2016年6月30日木曜日

~「波路はるかに」~ パナマ市チョリージョ地区

◎2016・06「波路遥かに」~最終回~ 「パナマ市チョリージョ地区」

 パナマ運河第3水路が6月26日開通した。20世紀後半、この運河を通航できない大型タンカー、コンテナ船、軍艦などが待ち望んでいた日だった。この日、ピースボート船内で、「パナマとパナマ運河の歴史」について講演した。

 カラカスから乗船していたパナマ先住民(エンベラ人)の娘で20歳の大学生であるミリッツァ・フラコを壇上に迎え、感想を尋ねると、「パナマ人として開通を誇りに思う。パナマ市にいないのが残念。しかし生まれて初めての大型旅客船での航海も得難い体験です」と上手に答えた。

 パナマ市には翌日行き、運河の太平洋側出口東岸に隣接する低所得者居住地区チョリージョを取材した。1989年12月20日のブッシュ父親政権による米軍大規模侵攻の最大の被害地で、いまだに侵攻による死傷者数はわかっていない。

 フアン・バレーラ大統領は昨年、侵攻26周年を機に調査を約束。その調査委員会が近く発足する。同大統領の残る2年の任期中にどこまで解明できるか、それが当面のすべてだ。

 「米軍パナマ侵攻死者遺族・友人の会」の代表者と、その娘に会った。代表者トゥリニダー・アヨロの夫、娘パウラ・ロドリゲスの父は軍人で、侵攻時、米軍に殺された。「調査で事実関係が判明し、賠償問題が出てくるはずですが、何よりも私たちが望むのは、米政府による公式な謝罪です」と母娘は口をそろえた。

 侵攻時の爆撃で住まいを焼かれながら生き延びた女性は、恐怖の体験を生々しく語り、「すべてを失ったか、私と家族は全員、奇蹟的に命を失わずに済んだ」と述べた。地区のファティマ教会では、侵攻後の破壊の後を写した貴重な写真を見た。

 この取材の後、運河東岸奥のトクーメン空港から久々に出発、トロント経由で帰国の途に就いた。今回は17日間、船内13日間の短い船旅だった。

2016年6月27日月曜日

「波路はるかに」~ベネズエラからキュラソーへ~

20166月「波路はるかに」第2回 ~ベネズエラからキュラソーへ~

 JST(日本標準時)との時差はトロントがマイナス13時間、シャーロットタウンが同12時間、南南西に航行中の3日目、再びマイナス13時間に戻った。その日昼過ぎ、真西にバーミューダの島影が見えた。「バーミューダ三角形」の頂点で、三角形内は波が少し高くなったが、「魔の海域」を信じる人はもはや少ない。
 ベネスエラに次いでクーバ、ブラジル、コロンビア情勢などを語る。大サロンはいつも満員で、乗客のラ米情勢への関心の高さを窺わせる。そうこうするうちに、カラカスの外港ラ・グアイラに着いた。
 西隣のマイケティーアには、シモン・ボリーバル国際空港がある。この一帯、バルガス州の中心部はベネスエラの玄関口だ。トリニダードトバゴに終わるアンティージャス諸島の延長上のベネスエラの海岸地帯から海岸山脈が始まり、西南に走って標高を上げ、コロンビアでアンデス山脈と合流する。この海岸山脈の大きな盆地にカラカスがある。
 2年ぶりに訪れたこの都は、「戦後の動乱の巷」のような、生きるために必死な活気を呈していた。ミラフローレス政庁を眼下に見る丘陵上の旧陸軍兵営の大広間にあるチャべス廟の石棺をまた訪ねた。チャべスは死後も、後継のマドゥーロ政権の守護神として休む間もなく頑張っている。
 霊廟をも守る民兵隊が1625分、チャべスが201335日に死去した時刻に礼砲1発を鳴らした。石棺を守る士官候補生(カデテ)たちの交代式も見た。チャべスもカデテだった。早くから「国家刷新」の野心を抱き、シモン・ボリーバルの思想に学び、それに心酔した。
 首都中心部のリベルタドール(解放者)広場の、馬上のボリーバル像を見てから、都心の雑踏を歩く。生活物資を得るため、人々が長い行列に耐えていた。夕方の帰宅時間には、バス待つ人々の、これまた長い行列が至る所で見られた。庶民の瞳は沈むもの、輝くもの、険悪なもの、穏やかなもの、と様々だった。
 連日のように政府支援デモと、反政府デモが展開されている。そのたびに都心の交通は大混雑する。丘上の霊廟にいたとき、政庁からニコラース・マドゥーロ大統領が支援者に向けて演説する拡声器の声が響いていた。
 折からボリーバル広場に隣接する外務省では、デルシー・ロドリゲス外相と米国務省特使トーマス・シャノンが両国関係改善について会談していた。チャベス派政権を潰したい米政府は、硬軟両面の戦略を駆使している。革新政権は2代17年続いており、軍部を巻き込んだ政権基盤は脆弱ではなく、米国も手をこまねいているのだ。
 バルガス州政庁前では、ガルシア=カルネイロ州知事主催の文化祭が催された。著名なサルサ楽団が素晴らしい演奏をしてくれた。知事夫妻、マルドナード青年相、Rモレーノ副外相、Mレオン元女性相らと会食、政情について聴いた。別途、庶民、政治学者、ジャーナリストからも話を聴いた。いずれ記事にまとめよう。
 小学・中等学校が同居する「フェルミン・トロ教育複合体」を取材した。小中学校の児童が「人道主義」「革命」「社会正義」「連帯・団結」などを教え込まれている。明らかにクーバの影響を受けている。成人したとき、進歩主義的な政治的人間になっているのは疑いない。政治的理性をもった成人と話すのは味があって楽しい。この理性がないと、いつまでも人間として成長できない。
 カラカスから「エル・システマ」楽団の青少年演奏家が乗ってきた。一部はパナマで下船するが、25人は横浜まで行き、日本公演に臨む。ピースボートが築いてきた人民間文化交流の賜物だ。

クラサオ(キュラソ-)

 ベネスエラ沖にある蘭領の自治島の首都ヴィレムスタートのプンダ地区を歩く。アムステルダムに似せた色鮮やかな町並みだ。船が来ると、動いて片方の岸に接岸する移動橋が面白い。15艘くらいか、大きなボートに橋を乗せ、そのボ-トが橋を動かす。
 対岸のオトロバンダ地区は観光街ではなく、
庶民の生活が見えた。あちこちにカジノがある。射幸心を刺激する、植民地的経済の象徴でもある。沖縄は、カジノ導入に断固反対すべきだ。
 海岸には製油所、沖には海底油田を掘削するリグが浮かんでいる。製油所に隣接する工場の煙突からは煙が流れている。大気汚染が気になった。石油と観光が産業の二本柱なのだが、おもちゃのような、色とりどりの町並みと煤煙は似合わない。
 昔、壊血病にかかっていたポルトガルの船乗りたちが、この島で野菜や果物を食べて治った。葡語の「クラサウン」(治療)が島名となった。有名な紺碧の「クラサオ青」色のリキュール「キュラソーブルー」が人気の土産商品。昔は飲んだが、もはや飲む気はしない。


2016年6月17日金曜日

「波路はるかに」プリンス・エドワード島から南下


伊高浩昭「2016~波路はるかに~」第1回

 東京-成田-トロント-シャーロットタウン、13000km、自宅から現地のホテルまで24時間かかった。6月某日、午前1時すぎチェックイン、朝方まで眠り、同じ日の夜また泊まったから、一日に二夜ホテルで費やすという、たまにある体験だった。

 終日、小雨と霧雨に交互に見舞われた。シャーロットタウンは海抜1~2mの街だが、白樺の緑が並び、日本ならば高原だな、と思わせる。

 英国の田舎町そっくりの住居や建物が連なる。ケベック州に近く、フランス風の屋根作りも見られる。教会がやたらに目立つ。大海原を渡った苦難の初期移住者には多くの神が必要だったのだ。

 町外れの海岸近くに古典的な豪邸があった。まさに、これぞマンション、大邸宅だ。博物館になっている。5加ドル払って入館、1870年代に建てられた造船会社経営者の邸宅だったことがわかった。

 大西洋やカリブ海を行き来する大型帆船を建造、一財産を築き、豪邸を建てたのだが、家主一家は5年しか住めなかった。世は、帆船から蒸気船の時代に変わり、対応できなかった造船会社は破産したのだった。

 オイル式暖房装置が130年後の今も健在で、使われている。短期間だったにせよ、いかに栄華の限りを尽くした資産家の邸宅だったかが頷ける。

 島都シャーロットタウンは南岸の入り江にあるが、北岸はセントローレンス湾に面している。

その湾が見える地グリーン・ゲイブルに『赤毛のアン』の架空の家がある。ここが一大観光地になっている。

 日本のTVドラマで、この少女小説絡みの物語が放映されたためというが、日本女性が殺到している!! 私は小学生時代、絵本で『アン』を読んだ記憶があるが、物語は覚えていない。折角ここまで来たのだからと、友人に誘われ、「アンの家」を見物した。「名物にうまい物無し」と言うが、「名所にも。。。。」。

 私は、セントローレン湾、その大河の河口辺りに関心があった。ワシントン・アーヴィングの書いた物語『リップ・ヴァン・ウィンクル』の地だからだ。中学生か高校生の時、英語の授業で読んだのだが、こちらは内容を記憶している。樵(きこり)が森に行くと、九柱戯を遊ぶ人たちに誘われ、遊ぶが疲れて眠ってしまう。

 目覚めると20年の歳月が流れており、一帯は全く変わってしまっていた。リップは恐妻家だったが、その妻も死んでいた。つまり、カナダ版「浦島」である。

 島都に戻る。レストランの入り口には、挟みが大きなロブスターと牛の絵が描かれている。伊勢海老とビーフステーキが2大豪華料理なのだ。両方とも約4000円。安くはない。

 私は敢えて、生牡蠣、茹でシュリンプ、焼き蛤を食べた。3000円。まずくはなかったが、特にうまいと褒めるべき味ではなかった。

 街で何人か、段ボール片に「昨日から何も食べていない」と書いたのを手に、銭乞いする男らの姿を見た。ロブスターと段ボール片の歪(いびつ)な対称。

 島都滞在二日目の昼前、アイスランドのレイキャビックからやってきた、ピースボート世界周遊船「オーシャン・ドゥリーム号」が中5日の航海を経て入港した。若い仲間たちに迎えられて乗船、空の長旅の疲れは気分的には吹き飛んだ。だが肉体に疲れはどにょりと沈んでいる。

 明けた朝、船内の大劇場兼講堂で、ベネスエラ情勢を90分語った。この船は中6日の航海で、一週間後にはカラカスの外港ラ・グアイラに着く。ベネスエラの状況を間近に見ることになる。この旅の山場である。

 半年振りの旅だが、淀んでいた私の人生がまた、旅によって動き出した。

2016年6月12日日曜日

ベネズエラ大統領が、国民投票実施は来年と言明

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は6月11日、カラカス市内で開かれた「第1回祖国会議」で、野党連合MUDが請願中の大統領罷免国民投票は実施されるにせよ来年3月ごろになる見通しだ、と述べた。

 大統領は、MUDが提出した185万人分の署名のうち60万人分が、国家選挙理事会(CNE、選管)によって「無効」と判断されたのを受けて、「提出署名の31%が無効だったとは重大な反憲法行為であり、最高裁に13日、請願無効化処分を求めて提訴する」と強調した。

 CNEは、今回「有効」とされた135万人の署名に関し、署名者に今月20~24日、CNE本部・支部に出頭し、指紋照合と意志確認をするよう求めている。
 
 政府は、マドゥーロ大統領の6年の任期が半分を経過した今年1月10日直後にMUDは国民投票を請願すべきだったが、それをせず、5月初めにしたが、不正署名がなかったとしても、正式請願に請願には有権者の20%(400万人)の署名がさらに必要になるため、その検証や投票準備は年内には終わらない、との立場をとっている。

 デルシー・ロドリゲス外相も外交団との会合で、「国民投票実施は来年」と述べた。外相はまた、「内外メディアは、米南方軍司令官が昨年から口にしてきたようなベネスエラへの軍事介入を正当化する口実をつくるため、意図的宣伝に躍起となっている」と糾弾。外部勢力は、ベネスエラの豊かな石油や鉱物資源を狙っている、と指摘した。
 
 MUD内で大統領罷免国民投票を推進してきたミランダ州知事エンリケ・カプリーレスは11日、「MUDは署名を当初260万人分集めたが、80万前後を除いた」と述べ、精査した結果、185万人分をCNEに提出したことを明らかにした。

 MUD内極右は、次期大統領候補指名争いでカプリーレスと対立、署名に参加していない。MUDの弱みは、内部の権力闘争にある。

 政府とMUDの間で対話を仲介している南米諸国連合(ウナスール)のエルネスト・サンペール事務総長は10日カラカスで、我々の経済専門家は、ベネスエラの為替相場の歪みを正すため、通貨ボリーバルの複数ある相場を廃止(自由相場に一本化)すべきだ、と判断したと明らかにした。また、補助金政策や生産政策にも見直しが必要との考えを示した。

 一方、米州諸国機構(OEA)は13~15日サントドミンゴで外相会議を開き、ベネスエラ情勢と米州の人権問題を主要議題として討議する。米国寄りでベネスエラに厳しいルイス・アルマグロOEA事務総長は11日、現地入りした。

 アルマグロは10日、今月23日にワシントンでOEA大使会議を開き、「米州民主憲章」のベネスエラへの段階的適用について話し合う、と発表した。加盟34カ国の過半数18カ国が賛成すれば、同適用を討議する。

 次いで加盟国の3分の2(24カ国)の賛成で、臨時外相会議開催を決め、その会議で24カ国以上が賛成すれば、「憲章」適用によって、ベネスエラのOEA加盟資格は停止される。アルマグロ、米国、パラグアイなどは、停止によって孤立化するベネスエラへの干渉圧力を強めたい戦略だ。

 米国務長官ジョン・ケリーはサントドミンゴ会議に13~14日出席する予定。ベネスエラからはデルシー・ロドリゲスが出席する。゙ 

2016年6月11日土曜日

ベネズエラ選管が国民投票請願署名を今月下旬、点検へ

 ベネスエラ国家選挙理事会(CNE、選管)のティビサイ・ルセーナ理事長は6月9日、野党連合MUDから5月2日提出された名簿の有効性判断のための点検作業を20~24日実施する、と発表した。

 MUDは、ニコラース・マドゥーロ大統領罷免の是非を問う国民投票実施を要請、その請願のため、有権者名簿を提出していた。この国民投票は憲法72条で保障されている。

 理事長発表によると、MUDが運び込んだ段ボール箱80に計20万の名簿が入っていた。その名簿には計195万人分の署名があったが、うち60万人分は規定を満たしておらず、除外された。残る135万人分が点検対象となる。

 MUDはCNEの作業の「遅さ」に業を煮やし9日、CNEに抗議のため押し掛けた。最高裁は「暴力的押し掛け」を禁止しており、これに違反したため警察および国家警備隊に実力で排除された。その際、MUDの国会議員一人が鼻に負傷、入院した。

 政権党PSUV(ベネスエラ統一社会党)副党首ディオスダード・カベージョ国会議員(前国会議長)は9日、米南方軍士官7人がベネスエラ沖カリブ海にある蘭領アルバに滞在、衛星通信による電子機器で対ベネスエラ軍事作戦情報を探っていると告発した。同士官団は、ベネスエラ国営石油会社PDVSA製油所の麻痺をも狙っている、とカベージョは警告している。

 アルバのミチェル・エナン首相は10日カラカスを訪れ、マドゥーロ大統領と「両国関係強化」のため話し合った。この訪問が、カベージョの告発内容と関連するか否かは明らかにされていない。

 アルバの近くにある蘭領クラサオ(キュラソー)にはPDVSAの製油所があるが、ベネスエラから送られる原油が滞ったため、ことし1月からPDVSAはクラサオ製油所向けに米原油を日量3万7000バレル輸入してきた、という。

 マドゥーロ大統領は9日、近日中にベラルーシを訪問し、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領と関係強化で話し合う、と発表した。

 一方、南米諸国連合(ウナスール)のエルネスト・サンペール事務総長(元コロンビア大統領)は10日カラカス入りした。政府とMUDとの対話仲介を促進するため。この仲介努力はこのところ、国際社会で評価されている。

 ベネスエラ外務省は、キトにあるウナスール本部VEN代表部に、文化・社会・経済・政治統合のための部門を開く、と発表した。

2016年6月10日金曜日

ペルー決選:0・24p差でPPKがケイコ・フジモリを破り当選

 ペルー大統領選挙決選(6月5日)の結果が9日判明、「改革のためのペルー」(PPK)候補ペドロ=パブロ・クチンスキ(PPK、77)が超僅差で「人民勢力」(FP)候補ケイコ・フジモリ(41)を破り勝利した。

 国家選挙過程事務所(ONPE=選管)発表によると、開票率100%で、PPK50・12%、ケイコ49・88%。0・24ポイント差だった。PPKは7月28日の独立記念日に就任する。任期は5年。

 4月10日の第1回投票後に始まった選挙戦は、「反フジモリ」運動が盛り上がった序盤、PPKがリード。だが中盤前半でケイコは自党FPの全国組織を動かして追い付き、中盤後半でPPKを追い抜いた。

 ケイコは終盤前半、りーどを5ポイント以上に拡げ、「当確」に接近した。危機感を抱いた反フジモリ派は再び運動を激化させ、ケイコのリードを縮めた。

 さらに、第1回投票で3位になった左翼「拡大戦線」(FP)の候補だったベロニカ・メンドサがPPK支持を打ち出し、左翼票をPPKに回した。これにより終盤後半、PPKが支持率でかすかにケイコを上回った。PPKはその僅差を維持して、逃げ切った。ペルー大統領選挙史上、最も僅差の選挙となった。

 PPKは米財界に近い経済屋。1990年代のフジモリ政権に始まるペルー新自由主義経済路線を、トレード政権経済相として強化に努めた。在米経験が長く、米国籍もかつて保有していた。スペイン語の発音にも英語なまりが目立つ。

 PPK政治は、ウォール街とホワイトハウスに近いものとなるが、今回の勝利で左翼の支援が決定的だったことから、保守・右翼本流をやや中道寄りに修正した路線をしばらくはとらざるを得ないと思われる。

 また国会(130議席)でケイコ派FPが73議席を握るという厳しい現実がある。政権と国会に「ねじれ」が生じるわけで、僅差の勝利と相俟ってPPKは、FPの協力を仰がねばならない。このこともPPK政治の規制条件となる。

 また77歳と高齢で、任期中に80歳を迎えるため、標高4000mを超えるアンデス高地などを訪問するのは難しい。海岸地方中心の政治にならないよう、注意が必要になろう。

 一方、決選で2回連続して惜敗したケイコは、父親フジモリへの「呪い」から解放されなかった。だが41歳と若いため、5年後も出馬は可能だ。3度目の正直を狙うには、国会でPPKに協調し、「よりよいペルー」建設に尽力することで、有権の間に依然根強い「反フジモリ感情」を中和化するのが肝要かもしれない。

 ケイコには、FP国会議員である実弟ケンジがいる。ケンジにも政権に就きたい野心がある。有権者は「父アルベルト-娘ケイコ-息子ケンジ」と続く「フジモリ一族の支配」を怖れる感情さえある。この点にもケイコらは留意せねばならない。

 大接戦ではあったが、ペルー人は、<異端児ケイコ>でなく、<無難は経済人>を次期最高指導者に選んだと言える。

2016年6月9日木曜日

米州ボリバリアーナ同盟(ALBA)もベネズエラを支持

 米州諸国機構(OEA、34カ国加盟)は6月13~15日、サントドミンゴで第46回総会(外相会議)を開催、政府と野党連合MUDが対決しているベネスエラ情勢を中心に討議する。

 これに先立ち8日カラカスのベネスエラ外務省で、米州ボリバリアーナ同盟(ALBA)の臨時閣僚会議が開かれ、ベネスエラ政府への連帯を表明した。4日には、ハバナで開かれた第7回カリブ諸国連合(AEC)首脳会議がベネスエラ政府の立場を支持。OEA大使会議も「ベネスエラ問題の対話による解決への協力」を決議、べエスエラに有利な環境ができつつある。

 ALBA会議に出席したエクアドールのギヨーム・ロング外相は、「LAC(ラ米・カリブ)は団結して事に当たろう。団結すれば無敵だ」と呼び掛けた。べネスエラに「米州民主憲章」を適用したいルイス・アルマグロOEA事務総長、これを支援する米国務省やラ米右翼勢力に団結して対抗しようと、ロングは説いたもの。

 クーバのブルーノ・ロドリゲス外相は、「2002年4月、当時のウーゴ・チャベスVEN大統領がクーデターで短期間政権を追われた際、OEAはクーデター派暫定政権に<民主憲章>を適用しなかった」と指摘、「そのような機構にクーバは決して復帰しない」と強調した。

 ボリビア大統領府相フアン・キンターナは、「ベネスエラに対する帝国主義の攻撃を監視し続ける」と述べた。

 会議議長のデルシー・ロドリゲスVEN外相は、「ベネスエラは帝国主義による恒常的な攻撃の犠牲者だ。世界の右翼、マスメディア、多国籍企業などと連携し、ベネスエラを中傷している」と糾弾。ベネスエラ政府に、暴動教唆罪などで収監されている極右政治家の釈放や、ニコラース・マドゥーロVEN大統領罷免のための国民投票早期実施を8日求めた欧州議会を内政干渉と非難した。

 ALBA閣僚会議は、主権尊重、マドゥーロ政権支持、南米諸国連合(ウナスール)による対話仲介支持などを謳う宣言を採択。これをキンターナ大統領府相が読み上げた。

 ALBAは2004年12月、ベネスエラとクーバが結成。現在、ボリビア、エクアドール、ニカラグア、ドミニカ、セントルシーア、グレナダ、セントヴィンセント・グラナディーン、アンティグア・バーブーダ、セントキッツネヴィスの計11カ国が加盟、「LACの左翼塊」となっている。

 会議はまた、マクリ右翼政権のアルヘンティーナが脱退した多国籍テレビ放送「テレスール」(本部カラカス)への連帯と支援を表明した。

 ブラジリアでは8日、テメル代行政権のジョゼ・セラ外相とパラグアイのE・ロアイサ外相が会談。「ベネスエラの法治国家性と人権状況を懸念している」と表明した。パラグアイは2012年6月、フェルナンド・ルーゴ大統領をご強引な「国会クーデター」(弾劾)で退陣させた。ブラジルは先月、収賄議員たちが団結、贈収賄事件を追及していたヂウマ・ルセフ大統領の弾劾裁判開始を決め、同大統領を停職とした。両国とも「法治国家」を口にする資格は乏しい。

 両国、ウルグアイ、亜国、VENが加盟する南部共同市場(メルコスール)の輪番制議長国に7月VENが就任する予定だが、パラグアイとブラジル代行政権は反対。パラグアイが議長に収まるか、現議長国ウルグアイの任期を延長するかを協議している。

 
 
 

2016年6月8日水曜日

ハイチ大統領選は無効、今年10月やり直し選挙実施へ

 アイチ(ハイチ)暫定選挙理事会(CEP、選管)は6月6日、昨年10月25日実施の大統領選挙結果を無効と判断、新たに今年10月9日に大統領選挙をやり直す、と発表した。決選が必要な場合、来年1月8日に実施される。

 昨年の選挙は、従米派のミシェル・マルエリ大統領(当時)の政権党「テトゥカレ・アイチ党」(PHTK)候補ジョヴネル・モイスが32・8%、野党「進歩・解放のための代替連盟」候補ジュドゥ・セレスタンが25・3%で、それぞれ得票1~2位となり、決選進出が決まった。

 ところが選挙の投開票時に政権党が大規模な不正を働いたことが判明。多くの野党が無効を訴え、セレスタン候補は決選ボイコットを打ち出した。

 国中が大混乱に陥り、暴動も起きた。決選は繰り返し延期されたが、2月7日、マルテリ大統領が任期満了で政権を退いた。代わって上院議長だったジュセルム・プリヴェールがが選挙管理政権の暫定大統領に就任した。

 新たな決選は5月実施の予定だったが、これまた実現せず、CEPはやり直し選挙決定に踏み切った。これに対し、政権党支持者は激しい抗議デモを展開、プリヴェール暫定大統領の辞任を要求している。

 暫定大統領の任期は6月14日で切れるため、上院はプリヴェールの任期延長か、新たな暫定大統領指名か、近く決める。

 マルテリ前大統領も不正によって当選したと非難されたが、この国では、ほとんどの選挙が不正に埋もれてきた。

▼ラ米短信  アイチの隣国、ドミニカ共和国(RD)で5月15日実施された大統領選挙の結果がこのほど判明。現職のダニーロ・メディーナ(64、ドミニカ解放党=PLD)が61・74%を得票、対立候補ルイス・アビナデル(48、現代革命党=PRM)らを破って2選された。任期は4年。
 

2016年6月7日火曜日

社会主義キューバで民放テレビ2局が営業開始

 クーバに民放テレビ2局がこのほど開設され、営業を開始した。「ミ・アバーナTV」と「ボーラ8TV」で、番組は音楽と文化が中心。企業の商業広告や宣伝画像を流す。

 クーバのメディアはすべて共産党イデオロギー局の管理下にあり、民放も例外でないが、自営業者が50万人を超え、成功者も増えており、民放の企業宣伝収益が可能になった。

 クーバ内務省は1961年6月6日発足したが、その55周年記念日の6日、ラウール・カストロ議長も出席して盛大な記念式典が催された。内務省は治安維持と諜報活動の要であり、米国と国交を再開した今、ラウール政権にとって内務省の活動は一層重要になっている。

 ★一方、ブルーノ・ロドリゲス外相は5日、ハバナ市内の会議殿堂で、韓国のユン・ビョンセ外相と75分間会談した。当初の予定は30分だった。

 クーバは、革命が勝利した1959年、北朝鮮を承認、韓国と断交した。だが1992年のバルセローナ五輪期間中、双方のスポーツ当局高官が交流、対話に道を開いた。

 昨年、クーバが米国と54年半ぶりに復交すると、韓国も対玖復交に向けて動き始めた。先月9日ソウルで両国商業会議所幹部が会合し、関係強化のための趣意書に調印した。

 またこのほどハバナで、「韓国映画週間」が催された。玖韓交流協会、玖映画文化・産業庁(ICAIC)、玖人民友好庁(ICAP)が開催に関与した。クーバで韓国は、「サムスン、ヒョンデの国」として知られている。

 ユン外相は、ハバナで4日開かれた第7回カリブ諸国連合(AEC)首脳会議にオブザーバー国として急遽出席し、玖外相との会談に備えていた。

 ユン外相は「会談は友好的、真剣、かつ誠実だった。クーバの気候変動への取り組みに韓国としていかに協力できるかを検討中と玖外相に伝えた」と述べた。

 クーバには、韓国系市民1100人がいる。多くは日本の支配下にあった1921年、移住先のメヒコから渡玖した人々の子孫だ。2014年ハバナに韓国政府の援助で韓国文化会館が建てられたが、ユン外相はそこで韓国系代表と懇談した。

 玖メディアは6日現在、玖韓外相会談を報じていない。国交のある北朝鮮を慮っているからだ。北朝鮮の高官は先ごろ来訪し、露同党大会の結果を説明、クーバ側から共産党大会の結果を聴いた。 

2016年6月6日月曜日

ニカラグア次期大統領選に現職ダニエル・オルテガ出馬へ

 ニカラグア大統領選挙(11月6日実施)の政権党候補にダニエル・オルテガ大統領(70)が6月4日決まった。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は同日マナグアで第6回党大会を開催、代議員1987人のうち出席した1910人全員がオルテガ擁立に賛成した。オルテガはFSLNの書記長でもある。

 オルテガは、ゲリラ組織だったFSLNの司令の一人として革命戦争を指揮、1979年7月、ソモサ独裁を打倒し、革命に成功。85~90年、大統領を務めた。

 90年代は、レーガン米政権が軍事介入し、ニカラグアは内戦の巷となった。89年の東西冷戦終結を経て90年、米国の圧力下で大統領選挙が実施され、保守勢力のビオレタ・チャモーロに敗れたオルテガは野に下った。

 オルテガは2006年11月の大統領選挙に勝ち、07年1月10日、就任。以来、連続2期務めてきた。その間、改憲し、連続再選制限をなくした。夫人のロサリオ・ムリージョと2人で、ニカラグアをほぼ完全に支配している。

 11月の選挙は総選挙と呼ばれ、正副大統領、国会議員90人、中米議会議員20人を選ぶ。政党支持率は、FSLN89%、立憲自由党2%、独立自由党1・5%。有権者は300万人。

 連続3選、計4期目を目指すオルテガは4日、「国際監視団は招かない。ニカラグア人民には反帝国主義思想がある」と述べた。 
 

2016年6月5日日曜日

第7回カリブ諸国連合首脳会議が「ハバナ宣言」採択

 ハバナで6月4日、第7回カリブ諸国連合(AEC)首脳会議が開かれた。AECは「大カリブ地域統合」を目指して1994年設立され、カリブ海沿岸の25カ国(ラ米12、英連邦系12、スリナム)が加盟している。

 この日85歳になったラウール・カストロ玖国家評議会議長が開会演説。「LAC(ラ米・カリブ)地域における帝国主義と寡頭勢力による反転攻勢に無関心であってはならない」と警鐘を鳴らし、マドゥーロVEN政権と、弾劾裁判中のヂウマ・ルセフ伯大統領への連帯を表明した。

 さらに、ワシントンに本部を置く米州諸国機構(OEA)について「過去も未来も帝国主義の道具だ」と扱き下ろした。クーバは62年に追放されて以来加盟しておらず、「復帰する意志は毛頭ない」と表明している。

 会議にはベネスエラ、スリナム、ガイアナ、パナマ、コスタ・リカ、エル・サルバドール、オドゥーラス、グアテマラ、ドミニカ共和国、ハイチ(暫定)の10カ国大統領、ジャマイカ、トゥリニダードトバゴなど英連邦諸国の首相らが出席した。

 米植民地プエルト・リコ(PR)のアレハンドロ・ガルシア知事も招待出席。またアルバ、クラサオ、仏領ギアナ、ターカスカイコスなど協賛地域の首脳らも出席した。ガルシア知事は、PRハバナ代表部開設を検討中と述べた。

 べエスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は首脳発言で、「米国はベネスエラ孤立化を狙ってLACに粗暴な圧力をかけている。これに屈してはならない」と警告した。

 会議は「ハバナ宣言」と「2016~18年行動計画」を採択して閉会した。44項目から成る同宣言には、①小島嶼諸国が直面している試練と脅威を認識し対処②各国に独自の体制を選ぶ権利あり③LAC平和地域化宣言を確認④玖米復交支持し、経済封鎖な一方的措置を破棄するよう米国に要求⑤コロンビア内戦和平交渉支持⑥ハイチ危機克服努力支持⑦LAC核兵器禁止機構(OPANAL)規約に沿いつつ核軍縮促進⑧開通間近なパナマ運河第3水路祝福⑨CELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)強化-などが盛り込まれている。

 

2016年6月4日土曜日

テメル・ブラジル代行政権、陰謀暴かれ弾劾急ぐ

 ブラジルのテメル代行政権は、停職中のヂウマ・ルセフ大統領の弾劾裁判を7月半ばにも終わらせようと躍起になっている。弾劾に賛成していた元サッカー伯代表のロマリオ(社民党)ら3人の上院議員が6月2日、弾劾の口実の下で蠢く権力奪取の陰謀を嗅ぎ分け、弾劾賛成派から離脱する動きを見せたのに慌てたためだ。

 弾劾には上院議員81人の3分の2(54)の賛成が必要だが、賛成派から脱落が増えれば、54票を割る可能性も出てくるからだ。
 
 国営石油絡みの大規模な贈収賄疑獄「ペトロラン」で容疑や嫌疑をかけられている上下両院議員たちは、捜査を終わらせるために大統領弾劾という荒業を打った。最近、テメル政権の閣僚2人が「捜査打ち切りのため弾劾が必要」という趣旨の発言をしていた事実が、録音暴露によって明るみに出、同閣僚2人は辞任に追い込まれた。ロマリオは、これで嫌気がさしたらしい。

 上院弾劾特別委員会は2日、問題発言を録音したセルジオ・マシャード元トランスペトロ社長の証言および録音証拠を採用しないことを決めている。これまた茶番劇だ。

 同委員会は2日には、弾劾裁判日程を決める予定だったが、弁護側の厳しい抵抗で決めることができなかった。

 テメル政府側は、6月6日に日程を決めることにしている。同6~17日に証言・証拠提示、20日ルセフ大統領尋問、21~25日弾劾告訴文書審理、26~30日弁護側主張審理、7月4~5日委員会弾劾決議審理、6日同決議採択、7日本会議審理、12~13日ごろ本会議採決、という日程を描いている。

 テメル側は、これ以上、内輪からボロが出ないうちに大急ぎで弾劾してしまおうという戦略だ。8月5日開会のリオデジャネイロ五輪前に正式な大統領になっていたいというテメルの野心もあるようだ。

 一方、リオでは2日、「民主のための女性」所属の女性数千人がルセフ大統領支援と、弾劾茶番劇糾弾のためデモ行進した。

▼ラ米短信   ミゲル・ディアスカネル玖第1副議長は6月3日、岸田外相と会談した。外相は、日本の北朝鮮関係に関し、クーバの協力を求めた。副議長は2日には安倍首相、麻生財務相らと会談している。

 副議長は外相との会談後、墨田区にあるスカイツリーを見学。夜は東京ドームで巨人戦を観戦。試合前にクーバ人選手たちと話し合った。副議長一行は公式日程を終了、4日羽田空港から帰国の途に就く。

 因みに三菱商事は1日、ハバナ事務所を再開した。1981年に占めて以来、35年ぶり。丸紅、三井物産なども再開を検討中。

2016年6月3日金曜日

米州諸国機構がベネスエラに有利な対話協力案を決議

 米州諸国機構(OEA、34カ国加盟)は6月1日、ワシントンの本部で常設理事会(大使会議)を開き、ベネスエラ問題に関し、「OEAは、主権尊重の下、ベネスエラの政府、憲政機関、政治・社会勢力の間での対話による解決努力に協力する」と謳う決議を採択した。

 具体的には、南米諸国連合(ウナスール)の対話仲介使節団(スペイン、パナマ、ドミニカ共和国元首脳)の努力を支持している。

 OEAのルイス・アルマグロ事務総長は5月31日、加盟国の民主状況が「変更された場合」に適用される「米州民主憲章」をベネスエラに適用すべきとの立場で、この件を討議する大使会議を6月10~20日の期間に開くよう加盟国に呼び掛けていた。

 だが加盟国の多くはベネスエラの主権を無視した総長の決定に異論を唱え、穏健な決議が採択された。アルマグロ事務総長の敗北、ベネスエラの勝利、と受け止められている。

 この日の会議にアルマグロは欠席し、不快感を示した。会議は輪番制議長国アルヘンティーナの大使が議長を務めた。同大使は、「OEAの主人は我々加盟国だ」と述べ、主権を超えて憲章適用を促進したアルマグロを暗に批判した。また、アルマグロの代理で出席した事務局幹部の発言を許可しなかった。

 亜国のマクリ右翼政権は反マドゥーロの急先鋒だが、同国のスサーナ・マルコーラ外相はブエノスイアレスで、「亜国は、安易な民主憲章適用に賛成しない。その適用は必ずしも問題解決に寄与しない」と述べた。

 こうした亜国の「態度豹変」は、マルコーラ外相が今年後半の国連事務総長選挙に出馬するため、ベネスエラを含むラ米諸国の支持を必要としているから、と解釈されている。

 1日の決議は多数派の合意によって成立したが、憲章適用を求めるパラグアイだけは合意に参加しなかった。デルシー・ロドリゲスVEN外相はカラカスで、「パラグアイだけが外れたのは残念だ」と語った。

 ブエノスイアレスでは2日、「ラ米カリブ主権・団結議員網」の第2回会合が開かれ、OEAによる「主権侵害の民主憲章適用に反対する」ことを表明した。

 スペインでは「マドリー・アメリカ館」で2日ベネスエラをめぐるフォロ(フォーラム)が開かれた。ホセ・ガルシアマルガージョ外相は、「我々が(ベネスエラ問題に)対処できなければ、人道的危機が暴動につながる可能性がある」と指摘した。

 またフェリーペ・ゴンサレス元首相は、「ベネスエラでの物資供給不足は深刻であり、このまま事態が悪化すれば、カラカソ再来もありうる」と警告した。「カラカソ」は1989年2月末、緊縮財政政策で生活苦に陥った貧困層がカラカスで大挙して略奪、軍隊が出動して制圧、最大3000人が殺された、とされる一大騒擾事件。

 ゴンサレスはさらに、「ソ連消滅後の1990年代前半、クーバは極度の物資欠乏状態に陥っていた。今のベネスエラは似たような状態にあるが、一層悪い。なぜならクーバは当時、欠乏状態の中で物資を効果的に配給していたからだ」と述べた。

 カラカスでは2日、国立ベネスエラ中央大学(UCV)学連が、ニコラース・マドゥーロ大統領退陣要求運動を開始する、と表明した。この学連は、保守・右翼野党連合MUDに近い立場をとっている。

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は2日コチャバンバで、「ラ米連帯が帝国主義の介入を阻止した」と、OEAの対話促進決議を讃えた。モラレスに招かれて来訪したホセ・ムヒーカ前大統領も、「OEAでは米国の圧力が腹立たしい。ベネスエラ問題対処では、ウナスールの方をはるかに信頼できる」と述べた。

 ベネスエラでは2日、シモン・ボリーバルによる奴隷解放宣言200周年の記念式典が、アリストーブロ・イズトゥーリス副大統領出席の下で催された。同副大統領は、ベネスエラでアフリカ系の最高位にある。

▼ラ米短信  ペルー大統領選挙決選の選挙戦は2日終了、この日発表されたCPIによる最新の支持率調査結果はケイコ・フジモリ(41)51・6%、ペドロ=パブロ・クチンスキ(77)48・4%、3・2ポイント差でケイコが優勢を維持している。

 だがPPKは、終盤で再び激化した反フジモリ運動および、4月の大統領選挙第1回投票で3位になった左翼「拡大戦線」候補ベロニカ・メンドサがPPK支持を表明したことなどから、やや盛り返している。

2016年6月2日木曜日

キューバ第1副議長ディアスカネルが広島訪問

 来日中のクーバ次期議長のミゲル・ディアス=カネル第1副議長は6月1日、広島の被爆地を訪ねた。被爆者の岡田恵美子79)、広島市長、原爆記念資料館長らに迎えられた。ディアスカネルは視察後、次のように語った。

「原爆投下は不要かつ、道徳的に正当化できない犯罪行為だった」

「この出来事は、人類が決して忘れてはならない歴史の一部である」

「クーバ政府は断固、平和と、核なき世界のために闘い続ける」

「抵抗力と、残虐行為を受けながら再生した努力において歴史的な広島市が受けたような苦しみを、いかなる人民も経験してはならない」

 第一副議長は資料館の芳名帖に、「生存し、再建し、人類が決して忘れてはならない尊厳を残した人々へ」と記した。

 また、2013年3月来館したフィデル・カストロ前議長が記した「この種の残虐行為が二度と繰り返されないように」を確認した。故エルネスト・チェ・ゲバラも1959年7月、広島を訪れている。

★ディアスカネル第1副議長は2日東京で安倍首相を表敬、会談した。副議長は、ラウール・カストロ議長からの安倍首相訪玖招待を伝えた。首相は、前向きに検討する、と応えた。

 会談では両国関係強化で一致。また、日本企業が進出しやすい環境づくりについて話し合った。副議長は、国連総会での経済封鎖廃棄決議で毎年、日本が賛成票を投じてきたことに謝意を表した。首相は、両国関係促進のため日玖友好議員連盟が果たしてきた役割を評価した。

 副議長はこの日、山崎正明参議員議長とも会談、日本電気(NEC)本社を訪れた。夜は、ホテルオークラでのクーバ大使館主催のパーティーに出席、在京クーババンドの演奏で歌い、ボンゴをたたき、夫人とサルサを踊った。

 すべて上手で、クーバ人らしさと、カストロ兄弟と異なる新世代の指導者であることを印象付けた。

2016年6月1日水曜日

米州諸国機構事務総長がベネズエラ問題で会合招集

 米州諸国機構(OEA)のルイス・アルマグロ事務総長(前ウルグアイ外相)は5月31日、OEAの「米州民主憲章」第20条に基づき、ベネスエラの民主状況を討議するため6月10~20日、常設理事会(大使会議)を開催する、と発表した。

 同20条は、事務総長もしくは加盟国は同会議を招集できると定めているが、事務局長が独自に招集したのは初めて。アルマグロと、ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は最近、ベネスエラ情勢をめぐって激しい非難合戦をしている。

 OEAは米州35カ国のうち、クーバを除く34カ国が加盟している。本部はワシントンにあり、米国務省の強い影響下にある。かつては「米国の植民地省」と酷評されていた。

 アルマグロは今回、ベネスエラ国会から民主憲章適用の要請があったが、同国に「民主秩序に重大な影響を及ぼす民主秩序変更があるのは明らか」として、理事会を招集した。だが、アルマグロの先走りに不快感を示す加盟国もある。

 OEAの動きを受けてカラカスでは、反マドゥーロの急先鋒の一人、国会議長ヘンリー・ラモスが、「マドゥーロは、問題を打開し、名誉ある退陣を可能にするため、退陣すべきだ」と述べた。一方、大統領派労働者5万人は31日、カラカスで大統領支援デモを展開した。大統領は大群衆を前にアルマグロの決定を糾弾し、憲章適用があれば「国民反逆」で対抗しようと訴えた。

 一方、OEA輪番制議長国アルヘンティーナは、OEA大使を会議を6月1日開き、ベネスエラに問題解決のため全当事者の対話促進にOEAが協力するという趣旨の声明を出すことについて決議したいと、穏健な姿勢を打ち出して。いる

 反マドゥーロ派野党指導者の中には、軍部に「憲法とマドゥーロのどちらにつくか」と、蜂起を促す者もいる。28日、首都圏で退役陸軍少将フェリックス・ベラスケスが暗殺されたが、政府は軍部挑発を狙った極右武装集団の犯行と見ている。

 チャベス前政権期に幹部を入れ替えられ厚遇されてチャベス派になった軍部は、野党が要求しているマドゥーロ罷免のための国民投票を来年1月10日以降に実施するのを望んでいる、との見方がある。

 その日は故ウーゴ・チャベスが4期目に就任した日の4周年。チャベスは2013年3月死去、後継のマドゥーロの任期はチャベスの残り任期とされ、来年の1月10日になれば、任期6年の3分の2が過ぎたことになる。

 憲法は、大統領が任期4年を過ぎてから罷免された場合、副大統領が暫定政権を担うと定めている。その場合、チャベス派の重鎮で副大統領のアリストーブロ・イズトゥーリスが昇格する。軍部には、マドゥーロが退陣してもチャベス派政権が続けばやりやすい、との考えがあるという。

▼ラ米短信  クーバのミゲル・ディアスカネル第一副議長は5月31日、東京・大手町の経団連で開かれた日玖経済懇話会加盟社幹部らとの夕食懇談会で演説、「特に過去2年緊密化している両国関係活性化に鑑み、通商関係などを拡大させたい」と述べた。

 副議長はまた、クーバ政府の経済改革政策の概要と、4月の第7回クーバ共産党大会の結論について説明した。