2014年6月30日月曜日

キューバ、修正外資法で25億ドル導入を期待

 社会主義クーバで6月28日、修正外資法が発効した。1995年の旧外資法の修正法は、今年3月成立していた。政府は、この修正法に基づき、経済建設活性化のため当面、25億ドルを誘致したい方針。

 修正法は、利潤持ち出し、減税など、外資に有利な条項を含む一方、雇用は国営斡旋所を通じて行なうなど制限も設けている。

 投資優先部門は、農業・森林、食品、エネルギー・鉱山、砂糖、鉄鋼機械・軽工業、化学、電気、薬品、生物工学、卸業、保健、観光、運輸など。

 これまでの主要な対玖投資国はベネスエラ、ブラジル、中国、ロシアなどだが、チャベス大統領死後のベネスエラは政情不安が常態化し、先行きが危ぶまれている。クーバ政府には、投資誘致国を欧米・日本、経済新興国に多元化したい構えだ。

 在外クーバ人も投資できるが、在外玖人の85%がいる米国では対玖経済封鎖法が依然幅を利かせており、簡単ではない。

 かつて経済離陸できないことから「永遠の地上滑走」と皮肉られたように、経済発展停滞に長年苦しむクーバは、2011年4月の第6回共産党大会で、資本制メカニズム導入を正式に決め、中越両国のように、資本主義の手法を社会主義体制維持に活用する方向に踏み出した。

 変わらなければ生存できない状況に、クーバも追い込まれたわけだ。
  

2014年6月29日日曜日

亜国法廷がブドゥー副大統領を収賄容疑で審理へ

 アルヘンティーナ(亜国)の法廷は6月27日、アマード・ブドゥー副大統領を収賄および公務員権限逸脱の容疑で裁くことを決めた。

 ブドゥーは、クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル現大統領の1期目に経済相だったとき、破産した国内唯一の民間紙幣印刷会社チッコーネを国費で救済し、同社に紙幣印刷の仕事を与えたのと引き換えに、同社の株の70%を仲間とともに獲得した疑いで起訴されていた。

 被告は26日からクーバ訪問中で、この後、パナマ訪問を予定している。

 亜国では来年、次期大統領選挙が実施される。非キルチネル派ペロン党や、急進市民同盟(UCR)など野党勢力は、政権奪回を視野にブドゥー裁判を対政府攻勢に利用しようとしている。

2014年6月28日土曜日

「尊厳ある貧乏暮らしをする自由」のある社会を求めて

 月刊誌「世界」7月号(岩波書店)に、「貧乏であることが一つの選択肢となる社会を築く」という、極めて興味深いインタビュー記が掲載されている。『雇用なしで生きる』の著者フリオ・ヒスベールに、。ジャーナリスト工藤律子がマドリードで会見し、まとめた。

 ヒスベールは、銀行勤務の傍ら、既存の資本主義経済でない「もう一つの経済」を確立し広める研究を続け、「もう一つの銀行構想(IABA=イアバ)」を仲間とともに運営してきた。経済力でなく人間を評価して資金を貸す銀行だ。構想は、既に各地で流通している地域通貨の発想と通底する。

 「時間銀行」の発想が面白い。従来のボランティアの概念を超えるもので、助けられる側も他者に貢献すべき資質を見つけ提供できるようになる。いわゆる弱者も自信を得て、「自己肯定感」が向上する。しかしアフリカなどの発展途上国には「時間銀行」がない。それは、「私でなく、私たち」という集団的生存を重視する共同体が生きているからという。ラ米の先住民社会も同じだ。

 この優れたインタビュー記事を読むことを、お勧めする。読者の脳裏には、日本社会の欠陥も浮かび上がることだろう。

★☆★
 新刊書案内:写真・篠田有史、文・工藤律子 『伊達侍と世界をゆく  「慶長遣欧使節」とめぐる旅』 河北新報出版センター刊 1600円 - 石巻、メキシコ、クーバ、スペイン、イタリア、フィリピンと、支倉常長一行が1613年から1620年にかけて辿った「大航海」の旅路を追体験する。重厚かつ躍動する写真と、生き生きとした文章が詰まっている。

中米統合機構が未成年者の米国入国問題を重視

 中米統合機構(SICA=シカ)の第43回首脳会議が6月27日、ラ・ドミニカーナ(RD=ドミニカ共和国)の保養地プンタ・カナで開かれ、加盟国グアテマラ、オンドゥーラス、エル・サルバドールなどの未成年者がメキシコ国境から米国に密入国し逮捕された場合の米当局による扱いなどを問題視する特別声明を採択した。

 バラク・オバーマ米大統領はワシントンで同日、未成年者をメキシコ国境地帯に送り出さないよう、そして密入国した場合、身柄を出身国に強制送還せざるを得ない米国の立場を訴えた。だが、中米首脳らは、これにも異議を唱えた。

 会議はまた、プンタ・カナ宣言を採択し、輪番制議長を今年前半務めたダニーロ・メディーナRD大統領がSICAを活性化させたと評価した。今年後半の輪番制議長は、ベリーズのディーン・バロウ首相が務める。

 SICAには、ベリーズを含む中米7カ国とカリブ海のRDの計8カ国が加盟している。今会議には、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領を除く7人の首脳が出席した。

 この機構は、中米の制度強化、社会・経済統合、民主制度保障、気候変動対策、自然災害防止の5項目を優先政策としている。
  

2014年6月27日金曜日

ニカラグア政府が来週、運河建設ルート発表へ

 ニカラグア外務省は6月24日、今年末に着工予定の「ニカラグア両洋間大運河」の建設ルートを来週公表する、と発表した。候補ルートは、太平洋岸からニカラグア湖を経てカリブ海岸に向かう4通りのルートがある。

 総工費は400億ドルで、同国政府は、建設ルートを決めることで、国際社会に投資を呼び掛けることにしている。建設計画の中心には、中国系企業がある。

 ニカラグア運河は、パナマ運河(79km)の3倍以上と長い。だが、拡張後のパナマ運河をも通航できない超大型船も通航可能となる。

 一方、世界銀行は26日、ニカラグアの今年の経済成長予測率を4・5%と公表した。来年以降は、米国経済の動向や、ベネズエラからの巨額援助の有無が成長に影響を及ぼすと見られている。 
  

2014年6月26日木曜日

ボリビア国会に,針が左回りの「南の時計」登場

 ラパスのムリージョ広場にあるボリビア国会議事堂正面の大時計が、冬至(北半球では夏至)の6月21日、文字盤も針も左回りの「南の時計」に置き換えられた。

 ダビー・チョケウアンカ外相と、エウヘニオ・ロハス上院議長は24日の記者会見で、「南半球では太陽の動きは逆になる。我々は南の人民として、自分たちの認同(イデンティダー、アイデンティティー)を意識せねばならない」と説明した。

 外相は、「なぜ我々南の民は、北半球の発想に従属し続けなければならないのか」と提起し、「南の時計」は認同確立の象徴、と強調した。

 この時計はまた、エボ・モラレス現政権下での政治変革をも象徴する。先住民族旗ウイパラ、コカ葉、キヌア、母なる大地などと並ぶボリビア民族の象徴でもあるという。

 サンタクルスデラシエーラ市で今月半ば国連G77カ国グループの首脳会議が開かれた折り、ボリビア政府は、「南の卓上時計」を各国代表団に贈っている。

キューバの経済成長予測率は1・4%

 クーバ経済・企画省は6月23日、今年の成長率は1・4%になるもようと発表した。年初めの予測を下回る。

 同省はその理由として、外貨収入不足、気候変動、国内の不備などが、米国による経済封鎖と相まって負の影響を及ぼしたためと分析している。

 一方、ハバナコンサルティング集団が25日明らかにしたところでは、昨年、国外からもたらされた市民間の送金、贈与などによる外貨流入量は35億ドルに達した。うち19億ドルは米国から。

 全体の54%は、クーバを訪問した在外同胞・友人らから直接手渡された。42%は、代理業者経由だった。

2014年6月25日水曜日

ピ-スボート被爆者使節団が横浜港で記者会見

 ピースボート「オーシャン・ドゥリーム」号は6月24日正午、横浜港に帰着した。港建物内での、乗船していた被爆者使節団8人の記者会見に立ち会った。共同通信と朝日新聞の横浜支局記者及び、環境問題などのフリーランサー高橋真樹が出席した。

 被爆者たちは、広島・長崎の被爆体験を語るだけでは駄目で、フランスの核実験によるムルロア環礁被曝者、福島原発被曝者などの問題と関連させて語り、併せて核兵器と原発の廃絶に向けた運動を展開する重要性を指摘した。

 被爆者には、演劇女優浜田あゆみ(高知県)と、大学生福岡奈緒(広島県)が同行した。浜田は、演劇や寸劇を通じて被爆・被曝の実態を語り継承する可能性が開けた、と強調した。福岡は、被爆者の体験談を基に若い4人の女性船客が「カンナの花」という歌を作詞・作曲した事実を紹介し、これも継承方法だと述べた。

 私たちは6月初め、タヒチのパペーテ港に面した海岸の緑地帯にある、ムルロア被曝記念碑を訪れ、被曝者らと意見を交換した。驚くなかれ、私たちの船がパペーテを去って間もなく、記念碑を撤去し、跡地にタヒチ自治権獲得記念碑を建てる案が急浮上したことを知った。
 

 急遽、船内では、その撤回を求める署名運動が始まった。この署名運動は、日本国内でも世界各地でも始められている。フランス政府と、保守のタヒチ自治政府が、被曝の歴史を消し去ろうと謀っているのだ。この策謀を受けて、被爆者の一人は、「フランスへの認識が変わった」と語った。
         ×                  ×                   ×

 横浜中華街で高瀬夫妻と午食をとり、石川駅で別れた。これで70日に及んだ旅は終わった。

2014年6月21日土曜日

◎ピースボート「オーシャン・ドゥリーム号」世界周遊航海紀「波路はるかに」第9回=最終回=

 船は615日、ミッドゥウェイ島のはるか南方を西方に航行し、夜半16日を迎えた。だが1時間後、日付変更線を通過し、17日に入った。16日は、はかなく消えた。日本との時差は+3時間となった。3時間を引けばJSTになるから、便利だ。
 15日の気になっていたコロンビア大統領選挙決戦は、525日の第1回投票で2位に甘んじたJMサントス大統領が逆転当選した。一騎討ちの相手は右翼候補だった。サントスが勝って、ゲリラとの和平交渉はサントス流に継続されることになった。コロンビアとラ米のためには、いい結果だった。
 岩波ホールの特別許可を得て、「みつばちの大地」を上映した。蜜蜂が世界的に減少している。植物の雄蕊と雌蕊を結ぶこの昆虫がいなくなれば、植物の35%は立ち行かなくなる。野菜や果物の多くが実らなくなる。映画は、船内の観衆に衝撃を及ぼした。
 高瀬毅の定番「ビブリオバトル」に審査員として参加した。面白かった。本を読まない若い世代に幾ばくかの刺激を与えることになるに違いない。武田緑、笠井亮吾の二人の若者代表と、高瀬、伊高が「世代格差」について討論する特別企画もやった。若い船客からの反応がはっきりと現れ、やってよかったと思う。
 被爆者・被曝者8人との「記者会見」もした。被爆・被曝体験をいかに語り継ぐか、という喫緊の主題が常に問題となっている。横浜帰着直後、本物の記者会見が待っている。
 船は、横浜下船の準備態勢に入った。便利で快適な動くホテルから数日後、出なければならない。船上講師としての仕事は、今夜の「軽音楽の夕べ」をもって全て終わる。合計60数回の出演となった。
 本は、書評用に、参考書として、また楽しむため十数冊読んだ。最後に呼んだのは、石垣綾子著『スペインで戦った日本人』(朝日文庫)。20年ぶりに再読した。ジャック白井の生き方と死に様を綴った名著だ。面白かったし、懐かしかった。

 4月半ば東京を発ってから70余日で帰着する。船からの通信事情の不自由さから、「波路はるかに」は9回しか送れなかった。書くべきラ米情勢もほとんど書けなかった。前方には、溜まっている雑務の処理という憂鬱な仕事が待っている。長い祭の後には責め苦が来る。時差は2時間減って、既に1時間だ。これがなくなるとき、船は横浜に入る。=2014・06・21 船上にて伊高浩昭=

2014年6月16日月曜日

◎ピースボート「オーシャン・ドゥリーム」世界周遊航海「波路はるかに」第8回 伊高浩昭

 PBは、ハワイを「ハワイイ」と呼ぶ。米国での綴りがHAWAIIであるように、「ハワイイ」と発音されるからだ。そこでハワイイについて連続3回の講座を開いた。真珠湾攻撃に至る歴史、移民史と沖縄ハワイイ関係、現代ハワイイの社会・文化・観光・軍事、と3回に分けて話した。ホノルルには2日間滞在し、真珠湾で戦艦アリゾーナ沈没記念碑を訪ねた。日米開戦後69年の歴史が脳裏を駆け巡った。歴とした観光名所でもあり、記念碑に行く小舟は絶えず満員だった。
 記念碑のすぐ近くには、194592日、日本が降伏文書に署名した戦艦ミズーリが停泊している。23年前に退役し、展示されているのだ。つまり、日米開戦のしるしがアリゾーナであり、米国勝利の証がミズーリなのだ。戦争の頭と尻尾が並べられているわけだ。天皇制軍国主義が侵略戦争に突進して日本を廃墟にした歴史や、戦後今日までの日米関係を考えた。それは、海中に沈んでいるアリゾーナと、係留されているミズーリが見事に象徴している。単純化が際立つが、その通りだから、うなずくしかない。
 ホノルル旧市街は、中華街など昔の面影はわずかに残っているが、高層ビルが林立し、すっかり様変わりしている。「再開発」されていない旧市街はすたれ、観光地ワイキキ一帯に現代が集中している。英語の次に氾濫しているのは、日本語だ。一日当たり4000人来る日本人が、いかに重要な観光収入源か、がわかる。ある通りは日本人街であるがごとく、日本人と日本語ばかりだ。アリゾーナもミズーリも知らない日本人の群れがうつろな目で闊歩する。
 先住民族の路上生活者や浮浪者の姿が目立ち、胸が痛んだ。ハワイイ諸島の主人公たちの少なからぬ人々が、惨め極まりない困窮状態に陥れられている。これが観光繁栄の後ろ姿なのだ。
 浜辺は、往時のたたずまいとさして変わっていまかった。地元の庶民は、巨大なア・ラ・モアーナというモールで食事する。ここは大衆価格で、安い。折から、建国の父カメカメハ大王の誕生日とあって休日で、大繁盛していた。ビショップ博物館は、カメハメハ王朝史、ハワイイとポリネシアの繋がり、日本人移民史などが興味深かった。往時の日語紙の記者たちの集合写真が展示ていた。
もし自分が移住者だったら、日語紙を興していたかもしれないと思った。カメハメハ大王像は、誕生日記念のレイで覆われていた。
 アテネで乗ったこの船、地中海、大西洋、カリブ海、パナマ運河、太平洋と巡ってきたが、最終寄港地がハワイイだった。他の港町と大きな隔たり、違和感がある。真珠湾の因縁がなかったら、その違和感は一層強くなったに違いない。

 ホノルルの夜景を眺めつつ出航した。「イル・ポスティーノ」を観てから、パブロ・ネルーダの朗読会をした。いつも通り、あるいはそれ以上の成功だった。アジア各地代表の3人を壇上に招いて、「沖縄からアジアへ、アジアから沖縄へ」というシンポジウムもやった。まずは話し合うことに意義がある。このような対話を積み重ねていかねばならない。横浜まで、あと十日足らずとなった。

2014年6月11日水曜日

◎ピースボート「オーシャン・ドゥリーム」号・世界周遊航海「波路遙かに」第7回・伊高浩昭

 船は62日パペーテに入港した。14ヶ月ぶりだ。乗客としてこの船旅に参加している広島・長崎の被爆者8人らと、フランスによるムルロア環礁水爆実験被曝者らとの会合に出席した。会場は、パペーテ郊外にあるファアア市の会議場だった。正面の壁には、フランス語とタヒチ語で「自由・平等・友愛」と書かれてあった。「ティ・アマラア、ティ・ファイトラア、ティ・タエアラア」。オスカル・テマル市長の息子テトゥア・ハウ・テマル市長代理が議長となって、被曝者2人が体験を語った。
 マリウス・シャン(67)は、フランス語で話した。元警察官。1978年から3年間、地下核実験場の警備を担当した。立ち入り禁止を徹底させるための警備だった。被曝の危険性については、一切説明されていなかった。だが、ある出来事を契機に、彼らの隠し事が暴露された。住民が蛸を食べた翌日、強い痛みが出、体中に湿疹ができて、救急車で病院に搬送された。
 シャンは同乗を拒否されたため、蛸の捕れた海岸へ行き、原因を知った。被害者への面会を求めたが、当局から拒絶された。真実を知らせろと上司に迫ると拒否され、罰としてさらなる実験場警備を命じられたが、断った。フランス政府は、実験場一体の住民に、汚染食糧に代わる食糧を供給した。
 地下実験上では、サイレンが鳴ってからカウントダウンが始まり、3秒でしゃがみ込む。0秒で島全体が揺れる。当局は、礁湖で死んで浮いた魚などを採集して、調査していた。
 警官だから、拳銃を所持していた。これで誰を撃ち殺すべきか、と考えさえした。フランス政府関係者を案内する仕事もしたが、上司から、質問されても一切答えるなと命じられていた。今も体調が思わしくない。
 次いでレイモン・ピア(69)がタヒチ語で話した。核実験場で196890年働いた。大型の風船で核爆弾を吊り上げる仕事だった。74年からは、礁湖地下の実験場に変わった。フランス人が立ち会う時だけ、放射能測定器が使われた。彼らは去っていったが、その多くは死んでしまった。我々の仕事仲間の多くは癌で死んだ。反核行動を起こさないと、事態は変わらない。
 1990年に発病し、体調は依然おかしい。生き残っている仲間の多くも同じだ。当時、塩を保存用の材料として用いていたが、当局から塩を使うなと言われたが、理由の説明はなかった。フランス政府は真実を明かさない。立ち上がろう。後継世代に真実を伝えよう。
 今度は三瀬清一朗(79)が長崎での被爆体験を語った。内容は、先方にはフランス語訳の文書であらかじめ手渡されていた。
 「ムルロア・エ・タトゥ」の代表ロラン・オールダム(64)が、ムルロア核実験被曝実態を展示する資料館を建設する計画について話した。予算は8万4000ユーロだが、独立性を維持するため、フランス政府には支援を求めないことにしている。「博物館」という呼称は、若い世代に敬遠されがちなため、使用しない方針だ。記憶の記念碑のようなものにしたい。資金は国連、NGOなどに求めていく。ポリネシア全体に、この運動を広げていきたい。
 これを受けて、ピースボート船内代表(航海ディレキター)の田村美和子が、世界周航で各国に働きかけていくことを約束した。
 独立か従属かを決める住民投票は今年9月、ニューカレドニアで実施される。私がタヒチでの見通しを市長代理に訊くと、住民は洗脳されてしまっており、いま住民投票しても意味がない、とのことだった。2013517日、国連はタヒチを植民地名簿に復活させた。フランスは1963年に名簿から外したが、78年にテマルが復活運動を開始した。最近、国連はフランス政府に核実験情報を住民に明かすよう要請した。時間をかけてタヒチ人に情報を与え、意識化を達成してから住民投票をしても遅くはない、という。
 意味のある会合だった。DJスプーキー、タヒチから乗船した高瀬毅夫妻も出席した。スプーキーとガビーはパペーテで下船した。
 船は翌朝、ボラボラ島に入港した。巨大なエイの頭部そっくりの形をした奇怪なオテマヌ山(標高727m)が心に刻み込まれた。透明な礁湖の海に30分つかった。出港してから、3回続きのハワイイ講座の歴史編と移民編を済ませた。船は6日夜半に赤道を越え、北半球に戻った。南十字星は後方にあり、前方には北極星がある。灰田勝彦、岡晴夫、山口淑子の歌を聴いた。若い船客100人が熱演した「ア・コモン・ビート」は楽しかった。

 全被爆者死後、被爆実態をいかに後世に伝えていくべきか、で話し合いがあった。これもピースボートならではの会合だ。活動家(被爆者・支援者)、ジャーナリズム、芸術家、アカデミズムが協力して運動を起こすのがいいかもしれない。

2014年6月4日水曜日

◎ピースボート「オーシャン・ドゥリーム」号世界周航「2014年波路遙かに」第6回

 カヤオからラパヌイに至る船内は、ラパヌイ青年文化運動指導者の1人エンリケ・イカが大活躍し、ラパヌイ色が濃厚となった。日本では絶滅した種類の逞しい男子だ。船客女性陣は老いも若きも目をぱちくりさせていた。
 彼を「ラパヌイと南太平洋の音楽」の番組に招き、曲の合間に語ってもらった。彼らの文化運動に協力することにした。
 講座はチリ情勢と、「太平洋とはどんな海か」の前編をやった。5月25日ラパヌイ沖に停泊した。この日はコロンビアの大統領選挙だ。誰が当選したか、あるいは誰と誰が決選に進出したか、が気になる。しかし情報は入らない。
 島に15ヶ月ぶりに上陸した。もう1人の指導者マリオ・トゥキと島の中心地ハンガロアを歩きながら話し合った。カヤオから乗っていたアフリカ系米国人DJスプーキー(ポール・ミラー)が手持ちぶさたにしているのに出くわした。ポールも散策に参加し、3人で軽食をとる。
 島を離れ、4000km離れたタヒチに向けて北西に針路をとる。「太平洋」の後編を済ませた。あすはスプーキーと対談する。その後は「ポール・ゴーギャンとタヒチ」を話す。その資料をまとめた。
 ラパヌイから乗ったタヒチの反核と対仏独立運動家ガブリエル・テティアラが講演した。ガビーに船上で会うのは3度目だ。船客の被爆者たちとガビーの会合もある。ピースボートらしい船内企画が沢山出てきた。一方、甲板で、若い日本人乗客の結婚式が催された。
 6月1日には、エル・サルバドール新大統領サルバドール・サンチェスが就任する。その模様を細かく知るのは、東京に帰着してからだろう。日本の動きはほとんどわからない。