2014年1月31日金曜日

映画「ワレサ 連帯の男」を観る

 
 アンジェイ・ワイダ監督(現在88歳)の「ワレサ 連帯の男」(2013年ポーランド映画、127分)を試写会で観た。素晴らしい作品だ。4月5日から東京・神田神保町の岩波ホールで封切られる。是非観てほしい。お薦めしたい。

 この映画は、ポーランドの現代史を変え、ゴルバチョフの開明政策に影響を及ぼした自主労組「連帯」の指導者レフ・ワレサの闘争の半生を描いている。ちょっと傷を付ければ真っ赤な血が噴き出すような現代の政治状況にワイダは立ち向かい、見応えのある映画を完成させた。巨匠と呼ばれる所以だろう。127分が短く感じられた。

 翻って日本では、過去数十年の政治状況を主題にした深みのある映画は全く製作されていない。政治状況が全体主義的方向に徐々にのめり込んで行く昨今、必要なのは、そんな危険な傾斜に待ったをかける力を持つ芸術でありジャーナリズムなのだ。だが極めて心許ない。【別途、映画評を書いたため、ここでは、これだけに留めたい。】

2014年1月30日木曜日

CELACがラ米・カリブを「平和地域」と宣言


 ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC、加盟33カ国)首脳会議は1月29日「ハバナ宣言」と付帯文書を採択して閉会した。輪番制議長国はクーバからコスタ・リーカに移った。

 CELACは、ラ米・カリブ(LAC)を「平和地域」と宣言した。引き続き非核地帯とする、侵略しない、国内および近隣国との紛争を平和解決する、主権・対等・自決に基く内政不干渉、各国は望む体制を選択する、ことなどを謳っている。
 
「望む体制」選択の自由は、域内唯一の社会主義国クーバの立場を汲んでいる。「平和地域」宣言は、米国の武力・非武力干渉を排する意図を持つ。
 
 CELAC・中国フォロ(フォーラム)の設置も決まった。

 プエルト・リーコ(PR)問題については、「国連非植民地委員会のPR問題解決決議に留意し、PRのLAC的特性を認める」と決議した。LACを植民地主義と植民地のない地域とするため努力を継続する、とも決議された。

ニカラグア国会で大統領無期限再選のための改憲法成立


 ニカラグア国会は1月28日、大統領無期限再選を可とする改憲法案を可決した。改憲法により、大統領選挙では第1回投票での得票1位の候補が当選することになった。

 従来は、過半数得票者、もしくは1位得票者が2位に一定の票差を付けた場合のみ当選とし、これらの条件を満たす候補がいない場合は上位2候補が決選投票に臨むことになっていた。

 政権党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が多数派の国会は、賛成64、反対25で改憲法案を難なく可決した。同党は有権者の多数派を党員としており、FSLN候補が次期選挙で当選するのは確実。

 つまり、現在3期目、連続2期目の任期にあるダニエル・オルテガ大統領は、2016年11月の次期選挙に出馬すれば、最初から当確となる。

 政治評論家エミリオ・アルバレスは、「かつての独裁者アナスタシオ・ソモサは強権80%、腐敗20%で統治したが、オルテガはその逆」と評している。

 オルテガは、ハバナでのCELAC首脳会議に出席している。政権党は、大統領が留守の間に、大統領のための改憲法を成立させた。

2014年1月29日水曜日

キューバ議長がCELAC首脳会議演説で「平和地帯」化を提案


 ラ米カリブ33カ国のCELAC首脳会議が1月28日、ハバナの博覧会場で始まった。2011年12月カラカスでのラ米・カリブ首脳会議(CALC)がCELAC創設を宣言し、CELAC首脳会議に移行した時から数えて第3回。最初からCELAC首脳会議として開催されたのは、前回のサンティアゴ・デ・チレ会議に次いで2回目となる。クーバは、第2回首脳会議という立場をとっている。

 首脳会議議長のラウール・カストロ玖国家評議会議長は、「ホセ・マルティ生誕161周年の日に合わせて<我らのアメリカ>首脳会議を開く」と強調し、まず去年3月死去したウーゴ・チャベスVEN大統領のために1分間の黙祷を捧げた。

 議長は、「加盟国間には立場の違いが不可避的にあるが、にも拘わらず団結精神を培ってきた。独立後200年の闘争の歴史の上にCELACが生まれた。我々はLAC(ラ米カリブ)大祖国という展望を共有する」と強調した。

 ラウールは域内の貧困状況を、数字を挙げて細かく説明してから、「資源主権を守り、外資導入および多国籍企業との関係は適切にすべきだ」と述べた。

 国際政治に移り、「外部からの干渉がある」と前置きし、「北大西洋条約機構(OTAN・NATO)は<欧州・大西洋地域>を戦略対象地域に加えた。フィデル・カストロは、LACは対象地域に入るのかと質問したが、OTAN側から回答はいまだにない」と指摘した。

 「昨年、米政府の外国首脳に対するスパイ活動が暴露された。米国は内紛を起こす画策もしている。唯一の対抗手段は、我々が団結することだ。(大統領がスパイ被害に遭った)ブラジルが今年4月サンパウロで、インターネット管理世界関係者会議を開く提案をしたのを歓迎する」-議長は続けた。

 「ラ米は逸早く非核地帯を宣言したが、国際社会の核軍縮を進めていかねばならない。CELACを平和地域とすることを提案する。域内の問題は平和裏に主権をもって決めるのだ」

 ベネスエラが提案した、米植民地プエルト・リーコ(PR)のCELACオブザーバー加盟については、「PRの席が空席である間、CELACは完全ではない」と語った。

 最後に、国連総会で米国による経済封鎖の解除決議に一致して賛成してきたCELAC全加盟諸国に謝意を表明し、首脳会議開催を宣言した。

 一方28日夜、ハバナ市内でマルティ生誕記念日に合わせた松明行進が催された。ラウールら政府高官、ウルグアイ、ベネスエラ、ボリビア、ニカラグアなどの首脳が先頭に立った。

 この日、バン・キムン国連総長はフィデル・カストロと会談した。総長は、ラウールにも27日会っているが、「クーバ政府に国際人権規約を批准するよう求めた」と明らかにした。

2014年1月28日火曜日

玖伯首脳がキューバのマリエル開発特区コンテナ埠頭開場式を挙行


 クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は1月27日、ブラジルのヂウマ・ルセフ大統領とともに、ハバナ西方45kmのマリエル開発特区(ZEDM)に一部完成したコンテナ埠頭の開場式を挙行した。CELAC首脳会議出席のためハバナに到着していた首脳陣も出席した。

 この特区はブラジルの資金援助により同国大手建設会社が工事を担当している。埠頭は、パナマ運河拡張に備え、大型船舶が繋留できるようになっている。特区は、市場原理を導入したクーバ経済の牽引力になる、と期待されている。

 ルセフ大統領はその後ハバナで、フィデル・カストロ前議長と会談した。フィデルは、ジャマイカのポーシア・シンプソンミラー首相とも会談した。

 27日にはハバナでCELAC外相会議が開かれ、首脳会議最終宣言の草案を策定した。バン・キムン国連事務総長も同日到着し、ラウールの出迎えを受けた。

メキシコの詩人・作家ホセ=エミリオ・パチェコ死去


 メヒコの詩人、小説家、翻訳家のホセ=エミリオ・パチェコ(74)が1月26日死去した。24日転倒して頭部を強打、メヒコ市内の病院に入院していた。

 1958年、短編集『メデューサの血』で文学界に登場した。その後、詩集、小説、物語など数々の作品を世に出した。詩の全集に『遅かれ早かれ』がある。2009年、セルバンテス賞を受賞するなど、数多くの賞を獲得した。

 先年死去した評論家カルロス・モンシバイスの盟友だった。モンシバイスらとともに、メヒコ知識人層「1950年世代」と呼ばれた。

 短編『砂漠の戦い』など邦訳書もある。

国際司法裁が一部チリ経済水域をペルーに与える裁定下す


 ハーグの国際司法裁判所は1月27日、チレとペルーが6年間争ってきた領海線画定訴訟でペルーに有利な判断を下した。

 提訴した側であるペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領は、「要求の7割方が認められた。ペルーは経済水域を(チレから)5万平方キロ獲得する」と述べた。

 また、チレのセバスティアン・ピニェーラ大統領は、「チレには異論がある。だが12海里領海は従来通り守られた。経済水域を部分的に失うが、漁業資源は確保される」と語った。ミチェル・バチェレー次期大統領も「落胆」を表明した。

 裁定は、両国国境から緯度に沿って西に80海里進み、そこから南西に新しい経済水域の境界線が、チレ海岸から200海里の線まで進む。チレは従来の経済水域西北海域の三角形の部分を失うことになる。

 一方、「海への出口」を求めて同裁判所に昨年提訴したボリビアは、今回の裁定がどのような影響を及ぼすか、調査を開始した。エボ・モラレス大統領はCELAC首脳会議出席のためハバナ滞在中だが、28日にも声明を発表する方針。

 領海問題は1879年の太平洋戦争に起因する。当時のボリビア領アントファガスタ州での硝石開発をめぐり開発権を得ていたチレが開発権料を値上げしたボリビアに異議を唱え、戦火を開いた。

 ボリビアは同盟国ペルーとともに応戦する。だがチレが勝ち、アントファガスタ州をボリビアから奪い、ボリビアは以来、内陸国になっている。ペルーは南部のアリーカとイキーケの割譲を余儀なくされた。

 ハーグの法廷は2015年以降にボリビア・チレの係争で裁定を下す。今回の秘智間の裁定は、領海線が変化し得ることを示し、ボリビアに有利に働くとの見方が出ている。

ホンジュラスのフアン・エルナンデス新大統領が就任


 オンドゥーラス(ホンジュラス)のフアン=オルランド・エルナンデス新大統領が1月27日就任した。昨年11月24日の大統領選挙に政権党の国民党(保守・右翼)から出馬し当選した45歳の弁護士で企業家。任期は4年。

 首都テグシガルパの国立競技場で就任式が挙行された。就任演説でエルナンデスは、「史上最悪の犯罪激発状態にある」と指摘し、「国家警察、軍警を動員し、今日から凶悪犯罪撲滅のため<残忍な者よ去れ=フエラ・ティグレス>作戦を開始する」と述べた。

 また、「労働者、農民、自営業者のための政策を重視する」と語った。

 就任式にはパナマ、コスタ・リーカ、コロンビア、コソヴォの大統領、台湾総統、ベネスエラ、ニカラグアの副大統領、スペイン皇太子、米州諸国機構(OEA)事務総長らが出席した。

2014年1月27日月曜日

フィデル・カストロがアルゼンチン大統領と昼食し会談


 ラ・アバーナ(ハバナ)で、1月28~29日開かれるラ米カリブ諸国共同体(CELAC)首脳会議を前に、ラ米カリブ外交が展開されている。

 25日逸早く到着したアルヘンティーナのクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)大統領は26日、フィデル・カストロと昼食を共にしながら2時間会談した。

 二人は昨年3月死去したベネスエラのウーゴ・チャベス大統領の思い出を語り合い、CELACを創設しラ米統合に尽くしたチャベスを讃えた、という。

 ラ米情勢についても話し合い、食糧、紛争など国際問題についても語り合った。

 一方、ブラジルのヂウマ・ルセフ大統領は26日、ダヴォスからハバナ入りし、夜、

亜国のCFK大統領と、亜国ペソ価値大幅下落(23日)問題を中心に話し合った。

 ルセフは27日、ラウール・カストロ議長ともに、ハバナ西方45kmのマリエル経済特区(建設中)で、部分的に完成した埠頭の開場式に出席する。

 また27日にはハバナでCELAC外相会議が開かれ、首脳会議で採択されるハバナ宣言および付帯文書の草案を策定する。カリブ、中米、メキシコ、南米の首脳陣も続々到着しつつある。

2014年1月26日日曜日

ペルー政府が日本大使公邸人質救出作戦を再現


 1997年4月、当時のフジモリ政権がリマの日本大使公邸で決行した人質救出作戦「チャビン・デ・ウアンタル」が1月24日、リマ郊外の陸軍基地内に保存されている同公邸セットで再現された。

 これを、米州人権裁判所(本部コスタ・リーカ首都サンホセ)の主席判事らが見守った。判事ら一行は、リマ市内の日本大使公邸の跡地も視察した。

 これは、救出作戦のさなか、生きて捕えられたゲリラ「トゥパック・アマルー革命運動」(MRTA)要員2~3人が捕虜扱いされず射殺された件で、その遺族が提訴したのを受けての実地検分として行なれた。

 この「逮捕後の射殺」については、人質になっていた当時の日本大使館員が事実として証言している。

 ペルーのペドロ・カテリアーノ国防相は25日、「政府が無実であるとの判断が出るのを確信している」と述べた。

ラテンアメリカ・カリブを「平和地域」に-CELAC決議案まとまる


 ラ米カリブ諸国共同体(CELAC)首脳会議は1月28~29日ハバナで開催されるが、その議題と決議案が25日まとまった。ハバナで開かれたクーバ(現議長国)、コスタ・リーカ(次期議長国)、チレ(前議長国)、トゥリダードトバゴ(カリブ代表)の4ヵ国会議で話し合われていた。

 ラ米カリブ(LAC)地域を「平和地域}とする、という決議案が柱。次いで、「CELAC中国フォロ(フォーラム)」設置も注目される。中国は国連発展途上G77と「G77+中国」を組んでいるが、そのような形にしたい思惑があるようだ。

 開催国クーバはアフリカ系が人口の多くを占めるが、「奴隷制度犠牲者鎮魂碑」のような記念碑を建立する決議案も含まれている。

 決議案は27日のCELAC外相会議で承認され、首脳会議に回される。最終的には「ハバナ宣言}と付属文書に盛り込まれる。

 一方、ベネスエラは独自に、米植民地プエルト・リーコをCELAC加盟国として招き入れることを提案するもよう。

 CELACは2011年12月カラカスで設立された。米州35カ国中、米国とカナダを除く33カ国が加盟する。「米州の南」の統合を理想とする最大機構である。

川成洋著『ジャック白井と国際旅団』を読む


 川成洋著『ジャック白井と国際旅団』(中公文庫)を読んだ。スペイン内戦(1936~39)に国際義勇兵として反ファシズムの側で参戦した唯一の日本人である。

 米国に密入国し、ニューヨークでコックとして生活する間に米国共産党の会合に通うようになり、志願し党によってスペインの戦場に送りこまれた。炊事兵から機関銃手となり、37年7月11日ブルネテの激戦で戦死する。

 スペイン内戦に関心を抱く者の間で白井は既に有名な人物であり、故石垣綾子らの著書に断片的に登場する。だが、その人生を細かく綴った本は、川成の前著『スペイン戦争-ジャック白井と国際旅団』くらいしかなかった。この前著に加筆し改題したのが本書であり、労作だ。

 これから書評を書くため、これ以上書かないが、本書は、名もない市井の民が歴史の決定的局面に自らの意思で真摯に参加する時、偉大になり得ることを示している。

2014年1月25日土曜日

フジモリ元大統領の強制不妊手術告訴、却下さる


 ペルー検察は1月24日、アルベルト・フジモリ元大統領が、政権にあった時期に女性に強制不妊手術を施した、として告訴されていた件について、証拠不十分により起訴しないと発表した。

 フジモリ政権期(1990~2000)に女性27万人余りが不妊手術を受けた。人権団体は、うち1800人は同意なしに手術を施されたと主張している。またペルーのオンブズマンは、術後に18人が死亡したとの立場を示している。

 フジモリは1998年以後、この件で2度告訴されたが却下された。2012年新たに告訴されたが、今回また却下された。だが検察は、新たに確固たる証拠が出てくれば起訴もあり得る、と述べた。

 フジモリとともに、かつての保健相ら部下も起訴されないことになった。フジモリらは、具体的には、カハマルカ県内でマリーア・メスタンサという女性が98年「同意なしに不術を受け8日後に死亡した」とされる事件で告訴されていた。

2014年1月24日金曜日

A4用紙に拡がる立教ラ米研受講生の世界観


 立教大学ラテンアメリカ研究所(ラ米研)の私の講座「現代ラ米情勢」の2013年度受講生は50人だった。授業は1月18日に終わり、24日「成績表」を作成した。

 全29回の講座への出席回数と、期末レポートの内容で判断する。出席率はとても良く、回数不足で採点対象外となった受講生は少ない。

レポートは三十数人が提出してくれた。数枚の用紙に、受講生一人ひとりの人生、職業、経験、考え方、心情、信条などがはっきりと表れる。

出席をとる時だけしか言葉を交わしたことのない受講生の人生観や世界観が、A4用紙いっぱいに展開する。思いも寄らなかった素晴らしい発見だ。

1月下旬の、この成績表作成を9回繰り返した。これが最後だ。あとは3月の卒業式を待つばかりだ。我が講座の受講生に何人会えるかが楽しみだ。

 

2014年1月23日木曜日

キューバが不動産賃貸を解禁


 クーバ政府官報は1月22日、革命体制初期に禁止された不動産(家屋)賃貸の自由化を発表した。対象は内外法人、クーバ在住のクーバ人および外国人。

 月ごとの賃貸料は、住宅5兌換ペソ(CUC=米ドル)、商店7CUC、住宅を商店もしくは事務所として使う場合は10CUC。

 ただし、賃貸物件を外国人学校、報道機関支局、NGO事務所として使用するのは不可。

アルゼンチン生まれの日系歌手、大城バネサに会う


 今から12年前の2002年3月、「NHKのど自慢チャンピオン大会」をテレビで観、ブエノスイアレス生まれの若い日系娘がグランドチャンピオンになったのに新鮮さを感じたことがある。その娘は沖縄系の大城バネサ。今は32歳。岐阜県羽島市に住む。

 のど自慢での大賞獲得を契機に03年、日本で職業歌手になった。それから10年半、今も歌手を続けている。それも、演歌歌手なのだ。縁あって東京でバネサに会い、1時間話した。

私が亜国社会や沖縄を知っていることから、インタビューをLATINA誌から頼まれてのことだった。芸能記者に多く会ってきたバネサは、風変わりな老記者が現れたのに少し戸惑っていたようにも見受けられた。

 いずれ記事になるから細部はここに記さない。私が学生時代に身につけた「総合ジャーナリズム」の立場から、この歌手にも会った。1時間質疑応答すれば、一人の人物の半生はおおよそ見当がつく。

 30余年の若い人生を垣間見たわけだが、「一期一会」で終わるか、また会うことになるか、わからない。バネサを文章でどう形取るか、それを考えている。

 話を聞くうちに、あの「チャンピオン大会」のテレビの情景をかすかに思い出した。私がメディア記者を引退した1ヶ月後、バネサは本格的に歌手稼業に入った。

 異業種間の世代交代、つまり生きる者同士の一つの世代交代を感じた。どこにでもあることだが、これが、インタビューした収穫と言えるかもしれない。

2014年1月22日水曜日

エクアドールが米州相互援助条約から脱退


 エクアドール(赤道国)は1月21日、有名無実化している米州相互援助条約(TIAR=ティアール)を脱退した。条約は東西冷戦期の1947年、米国の主唱により集団安全保障条約としてリオデジャネイロで調印された。

 赤道国国会は「時代遅れ」だとして同日、脱退決議を採択した。同国会は1950年、条約を批准していた。

 ラファエル・コレア大統領は、TIARは「米政府の反共主義だけのためにあった」との見方をしている。1982年に亜英マルビーナス(フォークランド)戦争が勃発した際、レーガン米政権は条約の定める集団防衛主義に従わず、英国を支援した。「この時TIARは死んだ」とコレアらは指摘する。

 赤道国、ボリビア、ベネスエラ、ニカラグアのALBA加盟4カ国は2012年の首脳会議で、TIAR脱退方針を決めている。 

2014年1月21日火曜日

山田吉彦著『モロッコ』を読む


 山田吉彦(1894~1975)というホメロス研究家、著述業者、翻訳家が、1939年の旅行経験を敗戦後の日本でまとめた『モロッコ』(初版1951年、2008年復刻、岩波新書)を読んだ。

 フランス植民地時代のモロッコを植民地軍などの伝を辿りながら、フランス語を駆使して旅する興味深い紀行文だ。モロッコ庶民の風俗、考え方が細かく綴られているのが面白い。

 だが、植民地支配を批判する記述はない。日本の台湾、朝鮮半島、満州での植民地支配の時代であり、著者は、列強による弱者支配を当たり前のように受け止めていたのかもしれない。

 惜しむらくは、1939年というスペイン内戦(1936~39)終結の年にスペインと因縁の深いモロッコを旅しながら、内戦関連事項が一切書かれていないことだ。

 しかし、本書の内容は読み応えがある。どんな角度からであれ、当時のモロッコを描いているからだ。仏モロッコ絡みの歴史があちこちにちりばめられているが、読む上で苦にならない。

 ある高齢の碩学は、フランス当局から高給で大学学長に招かれながら、「わしは本読みじゃ。気の向いたときに本を読める自由な境遇を選んだのじゃ」と言って断る。味わい深い箇所の一つだ。

2014年1月20日月曜日

月刊LATINA2月号が「サパティスタ蜂起20年」記事掲載


 月刊誌LATINA2月号(1月20日=本日発刊)の伊高浩昭執筆記事:

 大型連載企画「ラ米乱反射」第96回 「<第3のメキシコ>を築いた現代のサパタ主義者たち」、「EZLN蜂起20年-マヤの地に甦った革命の系譜」。EZLN誕生までの歴史、蜂起後の苦節20年の歩みを細かく辿り、今日的意味を探る。EZLN関係の貴重な写真4枚を掲載。

 書評:『キューバ医療の現場を見る』キューバ友好円卓会議編、同時代社、1600円。

    『見た、聞いた!キューバ改革最前線』千葉県AALA編・発行、1000円。

 いずれもNGOのキューバ訪問記。たまたま重なった。

名護市長選挙に思う


 辺野古<関ヶ原>の1月19日の決戦は、米海兵隊大型新基地建設を拒否する稲嶺進名護市長(68)が再選され、当面の決着を見た。名護市民は、仲井真知事の裏切りで地に落ちた島人の誇りと名声を辛くも取り戻すことができた。

 「札束に弱い」保守派沖縄人の体質は腐臭を放ち、重大局面にある名護で嫌われた。

 稲嶺1万9839票、自民党系の末松文信1万5684票。投票率76・71%。この4155票の差が、安倍政権の形振り構わぬ買票作戦を打ち砕いた。

辺野古基地は決して普天間海兵隊航空基地の「移設」ではない。大型基地の新設なのだ。この政府の長年のまやかしが、今選挙でまたも暴かれた。

 私は若いころ那覇に3年間駐在し、米軍基地をはじめとする沖縄情勢を取材した。名護市中心部や辺野古に何度足を運んだかわからない。

沖縄は移民を通じてラ米との関係が深い。沖縄に打ち込みながらラ米を遠望しながらの毎日だった。

 私は19日の選挙を前に、久々に沖縄物を読んだ。岡本恵徳(1934~2006)の『「沖縄」に生きる思想』(2007年、未来社)である。岡本の死に際し、評論集出版の声が上がり、私も賛同者となった、その本である。

 「基地周辺で日常的に数多くの米兵と接触することで生じる<異文化の衝突>の具体的な形を見ることができる。そういう日常的な接触は、沖縄人の中にフランツ・ファノンの言う<白い仮面>に対する欲望を生み出すこともあった」

 この記述が興味深い。名護の主権者の多数派は、反米国家主義を裡に秘めながら米国ににじり寄る安倍的・仲井真的・末松的<白い仮面>を剥ぎ取った。

 安倍国家主義の謳い文句「美しい国」は危険だが、「美しい」を美の形容として単純に受け止めるとしても、真に美しさが残る辺野古の珊瑚礁の海を破壊して軍事基地を建設することは「美しい」と完全に矛盾する。

 このことだけからも、「美しい国」がいかにいい加減なイデオロギーであるかがわかるだろう。

【参考:伊高浩昭著『双頭の沖縄』(2001年、現代企画室)、同『沖縄アイデンティティー』(1986年、マルジュ社)】 

2014年1月19日日曜日

立教大学研究所での「現代ラテンアメリカ情勢」講座完了


 立教大学ラ米研で「現代ラ米情勢」という講座を2005年4月から9年続けて担当してきた。その最後の講義を1月18日終えた。有り難くも、受講生らが送別宴を開いてくれた。

 講座と公開講演会を通じて延べ2000人以上の人々と交流したと思う。私の人生における一つの仕事が完了した、という気がする。

 半世紀前に私がラ米に取り組み始めたころ、ラ米と言えば、その関心事項はスペイン語、通商、移民、音楽、考古学・人類学などだった。

 それが今、ラ米をジャーナリズムの手法で分析する私の講座のような時事物に少なからぬ人々が関心を持ってくれるようになっている。これは驚きであり、時代の進歩を感じる。

 今後は、講義録の編集作業に取り組まねばならない。池袋通いはまだまだ続く。

2014年1月17日金曜日

ビオイ=カサーレス短編集を読む


 亜国人作家アドルフォ・ビオイ=カサーレス(1914~99)の短編集『パウリーナの思い出に』(高岡麻衣、野村竜仁共訳、2013年、国書刊行会)を読んだ。

 題名の作品(1948年)を含め10点が収められている。どれも面白い。幻想物も幾つかあるが、そうでないものや、幻想度の薄いものの方が多い。

 最後に出て来る『雪の偽証』(1948年)は、犯人が誰なのか、謎解きがある。アガサ・クリスティーの『アクロイド殺人事件』(1926年)を連想させる。クリスティーのこの作品から閃きを得て書いた可能性がある。

 ブエノスイアレスが舞台の作品が多い。この作家が愛した街であることがわかる。

 「この人の瞳は、これまで彼を愛したすべての女性の愛情と孤独を宿している」-このような洒落た記述もある。

 気分転換に短編を一作ずつ読むのは、実に好い時間だ。

詩人フアン・ヘルマンの思い出を孫娘が語る


 メヒコ市で1月15~16日、亜国人詩人フアン・ヘルマン(14日死去)の葬儀が挙行され、ウルグアイ在住の孫娘マカレーナ・ヘルマン(36)も参列した。

 マカレーナの両親は、1976年に亜国軍政に拉致され、殺害された。母親は殺される前に、マカレーナを生んでいた。生後間もない赤子は、ウルグアイ人警察幹部の家に密かに渡され、育てられていた。

 祖父フアンは1978年、ヴァティカンの司祭から、孫がどこかにいることを教えられた。フアンは孫の行方を探り始める。2000年に突き止め、23歳になっていた孫娘と劇的な対面を果たす。

 「祖父は多くの闘いに勝った。痛みの多い人生だったが、多くのことを成し遂げた。その一つは、私を探し出してくれたことだった」-マカレーナは葬儀の場で語った。

 「祖父は1995年に<孫への公開書簡>を発表した。君が孫息子か孫娘なのか知らないが、生まれたことは知っている、と書かれていた」

 「事実を知った時は衝撃だった。当時、私は詩人ヘルマンを知らなかった。今では祖父の文学上の成功と、大なる情熱を認識している」

 「祖父と時を共有することができた。時間がもっとあったらと思うが、私たちは最善を尽くしていた。去年12月、一緒に過ごした。この1月11日電話で話し、死の前日13日に祖父の手紙が届いた」

 遺骨を、晩年を過ごしたメヒコ市と生地ブエノスアイレスのどちらの墓地に埋葬するか、決まっていない。

2014年1月16日木曜日

キューバ行き旅行者との語らい


 クーバに2月行く約30人の日本人のために90分間、クーバについて話した。真面目な、平均年齢が60歳以上と見受けられる団体だ。東京都内、1月16日夜のひと時だった。 

 みな、引退したフィデル・カストロ(87)が健在なうちに訪玖することに、ある種の意義を見出しているように感じられた。

 去年クーバを訪れた外国人旅行者は280万人だった。日本に昨年来た外国人は1125万人で、過去最多だという。クーバの当面の目標は300万人の大台だ。

 遠いクーバだが、訪れる日本人にとって、意識して学べる国だ。胸を開いて交流し、相互に学んでほしいし、学びたい。

 時代錯誤の矮小な国家主義など糞食らえだ。私たちは地球市民でなくなれば、大海の藻屑に過ぎない。クーバは、そのようなことも教えてくれる。

東電放射能事故で原発計画破棄した故チャベス大統領


 ベネスエラは確定原油埋蔵量世界一の産油国だ。だが、故ウーゴ・チャベス大統領は、化石燃料は必ず枯渇すると信じ、原子力発電導入を決め、ロシアの協力を仰ぎつつあった。

 だが2011年3月、東電原発放射能漏れ重大事故が起きるや、原発計画を打ち切った。ドイツのメルケル政権も世論を受け入れて、原発廃止の方向に舵を切った。

 ところが肝心の日本は、原発事故などなかったかのように、原発継続主義の自民党が選挙で圧勝した。国際世論は、日本人の政治意識と良心を大いに疑った。

 細川・小泉組が原発反対の旗印を掲げて都知事選に打って出ること自体は正しい。国政の大きな欠陥を補うためだ。首都には、その義務が十分にある。

 かつて「人民戦線」があった。共産党が左翼・革新・進歩主義諸勢力と連合し、ファシズムと戦った。いま「美しい国」という子供だましのような謳い文句のファシズムが始まりつつある。

15年戦争時の日本軍の侵略を認めない首相と、都知事選候補の一人である元自衛官がいる。自民党は、この元自衛官を公認するのがイデオロギー上は筋だろう。だが、自民党と喧嘩別れした元党員への支持を決めている。

 共産党は、宇都宮という全うな人物を再び候補に据えた。原発廃止派だ。細川と宇都宮は政策について話し合ってはどうか。つまり、現代の「人民戦線」を組むため歩み寄るのだ。これは、反原発派が勝たねばならない関ヶ原の決選だ。党勢確認のための選挙ではない。

共産党の現時点での存在価値は、分水嶺をどちら側に下るかという重大な別れ目の選挙の公示前に、多数派工作と政策連合のために歩み寄ることだろう。

 期待する都民、日本人は少なくない。反原発派が勝てば、ファシズムに歯止めをかける効果をもたらすはすだからだ。

 まだ「正月=1月」だ。そんな初夢があってもいい。

 

エクアドール大統領が施政7年の成果を強調


 エクアドールのラファエル・コレア大統領は1月15日、政権7周年を迎えた。国会で施政報告演説をし、「市民革命」政策に基づく社会投資拡充によって社会生活が向上したことを強調した。

 貧困率は、同国史上初めて一桁台(9%強)に落ちた。「赤道国(エクアドール)は絶望を失った。未来を希望することが可能になった」と述べた。

 一方、ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領も15日国会で施政報告演説をし、「去年はボリバリアーナ革命にとり最も困難な年だった」と述べた。

 ウーゴ・チャベス大統領が3月死去し、4月の大統領選挙で自身が辛勝したことを指している。

 マドゥーロの施政1年目は、チャベスの4期目就任の1月に始まった1年の残りの期間とされていたため、この日の施政報告となった。

2014年1月15日水曜日

アルゼンチン人詩人フアン・ヘルマン死去


 メヒコ市在住のアルヘンティーナ人詩人フアン・ヘルマン(83)が1月14日死去した。青年時代は左翼活動家、その後は左翼詩人として鳴らし、ラ米進歩主義政界・文化界から尊敬されていた。

 ユダヤ系ウクライナ人移民の子として1930年ブエノスアイレスに生まれた。キューバ革命後の60年代から70年代にかけて、亜国に登場したゲリラ組織「革命軍」(FAR)、およびモントネロス(ペロン派青年部極左武闘組織)に参加した。

 1975年、イサベル・ペロン政権下で、警察秘密結社AAAに脅迫され亡命。翌76年3月、ビデーラ極右軍政が登場し、息子マルセロとその妻クラウディアは軍政に拉致される。

 マルセロは殺され、妊娠中だった妻は出産後、殺害された。生まれたマカレーナという孫娘は、ウルグアイ人警察関係者に引き取られていた。

 ヘルマンは苦労して孫娘を探し出し、祖父と孫の血縁関係が回復した。

 83年の亜国民政移管後、亜国に戻ったが、再びメヒコ市に移り、詩作を続けていた。

 2007年、セルバンテス賞を受賞するなど、数々の賞を得ていた。詩集は29冊に及び、これを1冊にまとめたものもある。

 死について生前、「隣のバリオにバイオリンを弾きに行く(ようなもの)」と語っていた。

【セルバンテス賞受賞後、来日し、東京・麹町のセルバンテス文化セントロで講演した際、私はインタビューし、LATINA誌に長い記事を書いた。】

アルゼンチン国会で首都移転案一蹴さる


 アルヘンティーナの老朽首都ブエノスアイレスの移転案が出て、しばし国会審議が賑わった。

 移転案を今月上旬に出したのは、フリアン・ドミンゲス下院議長。北部のサンティアゴ・デ・エステーロ州の同名の州都を候補に挙げた。

 ブラジル南部からチレ北部に至る南米南部横断自動車道(建設予定)に接する利点があり、北部の工業化にも貢献するなどの理由からだ。だが、優先課題ではない、と多くの議員から反対された。

 首都移転計画と言えば、1980年代後半にアルフォンシン政権が、南部のパタゴニアのビエドマに首都を移す「アウストラル(南部)計画」を打ち出し、実現しなかったことがある。

 故大統領の息子リカルド・アルフォンシン議員は13日、構想するのはいいことだが今どうこうという問題ではないと、やはり反対した。

2014年1月14日火曜日

鶴見俊輔著『身ぶりとしての抵抗』を読む


 鶴見俊輔著『身ぶりとしての抵抗』(河出文庫)を読んだ。これで、それぞれ題名が異なるシリーズ4巻本を全部読んだことになる。

 東電原発放射能漏れ重大事故の後に書かれた「身ぶり手ぶりから始めよう」は、「長い戦後、自民党政権におぶさってきたことに触れずに、菅、仙石の揚げ足取りに集中した評論家と新聞記者による日本の近過去忘却」を指摘する。そのような風潮が昂じて民主党政権は葬られ、最悪の極右時代錯誤政権が生まれた。だが評論家やメディアに反省はない。

 「軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の<敗北力>が65年の空白を置いて問われている」と著者は続ける。細川元首相が脱原発に的を絞って2月9日の東京都知事選挙に出馬することになった、と1月14日の夕刊は伝える。これなど、一種の「敗北力」だろう。

 だが組む相手の小泉元首相は、あの愚かなブッシュ米大統領にべったりくっついて、米国のイラク開戦を無批判に受け入れた。また自民党の加藤議員の山形の自宅が放火され炎上した際、首相として、このテロリズムをとがめなかった。韓国・朝鮮人への激しい攻撃が続いていた時、制止を一言も呼び掛けなかった現首相安倍と同じだ。

 主権者・有権者は、よほど心して「敗北力」を行使せねばならない。

 「明治維新以後、米国が日本に対してとった近代文明の強制的輸出の役割を、日本は朝鮮に対してとろうとし、この時から朝鮮人に対する保護者意識とそれと裏腹な軽視の歴史が始まる」と綴る。何と浅はかな歴史であろう。

 本書は、今の時代の必読書である。

コスタ・リカ政府が差別禁止政策を策定へ


 コスタ・リーカのジョコンダ・ウベーダ副外相は1月13日、人種差別、差別、外国人排斥を禁止する政策を策定中、と明らかにした。

 副外相は、憲法に「多文化・多人種社会」であることを明記する改憲に繋がる、との見通しを語った。

 この国では人口の20%(先住民2%、アフリカ系9%、移民9%)が差別に遭っている、という。 

エクアドールが無人小型航空機を製造


 エクアドールのラファエル・コレア大統領は1月12日、初の国産無人小型航空機の完成機を発表した。機名は、UAV-2GAVILAN。

 同国空軍の工場で製造された。ビデオ映像や写真を撮影し、瞬時に送信する機能を持つ。

 製造費は1機50万ドルだが、量産することによって低下する。今年内に、さらに4機製造する方針。

 ゆくゆくは輸出する、という。

2014年1月13日月曜日

ハイチ大震災4周年、依然15万人が収容所生活


 アイチは1月12日、大震災4周年を迎えた。ミシェル・マルテリ大統領は、地震で死去した22万5000人を祭る首都郊外のサンクリストフ慰霊碑に花輪を手向け、国民に協働と団結を呼び掛けた。

 大統領は、この日を「追憶と内省の日」に指定した。

 国連開発計画によると、震災で生じた瓦礫1000万m3の8割が撤去された。政庁や大聖堂は依然、再建されていない。

 271カ所の被災者収容所には計15人弱の人々がいて、今も困窮生活を強いられている。