ではOAS)のホセ・インスルサ事務総長(チリ元外相)は7月10日、加盟国特別大使会議で、フェルナンド・ルーゴ大統領を6月下旬追放したパラグアイ<国会クーデター>についての現地調査の結果を報告した。

▼事務総長は、「パラグアイには一定の政治・経済・社会的正常さがあり、OEAは来年4月の同国次期大統領選挙に向けての国内対話促進を支援すべきだ」と訴えた。

▼総長はまた、「OEAが加盟資格停止処分に踏み切れば、パラグアイの政治的分裂を深化させるとともに、経済制裁を伴うことから同国の人民が苦しむことになる」として、穏健な措置を提案した。

▼これに対し、ベネズエラ、ニカラグアなど米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)陣営から「生ぬるい」と異論が相次いだ。

▼加盟諸国は、総長の報告を持ちかえり、対応を検討する。

▼一方、アスンシオンの大統領政庁前では10日、大学生らがルーゴ復権を求めて抗議行動を展開した。

ラウール・キューバ議長が訪露

▽▼▽キューバのラウール・カストロ国家評議会議長は7月10日、モスクワに到着した。4日から中越両国を訪問していた。

▼議長は、ウラジーミル・プーチン大統領、ドミートリー・メドゥヴェージェフ首相らと会談する。

▽両国関係は1991年のソ連消滅後、冷却化したが、プーチン第1期政権以後、関係は持ち直し、現在は良好。

2012年7月10日火曜日

プラシド・ドミンゴが詩人ネルーダを演じる

☆★☆スペイン人テノール、プラシド・ドミンゴ(71)は7月9日、チリの首都サンティアゴの市営劇場で、チリ人ノーベル賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)の人生の一時期を描いた物語のオペラで、ネルーダを演じた。大喝采を浴びた。

★ネルーダは1949~52年、政治亡命者として欧州に滞在したが、52年にはイタリア・ナポリ沖のカプリ島に身を置いた。チリ人作家アントニオ・スカールメタは85年、その時代のネルーダと郵便配達夫の交流を『燃えたぎる忍耐』という小説にまとめた。

☆この作品は94年、イタリア語で映画化され、「イル・ポスティーノ(郵便配達夫)」となった。これをメキシコ人脚本家ダニエル・カターンがスペイン語でオペラ化した。

★2010年からロサンジェルス、ウィーン、パリで上演され、好評を博していた。それが、ネルーダの祖国チリで初公演となった。

☆ドミンゴは、公演に先立ち、「1967年に初めてチリを訪れた際、ネルーダに会わなかったことが返す返す悔やまれる」と述べた。原作者スカールメタは、「ドミンゴはネルーダを完璧に演じ切った」と絶賛した。

2012年7月9日月曜日

ボリビアで新たに鉱山国有化

☆★☆ボリビアのエボ・モラレス大統領は7月8日、ポトシ-州内にあるマルク・コータ鉱山を国有化すると発表した。インディウム、イリディウムの鉱山で、2007年からカナダの南米銀(サザーンアメリカン・シルヴァー)会社が採掘していた。

★鉱山の地元の住民は国有化派と現状維持派が対立し、抗争を繰り返していた。国有化派は同社の鉱山技師2人を人質にしていたが、8日ポトシー市で警察機動隊が出動し、国有化派と衝突した後、技師を解放した。

☆インディウムは、電脳液晶画面などに用いられる希少金属。スペイン語では「インディオ」と呼ばれる。

2012年7月8日日曜日

キューバ議長が訪越

★☆★キューバのラウール・カストロ国家評議会議長は7月7日、中国訪問を終えて、ハノイに到着した。キューバ元首の訪越は、03年2月末のフィデル・カストロ前議長以来。

☆ラウール(共産党第1書記)は10日までの滞在中、グエンフー・チョン共産党書記長、チュオンタン・サン国家主席、グエンタン・ズン首相らと会談する。

★両国は、北越時代の1960年に国境を樹立した。61年にキューバが米政府の傭兵侵攻部隊ををヒロン浜で撃破したこと、ヴィエトゥナムが長期の戦争で米軍を撃退したことなどから、玖越両国は緊密な同盟関係を維持してきた。

カリコムが共通外交政策策定へ

☆★☆カリコム(カリブ共同体・共同市場)は7月3~6日、セントルシアの首都カストリーズで、第33回首脳会議を開き、加盟国の外交政策を一本化することで合意した。

★会議は統合促進、ハイチ支援、BRICSとの関係強化なども決めた。

☆ハイチのミシェル・マルテリ大統領は、フランス語を公用語に加えるよう提案した。

★カリコムは1973年に結成された。カリブ海英連邦12カ国、スリナム、ハイチの計14カ国、および英領モンセラトが加盟している。

2012年7月7日土曜日

ガルシア=マルケスは老人性痴呆症

▽▼▽メキシコ市在住のコロンビア人作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM)の実弟ハイメは7月6日、カルタヘーナで会見し、兄が老人性痴呆症にかかっていることを確認した。先ごろ、作家の親友が症状を明らかにしていた。

▼ハイメは、GGMは1999年に重いリンパ腺癌を患い化学治療を受けたころ痴呆症の兆候が現れ始めた、と説明した。

▼「残念ながら、GGMの新しい作品を読むことは、もはやありそうもない」とも語った。

サンパウロ会合がチャベス支持

▼▽▼カラカスで7月3日から「世界人民は新自由主義に反対し平和を支持する」を標語に開かれていた第17回フォロ・デ・サンパウロ(サンパウロフォーラム)は6日、ウーゴ・チャベス大統領を支持する決議を採択した。チャベスは10月7日の大統領選挙に4選をかけて出馬している。

▼チャベスの盟友ルーラ前ブラジル大統領は閉会式でビデオ演説し、チャベス支持を表明した。閉会式に出席したチャベスは、ルーラへの謝意を表した。

▼会議は、チャベス支援の行動計画を策定することを決め、シモン・ボリーバル生誕229年の今月24日に、「ボリバリアーナ(ボリーバル主義)革命とチャベス司令官に連帯する世界日」の開催を呼び掛けることにした。

▼会議はまた、パラグアイの国会クーデターを糾弾する決議、および米植民地プエルト・リコの独立を支持し、独立派政治囚オスカル・リベラ=ロペスの即時釈放を米政府に求める決議を採択した。

メキシコ選管がペニャ当選を確認

▼▼▼メキシコ連邦選挙庁(IFE、選管)は7月6日、大統領選挙(1日実施)の票の数え直しを終え、非公式速報(1~2日)の結果と同じく、制度的革命党(PRI=プリ)のエンリケ・ペニャ=ニエト(EPN)の当選を確認した。得票率は38・21%だった。

▼非公式集計で得票2位だった、民主革命党(PRD=ペエレデ)のアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)は31・59%だった。

▼IFEは、大規模な有権者買収などPRIに不正があったとして数え直しを求めるAMLO陣営の主張を受けて、全投票所の54・5%に当たる7万h8000カ所の投票所の投開票分2500万票を4日から点検していた。なぜ54・5%なのかは、明らかにしていない。

▼中国訪問中のラウール・カストロ国家評議会議長は6日、IFEの数え直し結果発表を受けて、EPNに祝賀の書簡を送った。キューバはAMLO当選を期待していた。ラウールの<最も遅い祝福>は、EPNの当選に「お墨付き」を与えることになった。

▼AMLO陣営が告発したPRIの大規模買収は、買収された有権者が証言しているように事実であり、12月1日発足するEPN政権が「腐敗政権」になる懸念を強く醸している。

2012年7月6日金曜日

元アルゼンチン軍政首班ホルヘ・ビデラに赤子奪取で禁錮50年の判決

▼▽▼亜国法廷は7月5日、軍政期(4代7年=1976~83年)に軍当局が組織的に若い両親を殺害して奪った赤子を軍人や警官らに与えた事件で、最初の軍政大統領ホルヘ・ビデラ退役陸軍中将(86)に禁錮50年を言い渡した。

▼拷問所として使われた海軍機械学校(ESMA=エスマ)を運営していた海軍の長だったオスカル・バニェク退役提督に40年、ESMA諜報部長だったホルヘ・アコスタに30年、サンティアゴ・リベロ退役将軍に20年の判決がそれぞれ下った。軍政最後の大統領だったレイナルド・ビニョーネ退役将軍(85)は15年だった。

▼赤子をもらいうけた夫婦の夫には15年、妻には5年が言い渡された。

▼この軍政時代には、わかっているだけで3万2000人が殺された。奪われた赤子は500~600人で、うち101人の真の身元が判明している。

▼裁判は、赤子(孫)を奪われた祖母たちが77年5月結成した「五月広場の祖母たちの会」のエステラ・デ・カルロット会長(81)らが、執念の調査活動を踏まえて15年前に提訴したのを受けて開始された。

▼法廷は、35件を調査し、審理してきた。カルロットは、判決全体に満足の意を表した。

▼ビデラは他の事件で、既に陸軍基地内で服役している。「8000人程度は死ぬべき運命にあった」と記すなど、まったく反省していない。

2012年7月5日木曜日

キューバ議長が中国を公式訪問

☆★☆キューバのラウール・カストロ国家評議会議長は7月4日、公式元首訪問のため北京に到着した。7日までの滞在中、胡錦濤主席、習近平次期主席、温家宝首相ら首脳たちと会談する。

★ソ連消滅後、中国はベネズエラ、ブラジルとともにキューバ経済を支える重要な3国の一つ。今回の訪問では、農業、エネルギー、観光などで協力協定が結ばれるもよう。

☆ラウールは、第1副議長兼革命軍相時代の97年と05年に訪中している。議長としては初めて。

★訪中後、ヴィエトゥナムを訪問する。

☆実兄フィデル・カストロ前議長は95年と03年に、中越などを訪問した帰途、東京に立ち寄り、村山、小泉両首相と会談した。外交筋によると、ラウールの東京立ち寄りは予定されていない。

2012年7月4日水曜日

TBSラジオで、メキシコ大統領選挙戦を語る

★☆★7月6日(金曜日)夜のTBSラジオ番組「Dig」の時間帯2230~2330に、先日のメキシコ大統領選挙戦の問題点、6月下旬のパラグアイでの<国会クーデター>による大統領追放の波紋、10月7日のベネズエラ大統領選挙の展望を柱に、ラテンアメリカ情勢を話し合います。

☆出演は伊高と、パーソナリティーを務めるジャーナリストの青木理さんです。聴いてください。

メキシコ大統領選でロペス=オブラドールが票数え直しを要求

▼▽▼メキシコ大統領選挙は7月1日実施され、連邦選挙庁(1FE、選管)は2日夜、開票率98・95%で、エンリケ・ペニャ=ニエト(EPN)PRI候補38・15%(1872万票)、アンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO)PRD候補31・64%(1553万票)と発表し、319万票差でEPNの勝利を事実上認定した形となった。

▽これを受けてAMLO(アムロ)は3日記者会見し、「清く透明な選挙ではなかった。何百万票もが金で買われた」と指摘し、IFEと選挙裁判所に対し、全選挙区での票の数え直しを要求した。AMLO陣営によると、14万3000投票所のうち11万3000投票所で投票数と開票数が異なる不正があった、という。

▼IFEは4日、AMLO陣営の要求について協議する見通し。電脳による公式開票集計は4~6日実施される予定で、これが<数え直し>になる可能性がある。

2012年7月2日月曜日

ホンジュラス大統領戦にセラヤ夫人出馬へ

☆★☆ホンジュラス(オンドゥーラス)では2013年11月に次期大統領選挙が実施される予定だが、7月1日、シオマラ・カストロ=デ・セラヤ(52)が出馬を表明した。06年6月末のクーデターで政権を追われたマヌエル・セラヤ元大統領の夫人で、自由・再建党(LIBRE=リブレ)の候補となる。

★この日のサンタバルバラ市での決起集会には、同党発表で15万人が結集した。セラヤ支持派はクーデター後、人民抵抗戦線を構築してクーデターを起こした寡頭支配勢力に挑戦し、多くの犠牲者を出した。この戦線を基盤にリブレが結党された。

☆夫人が勝てば、夫の屈辱を晴らすことになる。次期大統領の任期は14年1月から4年間。

ルーゴ前パラグアイ大統領が追放理由を語る

▼▽▼パラグアイのフェルナンド・ルーゴ大統領は6月23日国会による弾劾で追放されたが、30日、亜国クラリン紙に対し、追放された理由などを明らかにした。発言要旨は次のとおり。

▽伝統的諸政党を信頼したのが大間違いだった。彼らは公職を分配するよう要求し、私は拒否した。その結果、追放された。

▼私は、そのようにケーキを分かち与えるような政治秩序を破壊し、社会政策を推進しつつあったため、彼ら支配層を困らせた。

▽しかしストロエスネル独裁時代(1954~89)に軍人や地主らに一方的に与えられた土地を農民ら元の正当な持ち主に返還する政策は、進展しなかった。司法当局が、数百件もの告発状を蔵入りさせたまま放置してきたからだ。

▼来年4月予定の総選挙に、上院議員候補として出馬することを検討している。

▽(庶子認知要求が相次いだことが大統領としての威厳を傷つけたのではないか、との質問に対し)そうは思わない。

▼一方、亜国国会下院の人権委員会顧問に就任したスペインの元判事バルタサル・ガルソンは30日、パラグアイの<国会クーデター>について、「醜悪だ。ラ米民主の堅固さに疑問を投げかけた」と述べた。

▽また中米統合機構(SICA=シカ)は29日、テグシガルパで首脳会議を開き、パラグアイ政変に関し、「今回の国会によるルーゴ大統領追放は違法だ」とし、同国人民に政治危機の平和解決に向けて努力するよう呼び掛ける声明を発表した。

ベネズエラ大統領選の公式選挙戦始まる

▼▽▼ベネズエラ大統領選挙(10月7日)の公式選挙戦が7月1日始まった。10月4日まで続く。

▽4選を狙う左翼ウーゴ・チャベス大統領(ベネズエラ統一社会党=PSUV)は、西部のカラボボ州マリアラからアラグア州マラカイにかけて自動車行進した。

▼対立候補の右翼エンリケ・カプリレス(野党連合)は、首都カラカス市内を自動車行進した。

▽1999年2月就任したチャベスが勝てば、次期大統領任期2013~19年を加えて20年政権が可能になる。チャベスの難点は、腰部に癌を抱えていること。

▼この国で初めての左右一騎打ちの大統領選挙となった。各種世論調査では、チャベスがリードしている。

メキシコ大統領選挙投票始まる

▼▼▼メキシコ大統領選挙の投票が7月1日午前8時(日本時間午後11時)始まった。午後6時(同2日午前9時)に終了する。有権者は7945万人。

▼連邦選挙庁(IFE=選管)は23時(同午後2時)から24時間にわたって開票結果を発表する予定。

▼4人が出馬しているが、穏健左翼PRDのアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)と、右翼・保守PRIのエンリケ・ペニャ=ニエト(EPN=エペエネ)の争いと観られている。政権党(右翼・保守)PANの女性候補フォセフィーナ・バスケス=モタ(FVM=エフェベエメ)は苦戦を強いられている。