2011年12月31日土曜日

用語「中南米」の破綻

▼▼▼▼▼日本のメディアは、ラテンアメリカ・カリブ地域を「中南米」という言葉で表してきた。外務省がそう呼んでいるから、それに従ってきたのだ。この点で、メディアに主体性はない。

    「中南米」は極めて不的確な用語だ。厳密に言えば、北米のメキシコが欠け、カリブ海が除外されている。「中米」にメキシコとカリブ地域を含めてしまったところに最大の間違いがある。

    それに、「中米」は北米大陸の一部であり、南米大陸につながる回廊部分(地峡)にすぎない。スペインからの独立直後に地峡5カ国が「中米連邦」を短期間結成した歴史的経緯から、「中米」が定着した。その「中米」に緯度が合っているからといって、カリブ地域が含まれるはずがない。

    12月3日に「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」が発足した。日本のメディアは「ラテンアメリカ」を使わないため、これに「中南米」を当てた。ところが、それに「カリブ」を付け加え「中南米・カリブ」としたため、従来「中米」にカリブ地域を含めていた矛盾が完全に露呈してしまった。

    CELACは、アングロサクソンの牛耳る「アングロアメリカ」(米国とカナダ)と対峙する「ラテンアメリカ」という、米州を2分する構図を踏まえて結成されたところに意味があるのだ。「ラテンアメリカ」を「中南米」という曖昧で間違った用語に置き換えたのでは、意味がなくなってしまう。

    「ラテンアメリカ」が用語として長すぎるというなら、「ラ米」を使えばいいのだ。中国は長らく「拉美」という略語を用いている。この点に関して中国人は、地理的視座と言語表現において、日本人よりはるかに的確だと言わねばならない。

    外務省のラ米担当職員は、名刺の日本語面に「中南米」を使い、スペイン語やポルトガル語で書かれる裏面には、「ラテンアメリカ」を使っている。「中南米」が国際社会で通用しないことを誰よりもよく知っているからだ。

    日本のメディアよ、そろそろ「中南米」という用語に別れを告げてはどうか。こんな用語にしがみついているかぎり、日本人が地球的視座を得るのは一層困難になる。メディアが運動し、外務省に用語を変えさせるぐらいの気概がないと駄目だ。

    かつて外務省は、メキシコの制度的革命党(PRI=プリ)を「立憲革命党」と意図的に誤訳していた。党名が「メキシコ革命を1917年憲法下で制度的に継続実施する党」を意味することから、「制度的=インスティトゥシオナル」を「立憲=コンスティトゥシオナル」に勝手に置き換えてしまったのだ。

    これに対し、共同通信メキシコ通信局・支局が中心になって「制度的革命党」の正しい訳語を徹底的に広めた。今日「立憲」を使うメディアはまず見当たらない。

    私は1967年から「ラ米」ないし「拉米」を使ってきた。自分の積極的意思で「中南米」を記事に用いたことは一度もない。積極的意思で、もしくは無意識にこれを用いれば、<ラ米報道の素人>と見なされても仕方なくなってしまうからだ。

    私は大晦日が来るたびに、用語「中南米」の通夜になればいいと願ってきた。CELAC発足で、この用語の矛盾点がわかりやすくなってきたため、用語の寿命も縮むのではないかと期待する。

    ちなみに、「ラテンアメリカ」を安易に「ラテ」と略すのは、いただけない。「ラ米」とすべきだ。

(2011年12月31日 伊高浩昭執筆)

チリパタゴニーアで山火事

▼★▼チリパタゴニーアのトーレス・デ・パイネ(パイネ針峰群)国立公園で12月27日山火事が発生、セバスティアン・ピニェーラ大統領は30日、米豪亜3国政府に鎮火のための支援を要請した。

    この公園の面積は24万hr。大統領は延焼面積が8500hrに達した時点で、支援を要請した。その後、延焼面積は1万1000hrに達している。

    同公園は、この国随一の景勝の地。パイネ主峰(標高3050m)を中心に、針峰群が連なる。主峰は、隣接するアルゼンチンパタゴニーアのフィッツロイ岳(3405m)と比肩する。アンデス山脈が造る最も美しい地域である。

    一帯は夏の乾燥期にあり、強風が吹いて、火災が拡がった。雨が時折降るが、鎮火にはほとんど効力がないという。警察は、外国人観光客数人を特定し、<火の不注意>で取り調べた。

    ピニェーラ大統領は国際支援を仰ぐのに際し、パイネ国立公園を「チリと世界の自然資産」と強調し、大自然を守る意思を表明した。だが一方でパタゴニーアでの開発を進めており、大統領の言葉は矛盾している。先住民族マプーチェの生活権や聖地も脅かされている。

    今回の山火事を契機にチリ人が、乱開発や先住民族迫害の問題に新たな視座を開くことができれば、不幸中の幸いと言うべきだろう。

2011年12月30日金曜日

「選択」誌がCELAC特集記事を掲載

★☆★「3万人のための情報誌」と銘打つ月刊誌「選択」の2012年1月号(元日発行)に、12月3日発足したラ米・カリブ33カ国の「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」の2ページにわたる解説記事が掲載されている。

    「米国離れ」の視点から書かれており、「新共同体に中露の秋波」の小見出しと、「モンロー教義の死」、「中露の影響力拡大」の中見出しがついている。

    ご一読あれ。(筆者)

グアテマラ和平15年、今も殺戮の巷

▼▽▼▽▼グアテマラ和平協定が調印されてから12月29日で15周年。1960年に始まり36年続いた内戦は、25万人の死者を出した。その93%は軍・警察、その手先の準軍部隊など政府側の手にかかった犠牲者だ。ゲリラによるのは3%、判断がつかないのが4%。

    アルバロ・コロム大統領は、「内戦を招いた原因は依然存続している。平和に暮らすには不十分な状況だ」と述べ、和平時の合意事項のわずか6%しか達成されていない状況を指摘した。

    (来年)1月14日、就任する退役将軍オットー・ペレス=モリーナ次期大統領(60)は、内戦を戦った陸軍幹部で、殺戮に関与する立場にあった。極右で、和平協定調印式で署名した軍人の一人でもある。「達成されていない合意事項に重点的に取り組む」と語った。

    内戦の最大の犠牲者であるマヤ系先住民族は、人口の最大多数派でありながら、大多数が日常生活を貧困のなかに封じ込められている。先住民族の公務員への登用拡大という合意事項も守られていない。

    内戦は終わったが、巷では一日平均18人が殺されている。その6割方は、麻薬組織絡みの殺人だ。内戦中の殺人発生率とほとんど変わらない異常さだ。今年11月6日の大統領選挙決選投票で恐持てのペレス=モリーナが勝ったのは、治安強化を望む有権者が多いことにもよる。

    悪いことに、極右の元軍人が次期政権を担う公算が大きくなった決選直前ごろから当選後の
昨今にかけて、国内右翼勢力が、元ゲリラや知識人らを、内戦中の「人道犯罪関与」容疑で告訴する動きが目立っている。これを見かねた国連人権高等弁務官事務所は、「法制度の濫用は避けるべし」と警告した。

    マヤ人が人間として完全には認められていない社会ゆえ、2%の富裕層が耕作地の65%を握る異常な不平等社会ゆえ、コカイン生産地コロンビアとその消費地米国の中継地になったがゆえに、民主の夜明けは遠い。

2011年12月29日木曜日

米植民地プエルト・リコで国民投票実施へ

▼▽▼自治領という名前の米植民地プエルト・リコ(PR)は、カリブ海とメキシコ湾および大西洋を隔てるアンティージャス諸島のイスパニョーラ島の東にあり、地理的、歴史的にはれっきとしたラ米の一員だ。だが1898年以来、米国の植民地にされてきた。

     1952年に「自由連合州」として自治権を得た。対米併合主義の進歩主義新党(PNP)のルイス・フォルトゥーニョ知事は12月28日、総選挙と住民投票を来年11月6日に同時に実施すると発表した。住民投票は4回目で、PRの将来の在り方を決める。

     67年に実施された最初の住民投票では、現状維持(自治領)60%、米国への併合39%、独立0・6%、という結果が出た。93年の第2回投票では、自治領48%、併合46%、独立4・4%、だった。98年の第3回は、自治領0・1%、併合46・5%、独立2・5%、自由連合国0・3%、以上の4つの選択肢以外50・3%だった。単純化すれば、併合派を反対派が4p上回ったことになる。

     それから14年後の来年実施される第4回投票は、①PRの地位変更の是非②是の場合、2択(併合か独立か)に加え「現状維持」の3択ーの2段階で住民意思を問う。

     12月3日、「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」が発足したが、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領は「プエルト・リコの不在」を指摘し、将来のCELAC加盟の希望を表明した。だが、肝心のPR人の独立の意思は、住民投票で示されるかぎり極めて小さい。

アルゼンチンで問題の2法公布

▼▼▼▼▼アルゼンチン大統領クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)は12月28日、「反テロリスタ法」と「パルプ・新聞用紙法」を公布した。両法とも12月22日に国会で成立していた。

    <テロリスト>を取り締まるとする「反テロリスタ法」は、米国を筆頭とし亜国も加盟する政府間の「資金洗浄およびテロ組織の金融活動」を取り締まる機関「国際金融活動集団(GAFI)」=(英語で)「金融活動行動部隊(FAFT)」の規定に国内法を整合させるための大幅改定刑法の通称。

    「人民と国家にテロの恐怖と影響を及ぼした者に最高15年の禁錮刑」などの罰則がある。人権団体や市民団体は、「政府に反対する市民を<テロリスト>と捉えるなど、拡大解釈の恐れがあり、違憲だ」と反対しており、29日には、大統領政庁前の五月広場で反対運動が展開された。

    ペロニスタ政権党主流派キルチネリズモ(キルチネル路線)内にも亀裂が生じつつある。CFKの亡夫で前大統領のネストル・キルチネルの政権に始まるキルチネリズモの熱烈な支持団体である「五月広場の母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長さえも、五月広場での「反テロリスタ法」反対行動の場で、同法への反対を表明し、政府に見直しを呼び掛けた。

    同会長は、「私たちは、誰もが<テロリスタ>にされてしまった軍政時代の悪夢を経験している」と語った。反対する市民たちは、軍政下での国家テロの恐怖を忘れていない。

    数年前、自民党政権時代に日本の国会で審議された「共謀罪」取締法案に日本市民が抱いた危機感に通じるような意識を亜国市民は抱いている。つまり新法を弾圧法、悪法として捉えているのだ。

    CFKは前日、甲状腺癌にかかっていることと1月4日に手術を受けることを発表し、同情を買ったばかり。その驚きも冷めやらない間の新法公布だった。

    一方、「パルプ・新聞用紙法」は、新聞用紙の生産・販売・配布を「公益」と位置づけ、用紙配分の公平化を期すためとされる。だが、これまで用紙の多くを使ってきた大手新聞社は「反政府論調の封じ込めだ」と激しく反発している。

    亜国には、新聞用紙を生産する「パペル・プレンサ社(PP)」がある。その株は、最大発行部数を誇るクラリン紙を発行するクラリン社が49%、2番手のラ・ナシオン紙を出しているラ・ナシオン社が22・49%、合わせて71・49%を握っている。政府は27・47%を保有する。

    両紙以外の地方紙など計168紙は、15%割高でPPから買うか、輸入用紙を買うかしてきた。用紙需要の16%は、輸入されてきた。

    新法によりPP社は、最大生産能力で生産し、経済省が定める価格での販売を義務付けられる。また、生産能力を維持・拡大するため、3年ごとに用紙生産計画を策定し実施するのを義務付けられる。最大生産能力を発揮すれば、輸入は不要になるという。

    大手両紙をはじめメディアの間では、「反テロリスタ法」が、用紙配分をめぐる政府政策に従わないメディアの弾圧に応用されるのではないかと危惧する声も出ている。

    ラ・ナシオン紙は1870年創刊の老舗紙で、保守の立場を貫いてきた。1945年創刊のクラリン紙は体制派だが、CFKと数年前から対立してきた。両大手紙は少なくとも、用紙確保に際して、政府政策に従来よりも気配りしなければならなくなったと言えるだろう。

2011年12月28日水曜日

アルゼンチン大統領が甲状腺癌手術へ

▼▼▼アルゼンチン政府は12月27日、クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)大統領が1月4日、甲状腺右葉の癌腫突起の手術を受ける、と発表した。

    12月22日実施の健康診断で見つかったもので、病位転移はなく、リンパ節にも異常はない、という。大統領は1月24日まで療養し、25日に公務に復帰する。

    ブエノスアイレス市内にある私立アウストゥラル大学付属病院で、腫瘍学専門家のペドロ・サコ外科医が執刀する。

    大統領が公務に復帰するまでは、アマード・ブドゥー副大統領が代行する。CFKは10月23日の大統領選挙で得票率54%で圧勝し、12月10日、連続2期目の任期に入ったばかりだった。

    癌を患ったラ米の現職大統領は、ベネズエラのウーゴ・チャベス、パラグアイのフェルナンド・ルーゴ、ブラジルのジルマ・ルセフに次いで4人目。ルーゴとルセフは既に克服したとされる。ブラジルのルイス・ルーラ前大統領は喉頭癌の治療中。

    チャベス大統領は<癌経験者首脳会議>を2012年に開こうと提案している。

2011年12月27日火曜日

ブラジルの農地改革と土地占拠

★☆★ブラジルのジルマ・ルセフ大統領は12月26日、農地改革の一環として農場60か所を接収する法令に署名した。13州にまたがる計11万2800hrの土地は政府によって買収され、土地の無い農民2739家族に分配される。政府は、年間4万家族に土地を与える農地改革を進めている。

    この政策によって2001年以降、土地を配分された79万家族のうち13%は、その土地を不法転売したり放棄したりした。ルセフ政権は、不法転売を防止する手段を講じつつあるという。

    農地改革当局によると、今年1~8月に、計159件の土地占拠があった。

    ブラジルには「土地無き者の運動(MST)」がある。農村部から追い出され都市スラムに住まざるを得なくなった人々が、民政移管直後の1985年に結成した。「遊休地は農地改革の対象となる」との憲法規定を拠り所とし、遊休地を占拠し、住みついて農耕しつつ闘い、合法化を待つ。現在、運動で得られた土地で200万人が暮らしている。また占拠地で6万家族が合法化を待っている。

    居住地には必ず独自の学校が建てられ、社会主義、階級意識、革命思想などが教えられる。土地占拠運動の指導者も養成されている。またブラジル社会で何万人ものMST居住地出身の若者らが、広範な分野で活躍している。

    ブラジル政府はある意味で、MSTに刺激され助けられて、穏健な農地改革に着手できたと言える。

【2011年12月27日 伊高浩昭執筆】

2011年12月26日月曜日

エボ・モラレスがマチュピチュで休暇

★☆★ボリビア大統領エボ・モラレスは12月22日、ペルーのクスコでオヤンタ・ウマーラ大統領と、ボリビアの「海への出口」問題について会談した。その後、両大統領チーム間で室内サッカー対抗戦をした。

     エボはウマーラと別れた後は、息子と娘を伴ってのナビダー(クリスマス)休暇に入った。インカ帝国の首都クスコの遺跡を散策し、遠い祖先らの文明に思いを馳せた。

     24日は、アンデス山中のマチュピチュ遺跡を訪れ、感動をあらわにした。25日、遺跡の端にある急峻なウアイナピチュ岳(標高2667m)に、わずか22分で登頂し、地元のペルー人を驚かせた。通常、登るのに44分はかかるからだ。

     ボリビア大統領の政庁ケマード宮は、ラパス市内の標高3800mの地点にあり、高地人エボにとってウアイナピチュは<酸素たっぷりの小山>にすぎないのだ。

     大統領は酸素をたっぷり吸って26日、帰国した。

     エボは先年、石油・天然ガスを国有化した。今月は、ボリビア石油公社(ボリビア国庫油床=YPFB)の創設75周年。エボは、「今年の公社収入は22億5500万ドルだった。国有化をしていなければ、9億5200万ドルにすぎなかった」と述べ、国有化を自賛した。

2011年12月24日土曜日

出国規制は徐々に緩和と、カストロ議長表明

▼▼▼キューバのラウール・カストロ国家評議会議長は12月23日、人民権力全国会議(国会)で演説し、懸案のキューバ人の出国規制緩和について、「徐々に変えていく」と述べた。だが、詳細は明らかにしなかった。

     キューバ人は通常、出国する場合、外国からの招待状、出国許可書(通称「タルヘタ・ブランカ=白いカード」)、手続き費用が要る。キューバ人とりわけ若い世代は、規制緩和、手続きの簡素化を強く求めている。ラウール議長は8月1日、前国会で、緩和方針を打ち出し、期待を集めていた。

     だが今回、「制度変更の利益と不利益を総合的に評価しつつ、徐々に変更を進めていく」、「変更を急ぐ者には、キューバが、あらゆる機会を捉えて介入し陰謀しようとしている米政府がいることを忘れてはならないと指摘しておく」と述べただけだった。

     議長はまた、受刑囚2900人を近く赦免し釈放する、とも語った。なかには「国家の安全」を犯した受刑囚、つまり「政治囚」に該当する者も含まれている。

     これは、来年3月のローマ法王来訪に備えた措置。25カ国国籍の86人の外国人も釈放されるもようという。

             【続報】2900人は24~26日全員釈放された。反体制派によると、そのうち<政治囚>は5人だけだった。

2011年12月23日金曜日

ラティーナ誌がCELAC特集記事掲載

★☆★おなじみのラ米文化専門誌、月刊「LATINA」2012年1月号に、2011年12月3日発足した「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体」(CELAC=セラック)の特集記事(伊高執筆)が載った。

    「ボリーバルの<大なる祖国>に向け巨歩踏み出す」、「ラ米・カリブ諸国共同体=CELAC=が発足」という2本見出しの解説記事。米国がラ米支配の野心を明確にした1823年の「モンロー宣言」、シモン・ボリーバルの当時のラ米統合努力から説き起こし、20世紀後半の米国とラ米との闘いがCELAC誕生につながった経緯を詳述する。

    伊高は同誌に「ラ米乱反射」という記事を連載しているが、CELAC記事は、その連載71回目に当たる。CELACは、ラ米・カリブ33カ国が米国(およびカナダ)を除外して組織した、米州史上最も重要な広域機構。ぜひ参照されたい。

【LATINA社の電話は、03-5768-5588】

2011年12月22日木曜日

チリ法廷が先住民への催涙ガス使用を禁止

▼▼▼チリ南部のテムーコ市にある高裁は12月21日、カラビネロス(準軍警察)に対し、先住民マプーチェの抗議行動を制圧する際に催涙ガスを使用してはならない、という裁定を下した。

    11月2~4日、マプーチェ居住地の共同体をカラビネロス部隊が急襲し、催涙ガスを住居の中にまで投入し、多くの女性や子供が体調を著しく害した。この事件を受けて、マプーチェ組織が訴えていた。

    テムーコ高裁は、チリ憲法、児童権利条約、国際労働機関(ILO)規約169条(先住民族保護規定)に違反するとして、催涙ガス使用を禁止した。

    マプーチェは、占拠され奪われた先祖伝来の土地の奪回を求めて闘い続けており、約100人が刑務所で拘禁されてる。

2011年12月21日水曜日

米軍パナマ侵略22周年

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ブッシュ父親米政権がパナマに大規模軍事侵攻をし、数多くのパナマ人を殺害してから満22年が過ぎた。米軍侵攻22周年の12月20日、パナマでは犠牲者遺族らによる追悼行事や抗議行動が行なわれた。

    「12月20日死者遺族会」、「エル・チョリージョ殉教地区連絡会議」など14市民団体はこの日、声明を発表した。次のような内容だ。

一つ、22年前の米軍侵攻で数千人が死んだ。人民大衆層、民族主義者、チョリジェロス(パナマ市内エル・チョリージョ地区の住民)だった。みな戦って死んだ。パナマ人富裕層は一人も死ななかった。

一つ、犠牲者は、ノリエガ将軍のためでなく、祖国と自由のために戦って死んだ。

一つ、我々は爆撃され虐殺された。米軍は、反植民地・民族主義を破壊するため侵攻した。爆撃がもたらした悲惨さと、米国に従属する政府を毎日見ているが故に、22年前のこの日を毎日思い出している。

一つ、我々は、この日を「国喪の日」に制定するよう従来どおり要求する。学校教育で、この史実を正しく教えるよう要求する。独立した委員会を設け、死者・行方不明者を正確に特定し公表して、最終的に犠牲者全員について明らかにすることを要求する。

一つ、国家に、侵略を糾弾し、人道犯罪を犯した米軍が裁かれ罰せられるようにするのを要求する。さらに、米国に賠償させるようにすることを要求する。

 遺族らは、墓場に参り、エル・チョリージョ地区など、米軍侵攻の地を巡回した。

 米軍は、ステルス戦闘機を初めてパナマ侵攻で出撃実験し、後に湾岸戦争などで実戦使用した。また巨大爆弾も実験爆撃に用いたとされる。その爆弾を米軍は後に、アフガニスタンやイラクの戦争で使用したという。

 グアテマラ人ノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチューらの調査では、米軍侵攻で最大8000人のパナマ人が殺害された。

 マルティネリ・パナマ現政権は、22年前の侵攻に全く触れようとしない。

第42回メルコスール首脳会議

▼★▼★▼「南部共同市場」(メルコスール)首脳会議が、ウルグアイの首都モンテビデオで12月20日開かれた。同国およびアルゼンチン、ブラジル、パラグアイの加盟4カ国大統領と、加盟手続き中のベネズエラおよび、加盟申請したエクアドールの両国大統領も出席した。

    中心議題は、ベネズエラの加盟問題だった。新規加盟には、原加盟国の国会による批准が不可欠だが、同国のウーゴ・チャベス大統領を毛嫌いするパラグアイ野党コロラード党が上院で多数派を形成し、批准を阻み続けている。ベネズエラは06年に加盟申請し、3加盟国の批准は得ているが、パラグアイ国会野党に妨害されているため、加盟できないでいる。

    コロラード党は、かつてのストロエスネル長期独裁政権を支えた右翼・保守政党で、大地主、大企業など富裕層が執行部を握っている。

    首脳会議議長のホセ・ムヒーカ大統領(ウルグアイ)は、ベネズエラの早期加盟に道を開こうと「加盟条件の簡素化」を提案した。クリスティーナ・フェルナンデス亜国大統領は賛成した。

    だが、ブラジル高官が、簡素化を決めたところで、各加盟国の国会が承認しないと発効せず、批准と同じ問題が起きると指摘し、頓挫した。

   フェルナンド・ルーゴ大統領(パラグアイ)は、ベネズエラ加盟に賛意を表しながらも、自国の制度(国会批准)を尊重したいと、言わざるを得なかった。もしムヒーカ案に同調すれば、国会から弾劾され罷免される公算が大きくなるからだ。

   結局、首脳たちは、各国大統領が任命する「高級特別委員会」を設置し、解決策を練ることになった。チャベスは、「ある国の少数者が一国の加盟を阻止するなど前例がない」と不満をあらわにしながらも、「いずれは加盟する」と言うに留めた。

   一方、エクアドールのラファエル・コレア大統領は、正式に加盟申請をした。コレアは他の首脳たちとともに、加盟国が民主体制を護持すべきことを謳う「モンテビデオ議定書」に署名した。

   首脳会議は、アルゼンチン沖の英植民地フォークランド諸島(亜国名マルビーナス諸島)の旗を掲げた船舶のメルコスール域内の港への入港を禁止することを決めた。亜国は、同諸島の領有権を主張しており、1982年4~6月、当時の軍政が戦争を仕掛け、一時的に諸島を占領したが、英国に敗れた。

       首脳会議はまた、パレスティナ国家と自由貿易協定に調印した。

   首脳会議の半年交代の輪番制議長は、ムヒーカからフェルナンデスに移った。新任期はマルビーナス戦争30周年の時期と重なるため、フェルナンデスが諸島問題を際立たせることが予想される。諸島はウルグアイ、チリと航路を結んできたが、今後はチリだけとなる。

   首脳会議のさなか、亜国代表団の一員だったイバン・ヘイン経済省通商次官がホテルの自室で首つり遺体で発見され、大騒ぎになった。捜査と解剖の結果、ウルグアイ司法当局は、本人に自殺を図る理由はなかったとし、裸体だったこともあり、性的行為のさなかに事故死した可能性を指摘している。

   メルコスールがベネズエラの加盟を望むのは、同国の潤沢な原油と天然ガスなど資源が長期的に重要であることと、同国の港を通じてメルコスールがカリブ海に出口を確保することになるからだ。

         ベネズエラにとっては、加盟すれば<影響力>が南米の深奥部にまで及ぶことになる。また広域経済基盤としても重要だ。チャベスはALBA(米州ボリバリアーナ同盟)と、「ペトロカリーベ」の盟主だが、いずれも加盟国は経済的には弱小国ばかりで、ベネズエラの<持ち出し>で運営されている。伯亜両国が主導するメルコスールならば、<互いに認め合う仲>でやっていける。

   さらにチャベスは加盟によって、伯亜両国、とりわけBRICSを組む新興大国ブラジルと一層接近することになり、米国と対立するチャベスは強力な後ろ盾を得ることになる。
   またエクアドールが加盟すれば、地続きではないにせよ、太平洋に出口をもつことになる。

   南米太平洋岸のチリ、ペルー、コロンビアはメキシコとともに、アジア太平洋圏への通商進出を拡大させるための「太平洋同盟」を組んでいる。メルコスールはエクアドールを加盟国に加えることによって、新自由主義を採るこの「同盟」に地政学的な楔を打ち込むことになる。

(2011年12月21日 伊高浩昭執筆)

2011年12月20日火曜日

金正日総書記死去-ラ米の反応

▼▼▼▼▼朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記・国防委員長が12月17日死去した---と19日発表された。以下は、ラ米諸国の反応である。

    ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は19日、外務省声明を通じて、「ベネズエラの人民と国家を代表して、衷心より哀悼の意をささげる。繁栄と平和に向けて独自の未来を導く北朝鮮人民の能力を信頼する」と述べた。

          ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領は19日、夫人のロサリオ・ムリージョ政府コミュニケーション・市民権理事会議長を通じて、「朝鮮兄弟人民に謹んで哀悼の意を表す。朝鮮人民が、全家族のために平和と繁栄を構築しようと進めている現在の過程が継続されるのを祈る」と述べ、社会主義過程継続への期待を表明した。両国は2007年に国交を樹立した。

         キューバ国家評議会は19日、死去した総書記のために20日から3日間、公式な喪に服すと発表した。22日までの72時間、国家施設のキューバ国旗は半旗となった。

   ラウール・カストロ国家評議会議長は22日、ハバナの北朝鮮大使館を訪れ、追悼帳に記帳し、同国大使に、キューバ共産党・政府・人民を代表し衷心より弔意を表す、と伝えた。ブルーノ・ロドリゲス外相も同行し、記帳した。

   当初はキューバの共産党機関紙グランマと労連機関紙トラバハドーレスは19日、総書記死去に関する事実関係だけを簡単に報じただけだった。玖朝両国は1960年8月29日、国交を樹立した。1986年、当時のフィデル・カストロ国家評議会議長が訪朝した。北朝鮮からは2010年11月、李英ほ(イ・ヨンホ、「ホ」は金偏に高)軍参謀総長が訪玖し、ラウール・カストロ議長と会談している。現在の両国関係は、保健、教育、スポーツ、農業、石油、生物工学などの協力が中心で、「良好」とされている。

        チリ共産党は19日、総書記の遺族に弔電を打った。これに対し、チリのロドリゴ・ヒンスペテル内相は、独裁政権に連帯するとは重大な無定見だ、と非難した。同党のウーゴ・グティエレス下院議員は、一人の人間の死を悼んでいるのに違和感を持たれるのがわからない、と反駁した。

        エクアドールは21日、レーニン・モレーノ副大統領が、金正恩氏に弔電を送った、と発表した。      

   一方、国連総会は、総書記死去発表後の19日、北朝鮮の人権状況を非難する決議案を賛成123、反対16、棄権51で可決した。キューバ、ベネズエラは反対、ニカラグア、エクアドールは棄権した。

   キューバの評論家ホルヘ・ゴメスは20日、「北朝鮮の継承」と題した論評を発表した。そのなかで、「北朝鮮の矛盾は、王国でなく共和国なのに、指導者の世襲が行なわれてきたことだ」と指摘している。

        またハバナからの報道によると、「キューバ人権・国民和解委員会」(非合法NGO)のエリサルド・サンチェス代表(著名な反体制派)は20日、「カストロ兄弟は北朝鮮の金一族の世襲のような誘惑にかられているようだが、キューバで世襲が実現する可能性はない」と述べた。

   キューバ政権は兄フィデルから弟ラウールに08年2月正式に引き継がれたが、キューバ政府は、兄弟は1953年のモンカダ兵営襲撃以来の同世代の革命の同志であり、政権継承は「世襲」ではない、との立場を貫いている。

   ラウールは59年の革命後一貫してフィデルを支えていた序列2位の実力者だった。第1副議長から議長への昇進は順当な人事、と内外で受け止められている。

2011年12月19日月曜日

皆既月食に思う

★☆★☆★☆★12月10日はアルゼンチン大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(CFK)の2期目の就任式の日だった。そのさなか、夜の日本では、久々の皆既月食が観られた。

    この日夕、講座を終えた私は、ブラジルに武者修行に行く若い友人のための小さな送別宴を池袋界隈のヴィエトゥナム料理屋で開いた。それから1週間経って、その友人がサンパウロから「無事着きました」と知らせてきた。そして「皆既月食は観ましたか」と訊く。

    そこで急遽、この小文を書くことにした。私は23時過ぎから24時過ぎまで1時間にわたって夜空を仰ぎつづけた。月が闇に消え、薄赤く丸い球体がしばらくの間浮かび上がり、やがて月が戻ってくるまでを、首を何度もマッサージしながら観つづけた。

    月は消えている間も、巨大なオリオン座を下方に従えていた。人類が永遠に到達できない大星座が、不思議にも月が隠れている間中、その赤月よりも近く見えた。

    私は1970年の3月だったか、メキシコ・オアハカ州太平洋岸のプエルト・エスコンディードという漁村で、皆既日食を取材した。わずか3分間の天体劇だった。暗くなるにつれて、そよ風が吹き始めた。「ピンポール現象」と呼ばれるそうだが、木の葉の影がみな三日月のように、えぐれてそって見えた。恋人たちは、束の間の暗闇で接吻しつづけていた。

    日本から来ていた天文学者たちのチームは、「この3分間に酔ったら、すべてを失います。心を鬼にして観察に集中します」と言っていた。

    私は、アカプルコから海岸沿いを車で何時間も飛ばして漁村に着き、皆既日食を観終えるや、直ちにアカプルコに引き返し、東京に原稿を送った。当時、漁村や途中の村々に電話はなかったのだ。橋のない川を筏で渡る難所で難渋しながらも、なんとか記事を送ることができた。

    星座といえば、日本で観た最高の星座は、学生時代に尾瀬沼を歩いた日の夜の星座だった。流れ星が降りつづけた。だが、国外で観た最高の星座は、ボリビア・サンタクルス州ラ・イゲーラ村の丘で仰いだ夜空だった。アンデス山中の標高2000m余の寒村に電気はなかった。夜は闇そのもので、大空を360度埋め尽くした星座と月が競って輝き合い、<喧騒>さえ感じたほどだ。人生最高の星座だった。

    この無限の★の群れをチェ・ゲバラと部下たちも必ずや観たに違いない、と確信した。チェは、この村の小さな学校の棟の中で、1967年10月9日処刑されたのだった。

    皆既月食の話が脱線した。この小文のジャンル=ラベルは、書くきっかけがブラジルに去った友人だったから、「ブラジル」にする。

(2011年12月19日 伊高浩昭執筆)

バルセローナ・サントス二都物語

★☆★横浜でのサッカークラブ世界一決定戦(12月18日)をテレビ観戦した。バルセローナがサントスを4対0で奈落の底に突き落とした。バルサの勝利に意外性はない。だが、サントスに、「もしかしたら」を演じてほしい気もしていた。

    最大の見どころは、バルセローナの流麗なパス回しだった。去年の南アW杯大会で優勝したスペインチームが見せたあのサッカーだ。だがこのサントス戦での流麗さは、残酷なほどだった。

    バルセローナは、フランコ独裁時代「ピレネー山脈の南からアフリカは始まる」とスペインが馬鹿にされていたころ、地中海の文明の波が洗う、欧州に通じる入口だった。私が最初にこのカタルーニャの都を訪れたのは、独裁末期だった。その後、1982年のサッカーW杯スペイン大会、92年のバルセローナ五輪、スペイン内戦の傷跡取材などで何度も訪れた。

    サントスは、日本人ブラジル移住者の上陸港だった。その80周年祭を1988年に現地から報道した。昔も今もコーヒーの輸出港だが、今では鉱工業産品、食品などの輸出品の方が多い。クラブサントスには、あの王様ペレーがいた。(日本式に「ぺ」を強く「ペレ」と発音すると、ポルトガル語で「皮膚」の意味になる。ペレーと「レ」を強く発音してほしいものだ。) 全盛期のペレーにグアダラハーラ(メキシコ)でインタビューし、後年リオデジャネイロで再び取材した。

    試合を見ながら、私の脳裏ではサッカーと両市の思い出が錯綜していた。そして、「スポーツのわからない外信(国際報道)記者は駄目だ。国際情勢がわからない運動記者も駄目だ」と、先輩から教えられたことを思い出した。私は、外信記者だった。

    幸いにも、メキシコ五輪(68年)とバルセローナ五輪、サッカーW杯はメキシコ大会(70年)とスペイン大会を取材した。W杯コロンビア大会(86年)も取材することになっていたが、コロンビアが財政と治安の事情で開催地を返上し、メキシコに代わったことから取材し損なった。

    サッカーの大試合を観るたびに、ノスタルヒアにかられてしまう。人生の過去が深く、未来が浅いのがわかっているからだ。

2011年12月18日日曜日

駐日ペルー大使が熱弁

★☆★フアン・カプニャイ駐日ペルー大使(63)が12月17日午後、立教大学ラテンアメリカ研究所主催の講演会で、質疑応答を含め3時間にわたりペルーを説き、対日関係を語った。静かなたたずまいを保ちながらの熱弁だった。池袋キャンパス「マキムホール」の大教室は満員となった。

    「ペルー情勢と展望-21世紀の秘日関係」と題した講演は1時間20分に及び、ペルーの資源の豊かさ、高度経済成長、マクロ経済の安定、投資環境の良さ、広域貿易態勢の確立、ウマーラ現政権の社会政策など「現代ペルー」 をまず語った。過去20年間の市場開放政策による恐るべき経済と開発の拡大が、統計の数字とともに説明された。

    対日関係では、ペルーに日系人が20万人おり、日本にもペルー人が定住していることなどを挙げて、「秘日両国は太平洋によって隔てられているが、一つの大きな家族だ」と強調した。

    日本の考古学者たちがペルーで発掘を始めてから2008年で50周年を迎えたことに触れ、
その業績を讃えた。

    進行役の伊高(ラ米研「現代ラ米情勢」担当講師)との対談では、12月3日生まれたばかりの「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC=セラック)について、リオグルー(GRIO=グリオ)やラ米・カリブ首脳会議(CALC=カルク)の延長線上にあると指摘。政治・人権・民主などの問題を話し合う協議機関ではあるが、経済政策が加盟国によって異なるため全球化(グロバリサシオン)問題は議題にならない、と明言した。

    ペルーとしては、チリ、コロンビア、メキシコと組んでいる「太平洋同盟」(アリアンサ・デル・パシフィコ)と、アジア太平洋圏に対する全球化や市場開放について共同戦略を練っていく方針であることを示唆した。

    CELACと、米州諸国機構(OEA=オエア、英語ではOAS=オウエイエス)との関係については、「CELACはOEAの代替機構にはならない」と確言した。また「ラ米・カリブ(LAC=ラック)にとってOEAは大国(米国)との唯一の対話機構として重要だ」と前置きし、「LACは、CELACで協議した議題をOEAに持ち込むことができる」と述べた。

    オバマ米政権は今年3月、「太平洋沿岸パートナーシップ協定」をラ米太平洋岸諸国に呼びかけた。この米国の政策と「太平洋同盟」との関係について、大使は、「北米自由貿易協定(TLCAN=テエレカン、英語ではNAFTA=ナフタ)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、対米2国間自由貿易協定(TLC=テエレセ)など対米協議の場は他にある」とし、「太平洋同盟」は加盟諸国が連携してAPEC地域に進出していくための機関であるとの認識を示した。

    大使は、このほか「太平洋孤(アルコ・デル・パシフィコ)」があり、これにはエクアドール、中米諸国も加盟している」と述べた。「太平洋孤」は環太平洋経済圏との経済交流強化のためのフォーラムで、「太平洋同盟」4カ国、エクアドール、中米6カ国の計11カ国が参加している。

    「高度経済成長でペルー人の認同(イデンティダー=アイデンティティー)が変容することはないか」との質問には、「ペルー人は先住民族、アジア人、欧州人、アフリカ人らが混ざり合った民族であり、その認同は変わらない」と強調し、「経済向上でむしろ誇りが増すだろう」と付言した。

    昨今のカハマルカ州内での金山開発をめぐる地元自治体・住民と政府との反目など、開発に伴う軋轢(あつれき)については、「こうした問題は話し合いによって克服でき、克服すれば、かえって基盤が賢固になっていく」と語った。

    会場を埋め尽くした受講者たちからは約50の質問が寄せられた。大使は一時間にわたって丁寧に答えたが、18時過ぎに時間切れとなった。大使と、通訳を務めた大使秘書の田中由子さんは大きな拍手に送られて、会場を後にした。カプニャイ大使は来年2月初め、任務を終えて帰国する予定。

2011年12月16日金曜日

冬のタンゴ

★☆★モンテビデオ生まれの「ラ・クンパルシータ」、ブエノスアイレス生まれの「カミニート」から、破調アストル・ピアソーラの「リベルタンゴ」まで18曲を並べて、冬、演奏する。だから「冬のタンゴ」だ。しゃれている。欧州(コンティネンタル)タンゴの「薔薇のタンゴ」や「夜のタンゴ」を連想させる。

     若い亜国人レオナルド・ブラボは、ギターの名手。バンドネオン早川純、ヴァイオリン喜多直毅、コントラバス田中伸司と2010年にクアルテートを組んだ。若い躍動的な演奏家ばかりで、疲れが見えない。12月16日夜、東池袋で聴いた。なかなか良かった。

     伝統的なタンゴの「4つの心」は、バンドネオン、ヴァイオリン、コントラバス、そしてピアノだ。だがブラボのクアルテートは、ピアノの地位をギターが占める。ここに味がある。昔、タンゴ王カルロス・ガルデルはしばしば、ギターの伴奏だけで歌っていた。その映像を思い出した。

             これが、セステート(6重奏)となると、オルケスタ・ティピカ(標準編成の楽団)の半分の規模になるから、迫力も増す。 ブラボのギターは言わばピアノ役で、主旋律を弾くから、ピアノが入ると、主導権争いが起きる。しかし、ブラボのギターと誰かのピアノが共演ないし競演するセステートを聴いてみたいものだ。

     テノールの中鉢聡(ちゅうばち・さとし)は「カミニート(小径)」、「エル・ディア・ケ・メ・キエラ(思いの届く日)」など4曲を歌った。カンツォーネ流だが、楽器の音量を上回る声量で歌うには、日本ではオペラ歌手の登場を願うのが手っ取り早い。伊達男姿で流し歌い、タンゴ歌手の雰囲気がよく出ていた。


     つのだたかし(リュート演奏家)が進行役を務め、ギターも弾いた。タンゴ好きの漫画家高井研一郎が幕間に登場した。

     今年のタンゴの生の聴き納めになりそうだ。いや、もう一回、機会があったはずだ。

2011年12月15日木曜日

フアン・カプニャイ駐日ペルー大使講演会

★☆★☆★既報のとおり、カプニャイ大使の講演と質疑応答の会合を12月17日(土)に催します。
立教大学ラテンアメリカ研究所主催で、同研究所の伊高浩昭担当「現代ラ米情勢」講座の本年最終講座を兼ねます。無料公開講座で、事前の申し込みは不要です。

  ▼場所   立教大学池袋キャンパス「マキムホール」M302教室
  ▼時間   17日1500~1800
  ▼内容   大使講演、司会伊高との対談、大使と聴衆との質疑応答
  ▼演題   ペルー情勢と展望--21世紀の秘日関係
  ▼資料   当日、会場入り口で配布
  ▼連絡先  ラ米研電話03-3985-2578

   カプニャイ大使は書記官、公使、大使として計3度、日本に駐在してきたペルー外務省きっての知日派です。国連、米州諸国機構(OEA・OAS)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)など、国際機関での外交経験も豊かです。誕生間もない「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC=セラック)の話も出るでしょう。

        ペルーの映像や「アンデス音楽」も流れます。

   どうぞ、お出かけください。

   2011年12月16日  伊高浩昭

2011年12月14日水曜日

CELACの源流はハイチに

☆★☆★☆12月3日カラカスで、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)が創設されたが、その設立を決めた歴史的文書「カラカス宣言」 には、ハイチに関する一項が含まれている。重要であるうえ興味深いため、ここに紹介したい。

    「LAC(ラック=ラ米・カリブ)の解放者たちが200年以上前に辿った道は際立っているが、それは、トゥサン・ルヴェルチュールがLAC域内最初の独立国ハイチを1804年に誕生させるために切り開いた道である」

    「我々は同様に、アレクサンドル・ペチオン大統領が率いたハイチ共和国がシモン・ボリーバルに、今日LACとして知られる地域を独立させるため支援した史実を思い出す」

    「ペチオン大統領はかくして、LAC地域人民が連帯し統合するための基礎を築いた」

         ×                     ×                    ×

    ハイチは世界初の黒人独立国にしてLAC最初の独立国だが、「米州の最貧国」、「世界の最貧国の一つ」、「失敗国家」などと呼ばれて、さげすまれている。

    だが、カラカス宣言の文言は、ハイチが果たした歴史的役割を過不足なく指摘している。CELAC創設を主導したベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスは、崇拝する自国の英雄ボリーバルを通じて自分自身が「間接的にハイチに世話になった」という捉え方さえしている。

    この点のチャベスの史観は的確だ。

    「カラカス宣言」採択の場にいたハイチのミシェル・マルテリ大統領は、自国建国の父たちを讃える一項に、さぞかし誇らしい気持になったことだろう。

 【カナダのモントリオールに住むハイチ人作家ダニー・ラフェリエールの『帰還の謎』(2009年)、『ハイチ地震日記』(2011年)の訳書が今年9月末に藤原書店から刊行された。両書とも面白い。女流のエドゥウッジ・ダンティカと併せて、広く読まれることを願いたい。】

(2011年12月14日 伊高浩昭執筆)

2011年12月13日火曜日

政治囚釈放をキューバに求める

▼▽▼ホンジュラスのオスカル=アンデレス・ロドリゲス=マドゥリアガ枢機卿は12月13日ローマで、記者団に対し、ローマ法王ベネディクト16世の来年のキューバ訪問前に、キューバ政府が政治囚を釈放するのが望ましい、との考えを示した。

     法王は12日、来年4月初めの聖週間の前にメキシコとキューバを訪問する、と正式に表明した。墨玖両国訪問は3月になると見られている。

     キューバの政治囚は2010年以降、約130人が釈放され、これが法王の来訪を促す結果となったが、さらに釈放を求めたわけだ。ロドリゲス=マドゥリアガ枢機卿は、将来の法王候補とも目される有力な人物で、法王の意向を代弁してるのは疑いない。

     キューバの政治囚は、50人前後とされるが、キューバ政府は「一般犯罪人」という捉え方をしているため、正確な人数はわからない。

     ラテンアメリカは、世界12億人のローマカトリック信者の40%がいる、最大の信者の塊である。法王にとり両国訪問は、07年のブラジルに次ぎ2度目のラ米訪問となる。

     故ヨハネ=パウロ2世前法王は1998年キューバを訪問し、フィデル・カストロ議長(当時)と歴史的な対話をした。来年の法王訪問は、2度目のキューバ訪問となる。

(2011年12月13日 伊高浩昭執筆)

オバマがアルゼンチンに債務返済を求める

▽▼▽アルゼンチン(亜国)のラ・ナシオン紙は12月12日、バラク・オバマ米大統領への書面インタビューの回答を掲載した。クリスティーナ・フェルナンデス亜政権が10日、2期目に入ったのを機に、このインタビューが行なわれた。

     オバマは亜国の対外累積債務の返済問題について、「亜国が(今世紀初めの債務返済停止以来、返済が滞っている)債務を返済すれば、外資導入に関心があるとの意思を世界に強く示すことになる。債権者への責任を果たすことは、亜米両国の利益になる」と述べた。

     さらに、G20首脳会議が開かれていた仏カンヌで11月4日、オバマの希望で開かれた米亜首脳会談で、「亜国が国際金融・投資界との関係を正常化することの重要性について話し合った。私は、亜国が未返済債務全額を返済するための具体策を講じるよう促した」と明らかにした。

     両国関係については、「フェルナンデス大統領の第2期政権下で強化されると思う。カンヌで、いかなる相違があっても両国関係は損なわれない、ということで一致した。亜国を将来訪問したい」と語った。

(2011年12月」13日 伊高浩昭執筆)

2011年12月12日月曜日

ノリエガ将軍、孤愁の帰国

▽▼▽▼▽パナマのかつての最高権力者マヌエル・ノリエガ元将軍(77)が12月11日、囚人として帰国した。1989年12月の米軍による大規模侵攻で政権をつぶされ、亡命したはずのバティカン大使館から90年1月追い出されて米軍につかまり、そのまま身柄をマイアミに護送されてからほぼ22年経つ。

    元将軍はこの日パリの刑務所を出てマドリードに護送され、そこからイベリア航空機でパナマ市郊外のトクメン空港に着いた。パナマ政府は、1983年に比国の政治家ベニグノ・アキーノ氏がマニラ空港で航空機から降りたとたんに銃撃され暗殺された事件を念頭に置いて、警備態勢を敷いたという。地元紙は、ノリエガが車椅子で空港の建物内を移動する姿をとらえた写真を掲載した。

   ノリエガは、空港からはヘリコプターでパナマ運河地帯の熱帯雨林に隣接する「エル・レナセール」刑務所に収監された。「レナセール」は「生まれ変わる」、「再生」を意味する。

    独房は面積12平方mで、窓が2つある。この国では、70歳を超える服役囚は自宅軟禁の恩恵にあずかることができるという決まりがある。法廷が今後、その判断をするという。

    高齢のノリエガは、歩行が困難なうえ、さまざまな病気を抱えているという。麻薬取引罪によりマイアミで禁錮20年の刑に服した後、資金洗浄罪で20か月仏刑務所にいたが、パリの法廷で、「遺恨も怨念もなく帰国したい」と、心情を再三吐露していた。

    だがパナマでは、政敵ウーゴ・スパダフォラ氏暗殺事件(1985年)など3件の重罪で、禁錮計60年という重刑を課せられる可能性がある。常識では20年だが、それでも全うすれば97歳になってしまう。

    元将軍は、パナマ運河返還の英雄、故オマール・トリホス将軍の下で力を蓄えつつ、同将軍がクーデターで実権を握った1968年から86年までCIAの重要な諜報員だった。トリホス将軍が81年にヘリコプターで飛行中、爆殺された事件の真相を知っているはずだ。

    米政府の握るパナマ、トリホス、中米、麻薬、ゲリラ、金融、運河などをめぐる情報を共有する立場にあった。ノリエガは言わば、米政府にとっては<知りすぎた男>だった。

    元将軍と、傀儡政権を樹立するため<民主化>したがっていたブッシュ父親政権の関係は険悪になり、ブッシュは、ベルリンの壁崩壊間もない89年12月軍事侵略し、ノリエガ体制を一挙に叩き潰した。

    グアテマラ人ノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチューらの調査では、米軍侵攻で低所得者居住地域チョリージョ地区の住民を中心に最高8000人のパナマ市民が空爆などで殺害されたとされる。

    別途裁かれるべきは、弱小国の主権を何とも思わない米軍による侵略、無差別殺傷、最高指導者の身柄奪取であろう。米空軍はステルス戦闘機をパナマで初めて<実戦実験>し、1991年の湾岸戦争でイラク攻撃に同機を使った。

    米国を罰する者がいないため、米国は好き勝手な振る舞いをする。ローマ法王庁も、米政府の圧力に屈して、逃げ込んだノリエガを引き渡してしまった。ノリエガは米軍によって<神>からも引き裂かれたのだった。

(2011年12月12日 伊高浩昭執筆)

 【1989年末の米軍パナマ侵攻やブッシュ父親大統領がなぜ暴挙に出たかなどは、月刊誌「LATINA」2010年2月号掲載の拙稿「忘却を強制され、依然わからぬ死者数」を参照されたい。】

2011年12月11日日曜日

ドキュメンタリー映画『ビーバ・メヒコ』

☆★☆★☆メキシコ南東端のチアパス州「ラカンドンの森」を拠点とする「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」のマルコス副司令官は、2006年前半に同州からメキシコ北西端のバハカリフォリニア州ティフアーナ市の米国国境まで車列を組んで旅をし、地元民と対話しつつ遊説する「オトゥラ・カンパーニャ(もう一つの運動)」を展開した。

   その映像を基に09年、この映画ができた。監督は02年からメキシコに住みついているフランス人ニコラス・デフォセー。長さは120分。私は、このドキュメンタリー映画をきょう(12月11日)観た。

   冒頭に、ロサンジェルスの下町でかき氷を売るメキシコ人出稼ぎ労働者の男性が登場する。同様の立場の物売りは、警官に見つかり、商品をごみかごに捨てられ、小さな手押し車を押収される。

   場面は、チアパス州内のEZLN拠点に移る。大勢の支持者に見送られて、マルコス一行が出発する。キンタナロー州の世界的観光地カンクンでは、内外の資産家に海岸地帯の土地を買い占められ、生活権を脅かされている貧しい一家が登場する。一行は、ユカタン州のマヤ遺跡を経て、オアハカ州に移動する。

   風力発電の、あの巨大なプロペラが林立する光景を前に、農民が「あの装置を建設するのに使われた大量のセメントが地中を侵している。いつ自分の土地に汚染が拡がってくるのか、心配でならない」と訴える。

   ナヤリー州では、伝統的な漁港が観光港に改造される工事が進んでいる。豊かなマングローブが海岸に茂っているが、工事が進めば破壊されてしまうかもしれない。抗議闘争を続ける住民組織に、マルコスはチアパス州で作った玉蜀黍を贈る。

   コリーマ州の農民は、場違いな大型の観光ホテルが建って景観が破壊されたのを嘆き、観光客が大挙して訪れる事態を思い描き、生活の場が変遷を余儀なくされるのを憂える。

   ミチョアカン州では、マルコスは先住民に、労働者、農民、青年、教師らさまざまな人民との団結を訴える。老婆は、「地元の人でないのに支援してくれる。家族のような気がする」と、マルコスを讃える。

   ゲレロ州を訪ねてから、首都メキシコ市周辺のメキシコ州に行く。メキシコ国際空港に隣接する同州テスココの近郊には、サンサルバド-ル・アテンコ市がある。政府と州は、同市郊外の広大な農地に新国際空港を建設する準備をしていた。住民は団結して、反対闘争を続けている。

   闘争する男たちは、農作業に使うマチェテ(山刀)を高く掲げて、闘う決意を強く表す。

   マルコス一行はメキシコ市に到達し、目抜きのパセオ・デ・ラ・レフォルマ(レフォルマの散歩道)から、中心街の憲法広場(ソカロ)まで行進する。アテンコ住民も参加した。

   アラメーダ中央公園のベニート・フアレス廟前では、同性愛者や性転換者らとの集会が開かれ、マルコスはあらゆる差別への反対を唱える。彼らと一緒に、メルセーの生鮮食料品市場に移動し、働く人々と会合する。

   そんな時、テスココでは、花などを売る街頭労働者たちが警官隊に販売を阻止され、逮捕されてしまう。近隣のアテンコへの挑発だった。一帯に緊張が走る。逮捕者解放を求める激しい戦いが始まる。政府は、軍隊を投入して弾圧する。

   マルコスは旅程を中断してアテンコ支援に回り、道路封鎖を呼び掛ける。警官隊が出動し、激しく弾圧して、109人を逮捕する。マルコスはアテンコで抗議行進に参加する。

   場面は転じて、ティフアーナの国境の壁になる。マルコスは壁越しに米カルフォルニア州を見渡す。(その視点の彼方に、同胞が生活をかけて苦闘するロサンジェルスがあることを想像するのは容易だ。)

   映画はここで終わる。政府はその後、アテンコでの空港建設を断念した。

   マルコスが「もう一つの運動」を展開したのは、06年7月実施のメキシコ大統領選挙に向けて繰り広げられていた主要3党の大々的な選挙運動に、<真剣なパロディー>で対抗し、弱肉強食の新自由主義が猛威をふるう実態と既存政党・支配層の利己主義や堕落や暴くためだった。

   この選挙では不正が行われ、カルデロン現政権が生まれた。来年(12年)7月1日の次期大統領選挙では、06年に勝利を奪われたアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)が再び出馬し、政権に挑戦する。

   この映画の題名「ビーバ・メヒコ(メキシコ万歳)」は、セルゲイ・エイゼンステイン監督(1898~1948)の同名の映画を連想させる。エイゼンステインは、メキシコ革命13年後の1930年12月から32年1月までの1年余りメキシコに滞在し、膨大な映像をフィルムに収めた。そのほんの一部が1950年から79年にかけて「メキシコ万歳」として公開された。

   デフォセーにとっては、ドキュメンタリーが綴る生々しい現実こそが、今様の「メキシコ万歳」なのだろう。

(2011年12月11日 伊高浩昭執筆)

CFKアルゼンチン大統領2期目に入る

☆★☆アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル大統領(CFK、58)が12月10日、連続2期目の任期(4年)に入った。

  国会下院での就任式では慣例を破り、娘のフロレンシアから大統領肩章を懸けてもらった。「神、祖国、そして彼に誓う」と宣誓した。「彼」とは、昨年10月急死した夫ネストル・キルチネル前大統領のことだ。これも異例の宣誓だった。

  就任演説でも、「喜びと人民の圧倒的支持はあっても、この日を迎えるのは容易ではなかった。何かが足りない、誰かがいない」と、夫であり前任者であり師であったキルチイネルを偲んだ。

  「彼の力で、人道犯罪無処罰を覆した。人権という世界共通の価値に関して今や指導的地位にあるこの国の大統領になって、誇りに思う」

  第1期政権が500万人の雇用を創出したとし、「建国200年で最大の経済成長期を迎えている」と強調した。対外累積債務の返済停止は「他国の問題だ」として、返済停止はしないとの立場を示唆した。

  「私は企業の大統領ではない。亜国人4000万人の大統領だ」ーここで最大の拍手がわいた。

  就任式には、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チリ、グアテマラ、ホンジュラスの7カ国の大統領が顔をそろえた。

  大統領はカサ・ロサーダ(大統領政庁)バルコニーから演説したが、政庁前の「五月広場」を埋め尽くした大群衆は、ペロン将軍、エバ・ペロン夫人、キルチネル前大統領、チェ・ゲバラら故人の肖像を掲げていた。人道犯罪の最大最悪の責任者ホルヘ・ビデラ受刑囚(元軍政大統領)の、吊り下げられた人形も登場した。

     政敵であるブエノスアイレス市長マウリシオ・マクリはこの日、就任式を無視するかのように、市内をサイクリングした。

  欧州経済危機の波が大西洋を渡ってアルゼンチンにも押し寄せつつある。2期目の政権運営は1に経済、2に経済、3に経済となる、と観る向きが多い。

(2011年12月11日 伊高浩昭執筆)

 【CFK政権の第1期~第2期移行期の情勢分析については、月刊誌『LATINA』2011年12月号掲載の拙稿「経済を政治に従属させた夫婦(めおと)政権」を参照されたい。】

2011年12月10日土曜日

次期キューバ議長は英語の使い手

☆★☆キューバのラウール・カストロ国家評議会議長(80)が、「そう遠くない将来に現れる次の議長は英語を話す」という趣旨の発言をしていたことが9日わかった。

     ラウールはTTでの第4回カリコム・キューバ首脳会議の場で語ったとされ、「私の年齢では無理だが、次の議長は英語を話さなければならない」とも述べたという。

     これらの発言は、次期議長が若い世代から選ばれる可能性を示唆している。

     対米・対カリブ関係をはじめ、国際社会でキューバの立場を訴えていくためには、最高指導者が英語を流暢に話すことが不可欠だ、との認識もうかがえる。

     ラウールは2008年2月、兄フィデルから議長の座を正式に引き継いだ。任期は、2013年までの5年だが、全うすればラウールは82歳になる。フィデルは80歳直前の06年7月、重病で倒れ、政権を事実上ラウールに任せていた。ラウールは既に5年余り実権を行使してきた。

     共産党や政府の重要な職位は、同一人物は1期5年、2期まで、とされている。ラウールは2018年まで議長を務めることができるが、そうなれば87歳に達してしまう。

     2013年の議長交代が、にわかに有力になってきた。

     「英語を流暢に話す」のが条件となったため、古参革命家群はまとめて淘汰される。ある意味でラウールは、老人支配一掃のための便利な条件を編み出した、と言える。

(2011年12月10日 伊高浩昭執筆)

2011年12月9日金曜日

週刊金曜日誌がCELAC解説記事掲載

★☆★「ラ米・カリブ諸国共同体」が満を持して発足

    という題名の記事が12月9日(金)発行の「週刊金曜日」誌に掲載されました。私が書いたものです。この題は、同誌編集部がつけました。ご参照いただければ幸甚です。

    2012年12月9日 伊高浩昭

カリコム・キューバ首脳会議

▽▼▽カリコム(カリブ共同体・共同市場、1973年発足)とキューバの第4回首脳会議が、トゥリニダード・トバゴ(TT)の首都ポートオブスペインで12月8日開かれた。

    会議は1日だけで、各種の域内協力強化、CELAC創設称賛、米国の対玖経済封鎖廃棄要求などを謳った「ポートオブスペイン宣言」を採択して終了した。

    会議ではTTをはじめとするカリブ諸国が、同諸国の発言権をもっと認めるようCELACに訴えた。キューバは2013年の第3回CELAC首脳会議の開催国であり、カリブ諸国はラウールが何らかの手を打つことを期待している。

    この首脳会議は満9年前の2002年12月8日、キューバと、バルバドス、ガイアナ、ジャマイカ、TTとの国交樹立30周年を記念して創設された。ハバナでの同年の第1回会議に続き、06年バルバドスで第2回、08年サンティアゴデクーバで第3回会議がそれぞれ開かれた。

    米政府は、会議を妨害した。財務省在外資産統制事務所(OFAC)は、首脳陣の宿舎で会議の会場に予定されていたホテル「トゥリニダードヒルトン」から、ラウール・カストロ議長以下のキューバ代表団を締め出し、会場としての使用もキューバが出席するため拒否した。

    この決定は何と、ラウールらが7日ホテルに到着した際、伝えられたいう。明らかないやがらせだ。他の首脳たちや代表団は、同ホテル宿泊が認められた。ラウールらはカポックという別のホテルに投宿した。TT政府は首脳会議会場を急遽、国立舞台芸術学校に移した。

    会議は、米政府がヒルトンホテル使用を禁止する基になった経済封鎖第3国条項を「TT主権侵害」として糾弾する特別声明を発表した。

2011年12月8日木曜日

コスタ・リカ大統領講演会

▽▼▽国賓として12月6日来日したコスタ・リカ(CR)のラウラ・チンチージャ大統領は8日午後、東京・青山の国連大学で、「平和と持続的開発ーコスタ・リカの経験」と題し、20分間講演した。その後、40分間、質疑応答に臨んだ。

    講演では、1948年の憲法で軍隊を廃止し、今日まで常備軍がないことを強調した。予算の軍費分は教育、保健など、人民の福利に回してきたと説明した。

    エネルギー問題については、電力の95%は水力をはじめとする再生可能エネルギーを使って発電しており、2015年には100%にすると述べた。火山が多く地熱発電もでき、太陽熱、風力、波力もたっぷりあると付言した。

    二酸化炭素を吸収する熱帯雨林の保護に努めており、この点では世界の優良5カ国に含まれている、と自賛した。続けて、日本は人口過密国なのに、国土の60%を森林として維持している、と称賛した。

    深刻なのは「人間絡みの問題だ」として、麻薬密売と組織犯罪を挙げた。

    「冬の日本に熱気を届けに来た」と、この初来日を形容し、講演を締めくくった。

    質疑応答では、麻薬問題に触れて、CRが世界最大の麻薬消費国・米国と、コカイン生産地域・南米アンデス諸国の中間の中米に位置することを挙げ、CRにも問題が及んでいることを認めた。だが、国際協力も得て、手遅れにならないよう対処すると語った。

    かつてCRは「中米のスイス」と呼ばれたが、この呼び方は今も適切かとの私の質問に対しては、「中米には内戦があり、さまざまな問題があったが、CRの平和は比較的保たれてきた」として、呼び方が必ずしも不適切ではないとの認識を示唆した。

    大統領は10日、京都から帰国の途に就く。

(2011年12月8日 伊高浩昭執筆)

             ×                 ×               ×

 【今日は、日本軍が真珠湾を攻撃した日米開戦70周年記念日。日本軍のアジア・太平洋地域侵略の延長線上で、行きつくところに行き着いた真珠湾急襲だった。その結果、日本各地の空爆、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を経て、9月、公式に敗戦に至った。日本は占領され、沖縄は27年間、米国の支配下に置かれた。沖縄は日本復帰後も、米国の軍事植民地になっている。CR大統領が、軍備廃止の話をしていた時、私の脳裏は脱線して、日米開戦日の記憶が遠くなったとの、ある種の感慨でいっぱいになっていた。】

2011年12月6日火曜日

「トゥーストラ機構」首脳会議

▼▽▼メキシコ、中米7カ国、ドミニカ共和国(RD)、コロンビアの10カ国で構成する「トゥーストラ対話・協和機構」(旧プエブラ・パナマ計画=PPP)の第8回首脳会議が12月5日、メキシコのユカタン州都メリダ市で開かれた。域外からチリとペルーが招待され、チリ大統領が出席した。

    この機構は、メソアメリカ(中部アメリカ=メキシコ南東部から中米地峡に至るマヤ文化圏とその周辺一帯の地域)の開発を目的に2001年発足したPPPを拡大させたもので、カリブ海のRDも加盟している。メキシコからは、ユカタン、チアパス、プエブラなど南東部9州が参加している。

    会議は、自動車道、電力・電機通信網、情報網、保健などを整備する「メソアメリカ統合・開発計画」の進捗状況を検証した。また、域内の出入国管理、税関、保健管理を統一基準で実施するための「国際物流のためのメソアメリカ方式」が発表された。

    サンサルバドールで11月22日調印された「メキシコ・中米自由貿易唯一条約」の重要性を謳う宣言も発表された。

    政治協議では、民主制度強化、域内治安強化、移民問題などが話し合われた。加盟国およびチリは、「組織犯罪と麻薬取引に関する共同宣言」を発表した。

          域内には、トゥーストラ機構の開発政策に危惧を抱く先住民族や農民が数多い。チアパス州の「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」も、環境破壊と強者による搾取を必然的に招く開発主義に反対する立場からも、1994年元日に蜂起した。このような、機構の開発主義に反対する立場が首脳会議で取り上げられることはない。

(2011年12月6日 伊高浩昭執筆)

「太平洋同盟」首脳会議

★▽★▽メキシコのユカタン州都メリダ市で12月4日、第2回太平洋同盟首脳会議が開かれた。この同盟はことし4月28日リマでチリ、ペルー、コロンビア、メキシコの4カ国大統領が調印した「リマ宣言」で発足した。「親米・新自由主義経済路線」の同盟で、オバマ米政権は発足を歓迎した。

     同盟は、バラク・オバマ大統領が今年3月のブラジル、チリ、エル・サルバドール3国歴訪時に、チリで明確にした「太平洋岸パートナーシップ協定」構想に相呼応するものだ。

     ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が盟主のラ米左翼陣営の「米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)」や、ブラジルが盟主の中道左翼の「南部共同市場(メルコスール)」に対抗したいラ米新自由主義陣営の同盟だ。

     今首脳会議には、メキシコ、コロンビア、チリの3国大統領と、ペルー外相が出席した。ペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領はカハマルカ州内の問題などで動きがとれず、カラカスでの首脳会議に次いで、メリダ会議も欠席した。パナマのリカルド・マルティネリ大統領がオブザーバー出席した。

     3首脳と外相は「メリダ宣言」に調印した。来年6月サンティアゴで開かれる第3回首脳会議で、同盟を「財・役務・資本・人の自由移動地域とする条約」に調印することなどが盛り込まれた。

     4カ国の合計人口は2億人。ラ米GDP総額の34%を占める。来年の経済成長率は4・6%と予測されている。

     カラカスで3日、「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」が創設されたが、そのなかにはALBAあり、メルコスールあり、太平洋同盟ありで、生まれたばかりの「共同体」にさまざまな色彩を与えている。

(2011年12月5日 伊高浩昭)

2011年12月5日月曜日

ペルーで非常事態発動(後に解除)

▼▽▼ペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領は12月4日、北部のカハマルカ州内のカハマルカなど4地方に「安寧秩序が侵されたため憲政上の責任を果たす」として5日から60日間、非常事態を発動すると発表した。

    カハマルカなど4地方では、南米1の金生産企業ヤナコチャ社がコンガ金山から金と銅を採掘する「コンガ計画」を実施しようとしていた。

    これに反対する住民は「カハマルカ防衛戦線(FDC)」を結成し、11月23日から無期限の阻止活動を展開していた。住民は、水源である4か所の湖沼が採掘作業によって汚染され破壊されるとして、同計画に反対してきた。

    事態を重く見た政府は29日、サルモーン・レルネル首相を通じて、ヤナコチャ社に対し、計画を一時停止するよう要請した。同社も、これを受け入れた。首相は「愛国的決定だ」と強調し、「住民のための水源の安全性が確保されたら、会社は、それを維持する責任を担いつつ操業することができるようになる」と述べた。

    ヤナコチャ社には、ペルーのブエナベントゥーラ社、米国のニューモント、世銀の国際金融会社(IFC)が参加している。コンガ金山開発に48億ドルを投資し、19年間に金890万オンス(時価150億ドル)を採掘する計画だ。

    だが、計画そのものの廃棄を求める住民は、12月に入ってからも道路閉鎖、鉱山施設包囲など阻止活動を続けていた。

    ウマーラは、歴史的な「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)」を3日創設した、カラカスでの第3回ラ米・カリブ首脳会議への出席を取りやめたが、その理由の一つが「コンガ計画」をめぐる不穏な状況だった。

    「住民との対話が行き詰った」ためとする非常事態発動は、住民意思を尊重しながらも、その住民を含む「貧困層の生活向上には、鉱山開発による国庫収入が欠かせない」との大統領の判断に基づく。

    7月28日に就任したウマーラだが、既にさまざまな難題に取り巻かれている。

(2011年12月5日 伊高浩昭執筆)

          政府は12月16日、非常事態を解除した。地元は13日、無期限の阻止行動を打ち切っており、これを受けた措置。政府と地元は19日、話し合いを再開する。

   この間、サロモーン・レルネル首相が10日、対話失敗の責任を取る形で辞任した。オスカル・バルデス新首相が11日就任し、地元と折衝していた。

(12月17日追記)

2011年12月4日日曜日

ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体発足

★☆★★☆米州35カ国のうち米国とカナダの北米両国が入れないラ米・カリブ(LAC=ラック)地域33カ国がつくる「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラーックと発音)」が12月3日発足した。

   前日からカラカスで開かれていた第3回LAC首脳会議は3日、「カラカス宣言」などを採択し、CELAC設立にこぎつけた。

   LACは史上初めて、米国の加盟できない一大機構を自らのものにした。その意義は大きい。

   CELACは、米国とカナダが入り、キューバが復帰を拒否している既存の米州諸国機構(OEA=オエア、英語ではOAS)と今後併存することになる。米国がLAC支配の道具としてきたOEAと、誕生したばかりのCELACがどのような関係になるのか、現時点では判然としない。

   第3回LAC首脳会議は、議決方法を全会一致か、多数決かを決めることができなかった。当面は全会一致の合意方式で進み、来年チリで開かれる第2回CELAC首脳会議以降に決定は委ねられた。

   第3回LAC首脳会議は「カラカス宣言」をもって、第1回CELAC首脳会議に移行した。CELAC設立時の首脳会議の議長を務めたベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、シモン・ボリーバルの「大なる共通の祖国」の理想を具現化する第一歩となるCELAC設立の大役を果たした。

   CELACの初代議長(輪番制)には、次回開催国チリのセバスティアン・ピニェーラ大統領が就任した。第3回CELAC首脳会議は2013年キューバで、第4回は14年コスタ・リカで開かれる。

   米国務省は3日までの時点で、CELACを「米州の数ある多国間組織の一つ」と見なすことで、CELACを矮小化する発言をしている。

(2011年12月4日 伊高浩昭執筆、続報あり)

2011年12月3日土曜日

CELAC創設へ首脳会議

★☆★☆★ベネズエラの首都カラカスで12月2日、第3回ラ米・カリブ首脳会議(CALC=カルク)が開かれた。会議は3日、「カラカス宣言」を採択して、「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC=セラッーク)」を創設する。新機構には、米国とカナダのアングロサクソン系北米両国は入れない。

    ラ米・カリブ地域(LAC=ラック)とりわけラ米は独立200年期にあり、米国のLAC支配を宣言したモンロー宣言200周年(2023年)に向かう米国の<執念>と激しいせめぎ合いを続けている。その力学のなかから歴史的なCELACが生まれる。LACにとって、まさに画期的な出来事だ。

    この歴史的首脳会議にはLAC33カ国の全首脳が出席するはずだったが、ペルー、コスタ・リカ、エル・サルバドールの3カ国大統領は欠席し、代理を派遣した。米政府の分断工作が部分的に成功したと捉えることができる。

    開会演説をしたメキシコのフェリーペ・カルデロン大統領は、「CELACは新しい米州の種として生まれる。実りある永続的機関であれ」と述べた。

   今会議議長を務めるベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、「立場の違いを受け入れ尊重しつつ統合するのが重要だ。願わくは、北方諸政府(米加)がLACで起きていることを少しは注視せんことを」と述べたそして、CELAC設立過程で貢献のあった故ネストル・キルチネル前アルゼンチン大統領、フィデル・カストロ前キューバ議長、ルイス・ルーラ前ブラジル大統領を讃えた。

   第3回CELAC開催国に決まったキューバのラウール・カストロ議長は、「史上初めて<我らのアメリカ>の機構が生まれる」とホセ・マルティの思想を基に歴史的意義を強調した。また、グアンタナモ米海軍基地の存在をも念頭に置いて、「LAC域内から外国軍基地がいつの日か無くなることを」と訴えた。

   ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領は、「プエルト・リコがここにいない」と、米自治領(植民地)にされて113年経つプエルト・リコの不在を指摘した。

(2011年12月3日 伊高浩昭執筆)

イエズス会士虐殺事件で引渡要求へ

▼▽▼スペインの法廷は12月2日、同国政府に、サルバドール人軍人15人の身柄引き渡しを要求するよう、要請した。

    エル・サルバドール(ES)内戦中の1989年11月16日、同国首都サンサルバドール市内にある中米大学(UCA=ウカ)で、イグナシオ・エジャクリーア学長らスペイン人イエズス会士5人が虐殺された事件の容疑者として。

    法廷は今年5月30日、同15人を含む容疑者20人を起訴した。15人のうち、事件当時の国防相ラファエル・ラリオス退役将軍ら13人の引渡しはES政府に対して、他の2人は居住地米国の政府に対して要求する。

    この事件では、サルバドール人会士1人、同女性従業員ら2人も殺されている。内戦中の最も凄惨な事件の一つとして記憶されている。

           ×                 ×                ×

    私は1990年代に入ってから、UCAの事件現場を訪ねた。軍によって数十人単位で虐殺された農民らの遺体が投げ込まれた<集団墓>跡や、考古学者らによる白骨遺体の発掘現場を連日取材していた時のことだった。UCAの現場でも他の殺害現場跡でも、ただ首(こうべ)を垂れるしかなかった。

(2011年12月2日 伊高浩昭執筆)

2011年12月1日木曜日

チリ銅会社めぐり<三井・三菱対決>

▼▽▼チリでは1970年代初期、アジェンデ社会主義政権が銅山を国有化した。だが、同政権を倒したピノチェー軍政は、「シカゴ学派」の新自由主義経済政策をほぼ全面的に受け入れて広範な民営化を進め、多くの銅山が民営に戻された。今日、同産業はアジェンデ時代に生まれた国営銅公社(CODELCO=コデルコ)系と民間企業系に分かれている。

    英アングロアメリカン社(AA)は1978年の民営化時に、銅山や精銅工場を買収し、子会社アングロアメリカン・スール社(AAS)に経営させてきた。だがコデルコはAASの資本を最高49%まで買収する権利を持つという「過去の取り決め」に則り、2012年1月にその買収を実行する段取りを決めていた。

    コデルコは買収資金の大きな部分として、今年10月半ば、三井物産から67億5000万ドルの融資を受ける契約を結んだ。コデルコはまた、三井物産を通じて年間銅3万トンを10年間売る契約も結んだ。

    この事実に驚いたAASは11月9日、資本の24・5%を54億ドルで三菱商事に売却した。これにより、コデルコは49%の残り半分(24・5%)しか買収できなくなった。そこで激怒した。

    事態は暗礁に乗り上げた。コデルコは11月30日、AASと三菱の契約を無効とする訴えを起こすのを前提として、 AASと三菱の契約に至る経緯を示す文書などの開陳を法廷に請求した。

    これに対し、AASの親会社AAは、コデルコの措置を「法を遵守する外国企業に対し権力を濫用しようとしている。法治国家に対する重大な攻撃だ」と非難した。

    三井、三菱両社はチリでは口をつぐんでいる。現地では、[AAS+三菱]と[コデルコ+三井]の闘いとして強い関心を集めている。

    新自由主義大賛成のピニェーラ政権だが、コデルコが国営企業であるため、コデルコ支持の立場を示している。

(2011年12月1日 伊高浩昭執筆)

           サンティアゴ高裁は12月21日、コデルコの訴えを認め、AAS社に三菱への株譲渡を禁止する裁定を下した。「再審なし」の裁定で、裁定内容は確定した。